にんげんのものさし
私はうつ病だ。精神疾患の一種だ。
今、この日本の中のどれだけの人間がこの疾患に悩まされているのか、ということなど私は知らない。関心がないからだ。ただ私がうつ病であると自覚した頃というのは、それほど記憶を遡る必要はない。ほんの数年前のことだ。
私はその当時、生きる意味が分からなかった。何のために息をしているのか、何を目的としているのか、何も分からなかった。
本気で死にたいと思っていた。
本気で消えてしまいたいと思っていた。
この気持ちは、ある時突然に私の心を訪れてくる。ご飯を食べている時、雨の激しいお昼間、夜中二時、携帯を眺めている時、ひとりでいる時。ふとした瞬間に私の心を荒らしに来る。ぐちゃぐちゃにかき乱すだけかき乱して、そのまま、去っていく。
残されたほうの私の心はというと、ほんとうにゴミ屋敷みたいで、どこに何があるのか、気持ちの所在が所有者である自分にも分からなくなるのだ。私は慌てて心の整理を始める。けれど、直せば直そうとするほど、今まで見たこともなかったような真っ黒な気持ちが出てきて、私はその闇に取り憑かれてしまう。一度その闇が私を捕まえてしまうと、私はもう自力では光を見いだせなくなる。そうして思うのだ。
私、何のために生きているんだろう。
*
「うつは甘えだ」
「お前は甘えているだけだと思う」
当時の私に、そう伝えた人がいた。私の恋人であった人だ。
甘えとは。まず相手がいて、その人に自分の弱さを全て晒して、助けを乞うこと。そうなのだとしたら、私の甘えは甘えとして成立しないのだ。私はたったひとりで、甘えている。生きる意味が分からなくて、何をしても楽しみが見いだせなくて、消えてしまいたくて、そんな私を見て彼は「甘えている」と評価した。
そう、私は評価されたのだ。まるで教師が生徒をランクづけするみたいに、私は劣等生になった。
あのとき私が彼に対して何を言ったのか、記憶にない。ただただ、そう評価されたのが悲しくて悔しくてやるせなかったのだけ、覚えている。
うつをはじめ精神疾患を患う者は、基本的に自らの病気を公言しないのだと思う。だからなのだろうか、うつに対する知名度は高くとも理解度はまだまだ低い気がしている。うつという病気がどういうもので、どう向き合うべきか、知らない人の方が多い。
そして、うつ病を患う人間を目の当たりにした時、うつ病について正しい知識をつけようとする、またその人をきちんと理解しようとする人間はごくわずかだ。皆、関わっただけで知った気になっている。仕方が無い。本気で相手を想い、知ろうとする、そんな努力をわざわざしようと思える価値など、「他人」にはないからだ。
*
人によって我慢できない、嫌だと思う人間はそれぞれいるのだろうが、私にとってのそれは「自分のものさしを相手にあてがおうとする人」だ。
人はみな、当然ながら「ものさし」を持っている。ものの大きさを測る、あの「ものさし」だ。けれどここでいうそれは、算数で初めて使うそれではなく、人間が誰しも享受している、ものの考え方や価値観のことだ。
そして、そのものさしの目盛りは人によってさまざまだ。最初に手にするものさしは皆同じなのだけれど、生まれ育った環境、出会う人たち、出会う考え方などでその形や目盛りがどんどんと変わっていく。使い込んだものさしが、その人の手に馴染んで目盛りが曖昧になっていくように、それは気がつかないうちに変形する。
そんなだから、「ものさしは皆同じ」だと考えている人が多い。皆気がつかないのだ。皆同じ物を渡されていて、そのままと思い込んでいる。自分の手に馴染んでいるものさしが、なぜ手に馴染んでいるかなど、考えもしないのだ。
人は、そうして自分のものさしで世界を測る。時にそのものさしで測った結果を人のそれと共有しようとして、軋轢を生じてしまう。それもこれも、仕方のないことなのだ。
けれど、私にはそれが耐えられない。自分のものさしに自分で手を加えることには抵抗ないのだが、他人が自分のものさしに触れようものなら、その人ごと拒絶してしまう。
ある意味、頑固者なのかもしれない。
そして、私が出会った人の中にも、自分のものさしが絶対的だと考えている人間が一定数いて、そのうちのひとりが彼だった。
*
一度好意を抱いた相手なのだから、あまりに酷評するのもどうなのかと思うが、あえて言うと、彼はいつだって自分のものさしが正しかった。自分のものさしに触れられようものなら、すぐに機嫌を損ねてしまう。
…そう書いてみたところで気がついたが、私たちは似たもの同士だったのかもしれない。同族嫌悪というやつだろうか。
けれど、私たちのものさしはあまりに違いすぎて、お互いがお互いの目盛りの違いに干渉し、その度に苛立っていた。それが私たちの関係性の破綻へとつながったのかもしれない。
彼は感情的ゆえに短絡的で直感的で、
簡単で強かった。
私は論理的ゆえに安定的で長期的で、
複雑で弱かった。
いつでも彼は思ったことを実行する力があって、そうやって生きてきていた。私も昔はそうやって精力的に突き進んでいたはずなのだが、いつからかそれが苦痛に感じるようにものさしが変わってしまっていた。思うようにいかないことも多くなって、というか「思うこと」が減って、気がついたら淡々と何のために生きているか分からなくなっていた。
そんな私のことを、彼のものさしでは測りきれなかったのだろう。
それでも恋人だ。彼は彼なりのものさしで私を測ってみた。その結果が、「甘い」という評価だった。私はその評価を受け、彼のものさしに合わせて「甘えない」という選択をすることもできたのだろうが、そこまでの勇気と気力が足りなかった。
そうして、三年ほど続いた私たちの関係は終わりを告げてしまった。
*
あれからもう一年以上経った。
彼は新しい恋人を妻とし、子育てに励んでいるらしいと風の噂で聞いた。そうなってしまえば、私の出る幕はない。
彼との関係を続ける選択肢もあったし、客観的に見ればそうするべきだったのかもしれない。けれど彼との未来を想像すればするほど、それは不可能に近かった。彼のものさしの中では、私は生きられなかった。
幸いながら今の恋人は、私のものさしに近いものを持っている。奇遇でしかない。軋轢が生じることも少なく、ストレスも少なく関係を築くことが出来ている。ほんとうに有り難い。
私自身も、二年程度の時を経てやっと、うつという疾患に身体と精神が追いついてきた。生きる希望がわずかながら見つかり、前に進もうと努力する気力もある。
けれどやっぱり、彼のような人間は未だに苦手だ。
つれづれなるままに まこてぃん @makodum22
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。つれづれなるままにの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
20代前半はツライよ/野志浪
★6 エッセイ・ノンフィクション 連載中 14話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます