第20話:私は魔女頭をたぶらかした悪役令嬢になりさがる件
アルブ戦争。*
それは私が生まれる数年前。今から二十余年前に起きた、イルルとアルブ南部の戦争。
その時、サリーナ・マハリンのアングランドファウスト家と、南部一の貴族、ギロディス家は共闘し、イルルと戦った。
私は学校の授業で、そう聞いただけだった。
それは、私にとっては昔話でしかなかったのだけれど。
まだ、昔のことではなかったのだ。
少なくとも、クシスやスザンナにとって。
***
「お母さん! お父さん!」
スザンナの家について、改めて2人の無事を確認するとまた涙があふれてしまった。
「ラピス!!」
2人が私を抱きしめる。温かい、両親のにおいがした。
「ほんとうに、ごめんなさい……! 今まで黙っていたこと……私たちは親失格ね」
母が涙を流してそう言った。めったに泣かない強気な母の涙は、何年ぶりに見ただろう。
「いいの。私を巻き込まないように、ずっと黙ってくれてたんでしょう」
「すまない……」
父も涙ぐんで抱きしめてくれた。
「よかったね。ラピス」
クシス伯爵が先ほどとは違う、穏やかな笑顔でそう言った。
「アングランドファウスト様、ありがとうございました。なんとお礼を言えばいいのか……!」
父がクシスに振り向き、手を取って深々と頭を下げた。
「あはは、いや。ううん。私はただ私怨を晴らしに行っただけだからさ。お礼を言われるようなことじゃあない」
「え?」
父は首をかしげた。
『私怨』。やはりさっきの態度は、そういうことだったのか。
「クシスは、ギロディス嫌いだからな。私も嫌いだけど!」
スザンナが笑って補足した。なんという明るい笑顔だろう。
「お疲れ、ロッソ。どうだった? 良い戦いができたかい?」
そして彼女は服についた血を洗い、戻ってきたロッソに向かって労いの言葉をかけた。
「此処は本当にアルブか? と思えるほど、皆弱かったよ。これじゃあスザンナと戦ったほうが骨が折れる」
「あっはは! やってみる?」
「いい、骨が折れる。本当に」
ロッソが大真面目に断るので、なんだかおかしくて私も笑ってしまった。
「さて、今後の話をしよう」
クシスが場を仕切る。
「今回の見返りとして、リブレリーア夫妻にはお願いがある」
どきりとした。
見返り。
そうだ、ただで助けてもらえるなんて思っちゃいけない。
私たちは背筋を伸ばして、クシスの前に立った。
「このサリーナ・マハリンに出版の店を作ってほしい」
「…………は?」
3人できょとんとしてしまった。
「都の『リブレリーア』は自分たちでレジスタンス向けの新聞を作っていたんだろう? 印刷の技術や製本の技術があるということだ。サリーナ・マハリンには図書館や本屋はあるけれど、自分たちで本を上梓し、印刷までしている者はいない。だからここにそういう店を構えてほしいんだ」
「…………えっと……」
「店の場所と資金ならいくらか支援しよう。売り上げが出たら返してくれればいい。銀行のほうが良ければ、口を利く」
「……ええと、伯爵?」
クシスは首をかしげた。自分が変なことを言っているとは思わなかったようだ。
「クシス、変人だと思われてるぞ」
スザンナがからかった。
「お、思っていません! けど……どうして、それが、見返りに?」
父が恐る恐る尋ねた。
「ああ、単純にサリーナ・マハリンをいい街にしたい。それが私の仕事だからね。市民が増えれば、税金が入って私の家だって潤う。ウィンウィンの関係だろう?」
「ええ……?」
困惑した。こんなにあけっぴろげな話をする貴族、見たことがない。
「サリーナ・マハリンはね。アルブ戦争でほとんど焼けてしまったんだ」
スザンナが苦い笑顔で教えてくれた。
「その時から、クシスはサリーナ・マハリンを復興させることにすべてを注いできたんだ。だからこれは、心からあなた達にお願いしたいことだと思うよ。どうか見返りとして、良い返事をしてやって」
