第18話:私の借金は剣ではなくペンをとった結果だった件

 盗み聞くつもりなどなかった。

 私は呼ばれたからその扉の前にいただけ。

 本当にそれだけ。

 此処にずっといるだなんて、思ってもなかった。

 だから、彼のその言葉は私にとってのあたりまえのことだった。

 私は借金を払い終えたらここを去る。

 それだけのことだ。


 辛いだなんて、思われていたのは心外だったけれど。


 ***


「ブレトン。書庫の整理ひと段落したから、私ちょっとダイドのところに行って来てもいいかな」

 ヴェルサが訪れた翌日、私はブレトンを捕まえて問いかけた。

 都で購入したちょっとしたお土産を渡したかったのだ。

「一人だと危ないでしょう。ついていくよ」

「ありがとうブレトン」

 彼は優しくどういたしまして、と言って私と一緒に町まで出てくれた。どうしても目立つ髪は上着のフードで隠すことにして。

 ところが、ダイドがよくいるカフェや、バールを見て回っても、ダイドの姿は見えなかった。

「あれ? 珍しいなあ」

「いないね」

 ひきこもるタイプではないので、昼間はよく町中にいるのに。不思議に思いつつ、ダイドの勤め先の店に寄ることにした。


「すみません、ダイドって今日お休みですか?」

 店に入り、店主らしき人に声をかけた。

「あっらぁ、ダイドの彼女じゃない」

 おおっと、オネェ系でしたか。

「えっと、いや、彼女ってわけじゃ……。じゃなくて、ダイドいませんか?」

「ダイドなら長期でお休みを取りたいって言って、来てないわよ。聞いてないの?」

「えっ?」

 そんな話、全く聞いていなかった。

「そう……ですか。あの、どのくらい?」

「ひと月くらいは見てほしいって言われたわ~あの子バーテンダーとしても優秀だから、困っちゃってるの。そこの優男君、代わりに働かな~い?」

 ブレトンはにっこり笑って、ありがたい申し出ですがお断りします、と流した。

 この優男は角を立てないで物事を進めるのが驚異的にうまいと思う。

 お土産を渡すのを諦めて、私とブレトンは城へと帰ることになった。


 とぼとぼと城へと続く坂道を登っていると、ブレトンが明け透けに言った。

「……ラピス、なんか城に居にくい理由があるの?」

「えっ!」

 ああ、しまった。こんな態度では図星なことがバレバレだ。

「べ、別に」

 ブレトンは、ははと短く笑った。まぁつまり、バレバレなのだ。

「私はそのうち、城を出ていく人間なんだって、ちょっと、再確認したというか」

 子爵が言った私を手放すべきだと思っているという言葉が喉の奥で引っかかっていた。

 当たり前のことなのに、どうしてか私は此処を去るだなんて、このところ想像もしていなかったのだ。

「え、なんで? 別に居たらいいじゃん」

 ブレトンが首を傾げた。あっけらかんと。

「だって……!」

 子爵が、と言おうとして、私は首を振った。

「なんとなく自惚れていたんだと、気付いたわ」

「自惚れ屋には見えないけどね」

 ブレトンは笑った。

「ただ、恥ずかしいだけよ」

 うまく伝えることができず、私は笑ってごまかした。ブレトンはそんな私をじっと見つめてから、上手にごまかされたフリをしてくれた。

「ね、ブレトン。私の次の仕事って何かある? 早く借金を返さなきゃ」

「うーん。僕の仕事手伝う?」

「それだけは嫌。ブレトンの仕事、物騒だから」

「あはは! 今の3倍は出ると思うよ」

「マジで!?」

 1ミリほど、心が揺らいだ。その時だった。


「ラピス!」


「!」

 大きな声で後ろから呼ばれた。それも聞きなれた声で。

「だ、ダイド!?」

 そこに立っていたのはダイドだった。

「ど、どうしたの? あなた仕事休んで何処かに行ったって……――」

 ダイドに駆け寄って顔を覗き込むとダイドは汗だくだった。服も少し汚れていて、大きめの荷物を足元に落としていた。明らかにどこか遠くへ行ってきたその足で、私に会いに来た風貌だった。

