手紙と電球
鍍金 紫陽花(めっき あじさい)
2日
その日、ある掲示板が荒れていた。指がスマホの上を滑っていく。
「イラストか」
手足の曲がった二人の少女が囁き合う絵だった。
画像の元を探していると、TwitterのIDを見つける。俺は要らないアカウントでフォローしてみた。頭の中で何様なんだよお前は、って声がする。
相手のアカウント名は『ユカリ』だ。すると、すぐ様相手から反応があった。
『フォローありがとうございます! 絵を投稿していくので不快な思いをしたらリムブロお願いします』
ユカリのフォロワー欄を閲覧する。アニメアイコンやユカリよりヘタな絵が投稿されていた。
俺は相手へ返事する。
「頑張ってください」
俺は人の努力を嘲笑う。改善しないクズが生きているふりをした。そうして、自分を守っている。奥歯の上下を擦り付けた。
『ありがとうございました』
スレの投稿が終わった。それで、作品を賞賛する人が増えている。大量の絵が貼られているなかで、俺の疑問が浮いていた。
『つまんな』
俺はインターネットの画面を消した。スレッドの最後には馴れ合いじみた応援が始まっている。俺は鞄の裏につけたアニメのキーホルダーを弄る。
「……ありがとうございますってなんだよ」
鐘の音が響く。スマホをカバンに隠す。教室に生徒達が気怠く入ってくる。独りでいることが当たり前になっていた。
「ねえ、明日って時間割変更あるかな」「あれ? 1人足りなくない?」「さっきのモノマネもう一回やってよ」
俺は背中を丸めて教科書を直す。先生が来るまで心の耳を塞いだ。
「遅れた。始めるか」
「先生遅いー」
ホームルームが始まって、俺は鞄を既に背負っていた。どこにも居場所がないから、自分の部屋に閉じこもらないと安心しない。
「よし、起立。今日から掃除当番のやつは確認しておけよ」
早急に立ち上がって挨拶を済ませる。人並みをすり抜けて階段へ向かう。
「わっ」
その時、正面に人が現れ俺は横に逸れた。女子が廊下に倒れてしまう。片足をつけ呻く相手に謝る。
「ご、ごめん」
「ううん。私も見てなかったから」
同じクラスの女子だった。しかし、名前を思い出せない。
「あれ。なにしてんの」
俺は逃げるように立ち去った。階段を降りて靴箱に手をつける。そのとき、あることを思い出す。
『今日から掃除当番のやつは確認しておけよ』
「まじか……」
俺は来た道戻る。生徒が部活に急ぐのか肩を掠った。悪いって声が廊下に響く。階段を登ったら雑巾を絞る彼女がいた。誰かと楽しそうに話してる。
俺は掃除道具を取り出す。先ほどの女子も扉を超えた。そして、男子の数が少ないことに気付かされる。
箒を使っていた他の女子も、男子の少なさに気付いたようだ。
「あ、またサボってる。男子っておかしくない?」
「誰かに押し付けるなんて最低じゃない」
「ていうかさ、君なんて名前だっけ」
埃が箒の先に付いた。ゴミが一点に集められて黒くなる。俺はチリ取りを掴んだ。
「ユウキくんだよ」
「ユウキくんも、もうちょっとちゃんとしてくれない?」
乾いた喉が張り付く。声が掠れて空気が漏れていた。笑顔を無理やり作って答える。
「ご、ごめん」
「なんで謝るの。私たちが悪いみたいじゃん」
女子は机を持ち上げている。すると、視線を感じ振り向く。
放課後に机を後ろに置く音、時間をなくす曇り空、薄暗い教室で俺を見た。
「ちりとり、私がやるよ」
女子の胸に『鹿野』と制服に縫い付けてある。先程は鹿野と衝突してしまった。
「え、うん」
彼女は髪の毛を後ろに纏めていた。手元はチリ取りでゴミを一つの丸にしている。
「気の強い女子って怖いよね」
「……そ、うだね」
「ユウキくんは真面目だよね」
「弱虫なだけっ。し賞賛するところじゃない」
「そっか」
集めた埃は中に入ってくれない。一つの線になって抵抗が続く。その都度、彼女も下がってくれた。
「俺と一緒にいたら嫌じゃないの」
「どういうこと?」
「退屈じゃないってこと」
「私、ふざけてるの嫌いなんだよね」
鹿野はゴミ箱の中に全てを放り込んでいく。床に置いてから彼女は、手を叩きゴミを落とす。
「あ、ありがと」
「なんで恥ずかしがってんの」
「感謝より謝ってばかりだったから」
「ユウキくんはドジなんだね」
冗談だと受け入れる余裕がない。人と話すだけで気力がなくなる。
「自分でも分かってる」
