つれづれなるままに
まこてぃん
人の心に咲く花
「泣きたいのはこっちやねんで」
ああ。気がついてしまった。
この人の心には花がないのだ。
そうふと思いながら僕は、心の中にある、うすむらさき色の花びらをひとつむしり取り、ぶっきらぼうに燃やした。
夏など終わらせまいと、蝉が懸命に命を燃やしていた、八月下旬のとある日だった。
蝉の声が鈴虫の歌声に代わり、吹く風が身体を透き通るようになった今でさえ、花を咲かせないその人の言葉に僕は、ずっと縛られている。
*
僕には、ひとの心に咲く「花」が見える。その花は人の数だけ色も、咲き方も異なっていて、きっとこれは僕にしか見えないものだ。けれど、ある程度の法則のようなものはあるらしい。つまり、その人の感情がプラスに向いている時は暖色、逆にマイナスに向いている時は寒色。エネルギーに満ちあふれている状態なら花は立派に咲き誇り、気力に欠けているなら、花は水に飢えた顔をする。
そしてひとりの人間であっても花の色はさまざまに変化し、年齢や性別には呼応しない。ある人の花が、昨日までは「我こそが最も美しい」という顔で情熱のバラを咲かせていたのにも関わらず、翌日になってみるとまるで根っこから引っこ抜かれたようにしおれた姿をしている、なんてこともざらだ。また、結構なご年齢であろう老婦人、井戸端会議できゃんきゃん盛り上がっているその方の花はまるで水を得た魚ならぬ肥料を得た花だ。電車の中で見かける若手らしきサラリーマン、窓の向こう側をじっと見つめるその方の花は、下を向いて黒ずんだ花びらを蓄えている。
そして、僕も花を持つひとの一人だ。僕の花は、環境、情緒、体調、その他さまざまな外因によってゆらゆらと変化する。自分の花の様子は他人のどの花よりも一番鮮明に確認することができる。超能力みたく他人の心が読みきれるものなら僕はもっと人生を悠々と歩めたのだろうが、そんなはずもなく。結局、自分の心が一番把握しちゃえるのだ。皮肉にも、やっぱり人間は自分が一番可愛いらしい。
物心ついた頃から僕は、自分が周囲の人間とは一八〇度異なる価値観を持っている、ということを自覚していた。「大人っぽい」「ませている」などとはよく言われたものだが、そんな程度のことでは済まない。「ズレている」のだ。
もちろん僕にも多少なりとも協調性というものはあるので、真っ向から否定したりなどしない。誰かが何かを語れば、同意し、受けとめ、そして笑う。けれど僕の心は、その話の受け皿を持ち合わせていない。まったく笑えない話だ。
けれど、そんな僕の価値観を理解しようとしてくれる人は、僕の人生においてわずかながら現れたりした。母、恩師、恋人、友人。この人たちの話については、いつかまた書き残すことにしよう。
*
そんな僕なので、基本的に社交性というものが弱い。要は、人と関わることが根本的に苦手だ。というのも、相手が今何を感じ、どう思っているかが、花を見るとすぐに分かってしまう。となるとそれだけ相手の感情に敏感になってしまい、「嫌われたくない」「嫌な顔をされたくない」というエゴが出てしまうのが原因だ。と、今の段階では分析している。
けれど、だからといってじゃあ僕は誰とも関わらずひとりで生きていく、なんてことが許される世の中ではないので、僕は僕なりに訓練をすることにした。そこで人生で初めて、「接客業」なるものに挑戦した。バーテンだ。
その仕事を始めたのは、ちょうど半月近く前、冬将軍が居座ることを決めた頃だ。接客業と言っても一様ではなく、飲食、販売、受付などさまざまな仕事があった。そのなかでもバーという特殊な仕事を選んだのは、ただ単純にその職場の歯車として単純作業をこなす接客よりも、人とじっくり向き合い、話をすることができるバーは、訓練にうってつけだと思ったのだ。
面接は難なくスルーし、応募後すぐに働き始めた。当初は着たことのないバーテンの制服に心が躍り、お酒が好きなこともあって、その道に明るくなれるというのにも正直テンションが上がった。その頃の僕の花は真っ赤でイキイキとしていた。
けれど、ひとつ引っかかる事項があった。同じ職場で働く人たちの花が、それはもう見たことのないくらい澄み切った色で咲き散らかしていたことだ。
そう、咲き散らかす。この言葉が一番いい。格好良く咲きすぎるあまりに、その花びらがどこかに刺さってしまうことには目をくれない。そういう咲き方をしていたんだ。
半年あまりの間僕はそこで働いたわけだが、彼らが咲き散らかしているその花びらは、僕の心を少しずつ刺し、刺し、そして刺した。