父と母は顔を合わせてちょっとだけ考え、それから大きく頷いた。
「は、はい……! 喜んで!」
「よかった!」
クシスは手を打って喜んだ。父も母も喜んでいるようだった。
私もとても幸せな気持ちで、胸がいっぱいになった。
「ラピスは、どうするの?」
ダイドが私の耳元で尋ねた。
「…………うん」
私は頷いて、顔を上げた。
「お父さん、お母さん」
「ん?」
両親は振り向いた。場がしんと静まる。
「私は、ポルヴィマーゴに帰ろうと思います」
***
その後、ロッソはスザンナの家に留まり、私を含めた他の者は伯爵邸に招かれ、寝室を与えられた。
明け方、父も母も眠りについた頃、私はダイドと一緒にテラスから星を見ていた。
この時期だが、まだアンタレスが光っていた。
「寝れない?」
「寝れないわ」
ダイドはくすっと笑った。
「此処に残るっていう選択肢もあったんじゃない?」
私が子爵のもとに帰る、と言った時、両親はとても驚いていたが、私を止めようとはしなかった。
子爵への返済についてだけ話し合って決めようと言った。
もしかすると、本当に私が子爵の愛人になったと勘違いしてのことかもしれないが、そこはあえて否定しなかった。
今、嘘がバレれば今日の芝居が意味をなさなくなってしまう。そういう理由もあってブロイニュに帰ることを選んだ。
「今、あまりアルブにいないほうがいいと思って」
「それもそうだね」
彼は頷いた。
「ねぇラピス。君は、子爵が好きなの?」
「……はぁ? !」
何を言ってるのか、分からなかった。
「真夜中だよ。ラピス。……だって、あんなにきっぱりと、ヴァーテンホールの愛人だって名乗ってたから」
「い、いやいや! あれはそういう手はずだったでしょ!? ……というか、良かったのかしら。勝手に子爵の名前語っちゃって」
「それこそそう言わないと、ギロディスを丸め込めなかったでしょ」
そうですけど。
「……私は運が良かった」
改めて思った。
「そうだね。たまたまリスタから君の家の事情を聞いて、ギロディスが噛んでいることが分かって、俺がスザンナに泣きついた。唆した、と言ってもいい」
「唆した?」
「……スザンナと伯爵は、アルブ戦争の生き残りだから」
ダイドは少し寂しげにそう言った。
「ギロディス家とイルル南のカザンブール家の諍いだった。サリーナ・マハリンは地理的に戦場になってしまった。立場上同盟関係を築かされていた、アングランドファウスト家の領地がね」
「恨んでたのね……」
あんなに、2人とも笑顔が絶えないのに。
「俺は、ロッソから断片的に聞いただけだけどね。それでスザンナを頼ったんだ。スザンナはクシス伯爵にこのことを伝えてくれた」
「そうなんだ……」
それであのメンツが集まったのか、と納得した。どうやら思っていたよりも、ダイドはずっと策士のようだ。
「でも、これでこそこそせずに町で遊べるわね。それは嬉しいわ!」
「あはは! いまだに子爵家の人間だってことで目をつけられてそうだけどね!」
「うわ、最悪……」
私はげんなりした。
だけれど美しい星々が優しく私たちを照らすものだから、私は幸福な気持ちでその夜を過ごすことができた。
しかし、数日後私がポルヴィマーゴに帰ると、大変なことになってしまっていた。
***
「ラピス!」
城に着くなり、メアリーががばっと飛びついてきた。
「わっ、メアリー!」
メアリーは涙を浮かべて私の顔を両手で挟んだ。
「どこに行ってたのよ! 心配したんだから!」
「あっご、ごめん。ちょっとアルブに……!」
慌てて説明しようとすると、メアリーは何かを言いかけて顔をしかめ、俯いた。
「…………そう。それって、もしかして……――」
「ラピス?」
ようやっとメアリーが何かを言いかけた時、後ろからブレトンが現れた。
「あっブレトン……ただい――」
「ラピス。すぐに、子爵の部屋に来て」
ブレトンは私がただいまを言い切る前に、いつもとは違う真面目な顔をして言った。