「ダイド……?」

「ご両親が見つかった」

「えっ!?」

 大きな声で驚いてしまった。

「ど、どこに!? なんで!? どうしてダイドが……!」

 と言いかけて気付いた。

 彼は私の両親を探しに、どこかに行っていたのだ。

 嬉しかったが、どうしてそこまでしてくれたのか、疑問に思った。

「両親は、どこに……?」

 ダイドは少し顔をしかめた。そして、ちらりと私の後方に立っているブレトンを見つめる。

 ブレトンは彼の躊躇いを見て見ぬふりして頭を掻き、こう言った。

「ラピスのこと、きちんと送ってくれるなら僕は先に帰るよ」

「えっブレトン!?」

 ブレトンはくるりと私たちに背を向けてまっすぐ城のほうへ歩き出した。なんて自然に空気を読む男だろう。それを数秒見送って、私は再びダイドに向き直った。

「ダイド……どういうこと?」

「君の両親はアルブにいる」

「アルブ?」

 ここから東に位置する武民たちの地域。

「アルブの、どこ? ダイド……!」

「……ファルチェン。アルブ南部の町。でもラピス、落ち着いて聞いてほしい」

「え?」

「ご両親は今、捕まっている」

「え……っ?」

 驚くというよりも、一瞬にして体中の血液が冷えたのを感じた。

「ど……誰に!? カルテル!? どういうこと……!?」

 思わず叫んでしまう。ダイドはシーと、指で口を押えた。

「詳しいことは後で話す。ラピス、俺は今から君の両親を助けに行く」

「ええ!?」

 何を言い出すのかと思った。

「ちょっと待って……! なんでダイドがそこまで……っていうかどうやって!?」

 思わずダイドの肩を掴んでいた。

「待って待って……私の理解が追い付かない! どうしてダイドが私の両親の場所を探してて、助けに行くなんて言うの?! 私は……―――」

 次の瞬間、窒息するかと思うほど、ダイドが私をぎゅっと抱きしめた。

 冷え切った私の血液は、瞬時に沸騰しそうになる。

「ごめん。急がないといけない。ラピス、君は俺と来る?」

 耳元でダイドが告げる。

「1時間後、馬でアルブに出発する。君が一緒に行くなら、俺は君を連れていく」

 ダイドはゆっくりと腕をほどいた。

「危険な目に合うかもしれない。でも君は選ぶ権利がある」


 ――そんなの、選択ではない。


 ***


「子爵……!」

 ノックとともに私は子爵の寝室に飛び込んだ。

「うわ……!?」

 子爵は柄にもなく声を出して驚いた。

「ど、どうしたラピス」

 目を丸くして子爵が私の方に向きなおった。

「あの……、さっきダイドが来て……、私の、両親が見つかったって……!」

「ご両親が?」

 頷く。

「お願いです! 数日の間お休みを頂けませんか!? 両親は今、アルブにいるらしいんです。それで、私、会いに行きたいんです!」

 必死。に見えたと思う。これでもできるだけ、弾む息を隠したつもりだった。

「…………君のご両親が見つかったことは、本当に喜ぶべきことだな」

 子爵は微笑んだ。

「私はそんなに喜んでいる君を止めるような、冷酷な主ではないはずだが……?」

「……っありがとうございます!」

 私は頭を下げた。

「き、今日から、行ってきてもいいですか?!」

「ああ、もちろんだ。だが、護衛は――」

「ダイドがいるんで!」

 ひときわ大きな声で、食い気味に叫んでしまった。背中に汗が流れる。

「…………そうか。本当はブレトンをつけれたらと思うのだが、今すぐは難しいな。……ダイドに任せよう。行ってきなさい」

 ぶわっと涙腺が緩みそうになり、私は慌てて頭を下げた。

「ありがとうございますっ!」

