第百四十五話 最悪の日

 柚月は、謎の力を駆使して、綾姫と夏乃の元へと急ぐ。

 目の前は、千城家の人間が、倒れている。血を流し、命を奪われたようだ。これまでにひどかったことがあっただろうか。

 五年前の日が、一番ひどかったと言われていたが、今回は、それ以上にひどい。

 壊滅寸前と言っても過言ではないだろう。


――急がないと……。


 天城家の惨状を知り、焦燥にかられた柚月は、さらに速度を上げて、急ぐ。

 だが、彼の前に、複数の黒い妖達が立ちはだかった。


「邪魔だ!」


 柚月は、八雲と真月を鞘から抜き、一瞬にして妖達を切り刻む。

 黒い妖達は、抵抗する暇もなく、皮膚を切り裂かれ、倒れ込み、消失した。

 柚月は、休む暇もなく、八雲と真月を鞘に納め、再び、謎の力を使って移動し始めた。

 力を使い始めた途端、柚月はふらついてしまう。何度も、謎の力を使ったからでろう。

 それでも、柚月は、力を使い、進み続けた。


「綾……」


 柚月は、綾姫の身を案じていた。

 どうか、無事であってほしいと、ただただ、願うばかりであった。



 綾姫は、夏乃と共に黒い妖達と死闘を繰り広げていた。

 だが、儀式を行った影響により、体に負担がかかった状態で戦っている。とても、万全とはいえない。

 そのため、夏乃も綾姫を守りながら戦っていたため、体中を斬られ、血が流れていた。

 それでも、耐えてこれたのは、綾姫を守ろうという意思のみだ。彼女の為なら、命に代えても、戦いぬく。夏乃は、そう誓ってきたのだから。

 どうにかして、黒い妖達を全滅させた二人であったが、再び、黒い妖達が綾姫達に迫ってきていた。


「まだ、来るの……?」


 もう、戦う力は、残っていない。

 倒しても倒しても、現れる妖達を目の前にして、綾姫は、愕然としていた。

 そして、死を覚悟し始めた。

 しかし、夏乃は、あきらめていない。あきらめきれるはずがなかった。

 綾姫の心情を察した夏乃は、覚悟を決めた。


「……綾姫様、お逃げください!私が時間を稼ぎます!」


「駄目よ、夏乃!一人で残ったら、あなたは……」


 夏乃は、一人残って戦う決意を固める。

 綾姫が、生きてくれるのであれば、それで構わないと。

 だが、綾姫は、納得するはずがなかった。

 みすみす、夏乃を見捨てて逃げれるはずがない。

 もし、今の状態で逃げれば、夏乃は、確実に妖に殺される。目に見えて分かることだ。綾姫は、夏乃を残して逃げれるはずがなかった。


「構いません。綾姫様の為なら、命だって捧げられます」


「嫌よ!絶対に嫌!」


「綾姫様!お願いです!」


 綾姫は、首を横に振って、夏乃の懇願を拒絶する。

 それでも、夏乃も、引き下がらなかった。

 今、引き下がったら、二人とも命を落とす可能性が高いからだ。

 ならば、命をとしてでも、千城家の姫君・綾姫を守らなければならない。

 それは、夏乃にとって使命であり、願いでもあった。綾姫には生きてほしいと。幸せになってほしいと。


「そんなの認めない!だって……友達を失うなんて嫌よ!」


「綾姫様……」


 綾姫は、初めて夏乃に対する想いを吐露する。

 夏乃の事は、従者だと思っていない。

 物心がついたころから、友だと……いや、親友だと思っていたからだ。

 夏乃は、思ってもみなかった。まさか、自分の事を友だと思ってくれていたとは。

 しかし、妖達は、綾姫達の元へ迫ってきている。

 もう、時間がなかった。


「ならば……」


 夏乃は、聖印能力を使って時を止めようとする。

 これが、最後の手段であった。綾姫を助けるための。

 しかし、夏乃の様子がおかしい。

 まるで、死を覚悟しているようだ。

 

