第百四十六話 決意

 赤い月の日から一週間が立った。

 あの悪夢から逃れ、生き残った人々は復興を始めている。

 だが、まだ、あの日の傷は癒えない。死者、重傷者数は、過去最大と言われているようだ。建物の損壊も、多いらしく、帝に支援要請を頼んでいるらしい。

 当然だ。誰も、予期せぬ出来事が起こったのだから。

 聖印京にいた黒い妖達は、浄化されたが、未だ、脅威は拭えていない。黒い妖達は、聖印京へと向かっているとの噂もある。それほどの数が、あの地獄に放り込まれたとは思えない。天鬼が、何か、仕掛けたとしか……。

 いずれにせよ、天鬼を討伐するしか、聖印京を救う方法は、残されていない。何より、天鬼は、宣戦布告をしたのだから。

 柚月は、一人、北聖地区を歩いていた。たった一人で。

 柚月が、たどり着いた場所は、蓮城家の屋敷だ。白冷に案内された柚月は、ある場所へ来ていた。

 それは、景時の部屋であった。

 

「景時……」


「あ、柚月君……」


 御簾を開けた柚月。

 景時は、寝たままの状態で、柚月を出迎えた。

 重傷を負った景時は、すぐさま治療を受け、大事に至ったものの、絶対安静を言い渡されたらしい。

 柚月は、景時のそばに歩み寄り、しゃがみ込んだ。


「大丈夫か?」


「うん……ちょっと、まだ痛むけど……」


「そうか……」


「でも、天次が……」


 景時は、無事ではあったが、相棒とも言える天次が、眠りについている。

 未だ、目を覚ます様子は見せない。

 天次の自我が芽生えた事は、柚月も景時から聞かされている。

 景時が言うには、天次は、もう、戦える体ではないらしい。

 それほど、重傷を負ってしまったのだろう。景時を守るために。 


「天次は、お前と共に過ごせて、幸せだったのかもしれないな」


「そうだね……。この子が目覚めたら、いろんなところに連れていってあげたいな。任務としてじゃなくてね」


「ああ」


 景時は、当初は天次を自由にしてあげたいと願っていたのだが、天次の言葉を耳にし、考えを改めたらしい。

 天次と共にいろんな場所に行ってみたいと。

 今度こそ、家族のように接したいと。

 もし、それが、実現した時は、天次の笑顔が見れるかもしれない。柚月は、その願いが叶うことを願った。

 