 そして走って子爵の部屋を飛び出し、自分の部屋に行き、洋服を数枚とカルテルの書類をカバンに詰め込んだ。

「ら、ラピス? どうしたの、そんなに慌てて!」

 廊下を走って玄関に向かう途中、メアリーが驚いて呼び止めてきた。

「ごめん! 急いでるの……!」

 私はそんな挨拶しかできないまま、急いで城の外へ飛び出した。


 門の外にはダイドが馬を連れて、もう待っていてくれた。

 そこで私の涙は、ようやっと零れ落ちたのだった。


 ***


「よく、黙って行かせましたね」

 ラピスが城を去った後、ブレトンが子爵の部屋を訪れ、感心したように言った。そして書類の束を差し出す。

「はい。これは、例の闇商人の調査結果です」

 子爵はブレトンから書類の束を受け取り、黙ったまま目を伏せた。

「ダイドと行くと言ったんでしょう? 良かったんですか?」

「あいつは、ラピスを危ない目に合わせないだろう。その点においては信頼している」

 ブレトンはそういうことじゃないんだけどな、と心の中で呟いた。

「ラピスもなんかおかしかったんですよね……。何かあったんですか? 2人とも。ヴェルサ様に何か言われたとか」

「……いや。ただ、彼女に言われて、あらためて実感しただけだよ」

「何をです」

 子爵は苦笑いした。

「ラピスを此処にずっと置いておくのは、彼女のためにならないってことを」

「…………あぁ、なるほど」

 ブレトンは呆れたように言った。

「それであっさりと、行かせたんですね」

 そして、あの様子だとラピスは自分について子爵が何か言われている、もしくは何か言っているのを聞いてしまったんだろう。

「まぁ、それが心に反したあなたの決断なら。僕は支持しますよ。子爵」

「ああ、お前は本当に嫌な奴で、良い従者だよ。ブレトン」


 ***


 馬が森を走り抜ける。結構なスピードで、駆け抜ける。

「落ち着いた? ラピス」

「ええ……、ありがとう。ダイド」

 ブロイニュの森は深くて、暗くて、まだ昼下がりなのに少し寒かった。

 私はダイドにしがみついて、鼻をすすった。

「それで……。私の両親は誰につかまっているの?」

「ラピスはギロディス侯爵家知っている?」

 私は首を振った。

「アルブ南部の貴族だよ。南部では一番強い権力を持っている大きな家だ。ご両親はギロディス家に所縁のある者たちに捕まっている」

「き、貴族!? どうして!?」

 意外だった。驚いて舌を噛みそうになる。

「というかダイド、そもそもどうしてあなたはそんなこと……?」

 ダイドは少し黙ってから、ゆっくりと話し出した。

「リスタから情報をもらったんだ。君の両親の居場所を知らないかって尋ねた。そしたら、君たちは一部の人間たちにとって、非常に有名で、重要な人物だということがわかった」

「重要……? 話が見えないわ。一部の人間って何?」

 私の家族は一般的で善良な市民であり、特別でも重要でもないはずだ。

「革命軍にとって、だよ。ラピス」

「……は?」

 革命軍――それは、立ち上がった人たち。王の命を取った人たちだ。

「どういうこと……? 革命軍? どうして彼らにとって有名で重要なの? 私たちは革命軍なんかじゃない!」

 思い返してみても、父も母もそんな話微塵もしていなかった。革命を起こしたいなんて、思想の持ち主ではなかったはずだ。それとも、私だけ? 私だけが知らなかったの? 

「ラピス。革命といっても、剣を取り武力で国を覆そうとすることだけが、革命じゃない。君のご両親は、新聞や本の発行で市民に正しい国のあり方を訴えてきた。ペンを持って、革命を起こそうとしていた。そういう意味では、非常に有名な存在だったそうだよ」

 思い出す。

 父が遅くまで書き物をしていたこと。家の印刷機でたくさん何かを刷っていたこと。忙しい日々が続いていたこと。経営が厳しい割には、彼らはずっと働いていたこと。

 思い返すと、それがきっと彼らなりの革命行動だったのだと思った。

「……そんなの、全然、気付かなかった」

「そういう活動をしていたことが、革命軍の目に留まるのは時間の問題だった。革命軍が君の両親のもとに出入りするようになったのは、革命がおこる1年前からだそうだ」

「そんなに……前から」

「君のご両親は、革命軍の主張を国全体に広める要だった。ラピス。君は今回の革命に参加した人数を知っている?」

「いいえ」

 首を振る。これ以上無知を思い知りたくなくてぎゅっと目をつむった。

「5万人だよ。あの日5万人もの人間が国中から集まり、武装し、綿密な計算の元ハンブルを殺した。それって、すごく莫大なお金がかかることだと思わない?」

 想像もつかなかったが、私の見たことのある金額では片がづかないことがよく分かった。

「もちろん貴族の後ろ盾はあった。たくさんの地域の貴族が革命に参加した。ギロディス家もそうだ。それでも、足りないくらいお金が必要だったんだ」

「……私の両親の借金は、革命のためのお金だったの?」

 ダイドは頷いた。

「そうだね。主に王都周辺の革命軍たちの出納係をやっていたのだと聞いたよ」

「……嘘よ」

 なんだかもう、ダイドが私に嘘をついているようにしか思えなかった。無性におかしくなって、私は半笑いになってしまった。

「君のご両親は革命軍の中で資金を集める役目だった。そしてカルテルと交渉し、お金を借りたんだ。もちろん、革命のためのお金です。などと言えず、君の家名義でね」

 それであの金額だったのか。

 やっと納得がいった。

 そして、都の友人たちが私を都から遠ざけた理由も。

 彼らは私の家族の正体を知っていたのだ。私が何も知らないことも知っていたのだ。

 革命軍の追手だけでなく、都には少なからず革命軍を恨んでいる人がいる。だから、私をあそこから何も言わずに遠ざけたのだ。

「もちろん、革命が成功して状況が整えばその金はスポンサーであった貴族や、地位を得た貴族、革命兵達がその返済資金を出すという話になっていた」

 あぁ、そうか。とすぐに理解した。

「それを、踏み倒そうとしたのね……彼らは」

 ダイドは頷いた。

「君たちが死ねばチャラになる、とでも思ったんだろうね。実際、いろいろな地区の出納係が革命の後姿を消している。君のご両親は察しが良かったんだろう。革命の後、すぐに逃げ出すことができた。本当に幸運……――ラピス?」

 ぎゅうっと、ダイドの腰に捕まり、抱きしめてしまった。

 このままではまた泣いてしまう。いや、もう涙は落ちている。

 それを隠したくて、私はダイドにしがみついて沈黙した。

 ダイドはそんな私に気付いてくれたようで、その後ずうっと黙ったまま馬を走らせてくれた。


 疑え。


 世界はとても、ずるいのだ。

 それは、魔女の世界でも、貴族の世界でも、此処でも。


「あと少しで着くよ。少し休もう」

 2時間ほどたち、ずいぶん遠くまで来たところで、ダイドは馬を止めた。

「す、すごいわねダイド……よくこんな長時間馬に乗れるわね」

 ぶっちゃけすっごく疲れた。お尻痛い! 腹筋痛い! 腰痛い!

 ぐったりしている私を見てダイドが慌てた。

「ご、ごめん! 急いでて、気づかなかった。ごめんね馬に慣れてないのに、こんな長時間休憩もなく……」

 私は首を振った。

 彼が急いでくれた理由は分かっているし、責めたかったわけじゃない。ただただ感心しただけだ。

 武民の子供たちは幼いころから馬を乗り回しているというのは、あながち嘘じゃないみたいだ。

「もうイルルも随分奥まで来たし、アルブも目前だよ」

「うん。ねぇダイド、いったいどうやって両親を助けるつもりなの……? というか、どうしてそこまでしてくれるの」

 ダイドは微笑んで、持っていた荷物から林檎を取り出して私にくれた。

「そりゃ、ラピスは大事な友達だから。ご両親に会いたいと言っていたのは聞いていたし、事情を知ってしまった以上助けたいと思うのは当然だと思うけど」

「……でも、命にかかわることじゃない」

「はは、なんだろ。修行の旅とかしてたからかな、あんまり危ない目に合うのも、自分にとっては違和感のないことなんだよね。こういう時、俺たち武民って、本当に好戦的な人間だって思うよ。いつだって、簡単に戦えてしまう」