そうして僕の心をいちばん深くえぐったのは、ちょうど雨が降らない梅雨が訪れた頃。僕は生憎天候の変化に弱かったことと、夜の仕事に体力が追いついていないことが相まって、「辞めたい」と思っていた。けれど、自分で決めたことだ。途中で投げ出したいとも思わない。なんとか自分なりにスタイルを変えてやってみたい、そう思っていた。その旨を彼らに相談してみたところ、僕に投げかけた言葉はこうだった。
「夜頑張ってるんはみんな一緒やから」
「しんどいのなんか、気持ち次第でなんとかなんねん」
僕はこのとき、はじめて人の言葉が「くるしい」と感じた。彼らのものさしに、僕は身体を押し込まれたようだった。確かに、頑張れない僕は言い訳をしているだけなのかもしれない、みんな頑張っている、僕も頑張れるはずなのだ…
ああ、くるしい。
僕はもう、彼らの花を直視する勇気がなかった。向き合えば向き合うほど、僕のこころが彼らの花びらでえぐられていくようだった。
けれどしばらく僕は、そのくるしみと向き合いながら、しばらく働き続けた。
僕が悪いのだ。僕の気持ち次第なのだ。そう言い聞かせ続けていた。僕の花は、僕に見向きもされず。あの頃、僕の花がひとりでどう咲いていたのか、僕に記憶にない。
*
そうして、僕は爆発した。
夏の終わりが近づいているにもかかわらず、うだるような暑さが続くある日の夜だった。いつものように仕事に行かなきゃ、と思い夕方の睡眠から抜け出したが、身体が動かない。どうしても、動かないのだ。準備しなきゃ。動かなきゃ。行かなきゃ。気持ちだけが焦る。
そんな僕を察した母が、僕に告げた。
「行きたくないんでしょ」、と。
僕は気がつくと泣きじゃくっていた。ああそうか、僕、行きたくないのか。そこにいたのは、自分の気持ちに向き合わず、ただ呪われたように仕事に行き、機械のように「頑張って」いた僕だった。気がついたのだ、僕の心の花が完全に萎れていた。見向きもされず、水も与えられず、「感情」という栄養を完全に失って。
もう、もはや花ではない。
僕の心は、雑草だった。
それからすぐに、仕事を辞めると決断し、責任者にその意図を告げた。数日後、職場に行き改めて「辞めます」と伝えた。
―自分の都合だけ考えて。君の休んだ分、こちらの売り上げはどうしてくれる。代わりに働いた者の休みはどうだ。みんな頑張っているのに、君だけが頑張れないとは。
責任者は苛立った様子で僕にそう伝えた。
僕は涙を堪えていた。理解してもらえなくて当然なのだ、耐えろ、ここで泣いたら僕の負けだ。僕は僕なりの選択をしたのだ、大丈夫、間違ってなど…
「泣きたいのはこっちやねんで」
耳に、刺さった。
僕はふと相手の懐を見た。
そこに、花はなかった。
ああ、そうか。僕は勘違いをしていたのだ。彼らの花ははじめから咲いてなどいなかったのだ。
咲き散らかっていたのは、針山に刺さったまち針だった。
そして僕の心を刺していたのは、色とりどりのまち針だったのだ、と。
彼らの心は無機物で、だからこそ強く、折れることなどなかった。
僕はただ「すみませんでした」と口にした。枯れかけた僕の花の花びらはひとつちぎられ、燃やされて消えた。
*
僕と彼らが不和を起こしたのは当然だったのだ。針で刺された花が、感化されて同じように針になれるわけがない。いや、もしかするとそうなる人も世の中には存在するのかもしれない。けれど、僕は違った。僕は初めて知ったのだ、世の中には針山を心にもつ人間もいるのだと。
僕はそれから、昼の仕事に戻ることにした。そうして改めて自らの花に目を向け、大切に育て直しているところだ。
しかし、いまだに彼らの針が僕の心を刺し直すことがある。自分が理解されない、ということがなにより恐くなっている。勿論、人と人は本質的に完璧に分かり合うことは不可能なのだけれど。今の職場の人たちがどれだけ僕に歩み寄ってくれるのか、それが分からなくて、少し、恐い。
人の言葉というのは良い意味でも悪い意味でもほんとうに力があって、毒の塗られた言葉で一度心を刺されてしまうと、なかなかそのとげは抜けてくれない。だから、「みんな頑張っているのだから」なんて思われてるんじゃないか、と、今でも思ってしまう。
これから僕は、きっとまた花ではないモノを持つひとに出会うこともあるのかもしれない。けれどその時が来たら今度は、僕の花をもっともっと大事にしようと思うのだ。その花を失う時、僕は心を殺すことになるのだろうから。
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