「はいこれ」
彼女は何かを握っている。手のひらを下に忍ばせた。何か固いものを乗せられる。
「君の落し物でしょ?」
それはアニメのキーホルダーで、紐の部分が壊れてしまっていた。
妙な耳鳴りがする。彼女の顔を見られない。周りの目が気になる。
「ぶつかった時に落ちてたんだ」
「あ、ありがとう」
捨てよう。学校に持ってくるのが間違っていた。気の緩みが自分を苦しめる。それなら、一生絞め続けなければならない。俺はゴミ箱に入れようとした。
「待って。私が保管する」
「へ?」
そこで待っていて、と彼女は階段を降りていく。他の女子は俺の顔を確認したら姿を消した。吹奏楽部の音色が下に零れてる。運動場から野球部の掛け声が悲痛混じりで届いた。俺は居ない時間に放り出される。
あまり調子に乗らない方がいい。俺は聞こえてきた声に従った。人の約束を律儀に守ってしまう。すると、静粛を切り裂く君が来た。
「待たせたね。ユウキくん、行こうか」
「う、うん。鹿野さん」
「鹿野でいいよ」
鹿野は気遣って話をしてくれる。でも、俺の何かを探ってるような気がした。ついに、あることを切り出す。
「あのさ、アニメって好きなんだよね?」
「え、ど、どうかな」
「あれって萌えーっていうアニメのキャラだよね?」
俺は観念して素直に答えた。もう気持ち悪いと思われて構わない。
「そんなに悪い?」
「いや、アニメ好きなら聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
「うん」鞄から紙切れを取り出す。立ち尽くす俺に白い紙を受け取らせた。
「裏返して」
少女が描かれていた。
「鹿野が描いたの?」
「そう! これ、萌えるかな」
「俺は好きだけど」
「そうかな。うへへ」
彼女は俺と目を合わさない。紙を素早く回収しカバンに押し込む。紙はシワだらけになっている。
「私は萌え絵を上達させたい」
「何で?」
「なんでも」
「答えになってないんだけど」
「バカにされないんだ。そこで提案なんだけど」
放課後に絵を見せるから評価をつけて欲しい。俺は冷静に戻れなかった。
見せてくれた絵は、先日パソコンで晒されていたからだ。スレの張本人は鹿野かもしれない。
「ライン交換しよ。あ、ラインでは形に残っちゃうから見せない」
「絵を描くってすごい事なのに」
「下手くそだから、君にだけ見せる」
自分じゃない気分だった。体験談として聞かされた方が現実味がある。友達が追加されました。俺のラインの友達欄に女子が加わる。
「また明日ね」
「俺、絵とか分からないけど」
「いいからー!」
俺は彼女を知りたくなっていた。
翌日、俺は普段通りに登校する。靴を履き替え自身の椅子を引く。鹿野は見つけられずTwitterを漁った。彼女はTwitterで精力的に活動している。気まぐれでリプ欄を覗いてみた。
『ユカリちゃん。今日のパンツ何色?』
鹿野はTwitter上で女子だと断定されていた。傲慢なアカウントがエロ垢と免罪符を付け迷惑かけている。彼女は自己顕示欲が強く伺えた。
「鹿野ちゃんおはよ」
俺は寝たふりのまま扉を確認した。友達の呼びかけに答えている。
「鹿野ちゃんって優しいよねー」
「え?」
「だって、昨日」
携帯の画面は暗くなっていた。そこに映る俺の顔はひどく見てられない。どこかへ走り出したい気分だ。
「ああ。ユウキくんからヲタクのことを聞いてた。詳しそうだからこの際いいかなって」
「あ、やっぱりそうなんだ。意外性はないね」
聞こえないフリを抵抗するように徹した。俺は画面を明るくしてTwitterでイイネを送る。次に、スレにコメントをつけた。
『ヘタクソ』
スレは大盛り上がりだった。暗い感情が胸へ沈殿していく。他人が俺へ言い過ぎだと忠告してくれる。それが燃料になって心を動かした。全てをさらけ出したい。横たわる現実で彼女を傷つけたかった。俺は何をしているんだ。なんで嫌味を文字にしている、ネットの言葉は一生消えない。それが分かってるつもりなのに、形にしてしまった。
『なんで今頃あげてるんだろ』『何に満足したいわけ』『人に見せられるものじゃない』
放課後に、俺は屋上に続く階段で鹿野が到着するまで待つ。馬鹿な純粋さを笑ってるのか、指定時間より遅れて駆け上がる。
「ごめん。待たせたね」
