辰凪島の愉快な仲間たち

カオス饅頭

第1話 漂流者、現る

 地球を包むオゾンが、青い色どりを空いっぱいのキャンバスにベタベタと塗り付ける。塗った空白は白。ところにより灰。雲海は潮風に流されるがままだが、その反面で真下の海は腹黒さも感じられるほど穏やかで、水色の水平線が落書きよろしく引かれていた。

 幾重にも引かれた水平線はとうとう面になり、面には緑点が沢山浮かぶ。

 大きい緑点、小さい緑点。それなりに違いはあれど注目すべきはある一つの小さな緑点だった。

 

 辰凪島。

 面積は45平方キロメートル。人口は五万人程で、豊かな作物と明らかにミッシングリンクが発生しているほどの発展をした機械技術を持ちつつ絶妙なバランスで維持されている不思議な島である。

 島周辺の大陸に緑は少なく、殆どが黄色い荒野になっていた。

 大陸から大型の船を使えば行けなくもない距離にあるが、貧困地の大陸沿岸部に港を建てようとする人間が居るでもなし、盗賊だらけのそこを利用しようとする人間が居るでもなし。

 故に存在は一部にしか知られていない。半ば都市伝説と化していた。

 だが、それでも奇跡的な潮の流れが、偶々存在を知らせてしまうという例はある。

 

 ◆

 

 黒い岩だった。

 海の飛沫に晒されても不動の事幾百年。肌には火山のようなフジツボ、山脈のようなカメノテ。巻貝の間を蟹が渡り、さながら小さな惑星の様である。

 蟹が歩いた先にはどこからか流れ着いたのか、海藻が引っかかっている。

 蟹はそれを、何ともなしに摘まんだ。

 すると偶然潮風が吹いて、蟹の鋏と海藻を同時に揺らしたのだ。

 後、その延長上である岩の下の砂浜でも漂流して弱り切った人間が髪を微風に揺らして、しかし目を開くことは無く、只々唸るばかりである。

 そんな漂流者をつつく手ひとつ。

 

 少女のなかでも小さい部類に入るだろう身長。

 ダボダボのパーカーと、背中に垂らした大きな銀髪の三つ編みが、彼女をより小さく見せていた。右半分は髪で隠していて、もう片方の眼は逆蒲鉾型の伏目で脱力感を覚えさせる。

 しかし小憎たらしくもどこか愛らしい。あくまで彼女の友人の主観だが。

 白い肌の彼女はカーゴパンンツを履いた足を曲げて、漂流者の頬をつつき、反応が無い事に小動物よろしく首を傾げる。

 

「へんじがない ただの しかばねの ようだ」

「ぬぅおー」

 

 かなり鳴き声に寄った、怨娑交じりの唸り声が海音に揺られながらも小さく。しかし確かに彼女の耳に届いた。そうしていよいよ僅かに、死にかけのガス灯よろしく光が灯った目が薄く開かれて、首を動かさずに視線だけ突き出された。

 だがどうだ。怨娑は如何に伝われど、天然自然の常闇が邪悪でないように害する意思は伝わらない。そう感じて顎に指を添えて頷くと、漂流者の腕をむんずと片手で掴んだ。

 インスピネーションは大切だ。因みに、顎に指を添えるのは何となく彼女の上司の癖を真似てみたものだが、相変わらずアホっぽいと思う。

 

「不燃系ツッコミを入れる程度の生きる意志は、メイビーにあるのかな?」

 

 コテンと首を傾げて腕を掴んだまま足を進めるが故に、漂流者が砂浜で紙やすりよろしくザラザラと削られ、怪我はしない程度に地味に痛い。ていうか腕力おかしくない?ギャグなの、これってギャグ物なの。

 そんな反論と云う名のツッコミは口に出る元気も無く、漂流者はドナドナと引きずられていく。こすりつけられているのが背中だから頬よりましなのかなと無駄な事を考えていると別の声が聞こえた。

 

「拾った」

「え?晶ちゃん、なに。

君が何かを拾うなんて珍しいねーって、え?」

 

 それが漂流者の意識が深く闇に沈む前に最後に聞いた音だった。

 

 ◆

 

 疑問符の後に一通りの叫び声を上げたのは、話しかけられた女性だった。女性と言ってもまだ成人に届くか届かないかと云う年齢だ。しかし話しかけた側である井時 晶が幼い外見をしている事が彼女を相対的に女性足らしめている。

 女性の名は銀田一 雪。この辰凪島で最も見晴らしの良い屋敷のメイドである。

 肩の辺りまで伸ばした雪の様な硬めの銀髪と吊り目気味な銀の眼を持ち、屋敷を手に入れた時に地下室で先住民宜しく本を読みふけっていた井時さんを見た時は「見た目が被っている」と思いつつ、中身が正反対で安心したそうだ。

 足首が少し見える程度のロングスカートで揃えたメイド服、頭にはメイドカチューシャと言った如何にもメイドな格好だ。

 