強い口調のように感じて、私は何かやましいことを指摘されると直感した。
「……すぐ、行くわ」
ブレトンは黙ったまま頷いて、踵を返しその場を去って行った。
「ラピス」
メアリーは不安そうな顔をした。
「……ブレトン怒ってた?」
私が問うと、メアリーは首をゆっくり振った。
「大変なことになってるの。とにかく、子爵のもとへ」
私は頷き、土産物を詰めた鞄を持ったまま子爵の部屋へと走った。
すれ違うメイドたちは、私に一切挨拶をしなかった。
いつも通り、ノックとともに子爵の部屋に入ると、子爵は書斎机に向かって座り、まっすぐ待ち構えていた。
「……子爵。あの、ただ今戻りました……」
私は小さい声で恐る恐る言った。
「あぁ、ラピス。お帰り。ご両親の様子はどうだった?」
怯えていた私の予想と反して、子爵はにこやかに笑って立ち上がり、私を出迎えてくれた。
私は少しほっとして微笑む。
「いろいろあったけど、両親とは会えました。これからは、サリーナ・マハリンに留まって出版業に従事するそうです」
「そうか。元気そうだったならよかった」
「あはは、少々疲れは出ていたみたいですけど。大丈夫そうです」
子爵はそうか、と言い、少しだけ俯いた。
ああ、またこれだ。皆が私を見て俯く。
流石の私もこの異変に気付かないわけがない。
「あの、子爵……私、何か……――」
「ラピス。いくつか質問をしたいんだけれど、答えてくれるかい?」
また、遮られるようにして言われる。
「……はい。正直に、なんでも。答えます」
「ありがとう」
子爵は部屋にあったソファに私をかけさせた。それまで本が積まれまくっていたのに、誰かが掃除をしたようだった。
そこにブレトンが紅茶を持って入ってきて、私と子爵の前にカップを置くと、子爵の後ろに立ったまま私を見つめた。
「ラピス。ご両親のことについて、少し聞いてもいいかな」
子爵は柔らかい口調で話し始めた。
「はい」
「ご両親は、都で本屋を営んでいた。そしてそれは、『リブレリーア』という名前だった。合っているか?」
「……はい」
「ご両親が、革命軍の一員だったということを君は知っていたか?」
ギクリとした。
やっぱり、その話か。貴族の前で勝手に子爵の愛人です、とか言ってしまったのがバレたのだ。そして、それが何かまずい方向に影響をもたらしたのだ。
「あの、子爵……。私……ごめんなさい」
子爵は少し驚いた顔をした。そして複雑な顔で微笑んで私の言うことを聞こうとした。
「勝手に……そう名乗ったのは、本当に悪かったと、思ってます」
「……? 名乗った?」
だけど子爵は不思議そうな顔をした。
「え?」
話が噛み合っていない。私も首をかしげた。
「ううん。聞きたかったのは、君が知っていたか? ということだよ」
再び、同じ質問が投げられた。
私はそれを素直に受け取り、首を振った。
「そのことは、先日……知りました。私が城を飛び出した日です」
子爵はどことなくほっとしたようだった。いや、むしろ何かを分かり切っていることを確かめて、その通りだった時のような顔をした。
「そうか。では、君の借金が革命資金だったことは、聞いたか?」
私は何を聞かれているのだろう。
「きき、ました。その借金を革命軍が全部両親に押し付けて、私たちを殺し、なかったことにしようとしていたことも。知りました。父も母も、危ないところでした」
「はは。だからあんなに血相を変えて出て行ったんだ」
子爵は笑った。
穏やかな声だったので、私は少しだけほっとした。
「一言相談してくれればよかったのに」
「いえ……あの。一刻を争ったので……」
あの時は、どうしても子爵の顔をうまく見れなかったし……。
『私をここに置いておくのが辛い』。子爵のあの言葉を思い出して、私はちくりと胸が痛むのに気付かないふりをした。
「ご両親は無事だったんだね?」
「…………はい」
どうして。
どうしてそんなに、優しい顔をするの?