彼女は肩で息をしていた。前髪は汗で乱れて散らばっている。階段から降りて目線を合わせた。
「彼氏は心配しないの」
「今は彼氏いないよ」
鹿野は紙を取り出す。汗を垂らして息が荒い。急がなくてもいいと告げた。
「でも、早く見せたいから」
「……俺、本当に絵のこと詳しくないよ」
彼女の横顔を見ていると、朝の出来事を思い出す。俺は憶測で悪口を書いてしまっている。突発的な行動で人を傷つけてしまった。
「はい。これ」
描かれた絵は変わり映えしない。少女が廃墟で俺を睨んでいる。関節がおかしいと伝えた。
「あのさ。三十秒ドローイングって言うのがあるんだけど。それをネットで検索して実践したら」
興味津々で目を見返してくる。きっと本音に届いていない。
「わかった。やってみる」
「あとさ」
俺の方が身長高かった。朝みたいに尻尾は踏まれても、この密会を誰も知らない。
「俺は勧めないけど、ネットにあげて評価を貰うってのもあるらしい。例えばTwitterとか」
二人は靴箱まで進むけど、生徒が素通りしても平気そうだった。朝の失言を掘り返してこない。
「実はTwitterに上げてるんだよね」
「え、そうなんだ」
「だけど、それまでかな」
正面に先生が向かってくる。瞳は背後の教室を捉えていた。挨拶して媚を売る。先生は適当に返事した。
「ほかの場所にはあげてないってこと?」
「そうだけど」
「……」
「ねえ、ユウキくん。あの――」
彼女より先に外へ出る。俺が校門を出たら行動を起こす。二人で一緒にいることは、誰かの噂になるから気を配らないといけない。だとしたら、何で悪口を書いた。
絵への悪口は他のコメントで流される。まるで跡形も無く俺だけが覚えていた。今まで他人の悪口は腐るほど吐いてきたから、正当化しようと考えない。ただのクズが人の評価出来るわけがなかった。
『ずっと右向いてるじゃん』
彼女をどん底に落としたい。プライドの高い童貞は純粋な彼女に嫌悪した。鹿野は自分さえ良ければいい人間だ。
Twitterのフォロワー欄から捨て垢を見つける。痛い人間を監視するスレッドを発掘した。そこから彼女の名前を探し当てる。ユカリは別名で呼ばれ語録が纏められていた。
そこは住人の言葉で汚れている。
『早く脱げよクソ女が』『自分の価値を考えろよ』
言葉の汚い海にたどり着く。なぜか俺の指が震えていた。
そして、専門スレの誘導を見つける。
「スレはこの人たちがあげていたのか」
彼女の呟きをネタにして楽しんでいた。そこでコメントを書いては消す。俺はTwitterのフォロワー欄に戻ってくる。彼女への返信はセクハラと応援コメントがあった。
ラインに連絡が来る。相手は鹿野だった。
『キーホルダー返すの忘れてた』
『明日、返して』
『良いけど、もう捨てないでね』
俺は明日になって欲しくなかった。今日は沢山悪口を書いてしまっている。
『今、どこにいる?』
『え?』
既読が付いている。悪口がバレたのか不安になっていく。でも、気付かれてもよかった。彼女と居たら息苦しい。
『ちょっと〇〇駅まで来てくれない?』
『明日じゃダメなの』
夕方の空は今にも降り出しそうな雲に塞がれている。自転車の鍵を机の上からポケットに移動させた。折り畳み傘はどこに置いたのか。
『気持ちが変わる前に来てほしい』
急いで自転車に乗った。いや、そんなわけが無い。童貞を笑いたいだけで、彼女ひとりでいるわけなかった。世の中は俺に優しくないと思い出せ。でも、駅まで全力で漕いだ。
学校をすぎて駅につく。制服姿の鹿野がいた。柱に背をつけ携帯を触っている。
「どうしたの」
「あ、ユウキくん。お腹すいてる?」
「え?」
「いや、さ。見てもらうだけってユウキが損してるじゃない?」
彼女は言い訳を用意していた。心の読めない人だから警戒している。
「だから、ご飯でも奢ろうかなって。いいでしょ?」
バーガー店に入った。行列も話していたらすぐに来る。注文を終えて席についた。有名なバーガー店は人の出入りが多い。
「いやー、ユウキくんは話せる人だね!」
「俺も鹿野がアニメを見てるとは思わなかった」
相槌の愛想笑い、ハンバーガーに手をつけた。まだ暖かい包みをあける。
「私がいつも絡んでいる人って、アニメ見ないんだ」
「そうだろうなって思う。雑誌のモデルの名前とか詳しそう」
正解だからポテトを上げるね、手前トレーに一つのポテトを置いてくる。自分の分があると変わった行動に笑った。
