5.
私の兄は霊の声が聞こえない。
幽霊の声や怪異の音を聞くことができない。
聞こえないだけでなく、そういうものたちの姿を見ることもできないし、あれらが発するあの匂い立つようなオーラの片鱗さえ、まったく感じたことはないそうだ。
幼少のみぎりより数多の怪異との共生を余儀なくされてきた私としては到底理解しがたいことなのだが、それを疑うのも
*
さて――。
指摘を受ける前にあらかじめ言っておくと、私が聞くことができるのは確かに〝人ならざるもの〟の声ではあるのだが――、それは何も幽霊妖怪といった如何にもな化け物のたぐいに限定されてはいない。
人外の存在――動植物から路傍の木石、果ては古道具に至るまで、それら異類全般、森羅万象山川草木……、想定し得る人間以外のおおよそすべてのものの声を、私は解することができた。
猫や犬や馬や牛はそれこそ言うに及ばず、また試したことはないが、おそらくはゾウやキリン、ハムスターやアルパカの声であっても、私の能力を以てすれば、すべて人語に置き換えることは可能であるだろう。
異類全般の声が聞こえるとは、つまりはそういうことであった。
*
「
あのお話に出てくる鳥獣の言葉が分かる頭巾、あれが標準装備されている状態――それが私だと思ってもらえると概ね実態に近いのではないかと思う。
*
そのあたり、兄はどうも思い違いがあった。兄は口では私のことを分かったふうなことを言っているが、その実、何も分かってなどいないのだ。
度し難い愚兄である。
*
この特殊な〝力〟のために、かつては随分と煩わされた。
何しろひとたび外界に出るだけで生けるもの死せるものすべての声が四方八方に飛び交っている。ぼそぼそと囁きがしていたかと思えばふいに一帯がしんと静まり返り、かと思うとすぐ耳元で談笑や破裂音がする。道行きでお囃子や倒木の音のみが派手に鳴っていた、なんてことも稀な経験ではない。
*
しかし現在ではその煩わしさもだいぶ軽減されつつあった。
言い換えると、私が自身の能力をある程度使いこなせるようになった。
子供のころに比べて、怪異系統の音声の取捨選択、オンオフの切り替えをかなり意識的にできるようになったし、生者と死者の声を取り間違えることもなくなった。
*
しかしそれは私がこの力を受け入れたことを意味しない。
自分のこの境遇を私が好意的に思ったことなど、ほとんどないのだから。
私は自分の力を扱いかねていた。
*
怪異に振り回され続けてきた私の子供時代であったが、家の立地の都合もあって、我が家に遊びに来るような友人にはあいにく恵まれたことはない。
ないが、私は家の中で静かに過ごせるのならそれで足りていたし無益に交友関係を広げる必要もないと思っていた。
――にもかかわらず、兄は毎日のように私を家の外に連れ出した。
と言っても、連れ出す先はいつも家の裏の山で、兄が言うには私が外に出たそうにして見えたということなのだが、まったく無用な心配である。
それに何かあってか、山でのことはあまり思い出したくないのだ。
*
では、家にいればそれで安息だったかというとそうではない。
むしろ家の中こそ怪異発生の温床であったのだ。
室内にいながらにして神隠しに遭うなど日常茶飯事、不思議な客が日替わりで出入りし、廊下を一歩間違えば異界に迷い込む――あそこはそういう家だった。
*
いつであったか、私がまだ小学校の低学年の頃のことだ。
叔父がどこからか妖しい人形を持ち込んだことがあった。
それら人形が昼夜問わず奇怪な物音をあげる。
あまりの騒がしさに私からも威嚇を試みるのだが向こうはいっこうに臆する様子もなく、しばらく私と人形のささやかなバトルの日々が続いた。
私はそれで子供なりに随分悪戦苦闘した覚えがあるのだが、一方の兄はといえば、私がドール遊びをしているくらいにしか思っていなかったようである。
*
それだけではない。
家の蔵でいわくつきの面を見つけたときの話。
その面は、
何重にも施されていたはずの封魔の印を兄がなんの気にすることなく解いてしまい――そのくせ本人は何が起こっているのか微塵も感知しておらず――、代わりに私が呪いの恩恵を被ることになった。
あのときは私も慌てていて、うっかり手を滑らせ呪いの発露を許してしまい、解放された面が私の頭の中途半端な位置に張りついたまま取り外せなくなるという事態に陥った。
おかげで数日のあいだシャンプーひとつするのにも難儀したが、呪いそのものにさほどの効力が残っていなかったのは不幸中の幸いであった。
*
そういった面倒事があることもあって、兄には不用意に怪異にかかわってほしくはなかった。
それでもそう毎度毎度上述のようなことが重なると私としてもフラストレーションが溜まるというもので、兄にもどうにかして怪異の一端を味合わせてやろうと、家の中に実際以上の数の怪異存在がひしめいて見えるように、兄の前でわざと大げさなリアクションを取ってみたことも何度かあった。
――が、それも兄はせいぜい私が大家族設定のおままごとをしている程度のことと受け取ったとみえて、結果的に私が道化を演じただけに終わった。
幼い日の私の黒歴史である。
決して遊び相手がいなくて寂しかったわけでも兄の気を引きたかったわけでもないことを、ここに言い加えさせていただく。
*
今でも兄はときどき子供時代のことを思い出しては私に尋ねてくることがあって、やれあのときの行動はどういう意味だったのかだの、あれはもしかするとあの妖怪に当てはまるのではないかだの、好奇心に満ちた目で訴えてくる。
鈍感もここまでくると病的であろう。
少しは空気を読めと言いたい。
*
そんな話を、間をもたせる意味も込めて、とある男の先輩に話していたのだが、
「ああ……、そうだよな。分かるよ、うん」
と、憐れみを含んだ感じで言葉を濁されてしまった。
これはこれでつらいものがある。
*
私の想いを理解しているのかいないのか、兄は今日も周囲の怪異からの呼び声に気づく素振りもない。
「どこまでも鈍感なのは変わらない、か……」
兄の耳に届くことがないように、私はまたひとつため息をつく。
〈「1.あの世からの呼び声は聞こえない」、了〉
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