いつもの子爵じゃない。こんな、甘やかすような、嘘みたいな笑顔。
「あ、アルブの、クシス伯爵に協力していただいて……、私たちを殺そうとしていた貴族たちに、借金が返済済みのことを伝えて、手を引いてもらいました」
私は耐えられなくて、俯いて、自分の握りしめた拳を見ながら言った。
「クシス。サリーナ・マハリンの?」
子爵は驚いたようだった。私は頷いて答えた。
「すごいな君は。どこからその縁を引っ張ってくるんだ?」
私ははっとした。
それはダイドがスザンナを、スザンナがロッソとクシスを繋いだからだ。
ロッソの話はできない。
「……ダイドが、たまたま。クシス伯爵の知り合いと、知り合いだったので…………」
「そうか」
なるほど、と子爵は言った。
「彼は武民だからね。クシスも、身分どうこうにこだわる人間じゃないし。奴は顔だけはバカ広いからな」
もしかして、子爵。クシス伯爵嫌いなのかしら。そう思わせる棘を感じた。
「うん。ありがとうラピス。安心した」
子爵はパチン、と小さく手を打って立ち上がった。
「え?」
私は何の事だかわからず、そんな子爵を座ったまま見上げた。
「ブレトン。そんな怖い顔をするのはやめろ」
「子爵のそんな穏やかな笑顔の方が怖いです。私にとっては」
ブレトンがようやく口を開いた。それは、いつものブレトンだった。
「……あの、子爵、私何かやっちゃったんですか? あの、私が、子爵の愛人だって言って脅したから、なにか……」
「脅した?」
子爵はキョトンとして、数秒固まった後盛大に吹きだした。
「あっはは! ラピス! 君は、自分が魔女頭の愛人だって言って、貴族を脅したのか!?」
相当ツボにはまったらしく、子爵はしばらくお腹を抱えて笑っていた。
そんな子爵を見て、ブレトンは呆れてため息をついていた。
「あー……おかしい! ラピス。面白いことをするな」
「え……えぇ?」
一体なんなの。
「私がそんなことを勝手に言ったから、子爵の立場を悪くしたのかと……思ってました」
「あぁ、うん」
子爵はやっとおさまった笑いを飲み込んだ。
「まぁ、それも。あるかもしれないな。噂が早いのは」
「……え?」
私は首を傾げた。
「どうせ黙っていても、城の誰かが言うだろう。君を安心させるためにも先に伝えておく」
「え、なに、を?」
ドキリとした。一体何の話をされるのか。
***
「君が革命軍に見せた完済証明書に私のサインがあっただろう」
「あ、はい」
「魔女たちの間で、こんな噂が立っている。『ヴァーテンホールは、革命軍に資金援助を行った』と」
私は目を丸くした。
「君たちが借りた革命資金を、魔女の代表である私が、建て替えた。それは、すなわち、革命軍に少なからず恩恵を与えたことになる」
革命軍、つまり、私の両親のことだ。
「ラピス。魔女はね。極端に武力を嫌うんだ。だから武民とも仲が悪い」
ブレトンが補足するように私に言った。
「革命にだって、誰も乗らなかった。魔女は国の行く末に『魔女の粉』でしか介入しない。もう何世紀も前からそういう存在なんだ」
いつか子爵が言っていた。その中で子爵は、魔女の粉を守るために武力を許された存在だと。それが、非常に特別なのだということを理解した。
「だから、子爵が革命資金を援助したということは、魔女たちにとってとんでもない裏切り行為なんだ」
「!!」
一気に、背筋が凍った。
手に持った紅茶の暖かさも感じなくなってきた。
理解して、理解して、気づいてしまった。
「子爵……」
声が震える。
「少し、面倒なことになりそうなんだ。私に革命軍とのつながりの嫌疑がかかってしまった」
子爵は困ったような顔で笑った。
「あっ……!」
ガタン。
私はどうしていいかわからず、立ち上がった。だけど、何も言葉が続かない。
「大丈夫。少し、魔女達の裁判でざわつくことが多くなるが、私も、君も、あの金が革命資金であることは知らなかった」
ぼた、ぼたと、床に落ちる水滴。いつのまにか、私の目から涙が溢れ出していた。
「ししゃ……――」
ダメだ。
嗚咽が。
うまく喋れない。
「……ブレトン」
子爵がブレトンのほうをちらりと見て、小さく手を挙げた。
ブレトンは息をついて、右手を軽く上げ、部屋の外へと出て行った。
バタン、とドアが閉まる音がやけに響いて聞こえた。
嗚咽が止まらない。声がでない。私という存在が呪わしい。
子爵がそっと、私を抱きしめるように頭をその胸にしまいこんだ。涙が子爵の綺麗な服にシミを作る。
「どうして泣く。君は悪くないだろう」
耳元で子爵の声がして、ますます心臓が傷んだ。
「私が……私が、行きます。その裁判! むしろ私を出せと言われているはずでしょう!」
子爵の胸に顔をうずめたまま、叫んだ。もう叫ばないと、言葉を発することができなかった。