 ダイドの顔は、自分の性について嫌気がさしたようで、愛しているような表情だった。

「力をふるうことに、躊躇しないのは賛否両論だと理解してるよ。特に魔女たちは、武力を極端に嫌うからね。嫌われてるってわかってる」

「子爵は、ダイドを嫌ってないと思うわ」

「うん。あの人は武民を嫌うというよりかは……――。そうだラピス、お願いがあるんだけど。これから会う人たちのことは子爵に秘密にしてくれないかな」

 突然ダイドが真剣な目をした。

「どういうこと……?」

 そういえば、ブレトンの前で何かを話すことを躊躇っていた。

「俺たちは今からサリーナ・マハリンで、ある人たちに協力を仰ぐ。同郷の人が郊外に住んでいるんだ。今はそこに向かってる」

 私は頷いた。

「そこに、ロッソがいるんだ」

「!」

 ロッソ。子爵の両親を殺した傭兵。子爵が恨んでいる武民。

 あの日の取り乱した子爵を思い出した。忘れてくれ、といった子爵の顔を。

「そのことを子爵に言わないでほしい。彼は君の両親を助けるのを手伝ってくれる。……交換条件っていうのは、なんだか卑怯だし、君に嘘をつかせることは心苦しいんだけれど」

 私は首を大きく振った。

「卑怯なんかじゃないわ。助けてくれるという人を、突き出すようなことはできない」

「ありがとう。ラピス」


 サリーナ・マハリンまでそこから1時間半かかった。


 ***


 郊外にあるその家は、小さくて庶民的だったが、ところどころに気品を感じる装飾がされた素敵な家だった。

「やぁやぁ、おかえりダイド。はじめましてお嬢さん」

 その家の主だろう女性が、私とダイドを見て歓迎してくれた。

 彼女は赤毛の髪の後ろで束ねた中年くらい女性で、まぶしい笑顔から穏やかかつ明るい性格だと一目見てわかった。

「初めまして、ラピスです」

「私はスザンナ。よろしく」

 家に中に招かれ、テーブルに掛けるとやっと生きた心地がした。ずっと張りつめたまま、馬とダイドにしがみついていたので、安定した場所に腰を下ろせるってこんなに幸せなのか、と思った。

 スザンナが温かい紅茶を出してくれた。

「さて、そろそろ着くかな」

「え?」

 彼女がそう呟いた時、玄関先のベルが鳴る。

「はいはーい」

 彼女は玄関まで小走りで行き、扉を開いた。きっとロッソが来たのだ、と私は緊張した。

「やぁスザンナ。それからこちらがダイドと、ラピス嬢かな?」

 しかし現れたのは、グレーの髪で優雅な笑顔の中年男性だった。思っていた姿とは違い、私はきょとんとしてしまったが、彼の身なりや雰囲気、そしておそらく家の紋章のピンをつけているのを見て彼が貴族であることにすぐに気付いた。

 私は立ち上がり頭を下げた。

「はっ初めまして! ラピスです」

 ダイドも立ち上がって頭を下げる。

「お初にお目にかかります。伯爵。ご協力いただけるとのこと、ありがとうございます」

「は、伯爵!?」

 爵位持ちなの、この貴族?

