迎え


 ちりんと一つ、明るい鈴の音が鳴る。そして、また一拍置くと、今度は、ちりんちりんと、二つ鳴る。どこから響いてくるのか、一度目の音よりさらに大きく、大気をびりびりと震わした。



 その鈴の音を迎えるように、ざあっと強い風が川面を吹き上げ、姫の髪まで、ふわふわと巻き上げる。遅れて木々が、パキパキと細かい枝を散らして、風に応えた。



「無謀なことをする神もいる」


 

 いつぞやの島野大樹が、手に小さな鈴を持ち、まるで、風に乗ってきたかのように、突如として現れた。先日と大して変わらない、もっさりとした黒っぽい服装だが、その背に大きな荷物袋がない。


 島野は、誰に問われもしないのに、こう言った。


「今回はきちんとね、人に頼まれて、仕事で来ました。はじめの挨拶を出来ないのは、僕としては心外ですが、まぁ、いいでしょう。よいしょっと」


 島野は軽々と胸に姫を抱え上げると、玉砂利の河原をさくさくと歩いて、川から離れる。そして、きまぐれな足取りで、豊かに茂った緑の土手を、のそのそと斜めに上がると、人の舗装した道路に出る。


 そこには迎えの車が二台、並んで停まっていた。もちろん、旧式の牛車、馬車の類ではない。エンジンを積んだ、最新式の乗り物の方である。



 姫を抱え直しながら、手前の車の方へ向かった島野は、後部座席のドアの横まで来ると、その大きな身を屈めて言った。


波須はすさんの車で、良かったですか」



 その言葉に応じて、上部の窓が開き、中から、顰め面のスーツの男と、その隣に座る高齢の女性が、島野の方へ顔を見せるように会釈した。その女性は、いつもの装束では無いが、姫が普段、婆やと呼んでいる山の庵主である。


 今日は髪をまとめ、紺色のスーツに身を包んだ波須イクエは、島野の腕に、姫の姿を認めると、わずかに頷いてこう言った。


「ようございました。姫様がご無事で何より。お約束の通り、鬼の調伏をお願い申し上げます」


 島野は、気付かれない程度に口を尖らせ、話を逸らす。


「で、僕たちはどこに?」



 島野が問うと、婆やは、ゆったりとした仕草で、もう一つの車を指し示す。


「あちらへ、御乗り下さい。ご指示通り、お座席、清めております故。島野様もどうぞご一緒に」


「あぁ、はいはい」


 腕に抱えた山神は、以前会った時よりも、弱っていると分かる。島野は、もう一つの車の方へ歩いて行った。通りがかりの通行人が、島野を奇異な目で見つめる。島野は、「違います」と言いつつ、すぐに、その通行人の記憶を



 そこには、見た目は中学生にしか見えない少女を車に運ぶ自分が、間違いない変質者として映っていた。島野は気落ちして、ふうっとため息を吐く。今一つ、気乗りがしない仕事だと思う。


「どうされましたか」


 運転手が鏡越しに、島野の様子をうかがう。こちらも、あまり信用していない。


「あ、いえ、こちらの話で。どうも気になさらず」


 島野は、姫を座席に寝かしつけるとドアを閉め、反対へ回って、その大きな体を、助手席に押し込む。シートベルトを引っ張ったが、届かない。運転手はいよいよ、怪訝な目つきで、島野を見る。


「何か変です? ほら、先の車が行っちゃいます。発進して」



 そうして山の神、五十鈴は、不本意ながら社へ、連れ戻されることとなった。


 姫の真意が、婆やに届いていたのかは、分からない。だがここに、人が、鬼と神との間に割って入るという状況が生じたことは、確かである。


 島野の仕事ぶりは、如何に。


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