第百五十六話 地獄の鬼
あの美しかった天鬼の姿は、もうない。彼は、真っ黒に染まったまがまがしい鬼。まさに、その姿は、妖王ではなく、地獄の鬼だ。
九十九が、吸い取ったはずの妖気をとめどなく発している。
その妖気が、二人の全身に伝わっていた。
「こいつ……」
「本当に、地獄の力を……」
天鬼の姿を目の当たりにした柚月と九十九は、愕然としていた。
先ほどまで、勝利を確信していたはずなのに、直後になって、天鬼は復活し、地獄の力を吸い取って、変貌してしまったからだ。
もはや、勝ち目がないように見える。絶望が、今にも二人に襲い掛かろうとしていた。
「やるしかねぇ……。柚月!」
「わかってる!」
柚月と九十九は、刀を握りしめる。奮い立たせるように。
自分達が、天鬼を殺さなければ、この男は、外に出て、聖印京へと侵入するだろう。
そうなれば、あの赤い月の日以上に被害が拡大してしまう。
最悪の場合、聖印京は、滅んでしまうだろう。いや、人間も妖も、滅ぶ可能性がある。自分達が、やるしかなかった。
柚月と九十九は、地面をけり、天鬼へと向かっていく。
柚月は、異能・光刀を発動し、天鬼に斬りかかるが、天鬼は、全身に煉獄の炎を纏わせ、先ほどとは、打って変わって、暴れまわるかのように、体を動かし、柚月を薙ぎ払おうとしている。
柚月は、すぐさま、距離を取り、入れ替わるように九十九が、突きを放つが、天鬼は、いとも簡単にはじき返し、九十九は、吹き飛ばされかけるが、後退して、体制を整えた。
――動きが、滅茶苦茶だ!こいつ、暴走してやがるのか!
先ほどとは、まるで違う動き、狂気の笑みを浮かべて戦った天鬼の面影はない。
地獄の力を吸い込み、煉獄丸と同化した天鬼は、制御ができず、暴走しているようにしか見えなかった。
これが、天鬼の望んでいた殺し合いだとでもいうのだろうか。
そうだとしたら、本当に狂っている。恐ろしいほどに。
柚月は、八雲聖浄・光刀と真月輝浄・光刀を同時に発動し、天鬼を切り裂こうとした。
しかし……。
――っ!
「八雲様!」
八雲と煉獄の炎の纏わせた天鬼の腕がぶつかり合った時、わずかながら、八雲から苦悶の声が聞こえる。
この煉獄の炎は、八雲にも影響を及ぼしているようだ。
おそらく、煉獄の炎に焼かれているように感じたのだろう。
柚月は、技を中断させて、距離をとった。
――問題ない。続けろ。
「ですが……」
技を発動するように言う八雲であるが、
柚月は、八雲の身を案じて、ためらってしまった。
天鬼は、その隙を逃がすまいとするかの如く、柚月に襲い掛かった。
「柚月、あぶねぇ!」
九十九がいち早く、柚月の危機に気付き、前に出る。
天鬼は、九十九を殴りつけ、九十九も右わき腹は、重傷の火傷を負ってしまった。
「がはっ!」
「九十九!」
殴られたせいで、九十九は血を吐き、倒れる。
天鬼は、さらに容赦なく、九十九に殴り掛かるが、柚月が、九十九の前に出て、食い止める。
柚月は、八雲を使用できず、真月だけで防いだ。
だが、真月だけでは、食い止めきれず、真月が、熱によって解け始めた。
――何をしている!私を使え!