「鹿野さんがアニメ好きだったなんて思わなかった」
「父さんがアニメが好きでー」
鹿野の父親はアニメが好きでブルーレイを大量保有しているようだ。そして、アニメーターになりたいのは昔からの夢だったらしい。でも、なぜ今になって努力を始めたのか。
「今まで、私みたいな人ができる仕事じゃないって思ってたんだ」
手先は不器用だし周りに合わせなくちゃ生きていけない。自分らしさを出す場所がなかったようだ。
「でも、私たちって来年は受験生でしょ? だったら、今のうちに初めてやろうって思ったんだ。なんか、未練になるから」
「鹿野さんは好きなものがあって羨ましい。俺は何もやりたいことなんてない。夢がないことを否定されてる気分になる」
「夢を見ることは道を狭めることだから、ユウキくんはこれから色んなことを学べるね」
会話が止まらなかった。鹿野が遅れて完食して全てを直す。外に出たら夜が迫っていた。
「家まで送るよ」
「男の子だね」
「そうかな」
「……あのさ、私謝らないといけないことがあるんだ」
自転車の鍵を解く。駅から近いらしく、一緒に歩いて帰宅した。
「私テンパって君の趣味を言っちゃった」
「……」
「ずっと気にしてたんだ。人にやられて嫌なことをしたって」
「鹿野、もういい」
「私、馬鹿だから。自分を一番大切に思ってるんだ」
自転車のチェーンが錆びているから、情けない声で鳴いている。車輪と回る音が騒がしければ良かった。外に出なかったら、向き合わなくて済んだ。
「それなのに、ご飯で誤魔化して、調子に乗ってるって思われてる。それに、きっと私は私を変えられない」
「鹿野、聞きたくない」
「ごめん。それでも、私は」
通行人が俺たちを気にするように過ぎていく。隣の表情で仰天して喧嘩と間違えている。やはり、鹿野は自分本位だ。そして、俺も救えないほど自分しか見えていない。
「私は絵を見てほしい。アニメを話す友達が欲しい。ごめん」
「鹿野は、立派だ。俺なんかよりずっと……」
「慰めないでよ」
携帯でスレを再度開く。彼らは彼女を馬鹿にする動画を完成させていた。動画サイトにあげるのを楽しみにしている。
『つまんな』
何の抵抗になる。懺悔のつもりか。彼女は自分に向き合ったのに、俺はネットに逃げていた。
彼女の家に近いところで解散する。自転車に跨り遅く帰った。キーホルダーをポケットの上から落としてないか確認する。
「くそっ」
立ちこぎで赤信号を進む。自宅で自転車を直したら携帯を取り出した。充電器に指しつつ文字を打つ。
「……文字じゃダメだ」
電話をかけた。彼女は困惑気味もしもしと言う。俺だと伝え一息で話した。
「今から貼る直接リンクを踏んでほしい。そして、俺は鹿野の絵を前から知っていた。鹿野は無断転載されて笑いものにされている。動画は俺が作った」
頭が熱い。靴下を履いたままだ。充電器が邪魔で動けない。親は静かにしてほしい。
「俺は、元々鹿野のこと嫌いだった」
「うん」
「鹿野は覚えてないだろうけど、俺で笑っていたことがある。でも、いい所もあるんだろうなって納得させていた」
自分の部屋で天井を見る。そこは電球がぶら下がって、何処へも行けない部屋。
「案の定、趣味はバラされるし、明日から学校行きたくない」
「……」
「だから、鹿野も俺を嫌ってくれないか。俺は絵のことなんて分かりたくもない。鹿野といたら、俺は自分の愚かさを思い出してしまう」
「何で」
「俺は人と話す楽しさを知ってしまった。こんなことなら、ひとりでいたかったんだ」
俺はラインを消した。最後のリプは直接リンクという俺らしさがある。
▼
それから鹿野と話していない。俺は変わった2日を糧に生きていける。
「あれ?」
机を覗くと一つの手紙が入っていた。中身は見覚えのある絵と一つの文が一緒にある。
「……え? マジで。ユウキくん、泣いてるんだけど」
俺は許されたかったわけじゃなかった。なのに、これは何を意味してのだろう。まだ若いから知らないことが多すぎた。
もう少しで秋になる。梅雨模様も何時か晴れていく。
手紙と電球 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou
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