3.



 暗くて気づかなかったのだが、廊下の右面はずっとひと続きの壁ではなく、部分的に何面かが雨戸になっていた。

 不動産屋が戸を引くと、きしみをあげて隙間が広がる。


 さっと光が差し込む。

 見るとそこは四畳半ほどの空間。

 上は吹き抜けで、外に通じているようだ。


 その狭い空間の真ん中にちょこんと――何かひとつ、石造りの穴があった。


「あれ、古いでしょう。御覧の通り――、



                  *



 井戸。

 アパートの中に井戸がある。


「あれがその、いわゆる〝皿屋敷さらやしきの井戸〟というものでして……、このアパートが〝妖怪屋敷〟と称される大きな理由なのでございますなあ」

「はあ……」



                  *



 皿屋敷――と聞いて、僕の興味のボルテージは急速に低下していた。

 不動産屋の話は続いていたが、それにも途中で飽きてしまい、ぼんやり暗がりの廊下を眺める。そういえば――実家にもこんなだらだらと長い廊下があった。



                  *



 幼い頃。


 家で妹と廊下を走り回っていて(たしか鬼ごっこか何かをしていたのではなかったか)、どたばたと騒がしくしていたところを、そのときたまたま来ていた親戚に怒られた――ということがあった。

 あのときはなんとも間が悪かったというか失敗だったなと今でもたまに忸怩たる念に駆られるが、いま思うに、妹はあの家の中で鬼ごっこをするのを妙に嫌っていた。


 お兄ちゃんと鬼ごっこすると、が来るからイヤ――!


 そんなことを言っていた。


 しかし今朝は仕方のないことだったとはいえ、妹を突き放して出てくるような結果になってしまい、彼女に申し訳ないことをしたなと思う。いつも妹には心配をかけさせてばかりだから、帰ったら何か安心させてやれるようなことをしてあげたい。



                  *



「――とまあ、そういうお話がありまして、お見せしたのですよ」


 話が終わったらしい。

 丁寧に語ってもらった手前、その内容を掻いつまんで述べると――。



                  *



 いわく、このアパートが建っている土地にはかつて、ある武家屋敷があった。

 それはなにがしという藩士の屋敷で、そこにまたなにがしという娘が下女として召し使われていた。


 娘は容姿も器量もすぐれた娘で、主人のお気に入りでもあったが、それが他の女中の嫉妬を買った。家中で虐げられていた娘はあるとき秘蔵の皿を割ってしまい、その罪科で殺されてしまう。


 娘の遺恨は屋敷の庭の井戸に残り、夜ごと井戸の底からイチマイ、ニマイ……と皿を数える女の声がやまなかった――と、それがおおよそのストーリーであった。



                  *



 世によく知られる皿屋敷の怪談と、大勢で変わりない。


 皿屋敷の怪談というと江戸番町皿屋敷、あるいは播州皿屋敷が有名だが――、その実、類似の伝承は全国各地にあるのだ。


 番町皿屋敷、播州皿屋敷、雲州皿屋敷 土州皿屋敷、江州皿屋敷、長崎五島列島は福江島の皿屋敷……加州金沢には城下に五、六か所もの皿屋敷があったという。

 そのどれもがめいめいオリジナルとして伝えられているのである。


 僕からしてみると、あえて長々と開陳されるほどに興味深い話ではなかった。



                  *



「その井戸というのが、これなのですな」


 不動産屋はその狸を絞ったような体躯のどこからそんな声を出しているのかという重厚な口調で語る。


「江戸の世が終わり、屋敷がなくなったのちもこの井戸だけは残され……その間に何度か住宅も変わったようですが、娘の怨念渦巻く宅地として今もここにあると、そういう沿革なのでございます」


 不動産屋の弁舌はまるで講談師のそれのようであった。

 ただ、話の合間合間にどうでしょう面白いでしょうという目線をこちらに投げてくるのが、なんともつらい。



                  *



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