「できません!そんな事をしたら、あなたは!」
八雲は、自分を使うよう、叫ぶが、柚月は、それを良しとしない。
柚月は、真月だけで天鬼を振り払い、薙ぎ払うように真月を振るうが、天鬼が、柚月の左腕をつかむ。
柚月の左腕は、煉獄の炎に焼かれ、重傷の火傷を負った。
「しまっ……」
柚月は、抵抗するが、激痛により力が入らない。
天鬼は、容赦なく、煉獄柱と煉獄波を同時に発動した。
「あああああああっ!」
「柚月!」
煉獄柱と煉獄波が柚月を襲い、柚月は、絶叫を上げる。
二つの炎が柚月を焼きこがし、裂傷と火傷を一気に負ってしまう。
炎が止むと、柚月は、力を失ったかのように、地面に倒れ伏した。
「てめぇ!」
柚月が倒れるのを目の当たりにした九十九は、怒り任せに立ち上がる。激痛さえも、忘れて。
九十九は、明枇を振り下ろすが、天鬼にはじかれてしまう。
それでも、九十九は、何度も明枇を振るう。
振るうたびに、天鬼にはじかれてしまう。
九十九は、天鬼の頭上へと明枇を振り下ろす。
だが、天鬼は、明枇を素手でつかんでしまった。
明枇を引き抜こうと抵抗する九十九であったが、天鬼は、煉獄檻を発動し、煉獄の炎の檻が、九十九に襲い掛かった。
「うああああああっ!」
四方八方から、煉獄の炎に焼き尽くされ、絶叫を上げる九十九。
炎が止むと九十九も、柚月の隣で、地面に倒れ伏した。
起こそうにも体が痙攣し、力が入らなかった。
――もう、終わりだ……俺達は……。
――勝てねぇ……。ごめんな、椿……。仇、取れなくて……。
ここで、柚月と九十九は、敗北を察した。
暴走し、傷一つ付けられない天鬼を目の当たりにし、あきらめてしまったのだ。
二人は、絶望し、目を閉じかけた。
だが、その時だった。
――らしくないわね、あなた達。
「え?」
声がする。とても、優しく、懐かしい声が。
柚月達は、声がしたかと思うと、見ていた景色があの地獄ではなく、真っ白へと変わっていく。
しかも、自分達は、立っているのだ。倒れていたはずなのに。
そして、柚月と九十九の前には、なんと、椿が立っていた。凛として、美しい椿が。
「あなたは……姉上?」
「椿……椿なのか!?」
目の前にいるのが、椿だとわかっていながらも、確信が持てない二人。
それもそのはず、椿は、もうこの世にいないのだから。
それに、なぜ、自分達がいるところは、真っ白なのだろうか。
ここは、死後の世界なのか、自分達は、天鬼に殺されてしまったのかと、混乱してしまっていた。
それでも、椿は、微笑んでいる。
柚月と九十九を励ますかのように。
「あなた達は、あきらめるの?ここで、あきらめてしまうの?」
「ですが……」
「柚月」
「はい」
椿の問いに対し、柚月は、うつむき、答えるのを躊躇してしまう。今の天鬼は、強すぎるのだ。自分達の力をすべて出し切ったとしても、通用しない。
勝ち目がないとさっとってしまったのだ。
だが、椿は、柚月をしかりつけるように呼ぶ。まるで、母親のように、優しく。
呼ばれた柚月は、とっさに、顔を上げた。
椿は、やはり、微笑んでいた。
「あなたは、本当に強くなったわ」
「姉上……」
「だから、自信を持ちなさい」
柚月は、椿に強くなったと褒められ、驚愕する。
椿は、幼く、自分に自身がなかった柚月しか、見た事がない。強い自分を見せられなかったまま、椿は、命を落としてしまったからだ。
だが、今、椿は、柚月が、強くなったと褒めている。
これほどまでに、うれしいことはないだろう。
柚月は、涙ぐんだが、ぐっとこらえた。
「……はい」
柚月は、うなずく。
柚月の表情に迷いはなかった。
「椿……俺は……お前を……」
九十九は、震えて言葉が出てこない。伝えたいことがあるのに。謝罪しなければならないのに。
いざという時に限って、何も伝えられないのだ。
これほど、臆病だったのだろうか。自分が、情けなく感じる。
だが、そんな九十九に対し、椿は、そっと、優しく頬に振れた。
「謝らなくていいのよ、九十九。……私ね、聖印一族として、生まれてきてよかったって思ってる。生まれて初めて、そう思えたのよ。だって……あなたに会えたんだもの」
九十九が伝えたかった言葉を受け取ったかのように、語りかける椿。
彼女は、心の底から九十九と出会えたことを感謝しているからだ。
その想いが、九十九にも伝わってくる。
彼もまた、涙ぐみそうになるが、ぐっとこらえた。
「愛してるわ、九十九……」
「俺もだ。椿……」
想いを確かめ合うかのように、伝えあう二人。
九十九もまた、迷いが消え去った様子であった。
「柚月……九十九を……お願いね……」
「はい。姉上……」
九十九を託された柚月は、うなずく。
そして、意識が現実へと引き戻される。
あの真っ白な景色は、何だったのか。なぜ、あそこに椿がいたのか。幻だったのか、それとも……。
いや、そんな事よりも、大事な事は、椿が自分達を励ましてくれた事だ。
あきらめるな、まだ、戦える。自分を信じて……と。
「まだ……やれる……」
「やって……やる……」
椿に背中を押された柚月と九十九は、力を取り戻したかのように、起き上がる。
そして、九十九は、柚月が手にしていた八雲を手にし、再び、天鬼の元へと地面をけった。
「九十九!」
柚月もまた、九十九の後を追うように、地面をけり、天鬼へと向かっていく。
「親父、行くぞ!」
――ああ!
