第19話:伯爵のそれは説明という名の脅迫だった件
このゲームの『アガリ』は簡単だ。
革命軍、ひいては、返済が済んでいるとはつゆとも思わず、都の本屋一家を追いまわしているマヌケなギロディス家近縁のロランドに『返済は終わっている』と突きつければいいのだ。
カルテルの返済完了の書類は持っている。
――書類の偽装を疑われたら?
疑われないためにクシスがいる。伯爵家が堂々とペテンを働くことは考えにくいし、なによりクシスは顔が広い。彼の言葉を頭ごなしに疑う貴族家はそういない。
つまり、クシスがその事実を突きつけることが、このゲームの『アガリ』だ。
何故、伯爵までが私の両親の奪還に力を貸してくれるかは、よくわからないけれど。
***
都の本屋の店主、クロウとその妻エリナは、縛られ荷馬車に乗せられていた。普段は奴隷や犯罪人を運ぶ用のものだろう。小汚く、そこらじゅうボロボロだった。
エリナは眼を細くして窓の外を見た。鉄格子の隙間から月の光がほろりと零れ入ってきたからだ。
――このまま捕まって殺されるのは構わない。でも、こいつらは引き続き娘を狙い、殺すだろう。
ちらりとクロウを見る。彼も同じことを心配していたようで、エリナのほうを渋い顔で見て首を振った。
――それでもバラバラに逃げていてよかった、とエリナは心の中で呟いた。
自分たちがレジスタンスの情報発信の中心に居たことは、娘には告げていなかった。彼女は借金の理由に全く心当たりがないだろう。そのため、レジスタンスの連中に娘の姿を見せることはほとんどなかった。つまり、顔が割れていない。珍しい色の髪の毛は少々目立つし、人相書きにもそのことが書かれているだろうから、全く安全というわけではないが、一緒にいるよりはずっと安全だったのだ。
「これからどこに連れて行かれるの?」
エリナは武装した見張りの男に問いかけた。
「知らなくていいことだ。直着く」
男はそれ以上話す気がないようだった。
連れていかれる先に知り合いがいれば、少しは殺されないチャンスがあるかと思ったが、ここはアルブ南部だ。おそらくギロディスの領地に連れて行かれるのだろう。それではあまり、分がない。
エリナは息をついた。
その時だった。
ガシャーン!
結構な音がして、荷車は横殴りの衝撃を受けた。同時に馬が嘶き、ぐらんぐらんと揺れた荷馬車の一部が粉々になった。
「な! なんだぁ……!?」
「うお……っ!」
荷馬車を横からけり倒したのは赤い髪の男、ロッソだった。次いで斧を持ったダイドが荷馬車の扉をぶち壊した。
「な、何っ!?」
エリナとクロウは互いに身を寄せて衝撃に耐えた。
開かれた扉からダイドが飛び込み、短剣を抜いて狼狽えた見張りの男2人を鮮やかに切り殺す。
悲鳴とともに赤い血がダイドの顔にかかるが、ダイドは3度瞬きをしただけで拭うこともせず、鋭く振り向いてクロウとエリナを見た。
すると、外からも別の悲鳴が聞こえ、馬が再び嘶いた。
「ダイド、中は!?」
そしてロッソの声が響く。
「制圧」
ダイドが外に向かって聞こえるように言い、息をついた。
「クロウさんと、エリナさんですか」
そして2人を見下ろして問いかけた。
2人は黙ったまま頷き、自分も殺されるのではという一抹の不安を瞳に映した。
「良かった。もう入ってきていいよ、ラピス!」
「!?」
青年の口から、娘の名前が出て2人は目を丸くした。
そして、彼の後ろから、荷馬車に飛び込んでくる娘の姿を目にしたのである。
***
「お父さん! お母さん!」
私は溢れ出す涙をそのままに、荷馬車によじ登り、目を丸くした二人に飛びついた。
「ら、ラピス……!?」
「本当にラピスなのか……!?」
2人は驚いていた。
そんな2人を縛る縄をダイドがナイフで切ると、彼らは私を抱きしめ返してくれた。
「無事!? 無事なの!?」
2人は縛られていたものの、どこにも怪我はないようだった。
「ラピスこそ! どうしてここに!?」
父が大きな手で私の頬を挟んだ。
「助けに来たのよ!!」
2人の目からも涙がぼろっと零れ落ちたのが見えた。
「なんて無茶を……! というか、この人たちは……?」
母がダイドを見上げた。
「俺はラピスの友人です。すみません、時間がありませんので、手短に説明させていただいてもいいでしょうか?」
ダイドがにっこりと笑いながら、母の手を取り立ち上がらせた。
母は私とダイドをの顔を2往復して見た。そしてふぅと息をついた。
「信用に足る、ということは分かった。ダイド、だったね? 説明して頂戴」