「確かに。君を出せ、と言われている。だが、君を出せば君は魔女達に徹底的に尋問されることになる」
「本当の話をするだけですっ!」
「それでも、君の疑いを晴らすことはできない。それは悪魔の証明だ。そんなに感情的な君が行っては、君はきっと私を騙した嫌疑をかけられてしまう。魔女たちの中には、それを望む者もいるだろう」
子爵が優しく髪を撫でる。温かい。大きい。その手で、怯える子供を安心させるように、私を撫でる。
「私が行って本当の話をするだけだ。無実なら、此処に居続けられる。何も尋問される必要のない君は此処にいればいい」
私は首を思いっきり振った。
「でもそれじゃあ、子爵が悪いことになってしまうんじゃあないんですか……?」
「はは、確かにね。よく調べもせずに、他人の借金を肩代わり、なんてマヌケな魔女頭。そもそも、笑えないしね。それは私の落ち度だ。そのことに関しては、もともと責任を取るつもりだった」
――馬鹿。
「ラピス」
子爵の、馬鹿。
優しい声なんていらない。
「本当はここらが潮時で、君を此処から解放すべきなんだろう」
優しい手なんていらない。
少しくらい、責めてほしかった。
それなのに。
「だけど、君を手放すことも、傷つけることもできない」
それなのに、そう言って子爵は出て行ってしまった。
***
「……ラピス?」
どのくらいこうしていたかわからないが、夕日が差し込む頃、メアリーが子爵の書斎を訪ねてきた。
「メアリー……」
呆然とする私を見て、メアリーは泣きそうな顔をした。相当痛ましかったんだろう。
泣き腫らして、鼻声で、全然可愛くない私の顔が。
「子爵は行ってしまったわ。ラピス、大丈夫なの? 此処にいていいの?」
良いわけがない。だけど、子爵は私に此処にいろと言った。
「来るなって……」
「そう。確かに、ラピスが此処にいるには、子爵が全部の責任を負うしか、ないわね」
メアリーがため息をついた。
『何も知りませんでした。だけど事実は革命軍を支援したことになってしまいました。小娘もそのことを知りませんでした。悪いのは、よく確認しなかった子爵です。』
つまり、そういうことだ。
「……その場合って、子爵はどんなふうに責任を取ることになるの……」
「うーん」
メアリーは指で自分あごに触れながら、少し上を向いて考え込んだ。
「最悪は、魔女の地位を剥奪、だけれど」
「……魔女の地位?」
「魔女としての立場ね。魔女の中には子爵みたいに役割を担った家がいくつかある。その立場の剥奪。……だけど子爵の場合は。それはあまり考えにくいけど」
それは、非常に重い罰だ。
「……ラピス?」
黙り込んだ私をメアリーが覗き込む。
「メアリー……。その魔女の裁判って、どこでやってるの?」
「ちょ、ラピス、行く気じゃないわよね!? 最悪、贄か粉を……っ!!」
そこまで言ってメアリーはパチンと自分の口を覆った。
「にえ……?」
いつか、私を狙った刺客も同じ言葉を口にした。
「……定期的に、魔女の粉を与えられる人のことよ。魔女の粉の品質を確認し続けるために、罪人が選ばれて飲まされると言われているの」
『じわじわと人を殺す毒』が健在かを調べる人体実験、ということだ。
普段ならそこでぞわりとするべきところだが、今はなんでか恐ろしさは感じず、ただ不快感だけが胸を支配した。
「……そういう意味では、短期間だけれど、子爵が自ら贄にさせられる可能性はあるわね……。あっ」
メアリーは不吉なことを言ったことを後悔したように再び口をふさいだ。
「……うん。そうね」
私はゆらりと立ち上がる。
「それで、お願い。どこなの。教えて? メアリー」
***
少し時間は遡り、裁判へ向かう馬車の中。
「……いつか手放すべきだと、おっしゃってたのに」
ブレトンが呟くように言った。
「責めているのか?」
「いいえ、私は、あなたの判断に従います。それがあなたの心に反したものだろうが、なかろうが」
子爵はくっとおかしそうに笑った。
「最善手は、ラピスを逃がして、ラピスのせいにすることでした。魔女は武民と違って、わざわざ指名手配してまで小娘を殺しませんから」
「……そうだな」
そしてこの従者は、正しい判断ができる有能な男だった。
「早いところ、結婚して子供こさえてくださいよ」
「それは、私の寿命を案じての助言か?」
「当り前です」
「はは……洒落にならないな」
ブレトンは顔をしかめた。自分で言っておいて、非常に不快な気分になったのだ。
「申し訳ありません」
「ん、いや? いい洒落だった」
何がだよ、とブレトンは心の内で悪態をついた。
馬車は直に一つの集落へとたどり着いた。大きなドーム型の屋根を持つ神殿のような建物、旧子爵邸がある小さな集落だ。