九十九は、八雲と明枇を振り下ろした。
天鬼は、振り払うかのように、煉獄の炎を全身にまといながら、暴れまわる。
九十九は、何度もそれを防ぎきった。
煉獄の炎が、八雲にも影響を与えていることは、知っている。
だが、九十九は、それでも躊躇しなかったのは、八雲に触れた瞬間、八雲の覚悟を感じ取ったからだ。
「九十九!」
柚月も続けて、突きを放つ。
二人は、天鬼と死闘を続けた。
何度、はじき返されても、何度も、刀を振り続けた。
だが、天鬼は、煉獄艦を発動しようとしていることに気付いた二人は、すぐさま、距離を取り、かわした。
直撃はしていないものの、肌が焼けたように感じる。
それでも、ひるむことはせず、構えた。
「やはり、厄介だな」
「おう……。そういや、これ、返すぞ」
「ああ、ありがとう」
九十九は、柚月に八雲を返す。
柚月は、感謝しながら、八雲に触れた。
だが、その時だった。
二人が、八雲に触れた瞬間、八雲から光があふれだしたのは。
まるで、彼らと共鳴したかのように。
「っ!」
「なんだ!?」
何が起こったのかわからない柚月と九十九。
その眩しすぎる光に、天鬼も目がくらみ、目を閉じ、動きを止めた。
すると、八雲が、二人に語りかけた。
――お前達、二人の力を感じ取ったぞ。
「八雲様!」
「親父!」
二人が手にした瞬間、柚月の聖印能力と九十九の九尾の炎を感じ取ったのだ。
それにより、共鳴が起こったのだという。
今の現象を理解した柚月達であったが、さらに、八雲は、語り続けた。
――私の陰陽術で、お前達の力を一つにする。
「どういう事だ?」
――柚月の聖印能力・異能・光刀とお前の九尾の炎を一つにし、その両方をお前達が同時に使用可能にする。
八雲は、自身の陰陽術を発動し、異能・光刀と九尾の炎を柚月と九十九、二人が、同時に発動できるようにするというのだ。
確かに、光刀と九尾の炎が合わされば、天鬼に対抗することができるであろう。
それも、二人が使えるというなら、なおさらだ。
だが、柚月は、一つ、気がかりなことがあった。
「ですが、九十九の九尾の炎は……」
――私の聖印を使えば、命を削る必要はない。
「……そんな事、できるのか?」
気がかりな事と言うのは、九十九の九尾の炎の事だ。
もし、自分と九十九が、九尾の炎を発動しようとしたなら、九十九は、命を削ることになる。
柚月は、九十九の身を案じていた。
だが、八雲は、自身の聖印を使って九十九の九尾の炎を発動させようというのだ。
それが、本当にできるかどうかは、九十九も不安視していた。
――やるしかない。それしか方法はない。
もはや、迷っている場合ではない。やるしかないのだ。
だが、自身の九尾の炎は、命を削ることでようやく発動できる。
それが、八雲の聖印となり替わるのであれば、八雲の魂にも影響が出てしまうのではないか。
九十九は、そう思いためらっていた。
しかし……。
――九十九、八雲様に従いなさい。
「おふくろ……」
――八雲様を信じて……。
「……わかった。やってやろうじゃねぇか!」
「迷ってる暇は、ないな!」
明枇に背中を押された九十九は、決意し、柚月も、決意する。
二人は、目を閉じ、八雲は、術を発動した。
光刀と九尾の炎が纏ったように感じられる。聖印能力と妖の能力が一つになった瞬間であった。
目を開けた二人は、天鬼を見る。
光が止んだ瞬間、天鬼は、暴れまわるかのように、雄たけびを上げた。
柚月と九十九は、地面をけり、一瞬にして、天鬼の元へと移動する。
そして、二人は、同時に、天鬼に向けて刀を振るった。
八雲聖浄・光刀と真月輝浄・光刀では、通らなかった刃が、九十九の九尾の炎を纏った瞬間、天鬼を切り裂いていく。
それも、煉獄の炎が消滅し、再生能力ができないほどに。
だが、立ち止まっている暇はない。
柚月と九十九は、続けて、天鬼を切り裂いた。
天鬼は、何度も切り裂かれ、九尾の炎に焼かれ、抵抗すらできなくなった。
「おおおおおおおおおっ!」
柚月と九十九は、雄たけびを上げて、前と後ろの両方から天鬼を突き刺す。
光の刃に貫かれ、九尾の炎に焼かれた天鬼は、灰となって消失した。
二人が、ようやく天鬼を討伐した瞬間であった。
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