「あはは、表情豊かなお嬢さんだ。スザンナみたいだね」

「はは、こんなにかわいかったら良かったなぁ私も」

 スザンナがケラケラと笑った。

「初めまして、私はクシス。アングランドファウスト家の者だ。災難だったね。今回のことは」

「クシス、紅茶いる?」

「ありがとうスザンナ、いただこうかな」

 彼女はどう見ても一市民なのに、伯爵と呼ばれた男と敬語で話さない。どういう関係なのだろう。

「ロッソはまだ来ていないのですか?」

 ダイドが尋ねる。

「彼は今外で馬をつないでくれてるよ」

 クシスは親指で外を指さす。

「……だ、ダイド。こ、これはどういう状況なの?」

 説明を求む。

「あ、ああごめんね。そうだよね。ええと、こちらのスザンナが俺の同郷の人なんだ」

「まぁずいぶん昔に飛びだしてここに住んでるんだけどね」

 あははとスザンナは笑い、クシスに紅茶を出した。

「スザンナはその頃から、こちらのクシス様と懇意にしていて……」

「しょっちゅう町にお忍びで出かけるときの拠点にされてるの」

 スザンナが補足する。

「人聞きが悪いなぁ、君に会い来てるんだよ」

 クシスが訂正するが、多分スザンナの言っていることが正しいんだろう。

「それからロッソは……」

 そのタイミングで、ガチャと音がして一人の男が家に入ってきた。

「彼は私の兄なんだ」

 スザンナが赤い髪の長身の男を指さしてにっこりと微笑んだ。

「ロッソ!」

 ダイドが駆け寄ってロッソの手を取る。

「ありがとう。来てくれて」

「あぁ。そちらがラピスか?」

 名前を呼ばれて、私は再び立ち上がった。

「は、初めまして。ラピスです。あの……」

 ロッソの目は少しだけ子爵に似ていた。鋭くて、冷静で、少しだけぞっとするような。

 だが、彼は無表情な顔をくしゃっと笑顔にして、大きな手で私の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫ぜた。

「大丈夫だ」

 その瞬間、ぶわっと涙が零れ落ちた。

 彼の『大丈夫』に、ひどく安心したのだ。

 本当に何もかも大丈夫な気がして、だけど、やっぱり失うかもしれない恐怖がそこにあることを実感してしまって、ぐわっと心が乱れた。

「なーかしたー」

 からかうようにクシスが言った。

「クシス、お前は本当に空気を読まないよな」

 ロッソは呆れた顔をして、私の頭から手を放した。

「ははっ! さて、作戦会議と行こうか。時間は限られてるからね」

 クシスがそういってパチンと手を合わせた。


 ***


 陽が落ちる頃、メアリーはラピスのいなくなった部屋を訪ねてため息をついた。

 ひどい有様だった。部屋中の物がひっくり返されて、急いで荷物を作って出て行ったのは明らかだった。

「ブレトンさん。ラピスはどこに行ったんですか?」

 部屋の外に立っているブレトンのほうに振り向き、問う。

「アルブだって言ってたよ。ご両親が見つかったんだって」

「……あぁそれで、これ」

 ブレトンは少し困った顔をした。

「でも、これはあまりに急ぎすぎだよね」

 メアリーは頷いた。

 急いで会いたい気持ちは理解できる。でもこんなに部屋が荒れるほど急ぐだろうか?

「何かあったのかしら……」

「……そうみたいだね」

 はぁ、とメアリーはため息をついて床に落ちたものや服を拾い上げて簡単に片づけはじめた。

「ブレトンさんは……私に用があってここに来たんですよね?」

 ポツリと尋ねると、ブレトンは頷いた。

「うん。例のモノはどうかな」

 メアリーは少し顔を曇らせて、ポケットの中から手紙を取り出した。

「返事は来ています」

 ブレトンはメアリーから白い封筒を受け取り、ありがとうと言った。

「ごめんね、変なことに巻き込んじゃって」

「変なことではないと思います」

 メアリーは首を振る。

「此処に仕えるものとしては、当然のことです」

「うん。君みたいな若い使用人、本当に貴重だよ」

 メアリーは笑った。

「変なお世辞ですね」

「お世辞じゃないよ」

 ブレトンは受け取った手紙を開いて、目を細める。

「……うん。ありがとう。これで大丈夫」

 手紙を再び畳んでメアリーに返そうとしたが、メアリーは首を振った。

「持っていてもらっても問題ありません。子爵に、渡してください」

「……ありがとう。じゃあ」

 ブレトンはその手紙をポケットに入れて、手を振り、ラピスの荒れ果てた部屋を後にした。

 メアリーはため息をついて、片づけを続けた。

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