 今日は主人の仕事で漁師へ回覧を渡しに来たのだが、珍しく井時さんが外に出たいと言っていたので折角だからと主人に面倒をみるよう言われ、雪自身も軽い気持ちだったのだ。

 先ほどから海が珍しいのかキョロキョロと見て回って、帰りぎわに綺麗な貝殻とか貝の化石とか、ヤドカリの入った貝とかを持ってくる程度を想像していた。

 しかし漂流者を拾ってくるこの重い現実に何度か瞬きを繰り返して暗転フラッシュバックした後に精神を整えると声を吐き出す。

 

「ええと、凄いの拾ってきたね」

「……キャッチアンドリリース?」

「う~ん。このまま見過ごしても夢見悪そうだけど、一応ここ独立国みたいなもんだから扱いは不法入国扱いだしなあ」

 

 額に指を当ててウンウン悩む雪へ井時さんはやはりキョトンと首を傾げて無慈悲な一言を発すると、その先が容易に想像できる雪は思考に枝分かれを与えた。

 そうして悩んでいると井時さんが再び口を開く。

 

「……キャストオフ?」

「いやいや、漂流者の身包み剥ぐ程ウチは困ってないからね。ていうか物騒だな君は。

いやいや、上手い事言ったって感じにドヤ顔しなくていいからね」

 

 そうこう漫才を繰り返して、漫才の糸がハンカチ一枚分の布になりそうになった。その時、少し疲れたので雪はふと、周りを見渡してみれば逞しく浅黒く焼けた男達に囲まれていた。

 漁師たちだ。

 

「え、皆さんお集りの様ですが何か御用でしょうか」

「いや。御用も何もグッタリしたのを晶ちゃんが掴んで、さっきから雪ちゃんと言い争っているなら普通気になるだろう」

「……あ」

「だろう?」

「はい、すみません」

 

 漁師のコメントに雪は赤面をして頬をかく。

 漂流者は普段人をあまり信用していない井時さんが持ってくるので多分襲ってはこないだろう。見たところ大分弱っているし、これ位なら嗜んでいる護身術でどうにかなる気がすると雪は踏んだ。

 だがしかし、人を見る目に自身が無い。

 雪が見るには未熟だし、井時さんは純粋過ぎる。ともあれば清濁飲み込んだ人物に任せるしかないわけだが、そこで浮かぶ人物に溜息が出る。

 雪の主人だからだ。

 

「……だろう?」

「いや、晶ちゃん。寧ろ君が当事者だからね」

 

 ため息は潮風に紛れてどこかに消えていた。岩に居た蟹も気付けば何処かに消えていた。

 サラリとした砂浜の上には押し付けられた人間が残るばかりだ。

 

「いやいや、引きずっちゃ駄目だから!おぶってこうよ、ソコは!」

 

 ◆

 

 辰凪島、島の端の丘。

 隆起で出来たこの島でも端が一律に綺麗なドーム状の曲面になるという訳ではなく、ところどころ差があるものだ。その中でも最も高い海に面した丘の上。それが、辰凪島において最も見晴らしが良い屋敷である。

 本来の名前は不明。施工日も謎。壁に含まれる炭素から判断するに約1000年以上前のものであるらしいが、そんな昔の手入れもしていなかった複雑な物件が劣化をまるで見せずに、現役で人が住んでいる事に一部の科学者は頭を捻っていた。

 

 二階建てのやけに大きい、煉瓦を積まれて出来たそれはヴィクトリアン・ハウスと呼ばれるもので、この形式のものはカントリー・ハウスと呼ばれ田舎の貴族が住んでいたと言われている。

 煉瓦の製法は古代ローマから取り入れていた為、質感等が古代ローマの遺跡に似ており、白煉瓦で出来たこの白亜の屋敷はその要素が特に強く何処か素朴な神々しさを覗かせていた。

 そんな建物には最近拵えられた、細工が刻まれている真鍮製の窓枠。その内には透き通らんばかりの量産品の硝子窓が。その向こうの丸めたカーテンの、そしてその向こうには程良くやる気のないチョビ髭が居た。この屋敷の主。つまり雪の主人である。

 背は特別高いと云う訳では無いが細長く、垂れた目と羽織るだけのスーツは気怠さを自然に一層引き立てていた。

 しかし顔は、何か太い物で抉ったような、太い十字傷があり彼を只者ではないと思わせる要素ではあるが、経緯を聞けば「野生動物と戯れていた」と素っ頓狂な返事が流れてくるだけで、いよいよ真実を知る者は少ない。

 本当に野生動物と戯れていただけかも知れない。

 

 彼はやる気のない眼を下にやると懐かしのジャズを口遊み、金属の棒で出来た片足の義足を打楽器代わりに床に打ち付けながらリズムを刻むと、万年筆が世界の情報を創り出す。

 そこには己を対価に見ず知らずの海を渡る大博打をする硬茹でな物語が描き出されていたのだ。

 