ダイドは頷いた。
「僕たちはあなたの借金についてよく把握しています」
「よく、ね。なるほど。あんたもなの?」
母は私の方をちらりと見た。私は黙って頷いた。
父は顔をしかめて、まだ涙の止まらない私を優しく撫でてくれた。そしてごめんよ、と小さく呟いた。
「そしてその借金は、すでに返済されています」
「……はぁ!?」
母と父は声を揃えて驚いた。
その2人を見て、ダイドはくすっと笑った。
「ラピスそっくりな反応しますね」
両親は顔を見合わせて、軽く笑ってみせた。
「あなた方がラピスに渡していた借用書から、とあるお方が一括で返済を完了しました」
「……だ、誰がそんな稀有なことを?」
父は信じられないようだった。
「すっごく変わってる子爵が」
私は補足した。
「子爵!? 貴族?! なぜ!?」
「此度の革命とは無関係の貴族家です。ですので、あなた方は追われる必要はもうない、ということです」
「……おかしいだろう。それならなぜ、俺たちは捕まったんだ?」
父は首をかしげた。
「あなた方に借金が返済できるとは思わなかったんでしょう。ろくにカルテルにも問い合わせていないんでしょうね。カルテルはあの革命にはほとんど無関係だ。特段返済が終わったことを革命軍に伝える必要もない」
「なるほど……」
2人は納得したようだった。
「ですので、2人はいったん逃げてください」
「な!? それでは、いつまでたっても、追われるんじゃないのか!? 今の話を奴らにしに行くべきだ!」
父はこぶしを握ってそう言った。
「ええ、もちろん。話の片は付けに行きます」
ダイドはゆっくりと、言い聞かせるように言った。
すると、そこにもう一人別の声が荷台の外からかかる。
「だけどそういうのは、若いのに任せておきなよ」
それは、荷台の外にいたスザンナだった。
「それからこういう、武力馬鹿とかね」
そう言いながらロッソを荷台の入り口に引っ張ってきた。ロッソは無表情のまま軽く会釈した。
「ロッソ!」
母は叫んだ。
「え! 知り合い?」
驚く。
「ううん。見たことがあるだけよ。若いころ、ナイトオリンピアに出ていたことがあるから」
「めんどくさくなって途中棄権したがな」
ロッソはどうでも良さそうに言った。
「あなたたちはこっちの馬で私の家に。ひとまず匿うから」
スザンナが両親を指さした。両親は顔を見合わせた。
「……ありがとう。何が何だかわからないけれど。今はあなた達を信じます」
母が頷いて、私の腕をつかんだ。
「行くわよ。ラピス」
「……お母さん」
私はそんな母の眼をじっと見る。そして父の顔を見る。
「ごめんなさい。私は行かないと」
私は首を振った。
「な、どこに行くっていうんだ!?」
父が驚いて、私の肩を掴んだ。
「お父さんたちを、こんな目にあわした人たちのところによ」
私はそう言ってその手を優しく包んだ。父の大きな手は、とても温かかった。
「ヴァーテンホールの愛人として」
もう涙は止まっていた。
***
「こんな夜更けに申し訳ありませんねぇ。ロランド侯」
馬車の中、クシスは優雅に笑って言った。
「いえ、急ぎの用事なのだろう。一緒にお伺いさせていただく」
ロランドは苦笑いをしながらも、突然屋敷に現れたクシスを歓迎し、急な用事があるからとギロディス侯爵の屋敷へ取り次いでほしいという伯爵の要求に答えていた。
側にいたクシスの従者、ボードレーは、伯爵の言うことすべてが口から出まかせと知っていたが、彼の口から泉のように湧き出る『嘘』に一種の尊敬の念すら覚えていた。そして、絶対に敵に回したくないな、とボードレーは心の内で主のことを評価した。
「ですが、こんな夜遅くに、まるで人でも待っているかのようでしたね。客人でも?」
クシスはにっこりと笑ってロランドに問う。
ロランドは一瞬ギクリとして、いいえ、と小さい声で答えた。
「ところでロランド侯、先の革命の結末についてどう考えていますか?」
「……? 結末?」
「王が死に、今後この国はどうなるのでしょうね」
「…………伯爵、あなたは今回の革命にはのらなかったそうだな」
ロランドはクシスの質問には答えずに、別の質問を投げかけた。
「えぇ。私はいつでもサリーナ・マハリンが一番大事ですからね。二度と、あの町に戦火を灯させたくない。あの民たちに死んでほしくないと思っています。もちろん、自らの意志でレジスタンスになる者を止めるつもりはありませんよ。でも、彼らを少しでも巻き込みたくなかった」
