鎮守の神
口元を手で覆い、泣きそうな顔をして部屋を出て行った佐久間のことを想いながら、姫は目を瞑った。
『ただびと、とは、難しいものだな』
人は、他の生き物よりもまず、同じ人を憎むように出来ている。神に仕えるもの、そうでないもの。関心を持たぬもの、知らぬもの。
そんな者たちが集って生きている人の社会であっても、一段、その間に踏み込めば、互いを認めないばかりか、同じ生き物としての価値さえ、与えない関係、というものがある。
人は銘々、異なっている。その趣も、生き様も、何もかもが、違っている。神でさえ、そのことには気付いている。だが、互いをどう想い、感情を寄せ合っているのか。それは、ひとりひとりを知り得たところで、到底、把握しきることのできないものだ。
人同士の諍いを、姫も多く見てきた。山神そのものを災いとすることはなくとも、姫が守る山をめぐって、幾度も争いが起きた。そのたびに、住処や恵みを、出来るだけ公平に分かつよう仲裁し、様々な約束事を設けて来た。憎み、妬みあう人の間にも、神は立ち入ることが出来たのだ。
社をはじめ、人からの贈り物は、そうした騒動の名残である。望もうと、望まざるとを問わず、恵みをもたらす山神は、同時に、人々の仲裁者として、日々の生活の"必要" 足り得たのだ。
しかし人が山を出て、山に生きる、数多の命とも距離を置くようになると、事情は変わって来た。
人は、人との間に、命無き道具を多く作り、はるか壁のように、互いを隔て合った。そこでは、生きた約束事も法も関係ない。ただモノが、人に制約を与えるのだ。そして、その囲いを超える暴挙に対しては、更なる破壊の道具によって、"優劣" という決着がつけられることとなった。
姫は、命あるものの時と、場を守護する以外の術を知らず、ただ茫然と、人の為せる技の凄まじさに怯えた。その頃からだろう、自身から発する光の輪郭が揺らぎ、弱まっていくのを感じている。
人は昔よりも互いを畏れ、神を忘れた。神より恐ろしいものは人であり、それは不遜というより、技術のもたらした"力"の凌駕だった。人が人に抱く恐怖の感情は、神にも伝播し、力を削る。
神が人を畏れたとき、神の存在は消えるのだ。
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