「……」

 

 しかし彼は途中で筆を緩め、とうとうそれは進まない。

 気付けば書類で包まれる部屋は、夜よろしく静寂に包まれぽつりと一言漏らすのだ。

 

「あ~、暇だなぁ」

 

 誰に言うでもない一言が場を支配した。

 雪が居ないのはよくある事だが、井時さんまで居なくなってしまうのは予想外だった。雪が居ない時は意味のない言葉を延々グダグダと垂れ流し、それを聞き流して貰うのがセオリーなのに。こう人が居ないと本格的に困るものだ。

 仕方ないので彼は再びジャズを口遊み、報告用の用紙の隅に先程の硬茹な物語の続きを描くことにしたのである。

 二足歩行の犬がイカダで冒険をすると云うストーリーを持ったパラパラ漫画だった。

 腐った檸檬のような、ぬるい笑顔を浮かべながらパラパラ漫画を何巡か読んでいると、後ろから声を掛けられる。

 

「へ~、暇なんですか、そうですか」

「うむ。見て分からんか。我がメイド、雪よ」

「ええ、貴方が大量の書類をほっぽりだして芸術にうつつを抜かしている事はよく分かりましたとも。我が主、シェンフォニー様」

 

 背後に立つ雪の額には青筋が。男、シェンフォニーの眼には感情が宿って言の葉を紡ぐ。

 表情に反省は見られない。

 

「この仕事は暇なものなのさ」

「生きるって、そういう事です!」

 

 シェンフォニーの頭頂部に燻製の塊が入った包みが叩き付けられた。

 先ほど雪が漁師にお裾分けで貰った大型魚で作ったもので、食べ方の例としてはスライスした燻製に蕪と茹でた葉野菜を加え、オリーブオイルと塩胡椒を掛けてサラダにする等がある。

 そして、叩き付けられた音は深い味わいを持っていた。

 

 ◆

 

 彼女が気付いたそこは、小動物を抱き寄せたかのような感触を思い起こさせる柔らさだった。白い毛が生えているのは覚えているが、彼女は果たしてその名を知る事は無い。

 小動物と違うのは獣臭くない事と、食べられない事と、そして包まれるのが自分の側であると云う事。

 彼女が起きたそこは、ベッドの上だった。

 白いシーツ、白い布団の天蓋付き。二人用だが二人で寝るにやや狭く、一人で寝るに広過ぎる。クイーンベッドと呼ばれる寝台で、シェンフォニーの館の客間に備え付けられているものだ。

 井時さんによって運ばれた彼女は寝かされ、いよいよ目覚めたのである。

 

 上体のみを起こし、身体を入念にチェック。

 ここまで来るのに相棒を務めてきた麻の服と革のチュニックは脱がされて見当たらず、されど代わりに絹の寝間着を着せられていた。少しサイズが合わないが、気にするほどでもないし、寧ろ肌触りの気持ち良ささえ感じる位だ。自分の肌が過敏だとは思わないが、特に胸の先端部が心地良い気がする。

 きょろきょろと左右を確認した後、また右を確認した時に扉は開いた。

 入ってきたメイドは水と、穀物特有の独特な甘い香りを中から漂わせる椀を乗せた盆を持って立っていた。微笑を浮かべる様はカーテンの隙間から除く陽明かりの当たり具合と相まってこの世のモノとは思えない。だから、無意識に口遊む。

 

「……女神様?」

「どうも、お食事を……えっ!?その反応は予想してなかった」

 

 微笑みは苦笑いに変わり、そのメイドから神々しさが抜け落ちると、彼女は今を現世だと認識して、だからこそ興味は専らメイドや現状よりも空きっ腹を満たす事に集中するようになる。

 そんな事は梅雨知らずにメイドはまんざらでもない気持ちを隠す気も無く、少しだけ顎を上げた状態で微笑みを直したが最早台無しである。

 

「ふ、ふふふ。私は女神ではないのですよ

私はこの館でシェンフォニー様にお仕えしている銀田一と云う者です」

「あ、うん。知ってる!それよりごはん!」

「突然態度裏返したな君!」

 

 そうはいうもの彼女にとっては死活問題だ。なんせお腹が空くと力が出ない。

 一拍置いて溜息と同時にヤレヤレと、でも拾ったのは自分だからと己に言い聞かせながらこの『お姫様』の口に粥を入れた蓮華を持っていこうと近付く。

 玄米の他に雑穀や刻んだ菜を入れた、消化に良い粥。熱くならないようにスプーンでは無く蓮華にし、水分も必要だろうと水も用意した。

 そして彼女はそれを嘲笑うかのようにガツガツと消化に悪そうに一気に食べる。

 名乗るくらい良いんじゃないかなぁと、雪の思いはあるものの、思うだけで通じずに目の前には雪から奪い取った蓮華で飲み物よろしく井の中へ掻き込む少女が一人。

 素体は良いのになぁ。そう、雪は思った。

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