実際には、伯爵は革命のさなかエラルドと組んで別の個人的な目論見のために暗躍していたのだが。その理由も嘘ではなかった。
「ギロディス侯爵と、それに属するロランド侯は、精力的に革命軍を支援していましたね。もちろん表立ってはいなかったですが」
ロランドは、ふんと鼻息を荒れげて頷いた。
「武民たるもの、戦火に身を置かずしてどうする」
「あはは、好戦的ですね。それは同意ですよ。我々武民が立ち上がらなければ、荒事に華が咲かない」
クシスは頷いた。
「魔女たちは裏で手を回し、暗躍することに長けたやつらだ。ブロイニュの貴族は、誰も革命にのらなかった。それが私は苛立たしい」
「武民と魔女は昔から仲が悪いですからね。あなたは武民の鑑のようだ」
可笑しそうに笑って、クシスはふと窓の外で輝く星を見た。
「その魔女に、借りを作ることになるとしたらどんな顔をするんでしょうね?」
「……? 何のことだ?」
「いいえ、なんでも」
クシスはにっこりと微笑んだ。
馬車は直にギロディス侯爵の屋敷に到着した。
前もって早馬がついていたため、ギロディス侯爵はクシス達の到着を待っていた。
「何用だ、アングランドファウスト。こんな夜遅くに」
不機嫌そうな顔で侯爵は彼らを出迎える。
「申し訳ありません。なにぶん、急ぎの用でして」
「だから、それは何だ」
侯爵はイライラしているようだった。
ボードレーはひやひやしながらその様子を見ていた。主は人をイラつかせるプロだからだ。
「もうすぐ、到着すると思いますよ? ねぇ、ロランド侯?」
「な、何がだ!」
突然話を振られてロランドは慌てた。ギロディスの苛立ちをこちらに向けられては困る、と考えたのだろう。
「いやだなぁ? あなたが手配したんでしょう?」
ゆっくりと外の様子を見やり、クシスはにたりと笑った。
「革命軍の資金についての、証人ですよ」
そこに、壊れかけの荷馬車が到着した。
***
「この夜更けに、どこの者だ!?」
門番が警戒して武器を構えた。
当たり前だ。怪しさ100%である。壊れかけの荷馬車が侯爵家の屋敷の目の前で止まったのだ。
「ロランド侯に言付けてくれ。目当ての荷物だ。と」
ロッソが馬の上から冷たくそう言った。
「ロ……ランド侯がなぜここにいると。貴様、何……――」
門番がそう言いかけた瞬間、ロッソは小さくため息をつき、目にもとまらぬ速さでその門番の後ろに回り込み刃を首に突き付けた。同時にダイドが荷馬車から飛び出し、同じようにもう一人の門番を羽交い絞めにした。
つくづく武民とは、運動神経が通常の人たちよりも秀でている。生粋の武民たちに、普通の人間が勝てるわけがないのだ。
「あんまり、手荒なことはしたくない。ロランドに話があるだけだ。良いから、此処を、通せ」
ロッソの声は低く、ゆっくりと門番に言い聞かせるようだった。
門番は常人離れした彼らの動きに完全に怯んでいた。
「……お願いしてるんだが」
いや、脅していると思う。
「で! できない……!」
門番はぎゅっと目を閉じ、覚悟をしたようだった。
「……優秀な門番だ」
ロッソはそれだけ言うと、門番の首を軽く締めて後頭部を殴り、気絶させた。
「君は、どうかな」
ダイドがもう一人の門番に囁くように言った。
「ひい! 分かった……!」
門番は手を挙げて降伏した。
「よろしい」
ダイドはにっこり笑って、門番から手を離した。彼は咳き込んでいた。
「行こう、ラピス」
荷馬車から見ていた私に向かってダイドは手を差し出した。
「うん……!」
私はその手を取り、歩きにくい服で走り出した。
***
「証人だと?」
ロランドは顔をしかめた。そして、少しめんどくさいことになったと焦る。
「ええ、その通りですよ」
クシスは優雅に頷いた。
「あなたが捕えた、『リブレリーア』の家の者です」
「! クシス貴様……!」
ロランドは思わず立ち上がった。
気づいている。この伯爵は何も知らないような顔をしているが、すべてに気づいている。
しかし、それはいったいこの男にとって何の得になるというのか。
答えが出ないロランドは、言葉を接げなかった。
「ロランド、どういうことだ? 『リブレリーア』とは……あの、出納係か?」
ギロディスが問う。
「いえ、侯爵……」
「見つかったのか?」
ロランドはギロディスには何も告げていなかった。逃げた『リブレリーア』、つまりラピスの家の者を消そうとしていること。その首謀者が、自分であることを。
