9.



「――まあ、それはそれとしまして」


 針見はりみ先輩は静かに手帳を閉じると、雑然とした机の端に置いた。


「ここまで適宜に資料を参照させていただいて、なるべく正確さを期すよう心がけてきましたけれども――それもあくまで資料から読み取った私個人の見方ですので、ええ、当然、誇張や誤認もあるかと思います」


 伝奇小説のあとがきのようなことを言う。


「それこそ、須奧すおうさんが、ええ、須奧さんご本人が本当のところどのようなお考えをお持ちかは分かりません」

「僕はだいぶ本質を捉えているように感じましたが……」

「断片的な情報というのはそれらしく切り取ってそれらしい語彙で塗布すれば、概して、ええ、どうともにもつらなりを成すものです」


 そんなふうに言う先輩の真意がどこにあるのか、僕には分からない。

 何か、重要な部分をはぐらかされているような気がしてならなかった。



                  *



「納得がいかない、という顔をされていますね」


 見透かされている。


「いえ、そんな……」

「ええ、ですがそもそも、ええ、もとより暮樫くれがそさんはを求めて私のところへ来たわけでは、なかったですよね?」


 先輩に問われて思い出す。

 僕がわざわざ事前にアポを取ってまで先輩を訪ねたのは、生徒会長としての彼女の対人的交渉手腕に期待してのことであった。女子からの相談は、校内の女子コミュニティに馴染みのある人に助言を乞うのが早いだろう――そう思っての行動だった。


 それがまさか滔々と心霊科学の講釈を受けることになるなど、どうして予想できようか。――いや、待て。



                  *



「それを承知だったと言うのでしたら、なおのこと理由が分からないですよ」

「……そうでしょうか?」

「そうですよ。千里眼せんりがん事件の話とか、潜在意識の話とか……あれはぜんたい何の意図があったのですか」

「私は暮樫さんとお話ができて楽しかったですけど……」


 針見先輩は少し拗ねたような表情を見せる。


 それは、先輩はただ純粋に心霊関係で知っている知識を披露したり、意見交換がしたかっただけということだろうか? 仮にそうだとしても、しかし、それにしては先輩の話は須奧さんの独白と一致する点が多すぎるのではないか?

 ……分からない。



                  *



「うーん、そうですね……ええ、ではこういうのはどうでしょう? 便、と――」

「……方便?」

「ええ、面と向かって個人的な事情を明かすのは、やはり気恥ずかしいものです。それで彼女は自分が幽霊などと言って、話を巧妙に装飾している――」

「気恥ずかしいって……でも、須奧さんは友人の話だと言っていましたが」

「なるほど。暮樫さんらしいお考えです」


 針見先輩はまた可笑しげに微笑む。


「それもけっこうとは思いますが……ええ、言葉の通りにご友人のお話という可能性も大いにあり得るのでしょう」

「他に何か……」


 友人の話というのでないとすると……そういえば、相談を受けていたときに布津ふつが何か言っていたような……なんだったろうか。



                  *



「ええ、あえて直截に申し上げましょう。つまりですね、暮樫さん――」


 そこで針見先輩は腰掛けていた姿勢からやや身を起こし、僕の前へ顔を寄せてきた。スカートの衣擦れる音が、妙にくっきりと耳に聞こえる。


「――友人というのは須奧さんご本人のことで、話しかけたい男子というのは暮樫さん、ええ、あなたのことなのですよ」


 それは秘密を囁くような声だった。


「えっ……」

「幽霊を自称する発言をして直後に撤回したのも、心霊主義めいた話で捲し立てたのも、彼女の羞恥に起因する、ええ、照れ隠しゆえのことだったと考えるのです」


 ……確かに、教室での須奧さんの様子を見ている限りでは、照れ屋で引っ込み思案な印象があった。保健室登校が多いとも聞いたし、人との会話が不慣れという推量は当てはまるように思われた。


「だからそれはええ、婉曲的かつ直接的な相談で、彼女なりの精いっぱいの親愛の表現だったのでしょう。彼女のそれが恋愛的な感情によるものなのか、それともまた別の思惑によるものなのか――」


 そのところは私には分かりかねますが――と、先輩は言い加えた。



                  *



「そう考えるとですね、ええ、須奧さんが具体的なことを言えなかった事情が……いえ、、とも考えられますか」

「言いたくても言えない……」

「その点が問題になりますね。それは、直接的なことを明かせば恋愛事と受け取られかねないと思ったからか、あるいは……」


 ……何だろう。

 恥じらいと躊躇いに虚飾された不器用な恋愛相談。

 それ以上の何かが、まだあるというのだろうか。


「ええ、つまり須奧さんは暮樫さんに相談せざるを得なかったものの、同時に暮樫さんにはその核心を打ち明けられない状況でもあった、ということです」

「それは……」


 それは、いったいどういう意味で……。



                  *



「暮樫さんに興味を持っている方は、意外と大勢いらっしゃるのですよ。おそらくはあなたが思っているよりも、ずっと」


 針見先輩はそう言うなりぐっと身を乗り出す。先輩の顔が近づいて互いの鼻先が触れ合いそうになる。思わずのけ反り、僕は反射的に後ろに手を突くが、


「――うわっ」


 体重をかけた先の書類の山が崩れ、丸椅子からずり落ちかけた。僕はすんでのところで体勢を立て直す。そんな僕を見て先輩はふふっと笑った。


「暮樫さん、私はあなたに、ええ、ただあなたに興味があります」


 いま、この生徒会室にいるのは僕と針見先輩の二人のみ。外部の音はほとんど遮断され、静寂と紙束の壁が僕を囲う。

 

 薄められた針見先輩の瞳はその痩身に似合わず力強い。

 僕は兎の皮を被った獅子に射竦められているが如き気分だった。



                  *



「暮樫さんはいまやこの学校の、ええ、みんなのヒーローですから。どうかもっと自信を持ってください」

「それ、最近よく言われるのですけど、僕は全然実感ないと言いますか……」

「いえいえ、とても大切なことです。私が保証します」


 数秒、無言で対峙した。

 しかし程なくして針見先輩がすっと視線を外し、


「あら、もう時間ですね」


 生徒会室の時計に目をやる。

 見れば時計の針が予鈴の時刻にかかるまで、もう幾許もない。


「今日はこの辺にしておきましょう」


 そう告げて、先輩は「んっ」と軽く伸びをした。



                  *



 簡単に謝辞を述べたあと。

 片づけと生徒会室の施錠があるからと言う針見先輩に促され、僕は先に席を立った。しかし去り際、生徒会室を出ようとしたところで背後から呼び止められる。


「暮樫さん、どうか須奧さんと、布津さんと洞ノ木どうのきさんと烏目からすめさんと――あと、賀井藤がいとうさんに、ええ、どうかよろしくお伝えください」


 ついでと言うには注文の多い伝言だと、僕は思った。



                  *




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