似たものX同じもの
「えー、姫様が学校に通うんですか」
ミツキが抱き付きながら、鏡越しの姫に言った。
婆やに話をしたのは、昼の頃だったが、それから姫はまた眠って、日の沈んだ夕刻に目覚めた。食事を終えた後、自室に戻っての、ひと時である。外には蒼い光が満ち、空には、淡い月が昇っている。
「あぁすまないな、わがままをいって」
「いや、別に私がどうこうするわけでもないしね、ねぇコハダさん?」
コハダは、姫の召し替えを片付けようとしていたところだったが、振り返り、答える。
「まぁミツキは高校生で、姫様だと中学生くらい、かしらね」
ふふふと声を上げて笑ったコハダの目は、鋭く細められ、じっとミツキの背中を見つめる。
「ミツキ、もういいでしょう。姫様から離れなさい」
「姫様の髪、やっぱきれいだよねぇ」
ミツキはそう言いつつ離れて、廊下へ走り出る。
「また必要なもの持って来るから」
手を振りミツキが去ると、コハダがすっと姫の後ろに腰を下ろした。
「怒ってるのか、コハダ」
姫が尋ねると、コハダが声をやや低めて言う。
「えぇ、姫様。私は少々怒っております」
「そうか」
姫は鏡に映る自分の眼を見つめ、首を傾げる。
「ここに映っている我が、そなたらの見ている我なのだろうか。どう思う?」
コハダはハアっと小さくため息を吐くと、慣れた手つきで櫛をとり、姫の髪の一房を梳く。
「姫様は哲学談義がお好き。でもいつも、大事なことは相談してくださらない。姫様が下界に出るのは、あの鬼どものためでしょう?」
姫は黙ってされるようにしている。コハダはまた一房、櫛を通す。
「何を面白がっているのやら。結界の周囲をぐるぐる、ぐるぐると。性懲りも無く。姫様、もしや鬼どもをたき付けたのは、姫様なのですか。それで人里へ会いに?」
姫は肯定の笑みを浮かべると、
「あれは美しい鬼だったな。ついぞ見たことのない」
髪を梳く手が止まり、コハダが息をつめたのが分かった。
姫は続ける。
「コハダ、鬼とは何だろうな。人間どもは、我のようなものとあれらを、似たものとして畏れるが、我には今一つわからぬ。そなたはどう見る?」
振り返ると、複雑な表情に、やや目元を赤くしたコハダが居たので、姫は少々面食らった。
「コハダ?どうした、何かそんな悲しいことを言ったか我は?」
姫がおろおろとコハダの手をとると、すべすべとした冷たい手の感触の中に、動揺が見えた。
コハダは言うか言うまいか、という顔をしていたが、意を決したように口を開く。
「姫様、ゆめゆめ、ああいう者どもとご自身を、同じものだと思ってはなりません」
「なぜ?」
思わず訊き返す。コハダは続ける。
「たしかに人は、見えないものや人知を超えた存在について、それらの中に、またあらゆる違いや、区別を見いだすことはございません。見えないのですから、致し方のないこと。けれど本能的に感じ取ってはいるのです。きわめて利己的だとは存じますが、己を利するか、利さないかというくらいには。
鬼が、人を利することはございません。むしろ害をなすものを、鬼と呼んでいるのです。鬼は人の産むモノ。ですから人が、鬼の害を受けるのは当然。でも姫様が同じようにその害を受けることは、喜べと、たとえ姫様に言われても、できません。
ただでさえ人は、姫様のような存在を忘れがちで、なのに要求だけは図々しいほどで、昔も今も意地汚くて、むしろ鬼と人との区別が、難しいくらい。鬼は形を持たぬもの故、幼子の我儘のような無秩序はございませんけれど、隙をみて神威を穢そうとするところは、
あれらは常に、姫様をはじめとする
「うん…それはそうだな」
コハダが心配するのも無理はない。耳は痛いがそれは、何度聞いてもやはり、間違ってはいないと感じる。
しかし、いま為そうとすることは、是非にでも為さねばならないのだから、こればかりはどうにもならない。
「コハダ、心配をかけてすまない。我もわかっているつもりだが、こうも人の世の流れに影響を受ける身では、お前のように達観も叶わぬ。終始、鬼やら何やらで、煩わされてばかりだ。最近はひどく眠いしな」
「私はそんな…姫様」
コハダが手を握り返す。姫の手は小さく、そして温かかであった。
「姫様、私どもは姫様をお慕いしております。ずっとずっと、お傍に居たい。それがいつか限りのあることと言われても、その瞬間までお供をしたい。けれど、それでは足りぬこともございましょう。判っているのです」
コハダの注ぐ視線に応えるように、姫もまっすぐな眼差しを返す。その瞳の、澄んで曇りひとつないことに、コハダは何度、涙をのんだことだろう。
「できるだけお前たちの迷惑にならぬよう、心掛けよう」
姫が最後に言えたのは、この一言だけだった。
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