人の情というものは
「人が神より、鬼や魔のものに情を寄せるのは、なぜだ」
翌朝、食事どきに合わせてやってきミツキに、姫は尋ねた。手持ち無沙汰に、ミツキは姫の向かいの席に座ったが、周囲の者は、いい顔をしない。だがここでは、学校への送り役として、また『友人』として、ミツキが自由に振る舞うことを、許すほかない。
ミツキは、ややぞんざいに出されたお茶を前に、姫の質問に答える。
「人が弱いから? 良くない方、悪い方、堕落した方へ転がって行って、その先に生きているのが、鬼や魔だと思うからかもしれない」
食事を終え、箸を置いた姫は、ミツキの話に耳を傾ける。姫の関心の瞳を前に、ミツキは咳払い一つを挟み、話を続けた。
「あちら側の知識は、多少であれば、『反面教師』になるのかもしれないですけど、情を寄せるっていうと、境界線が危ういなぁ。
"ものは好きずき" でしょうけど、私は一応修行の身ですからね、姫様。鬼に情は寄せません。鬱陶しいから、さっさと退治されちゃえって、思います。でも、なんでそんな質問?」
姫は、足元に置いてある鞄から、一冊の本を取り出す。学校の図書室で借り、朝の内に読み終えた。
「気になって、三日で最後まで読んでしまったのだが、これは歳ごろの娘が、人に災厄をもたらす魔物に恋をする、果ては命を捧げてしまうという、”悲恋もの” でな。
読んでいて、話の筋に破綻は無いし、さもありなん、と思えたのだが、どうにも苦しい最期であった。どうして幸福にはならないのだ? その兆しさえ無いのが気がかりで、恋の相手が神ならば、そんな苦しい話にはなるまい」
本の表紙をなぞりつつ、沈痛な面持ちで感想を述べる姫に、ミツキはお茶をズズズ、と啜りながら、『どうだろう?』という顔をして笑う。
「神様との縁談じゃ、相手が ”悪い” 神様じゃなければ、たしかにハッピーエンドかも。でも、それはあんまりドラマチックじゃない。いや、恋愛ものとしてはベタで、甘く攻めるっていうのも、無くはないんですよ」
話を追いきれない姫は、少し首を傾げる。ミツキは笑って続ける。
「うーん、たぶん恋愛が、障害ありきの産物だから、相手が魔物だと、そういう障害が織り込み済みになるから、意味があるんでしょうね。とにかくすんなりとはいかないから」
ミツキの話を聞きながら、姫は、食後の甘い香りのするお茶に口をつけた。その背後では、頃合いを見計らって、傍で控えていた女たちが、姫の髪に、櫛を通し始める。
されるように任せながら、考えをまとめた姫は、ミツキのゆるい解釈に、言葉を返す。
「そんなにも人は、神と魔を区別しているのか? 人にとっての畏れという意味では、ともに、似たようなものではないか。それに昨今、力を持つのは、生きた人そのものか、人の念が生み出す魔物ばかりで、神は消えてゆくばかりだ。
我も、人が悪鬼を安易に拝むとは思えんが、鬼との悲恋物を読むと、どうなのだろう、とは思う。どうだミツキ、神はつまらんのか?」
これにはミツキも目を丸くして、思わずお茶を
「いや、私からすると、姫様はめちゃくちゃ、面白いですよ。さすがに、会う前までは、もっと口のきけないような存在かと、思ってましたけど。いや、鬼との悲恋ものなんて、女や男の願望が入りまくりですよ」
ミツキは、調子付いたように、姫の方へ身を乗り出し、話を大きくする。
「私も嫌いじゃないですから言いますけど、要は、悪いことをしていた相手が、自分の存在によって、いくらかマシになる、救われるっていう筋書きが、すごく気持ちいいんです。救われたい、じゃなくて、”救ってあげたい”願望というか。他はともかく、この人にとって自分は特別だー、みたいなね。
恋愛に近いけど、ちょっとズレた自己充足、ってやつですよ。そうなるとね、神様はほら、助ける必要も、それ以上良くなる必要も、正直言って無いでしょう? 付け入る隙がないっていうのかな。だから、私たちみたいなお傍付きは例外として、神様っていうのはちょっと、距離があるとこにいる感じなんです」
ミツキは、うんうんと、一人合点したように首を振ると、湯呑を傾け、ごくりと一気に飲み干した。姫は、静かにそれを眺める。
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