5.
「ははっ!
何が可笑しいのだろうか、
その哄笑は四角く密閉された空間では、然程大きく反響することはない。
「変化がないと言えば――そうさ、この催眠術だってそうだ」
洞ノ木君は努めて明瞭な声で語るのだが、話の内容はいっこうに明瞭とはならなかった。というのも、話を向けられている僕の注意が内容理解へ向いていないのだから当然ではある。
では、僕の注意が向いている先は何かというとそれは――、
*
「暮樫、そうだね――催眠術というのは交霊術……霊を呼び出す儀式における基本でさ、参加者の意識を同調させるのに定番の手法なのだね――」
「はあ」
「怪異に詳しい君ならばおのずと理解できる話だろう?」
理解できようができまいが、その大部分は耳に入った端から聞き流されている。
洞ノ木君の話は、そのときの僕の中ではほとんど、発話された音声以上の意味を為していなかった。
*
「……あなた、兄さんに幾らそんなこと言っても徒労だと思うのだけれど」
洞ノ木君の問いに答えたのは、しかし
挑発するかのような言鳥の声色に、洞ノ木君も対話の矛先を寄せ替える。
言鳥は膝上の箱型カメラを抱えて、ぎゅっと身を強張らせていた。
「おや。君はそこで安静にしてくれていれば十分だと、そう言ったはずだが……?」
「だから、誰があなたたちの言いなり……けほっ、なんかに……っ!」
「ちょ、ちょっと言鳥! 無理しちゃ駄目だよ」
そんなにも見るからにつらそうで、苦しそうであるのに。
「……兄さんは黙ってて」
かすれかけた声で反論を受けるが、やはり心配である。
言鳥は僕の傍らで椅子にもたれかかっているのだが、さてもじっと洞ノ木君を睨みつけたまま肩で息をしている。
*
暗闇が僕たちを追い詰めていた。室内の光源は正面に照らし出された方形のスクリーンの、その白い光に頼るしかない。教室であれば本来そこにあるであろう前後のドアは見当たらず、窓も暗幕に閉ざされている。
ここがどこなのか、また今が昼なのか夜なのかも分からない。
周囲に並び立つクラスメイトの息苦しいまでにみっしりとした群れが、正常な判断を鈍らせていた。人の多い場所は苦手だ。
過刻に目覚めるまでの時間、僕はどれだけ気を失っていたのだろう。
僕はどういう理由で気を失っていたのだろう。
……何も分からない。分からないが、目の前で妹が満身創痍に陥っていることは明確に――明瞭に、分かった。
*
「そうさね……催眠術などで数十人の人間を
「……え?」
聞いていなかった。
ふと気づくと、
「……――洞ノ木君、あの、言鳥ちゃんと……それに、クラスのみんなは本当に大丈夫なの……?」
「ああ。それは須奧が気にすることじゃあないと、何度も確認しただろう?」
「それは……そうだけど」
洞ノ木君の威圧的とも取れる物言いに、須奧さんはしゅんとなって引き下がる。
*
「……まあ、我々としてもこれ以上隠し立てする気もないからね。お互いの齟齬を取り除く意味でも――ここらで少々種明かしをね、しておくのもいいか」
「いやあ、別に……」
何の話をしているのであろうか。
僕は妹を見る。その肩は震え、額には汗が滲んでいる。僕は気が気ではなかった。
妹のためにも、今すぐこの場から去りたいと思うのだが……。
「――ははっ。そうさ、その疑問が出てくるのはもっともでさ。通常の催眠術では、
こうも巧みに一般の人間を操ることはできない」
僕の意向にかかわらず、洞ノ木君の語りは続く。
早く帰りたい。
*
「このクラスの生徒たちはね、みんなはいわば夢――幻想を見ているのさ」
「幻想……?」
「そう。共同幻想、と言い換えてもいいかな」
共同幻想――。
同一の共同体にある者たちのあいだで共有される幻想。
閉じられたコミュニティの中で働く物語の力……。
「教室にとり憑いた女子生徒の幽霊の話は、暮樫も知っているだろう?」
*
幽霊。教室にとり憑いた幽霊……。
なんだっただろうか。つい最近耳にしたばかりのような……学校の怪談のたぐいとしては別段めずらしい怪談でもないが、どの話のことだったか。
教室の幽霊。
一番後ろの席。
リリーさん――。
一瞬、頭の中で何かがつながりかけた気もするが……どうしても妹の上気した横顔が目に入り、それ以外のことを思い出すのが億劫になる。帰りたい。
*
「今回みんなに見てもらったのはさ、生前の未練からこの世に縛られている彼女をクラス全員で成仏させてやろうという――そういうストーリーの幻想だ」
「いや、だからそれ何の話かって――」
「何だい、いい加減に白々しいのじゃないか」
「いやその」
「この話を提案してくれたのは暮樫、君だったろう? あれは実によかったよ」
「僕が……?」
「そうさ。さすが、生徒会の怪異アドバイザーの名は伊達ではないね。実によく役立ってくれたよ! あらためて感謝するよ!」
*
何度も訂正するようで恐縮であるが、〝怪異アドバイザー〟という珍妙な評判からして大いに誤解がある。独り歩きする虚名が僕の知らぬところで増殖し、膨張しているようで居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
どうにもむず痒い。
しかし、興が乗った洞ノ木君を相手に、今更それを指摘するのも面倒極まりない。
僕の評判など、どうでもよいのだ。
妹を連れて一刻も早く安心できる場所へ退避したいという一念が募った。
*
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