ギロディス自身は、彼らを消して革命資金を無いものにしようとする貴族たちの計画に賛成ではなかった。もちろん、すべての責任を負ってくれるのであれば、それに越したことはない。だが、特別その必要を感じていなかった。
そこに、コンコンと戸を叩く者がいた。
「あの、お話し中に申し訳ありません。侯爵。ロランド様にお客様が来ておりまして……」
この屋敷のメイドだった。
「ほら、言ったでしょう?」
クシスがにやりと笑う。
「……入れ」
ギロディスは低い声でメイドに告げると、恐る恐るそのメイドは戸を開けた。
「リッ……リブレ……――はぁ?」
ロランドはそこに入ってきた人たちにまったく見覚えがなくて、素っ頓狂な声を出した。
そこにいたのは傭兵ロッソと剣を持った青年、それから見も知らぬ褐色の髪の、令嬢だった。
***
「だ、誰だ?」
令嬢、もとい、ドレスを着た私はにこりと微笑んだ。子爵のもとで培った愛想笑いだ。
「説明は私がしましょう」
クシスがすっと立ち上がり、私のもとへ歩きながら言った。
「まず、あなたが捕えた『リブレリーア』ですが、彼らの借金、今どうなっているか教えて差し上げます。さぁレディ。見せて差し上げてください?」
私はこくりと頷いた。
「これが借用書よ。確認してください」
そして上質な羊皮紙を突き出す。
ロランドよりも先に、ギロディスが私のほうに近づき、その借用書を手に取った。
「……本物。のようだな。これは、間違いなくカルテルの封蝋だ」
「そしてこれが、返済完了の証明書です」
次いで、もう一枚の紙を突きつける。
「返済……、完了だと!?」
ロランドが駆け寄る形でこちらに迫ってきた。
びくっとしてしまった私の前に、ダイドが立ちはだかってくれる。
「落ち着いてください。別にもう、逃げやしませんから」
ダイドの低い声は、少しの殺気を混じらせていて、怖かった。
ロランドも怯んだようだった。ちらりとロッソを見やり、そして目をそらした。私が雇った傭兵だと思ったのだろう。
「ふん……。確かに、返済は完了している。…………? 完済者は……ヴァーテンホールだと……?」
ギロディスが私の手から証明書をふんだくった。
眉間にしわを寄せ、およそ信じられないようだった。
「どういうことだ!」
ギロディスが吠える。
「もちろん説明しますよ」
クシスはギロディスから証明書をすっと奪い、コツコツと室内を歩きだした。その動き一つ一つに品があり、この部屋で最も優雅な存在に見えた。
「リブレリーアは確かに都から逃げました。それは、革命軍が彼らを生贄にして多額の革命資金を踏み倒そうとしていることに薄々気づいていたからです。そういった意味では、彼らはとても賢しい。実際、彼らはその存在を消されようとしていました。ご存知かと思いますが、そこのロランド侯が首謀者となってね」
「……なんだと?」
ギロディスがロランドのほうに振りかえる。ロランドは弁解も何もせず、ただ俯いた。
「だが、この通り。借金は返済されていた。そのことに気づかないマヌケな……おっと、口が滑りました。気づかなかった彼らはそれでも執拗にリブレリーアを追いました。そして、遂に先日夫妻は捕えられました。ロランド侯のお手柄で」
「…………奴らはどうした」
ロランドは睨むようにクシスに行った。
「借金の返済が終わっているのに、殺されそうになっているとのことだったので、勝手ながら保護させていただいています。その『勝手』は詫びますよ。だけれど、今夜にも彼らは殺されようとしていた。あなたの屋敷でね」
クシスはボードレーに証明書を渡した。ボードレーは受け取った証明書をクルクルと巻いて懐にしまった。
「ただ教えて差し上げることもできたのですが、突飛な話です。信用に足るかわかりません。なので私が来たのです。代わりに証人をこうして呼んでね」
そう言ってクシスは、私の方を見た。
「この娘は……誰だ?」
ギロディスが私の方を睨みながら言った。
私は息をのむ。そして心臓を奮い立たせ、言う。
「私はラピス。リブレリーアの娘です」
ドレスのスカートをギュッと握る。そうでもしないと、笑えない。
笑え。怯むな。
「そして、ヴァーテンホールの愛人です」
我ながら、盛大な嘘をついた。
***
「はあ……!?」
ロランドは信じられない、という顔をしてよろめく。
そんなロランドを支えながらクシスは笑った。
「あなたが手配書に書いていた特徴とそっくりでしょう? 褐色の髪。くせ毛の童顔」
……くっ! 手配書でも童顔と書かれてるのかよ私!