 景時と別れ、柚月が次に向かった先は、天城家だ。透馬に会うために。

 矢代が出迎え、柚月は、透馬の元へ案内された。

 景時同様、寝たままの状態で出迎えた透馬。

 だが、柚月の姿に気付いた透馬は、柚月と目が合うが、様子がおかしい。

 どこか、よそよそしかった。


「あ、えっと……」


「柚月だ。透馬」


「そ、そうでしたね」


 柚月だと名乗ると透馬は、敬語で話す。まるで、別人のようだ。

 実は、透馬は、一命をとりとめたものの、自爆の呪文を使った衝撃により、記憶を失ってしまったらしい。

 矢代の事も、柚月達の事も覚えていないのだ。

 原因は、不明。

 おそらく、体全体に衝撃を受けた事が原因ではないかと語るが、記憶が戻るかどうかは、わからないようだ。


「……体の方はどうだ?」


「だいぶ、よくなりました」


「そうか……」


 会話がどこかぎこちない。

 あの元気な透馬はもう戻ってこないのだろうか。

 いつも、ふざけて、柚月をからかっていた透馬の姿が遠のいていくような気がした。

 柚月は、どこか複雑な表情を見せていた。


「あの……」


「なんだ?」


「どうして、俺のところに?」


 透馬は、柚月に尋ねる。

 今の透馬にとって、柚月は、鳳城家の次期当主。

 かつて、共に戦った記憶は残っていない。

 地位は自分より高いはずなのに、なぜ、自分の所へ来てくれるのだろうか。それも、毎日のように。

 透馬は、それが不思議でならなかったようだ。

 柚月は、優しく透馬に答えた。


「……友だからだ」


「俺と柚月様が?」


「ああ」


 透馬は、驚く。

 自分が、柚月の友だと思ってもみなかったのであろう。

 透馬は、戸惑い始めた。


「……すみません、覚えていなくて」


「わかってる。でも、いつか……」


「はい。思いだせるように頑張ります」


「……ああ」


 柚月に対して、微笑む透馬。

 柚月も、微笑んだ。

 今は、まだ、思い出せないかもしれない。

 それでも、いつか、思い出せる日が来るだろう。

 その時は、今までのように、笑って過ごせる日が来る。

 柚月は、その日が来るのを信じていた。



 柚月が、次に向かった場所は、天城家だ。

 女房に案内された柚月がたどり着いた先は、夏乃の部屋であった。


「柚月様……」


「夏乃……」


 御簾を開けて、部屋に入った柚月。

 夏乃もまた、寝たきりの状態であった。


「すみません。来ていただいて」


「いや、いいんだ。気にするな。……体、動かないのか?」


「……はい。後遺症だと言われました。もう、二度と」


「……」


 柚月は、言葉を失った。

 夏乃は、一命をとりとめたが、聖印能力を無理やり全て使った為、後遺症が残ってしまい、体が動かなくなったという。

 起き上がることさえも、指を動かすことさも、難しいそうだ。

 今まで、綾姫を守るために、生きてきた夏乃。

 もう、それができないとなるとどれほど悔やんだであろうか。

 そう思うと、柚月は、心が痛んだ。

 彼の心情を察したのか、夏乃は、柚月に微笑んだ。


「綾姫様の元にはいかれましたか?」


「いや、まだだ。これから、行こうと……」


「そうですか。……行ってあげてください。綾姫様もお喜びになられます」


「……ああ」


 柚月は、願っていた。

 いつか、夏乃の体が、また再び動ける日が来ることを。もう一度、共に戦う日が来ることを。

 柚月は、信じていた。

 いや、自分がその方法を探そうとも決意していた。



 そして、柚月は綾姫の部屋を訪れた。

 御簾を開け、部屋へ入る柚月。

 だが、綾姫は、眠りについたままであった。

 綾姫は、一命をとりとめたが、目覚めていない。いつ、目覚めるかもわからないらしい。誰にも……。

 柚月は、綾姫の元へ歩み寄り、しゃがみ込み、綾姫の手を握った。


「綾姫……」


 柚月は、気になっていた。

 あれほど、聖水の泉は雨を降らせていたというのに、今ではすっかり元通りだ。減少しているはずなのに。

 その理由を柚月は、琴姫から聞かされた。

 あの日の聖水の雨は、綾姫が命を差し出して、作りだしたものだと判明した。

 聖印の力を送って、聖水の泉を増幅させていたのだと。

 つまり、九十九と同じように命を削って聖水の雨を生み出したのであった。

 綾姫の聖印の力と聖水の泉が合わさった雨は、降り注がれ、妖達を浄化し、聖印京を守った。

 だが、綾姫は、未だ、眠り続けていた。


「少し、聖印京を離れる。だが、必ず、戻ってくる。だから……待っててくれ」


 柚月は、そう告げて、綾姫と口づけを交わす。

 まるで、契りを交わすかのように。


「愛してる、綾」


 あの時、あの赤い月の日、綾姫に言えなかった言葉を告げる。

 柚月は、立ち上がり、綾姫に背を向けて部屋を出る。

 その直後、綾姫は、閉じた瞼から涙をこぼした。

 まるで、愛の言葉を聞いて、喜んでいるかのように。



 最後に、柚月は、本堂を訪れる。

 本堂には勝吏と月読が待っていた。

 勝吏と月読は、無事であったが、虎徹は、重傷を負ってしまい、眠っているらしい。

 意識はあるものの、回復するにはまだ、時間がかかるようだ。

 柚月は、風塵と雷塵について勝吏から聞かされていた。彼らが、天鬼の部下であること、そして、四天王は、天鬼によって殺された事を。

 風塵は、風の能力を使い、雷塵は、雷の能力を使う。聖水の雨は効かない。

