3.
「――見えてきましたよ坊っちゃん、あれがそうです」
粘質の声に告げられ、意識を揺り戻された。
声の主は件の不動産屋の男性である。
彼はハンドルを握りつつ、後部座席の僕をちらと見やって言った。
「お待たせしてすみません。なにぶんここら、道が狭いもので……」
「いえ、そんなことは……」
城下町の街路はたしかに細く、また多くが一方通行で、裏通りに入ってからは自動車一台がようやく通り抜けられるかどうかという道がしばらく続いていた。通り過ぎる家々も武家屋敷跡や古くからある商家等が目立つ。
*
ミニバンの車窓越しに覗けば、路地の突き当りに目指すアパートが見えた。
木造二階建て。杉板張りの外壁は古色を帯び、黒々とした瓦屋根には何度も修繕を重ねた形跡がある。見るからに年季を感じさせる建物だ。
あれが、僕の新しい住まい。
あそこでこれから三年間、僕は暮らすことになるのだ。
まだ遠いと思っていた未来が、にわかに現実と重なる――そんな感傷がじわじわと喉元までせり上がってくる。
*
到着すると、アパートの玄関前は意外にも開けていて、乗ってきたミニバン――不動産屋の社用車は、その敷地内に乗り入れて停められた。
車を降りて、視界がぱっと明るくなる。
庭が広い。
外から見ているのでは分からなかったが、そこは小さな公園程度の空間があった。
もっとも広いだけで花卉や植え込みがいくらか並ぶ他にとくべつ何かあるのではなかったのだけれども、それがぐるり板塀に囲まれている光景は、あたかも俗世から隠された秘密の箱庭の如きである。
そして何より――、
「大きな松ですね……」
思わず感嘆する。
アパートの前庭には一本の松の木が生えていた。
それは一抱えもあるほどの太く、大きな松で、幹と枝をアパートの側に寄りかかるようにして天高く伸ばしている。
*
「そうでしょう。あれはこのアパートが建つ遥か以前からここにあるものでして」
不動産屋の男性が見上げて語る。
「そしてこれはこのアパートをご紹介する際に決まってお話ししていることなのですが――、あの松には、とある謂れがありましてな」
「謂れ、ですか?」
「はい。見えます通り、立派な枝ぶりでしょう? あの松の枝にはですね、時おり天狗が降り立つことがあると、こう言うのです……。昔からの謂れでしてね、故に別に〝
*
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