8.



 デパートの一件から数十分後。繫華街を離れ、僕たちは用水路沿いに伸びる細い路地を歩いていた。

 旧家が多く残るその地区は、まだ夕刻にもかかわらず通行人のひとりもなく、一帯は異様なほどに静かだった。立ち並ぶ板壁と格子戸。退廃的で褪せた空気が充溢している。両脇を囲む家々は軒並みどこも薄暗く、およそ生活の気配というものがしてこなかった。


「……須奧すおうさん、この先で間違いないの?」

「うん。地図によると、この先の道で合っているはずだよ」


 そう言って須奧さんはずんずんと足を運んでいってしまう。ろくに照明もないこの夕闇の中で、よく地図を見つつ歩き進められるものだと感心する。

 もしかすると、彼女がときたま独り言を漏らしているあの行為――あれが道に迷わない秘訣か何かなのだろうか。



                  *



言鳥ことり、この先だってさ」

「……」

「言鳥?」

「……うっさい」


 言鳥の返事は相変わらずにべもない。

 先導する須奧さんとは対照的に、言鳥はデパートを出て以来の道中、ほぼ無言を貫いていた。日ごろより言葉少なな彼女ではあるが、今のそれは元来の性格からというよりも、もっぱら体力的な疲弊が原因であるようであった。



                  *



暮樫くれがし君、ここだよ」


 やがて本日の最終目的地に到着する。


「ここが……、心霊スポット」

「うん。もともとは総合病院だったらしいのだけど、十数年前に閉鎖されてそのままになってるの」

「へえ……」

「なんでも、洞ノ木どうのき君のなんだって」



                  *



 廃墟――と言い表して差し支えない。住宅地を抜けた先にぽっかりとひらけた空白地帯。そこに突如としてそびえる灰色の建築物ビルディングは、見るに管理の手が行き届かなくなって久しいようだった。壁はあちこちひび割れ、周囲には竹藪が生い繁っていた。


「うわあ、これはぼろぼろだ。言鳥、気をつけないとね」


 病院を見上げながら、僕は後ろを歩く言鳥にそれとなく注意を促した。だが、言鳥といえば僕の言葉が聞こえているのかいないのか、「この病院は、まさか……」と何か深刻そうな様子で辺りを窺っていた。



                  *



「僕たちの高校からそんなに離れていないところにこんな建物があるなんて……、ちょっと知らなかったなあ」


 この場所は観光地たる城址公園からも徒歩圏内にあり、ぐるりと迂回すれば高校へも通じているくらいの立地であるのだが、目の前にはそれとにわかには信じがたい程度の荒涼とした景観が広がっていた。


「……暮樫君は高校に入学してからこっちに引っ越してきたんだっけ?」


 僕の独白に、須奧さんが質問を被せてくる。


「ああうん。この一年は寮暮らしでね。実家はもっと山間部のほうなんだ」

「なら、知らなくてもしょうがないのじゃないかな」

「そうなの?」

「うん。ここは中心市街地の坂下だし、最近の再開発地域からも取り残されちゃってるから。土地鑑がない人には見つけにくいかも」

「ははっ。確かに、土地鑑はないね」


 しかし、この廃病院の存在もそうだが、市内にこれほどの数の霊的なスポットがあったのかとあらためて驚かされる。あの案内地図を作った洞ノ木君はどのようなリサーチの仕方をしたのだろうか。



                  *



「それじゃあ暮樫君、言鳥ちゃん、中に入ろうか」

「えっ。ここ、勝手に入って問題ないの?」


 おもむろに入り口の鉄柵をがちゃがちゃと外し始めた須奧さんに些かの当惑を覚えて、僕は反射的に異論を挟む。

 心霊スポットをいくつも訪ねてきて今更の感想ではあったが、それでも不法侵入はまずいのではないか。しかし、須奧さんは事もなげに、


「え? 事前に許可は取ってあるよ?」


 と、きょとんとした表情で答えたものだった。


「……なんて、許可の手配をしてくれたのは私じゃなくって、洞ノ木君たちなんだけどね。えへへっ……」


 須奧さんは照れて笑う。どうやら、またも〝三埜奈みのなちゃん応援し隊〟の仕事であるらしい。毎度ご苦労なことである。



                  *



 ……だけれども、いくら洞ノ木君の手際がよいとは言え、こうもすぐに許可が下りるのか。いったいどういう手続きを取ったのか。


「あれ? もしかして……暮樫君、気づいてないの?」

「気づいてないって……何を?」

「この病院の名前。ほらここ」


 そう告げて須奧さんが示したのは、病院の入り口脇の外壁に嵌められていた横長のプレートであった。ところどころ錆びついたそのプレートには、一列の文字が刻まれており――、


徳命とくめい会……、超心開ちょうしんかい病院……?」

「うん。『徳命会』って、うちの高校の経営母体と同じトコじゃない?」

「ああ……、徳命会――そういえば、そんな名前だっけ」


 すっかり意識の埒外であった。


「だから、入る許可を取るのにも思ったほどに面倒はなかったって」

「なるほど。それで、『徳命会超心開病院』……か」



                  *



 徳命会は僕たちの高校だけでなく、市内の企業や団体の多くにかかわりを持つ組織だ。その委細を僕は存じ上げないが、徳命会が経営していた病院のひとつがこうしてここに放擲されていたとしても、なんら驚くことではない。

 しかしそこで新たな疑問が湧く。


「……あれ。でもそれだと、『徳命会超心開病院』の『超心開』って、どういう意味なんだろう?」

「超心開……は、じゃない?」


 すかさず、須奧さんが答えてくれる。


「アレって?」

「ほら、たぶん……『ちょう心理しんり領域開発システム』の略称じゃないかな」


 超心理領域開発システム……。どこかで憶えがあるような……どこだったろうか。僕はぼんやりと思いを巡らせるが、自己の関心外の事象なのかどうも思い出せない。


「そんなことよりほら暮樫君っ、早く行こうよ!」

「ああうん、ごめん。そうだね」


 そうして須奧さんの浮き立った声に押され、いよいよ僕たちは廃墟の病院へと足を踏み入れたのだった。



                  *








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