 おそらく、九十九と同じ、半妖の可能性が高い。

 それでも、十分に注意すべき相手だと柚月は悟っていた。 

 柚月は、これから、天鬼が待つ獄央山に向かう。

 風塵と雷塵とも対峙することとなるだろう。

 柚月にとって彼らの詳細は、十分な情報であった。


「そうか……行くのか」


「はい」


「柚月、本当に……」


「やめなさい、月読」


 月読は、柚月を身を案じるが、勝吏が制止する。本当は、柚月には行ってほしくなかったのであろう。

 それでも、柚月の決意は固い。

 それは、勝吏も十分理解している。

 軍師にも命じられたことであるため、止めることはできなかった。


「勝吏様、しかし……」


「もう、決めたことなのだろう?」


「はい。すみません」


「……お前に託さなければならないのが、申し訳ない。一緒に行ければよかったのだが……」


「いえ、父上と母上は、ここに残ってください。まだ、黒い妖達はいるのですから」


 黒い妖達は、未だ、迫りつつある。

 いつ、聖印京に到達するかわからない。

 結界は張ってあるものの、結界をすり抜けることや、破壊することができるかもしれない。その前に、対策を練らねばならない。勝吏達には、聖印京を守る使命がある。

 柚月は、その事を理解していた。

 だからこそ、自分が天鬼を倒すことを勝吏達に告げたのだ。

 それが、今の自分にできることであった。


「……わかった。月読、あれを」


「はい」


 勝吏に命じられた月読は、柚月にある物を渡した。

 それは、二つの石であった。


「これは?」


「天城家の者に頼んで、治癒術を封じ込めてもらった。回数は限られているがな」


 柚月が、天鬼を討伐しに行くと聞かされたとき、勝吏は、月読に治癒術を柚月達でも、発動することができる石を作るように命じたのだ。柚月と九十九の分を。

 そして、天城家に頼んで、治癒術を封じ込めてもらった。

 これから、熾烈な戦いが柚月達を待ち構えている。無事で済むとは思えない。

 だからこそ、石を柚月達に渡したのだ。無事に帰ってくることを祈って。

 それが、自分達にできるせめてもの事であった。


「……ありがとうございます」


 石を手渡された柚月達は、勝吏達に感謝して、頭を下げた。


「必ず、天鬼を討伐してみせます!」


 柚月は、勝吏達に誓った。

 天鬼を倒すことを。

 そして、ここに戻ってくることを。



 本堂を離れた柚月は、聖印門へと向かった。

 聖印門を潜り抜けた柚月。

 彼の前に、九十九が待っていた。


「九十九……」


「もう、いいのか?」


「……ああ」


「でも、いいのか?みんなに挨拶しなくて」


「まぁ、したかったけどな。けど、俺がうろつくわけにはいかねぇだろ?」


 九十九は、妖だ。 

 赤い月の日、以来、妖に対する憎悪は、増しているだろう。

 もし、自分がうろつけば、怒りの対象となる。

 軍師に、命じられていたとしても、怒りを抑えることができないかもしれない。 恐怖におびえるかもしれない。

 九十九は、それが耐えられなかった。


「……気にしなくてもいいと思うんだが」


「そういわけにはいかねぇって。ほら行くぞ。朧に気付かれる前にな」


「そうだな」


 自分達が、天鬼を討伐しに行くことは、朧には告げていない。

 朧も、自分も行くと言いだすからだ。

 だが、今回の任務は危険だ。朧も死ぬ可能性がある。 

 そのため、あえて、朧には告げず、旅立とうとしていた。

 たとえ、朧に恨まれたとしても。


「行こうぜ」


 九十九は、歩き始める。

 柚月も、九十九の後を追うように歩き始めた。

 だが、その時だった。


「兄さん!九十九!」


 声が聞こえる。

 自分達を呼ぶ朧の声が。

 二人は、驚き、振り向いた。

 朧は、二人を追って走ってきていた。


「朧……」


「気付かれたか……」


 気付かれないように、接してきたというのに、朧は気付いてしまったらしい。

 このまま、走って逃げることもできたが、二人は、そうはしなかった。

 観念したように立ち止まっていた。

 朧は、ついに、柚月達の元へたどり着いた。


「行くんだね、天鬼の所に」


「まぁ、そういうことだ」


 朧の問いに、九十九は否定しなかった。

 ごまかすことさえもしない。

 朧は、悲しそうな表情を見せた。


「……ひどいよ、僕に何も言わずに行こうとするなんて」


「言ったら、行くって言いそうだったからな」


「うん……そうだね。僕、足手まといだもんね」


「……そうだな」


 自分に告げなかった理由を朧は、気付いていた。自分の力では、天鬼には、適わない。おそらく、足を引っ張ってしまうであろう。

 朧の問いかけに、柚月は否定することはしなかった。

 これも、朧を行かせないためだ。

 その事さえも、朧は理解していた。


「わかった。待ってるから。兄さんと九十九が、帰ってくるの。皆と一緒に待ってるから!」


「……ああ、約束だ」


「うん!」


「じゃあな」


「うん!」


 柚月と九十九は、朧に背を向け、旅立った。

 朧は、二人の背中をいつまでも、見送っていた。

 二人は、必ず、天鬼を倒して、戻ってくると信じながら。

 

 こうして、柚月と九十九の最後の戦いが始まろうとしていた。

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