子爵とブレトンが馬車を降りて旧子爵邸に入ると、大勢の魔女、賢者がぐるりと円を描いて座っていた。中には、ミケルやラウル、アーノルドの姿も見えた。彼らがひしめき合う薄暗いホール内を、ぼうっと無数のろうそくが照らしていた。
「遅くなった」
子爵がそう言うと、声は反響してこだました。誰も、何も言わなかった。
子爵はふうと息をついて、円の中心に立った。そしてブレトンは、円の外側に黙って立った。
「……さて、始めようか。裁判官はどうする? 今日は私が審問を受ける側だからな」
ぐるりとあたりを見渡すと一人の老婆が手を挙げた。
「あなたにお任せしよう。ランダ殿」
ランダはすっと立ち上がり、円の内側へ一歩歩み出た。
「子爵。我々は、革命軍の少女を連れてくるように言ったはずでしたが」
「遅くなった理由を述べよう。私は、彼女を尋問した。彼女はあの借金の内容について、何一つ知らなかった。つまり、彼女には用がないはずだ」
ランダは眉間にしわを寄せた。
「革命で武力を用いた者たちの、肩を持つというのですか?」
「まさか。そんなことを言ったつもりはない。彼女は革命軍のものではなかった。ということだ」
「その証拠は?」
誰かが言う。
「私が尋問した結果、では不十分かな」
子爵は鋭い目をして、そう言った。あたりは一瞬しんとする。
「子爵はあのハンブル王に魔女の粉を使わなかった。それなのに、これはどういうことなのですか?」
静寂を破った魔女の一言で、一変してホール内はざわめいた。
「それはこの裁判とは関係のない議題でしょう!」
ブレトンが声を荒げる。
「待てブレトン」
子爵はそれを諌めた。
「その議題については、別の折にしていただければと思う。今日の議題は、何も知らずに革命軍の借用書を持っていた娘を雇う際、特に詳しく調べずに、彼女の借金を肩代わりしてしまった。その結果、私が知らない間に革命軍を支援してしまった。という奇妙な運命の落としどころはどこか? だ」
「……子爵。それは、あなたが責任を取らざるを得ない議題ですよ」
ミケルが睨むように子爵を見て言った。自分を犠牲にするような発言を諌めたのだ。
「分かっている。分かっていて此処にいる。ほかに質問は?」
一瞬しんとした魔女達だったが、すぐにざわざわと相談を始めた。
子爵は目を細めて、足元を見つめた。
――結末は、おおよそ見えている。贄を2年ほど務める。と言ったところだろう。
早く、終わらないか。
と思った時だった。
「裁判はそこまで!」
甲高い声が響いた。
ブレトンは声のする方を見て、思いっきり顔を歪め、口をぱくぱくさせた。
「ラピ……ス?」
ミケルが声を漏らす。
そこに現れたのは、黄色いドレスを着たラピスだった。
「本当に愚かね、ヴァーテンホール!」
甲高い声は、らしくない。これはいつか会った本物の令嬢の真似事だ。
「騙されていたとも知らずに、自ら魔女裁判に身を投じるなんて、滑稽すぎて笑い声も出ないわ!」
「……何故来た」
子爵は小さい声を漏らしたが、誰もその声には気付かなかった。全員が少女に注目している。
「今まで良い思いをさせていただいた心ばかりのお礼よ、ヴァーテンホール。感謝してよね!」
目一杯の悪い笑顔で、びしっと子爵を指さす。
「魔女の皆さん、よぉくお聞きになって! 私は革命家の娘、ラピス・リブレリーア。子爵に近づいたのは他でもない。私たちの資金を肩代わりさせるためよ!」
「やめろ、ラピス」
子爵が手を伸ばす。
「今は私が喋っているのよ! 黙って聞いて!」
ラピスの叫びは耳がキィンとするくらい神殿内をこだまし、全員の鼓膜を震わせた。
子爵は伸ばしかけた腕を思わず引っ込めた。
「私はあなたを誑かしたの。騙したのよ」
ああ、口角が震えている。――ブレトンは目を細めて、それに気づいた。
「本当に馬鹿な男! あなたなんて願い下げよ! これ以上あなたの側にいても何の得にもならないしね!」
今にも涙が零れそうだぞ。――アーノルドは眉間にしわを寄せて、それに気づいた。
「だからさようなら子爵。お金については、ありがとう。感謝しているわ!」
そして、今までで一番気高い笑顔を見せて彼女は言った。
「こんな悪い女にはもう二度と捕まらないことね!」
その瞬間、顔を隠した男がその場に飛び込み、嘘みたいなスピードで彼女を抱え、走り去ってしまった。
そうしてそのまま、誰も彼女を捕まえられなかった。
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* アルブ戦争
アルブ戦争の物語を描いた『サリーナ・マハリン』もぜひご一読ください
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