ちょっと論点のずれたところでむかついたが、気を取り直す。
「そして、彼女は噂のヴァーテンホールの愛人です」
「な……なんで、一市民の小娘が……!?」
「あはは、さあ? 魔女の長はロリコンなのかもしれませんよ」
おい、そこの伯爵! ちょっとは本音を隠して。
憤慨寸前だったが、私は何とか笑顔を取り繕い続けた。
「さて。しかし、大した失態ですね。ギロディス侯爵」
クシスは次にギロディスのほうにゆっくりと近づいた。
「無実の一市民を、しかも、魔女頭が救い、すでに消す必要を無くしているにもかかわらず、執拗に殺そうと付け狙った。これでは、武民は魔女に貸しを作ってしまったことになるのではないですか? 知らなかったとはいえ、魔女を、相手に。無益な喧嘩を吹っかけてしまったことになります」
これは。
説明などではない。
これは、脅しだ。
私は背筋が凍った。
クシスの瞳には明らかに、怨恨めいたものが見えたし、一切容赦がないように見えた。
「ギロディス侯爵。あなたの魔女嫌いも、有名だ。もちろん、ロランド侯もね。このままでは、またしても諍いを生んでしまう。この、不安定なご時世に。違いますか?」
「…………何が言いたい。クシス」
「いえ、私はただ説明をしているだけですよ。革命直後の今、次の権力者について国中の貴族たちが声を上げている。我らこそが、さらなる権力を与えられるべきだ。と。ギロディス侯爵。あなた方は革命で大変な功績をあげた。ハンブルを殺すのに貢献した。でもだからこそ、あなたのこの失態は、知られるべきではないのではないでしょうか?」
クシスは始終、にこにこと、ただしゆっくりと『説明』した。
ギロディスは顔をこわばらせて黙り込んでしまった。ロランドも同様だった。
「もっと分かりやすく言いましょうか?」
ふっと、嘲るように伯爵は笑う。
「この失態は、あなた達の地位を瓦解させる大スキャンダルです。魔女だけでなく、他の貴族たちに目をつけられて得はあるか? と聞いているのです」
その後、すごい沈黙が数分続いたように思う。
私は緊張が走る部屋で息が苦しくなりかけていた。
その時。
ポン。と伯爵は手を打った。
「ああ、そうか。私たちが黙ってさえいればいいんですね。そうだろう、ボードレー?」
伯爵は従者のほうに振り向きそう問うた。
「その通りでございます。伯爵」
ボードレーは当たり前のように無機質に頷いた。
「もちろん、見返りは求めませんよ、侯爵。安心してください。私たちは、アルブ戦争をともに戦った仲ではありませんか? そこのラピス嬢も、きっと私たちの友情のもと、頷いてくれることでしょう。そうだろう? ラピス」
伯爵は私の方を見て笑った。とても楽しそうに。
「は、はい。私が望むのは、私の両親と、私にこれ以上関わらないでほしい。ただそれだけです!」
私は声を振り絞って主張した。正直精一杯だった。
「ほーら。この令嬢はなんて心が広いんだろう。魔女頭もなかなかお目が高いじゃないか」
クシスがふふっと笑う。それすら、私には怒っているように見えてすごく怖かった。
子爵とはまた違う怖さが、この人にはある。
「…………侯爵……」
ロランドは泣きそうな声を出したが、侯爵は毅然とした態度でただこう言った。
「了承した。礼を言う、アングランドファウスト伯爵」
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