4.
その話は聞いたことがあった。
正確には、読んだことがあった。
城下町の
それは中学時代、ひとり図書室に籠もって読みふけった郷土の民話集の中で幾度となく目にした話だった。
*
そうでなくとも、「天狗が宿る松の木」というのは、全国どこの地方に行っても、だいたいの地域で発見できる伝承であるのだ。
そうか、ここがそうだったのか……。
文献で知っていた知識と実物を前にした感覚が結びつき、胸中に何とも言い難い感慨が湧き起こる。この感動を得られただけでも、わざわざ朝早くから遠出してきたかいがあったというものだ。
どう言おうとも、実地で見聞してみないと分からないことはあるのだと実感する。
今後は実家にいるときよりも行動に自由が利くことだし、うわさや伝説のある場所に積極的に出向いてみるのも悪くないかもしれない――。
そう思った。
新生活への焦燥など、もはやどこかへ薄れつつあった。
*
「ほらあそこ、松の根元に祠がありますでしょう。あれが天狗様を祀っている
なるほど、指された先には赤い屋根の小堂が坐していた。
普段から丁寧に扱われているのだろう、小ぎれいな祠の前には供花と神酒が供えられている。
また祠の横には立て板があって、『
*
「……あの」
「はい、なんでしょう?」
「こういうふうに祀られているということはつまり、こちらは今もひとびとからの信仰がある……、ということなのでしょうか……?」
「ええ、大天狗六万坊と言えば、市内を中心に祀っている寺社もいくつかあったかと、そのはずです」
と、答えた不動産屋は少し考えて、
「そうですなあ、往時からすると寂しくなったと言いますけども……、それでもまだありますでしょう。
「それは、まあ……」
*
もちろん知っていた。
それどころか、六万坊の祠は暮樫の実家にもしっかり祀られていた。
ただ、これまであの家から外へ出た経験がほとんどなかったこともあって、それが現実にあるものだという理解が僕の中で追いついていなかったのである。
*
「さて――、庭のご紹介はこれくらいにいたしまして、そろそろ中のお部屋のほうに移らせていただこうかと思うのですが……」
「あ。そうですよね、すみません」
どうもすでに満ち足りた気持ちになってしまっていたが、まだ建物の入り口にさえ立っていなかった。これでは何のために来たのか分からない。
不動産屋の彼の先導を受け、僕はアパートの玄関へと足を向ける。
そんな具合でなんだかんだ浮ついていた僕は気づいていなかった。
そのとき、表通りからこちらをじっと見つめる人影があったことに――。
*
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