8.



「少々、話を戻しましょうか」


 針見はりみ先輩は場を仕切り直したようだった。

 先輩が今の今まで手にしていたはずの古ぼけた冊子は、僕が気づいたときには机の書類の山の中へと返されてしまっていた。目で探すもその所在はすでに分からず、そんな冊子など始めから存在していなかったのではないかとも思わされる。



                  *



須奧すおう三埜奈みのなさんは、暮樫くれがしさんに『心霊関係の相談がある』と言ったのでしたね」


 然り、そういう話であった。

 須奧さんはお化けや心霊にかかわる相談があって僕のもとに来た。考えようによっては、怪異が僕たちの縁を取り持ったとも言える。


「ですが心霊関係ということは分かっていても、ええ、具体的に何がどのように心霊的なのかが、須奧さんのお話からは読み取ることができないと――」

「はい。僕が拾い出せたのは、せいぜい件の幽霊発言くらいで……」



                  *



 僕は昨日の、須奧さんと対面した当初のことを思い出す。


 ――うん。その、暮樫君がお化けとか心霊とか……の相談を受けているって、その、聞いて……。

 ――


 それでもポルターガイストに悩まされているとか、死んだ恋人の声が聞こえるとかの悩みであればまだ分かりやすかった。


 ――あの、私の友達の女の子がね、同じクラスの、近くの席の男の子に伝えたいことがあるんだけど、どうしても伝えられなくて何をすればいいのか分からないっていう、そういう話なの。



                  *



 また心霊スポットに立ち入ってから友人の様子がおかしいだとか、呪いの人形にとり憑かれているといった話でも、どうやらない。


 ――私があの日つながろうとしていたのは、こっくりさんでやるような小さなものじゃくて、もっと強大で強力な――

 ――私は本物の言葉を求めているの。


 その後の宇宙云々という話も、前後のつながりがよくつかめない。

 須奧さんの身に何が起こっているのか――そこからまず分からないのだ。



                  *



「そうですね……」


 針見先輩はしばし黙考する。

 胸もとで絡ませていた細い指が何度か組み直された。


「暮樫さんは……ええ、須奧さんが『宇宙の意志』と言ったことを、霊的な話とは峻別して考えているようですけれども……」


 先輩は僕のほうを窺いつつ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「【宇宙】と【心霊】というのは、ええ、どうしてそう無関係な要素とも言えないのではないでしょうか」

「え。そう、なんですか……?」

「ええ、たとえば、千里眼せんりがん事件の御船みふね千鶴子ちづこはもともと超能力による心霊治療を行っていたそうです。その方法というのが――

「宇宙と合体……」



                  *



 僕の脳裏に須奧さんの台詞のひとつひとつが去来する。


 ――宇宙の意志を介して霊界と交信する、より高次の存在とコンタクトを取る……そうすることで私の精神そのものを高めていって……。

 ――私の力が強くなれば、あの子の想いを伝えることもできるのじゃないかって、あのときの私はそう思っていたの。



                  *



「ええ、そうやってを介することで、離れた場所の患者にも遠方から広く対応していたと、ええ、そういうことらしいですね」


 宇宙と心霊は無関係ではない。

 針見先輩の言い方から察するに、これはおそらく一個の事例というよりオカルト的な文脈全般において――という意味合いを含んでいるのだろう。

 それは。

 それは、つまるところ――、



                  *



「私見を、ええ、私の思いつくところを述べさせていただきますとですね――」


 と、先輩は前置きを挟んで続ける。


「宇宙的な意志との接続によって能力を高めるという類の言説は、スピリチュアリズムにおいてはさしてめずらしい考え方ではありません」


 例を引きましょうか、と針見先輩はやや視線を下げる。


「〝吾等われらの意識は、精神の奥底によこお菩提心ぼだいしんの働きによりて限り無く伸びて宇宙霊うちゅうれいと一致しようと求めて居ります〟――。これは先にもご紹介しました、福来ふくらい友吉ともきち博士の言葉ですが……」



                  *



 見ると、先輩の手元には分厚い革張りの手帳が開かれており、彼女は適宜それに目を落としながら説明しているらしかった。黒く大ぶりのその表紙には、先輩が友人と撮ったらしいプリクラが数枚ほど貼られているのが見て取れた。


「また、太霊道たいれいどうにおいては、宇宙の根源の霊たる『太霊たいれい』と融合することが説かれていたともいいますし、別のものの本には――」

「あのええと……、すいません先輩」


 僕は慣れない専門用語の羅列に、軽く眩暈を覚える。


「その宇宙の意志というのは、どういった意味の……」

「ええ、宇宙意志というのは、いわゆる――

「拡張された潜在意識……」

「はい。もっと嚙み砕いてしまいますと、神仏やあの世の存在のことですね」



                  *



 潜在意識。


 ――だから私の潜在意識、潜在能力に賭けてみようって。

 ――いちど力を引き出せればあとは相乗的に念波が活性化することを期待してね。


 ふっと、彼女の語りと先輩の説明が重なる。

 嗚咽混じりの彼女の声がフラッシュバックする。


「宇宙霊。宇宙意志。潜在意識――ええ、私たちの中の秘められた意識を、というのが、スピリチュアリズムや超心理学のひとつの目的だったわけです」



                  *



 ――私は自分の中の想念を平静に保つべきだった……だけど、ダメだった。

 ――私じゃ力不足だった。私だけじゃ、あの子一人の願いさえ叶えることができない……。

 ――ねえ、私はどうすればよかったのかな。これから、どうすればいいのかな。


 須奧さんの悲痛な、悲壮な訴えがよみがえる。

 彼女が求めた何がしかに、僕はどう応えればよいのだろうか。



                  *



「幽霊を見る、幽霊の声を聞くなどの心霊現象も、おおよそ潜在意識によって説明できる――なんて学説もあったようですね。ええ、訓練すれば誰でも霊能力を獲得することが可能だと」

「幽霊が見える根拠に、潜在意識が?」

「ええ、ここにも催眠術の作用が重視されていたみたいです」


 また催眠術だ。

 須奧さん自身は催眠術については触れていなかったと思うが……。


「昔――、ええ、昔と言っても明治の頃ですが、何度か流行ったのですよ、催眠術」


 そう言って針見先輩はふふっと穏やかに笑う。

 そんな雑誌とかテレビでよく見たよねみたいな言い方をされても。

 どうにも反応に困る。


                  *



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