「夏乃、駄目!」


 その事に、気付いた綾姫は、夏乃を制止した。

 だが、妖達は、綾姫達の元へ到達する。

 このままでは、二人とも殺されてしまう。

 夏乃は、絶望に陥りそうになっていた。 

 大事な綾姫を守れず、死んでいくのかと思うと。

 だが、その時だ。柚月が、妖を切り刻み、綾姫と夏乃の元へ現れたのは。


「柚月!」


「柚月様!」


「綾姫!夏乃!無事か!」


「え、ええ……」


 柚月の登場に動揺を隠せない綾姫であったが、涙がこぼれそうになる。一度は、死を覚悟していたのだ。

 また、柚月に会えるとは思ってもみなかったのであろう。

 だが、今は、再会を喜んでいる場合ではない。黒い妖達は、次々と現れているのだから。

 希望を取り戻した綾姫と夏乃は、再び構えた。


「柚月様!綾姫様を連れて、逃げてください!」


「夏乃!」


 まだ、夏乃は、綾姫を逃そうとしていた。自分の身を犠牲にしてまで。

 それほどまでに、綾姫を慕っているのだ。

 綾姫もそれを許そうとしない。柚月も同じだ。

 彼は、首を横に振った。


「逃げるわけないだろう。お前達は、俺が守る」


「柚月……」


「……全く、頑固な人達ですね」


「夏乃?」


「ならば、私も守り通しましょう」


「……そうね」


 夏乃は、ついに観念した。

 これだけ言っても、彼らは、共に戦うというのだ。

 いや、柚月に関しては、自分が二人を守るというのだ。

 なんと、信念の強い人であろう。あきれるほどに。

 夏乃は、柚月達と共に戦う決意を固めた。そして、生き延びると。

 柚月と夏乃は、突進するかの如く妖達の大群に向かっていった。

 綾姫は、二人の前に、結界を張り、妖達の行く手を遮った。


――ごめんなさい。柚月、夏乃……私……。


 綾姫は、どこか様子がおかしい。何かを覚悟しているようだ。

 二人は、綾姫に背を向けて、妖達と戦いを繰り広げているため、気付いていない。

 だが、それでいい。

 きっと、柚月も、夏乃も、自分が何を考えているのか、わかったら止めてしまうだろう。

 二人が気付かないうちに、やらなければならない。自分がなすべきことを。

 しかし……。


「ぐっ!」


「ああっ!」


「柚月!夏乃!」


 柚月と夏乃は、妖に斬られ、うめき声を上げる。

 謎の力を酷使続けた柚月は、体力が限界に達していた。謎の力を発動できないほどに。

 だが、ここまでたどり着けたのは、綾姫を守りたいという想いからだ。

 柚月は、八雲と真月を握りしめるが、立つのもやっとのほどだった。


「こうなれば……!」


 状況を目の当たりにした夏乃は、ある覚悟を決めた。

 そして、聖印能力を発動した。

 その瞬間、妖達の動きが止まった。


「え?」


 柚月と綾姫は、あたりを見回す。

 自分達は、動けるが、妖達は、止まっていることに、驚いていた。


「時が……」


「止まってるの?」


 二人は、時が止まった事に気付いた。

 夏乃が、聖印能力を使ったからであろう。

 そこまでは、読めたが、違和感が残った。

 なぜなら、夏乃の聖印能力は、主以外の時を止めるからだ。

 止められた時の中で、自分達が動けたことは一度もない。

 二人は、夏乃に視線を向けた。

 視線を向けられた夏乃は、二人が抱えている疑問に答えた。


「はい、時を止めました」


「夏乃!あなた、まさか!」


 綾姫は、察した。なぜ、自分達が動けるのか。

 いや、それ以前に、夏乃は、様子がおかしかった。

 気付かれてしまった夏乃は、綾姫に微笑みかけた。


「……やはり、綾姫様は、お見通しなのですね。聖印京全体の時を止めました。それも、妖のみ対して」


「そんな事、できるのか?」


「できます。少々、力を要しますが。さあ、お逃げください。ここから……。どうか……」


 夏乃は、声を絞って語りかける。

 まるで、最後の願いを告げるかのように。

 聖印京全体の時を止めたということは、かなり体に負担がかかっているという事だ。

 しかも、妖のみを対象としている。

 相当の技術と力がいるはずだ。

 柚月は、夏乃の覚悟を感じ取った。

 それでも、何か方法はあるはずだと思考を巡らせ、謎の力を使って妖達を一掃することを決意した。

 たとえ、それで、命が燃え尽きたとしても、二人を守れるなら、構わないと。

 だが、次の瞬間、綾姫は、柚月の腕をつかんだ。


「……ごめんなさい。夏乃……。柚月……」


「綾姫?」


 綾姫も二人に微笑みかける。

 まるで、覚悟を決めたかのように。

 すると、綾姫は、宙に浮き始めた。あの儀式の時のように。


「!」


「綾姫、まさか!」


 柚月と夏乃は、察してしまった。

 綾姫は、すでに、水の神と同調し始め、結界・聖水の雨を発動する準備はできていた事に。

 再び、聖水の泉が浮き始めた。竜のごとく。


「私の使命は、この聖印京を守る事。逃げるなんてできないわ」


「待て、綾姫!」


「綾姫様!」


 柚月と夏乃は、制止しようとするが、止められない。

 綾姫は、聖印を発動した。

 聖印は、光り始め、その光は、聖水の泉へ送り込む。

 二度目の発動だ。死を覚悟した。


「大丈夫、必ず、守るから……。夏乃、ごめんね。わがままな、私を許してね」


 綾姫は、夏乃に語りかける。 

 夏乃は、ただ、何も言えず、涙を流した。

 守れなかった事を悔やんで。


「柚月……後を頼むわ……。皆をお願いね……」


「綾……」


「愛してる。柚月……」


 柚月に愛の言葉を告げて、綾姫は、結界・聖水の雨を発動した。


「綾あああああああっ!」


 柚月は、絶叫する。

 だが、誰にも止めることはできない。

 聖水の泉は、瞬く間に聖印京に広がり、二度目の雨を降り注がせた。

 聖水の雨を浴びた黒い妖達は、もがき苦しみ、消え去った。

 黒い妖達は浄化されたのだ。 綾姫の犠牲と引き換えに。

 風塵と雷塵も雨にぬれていたが、効果はなかった。


「ちっ。雨が降ってきたな」


「そろそろ、ここで退散しようよ」


 風塵と雷塵は、勝吏達を見ていた。

 勝吏は、傷だらけであったが、刀を手にし、構えている。

 まだ、いいほうなのであろう。

 問題は、虎徹であった。

 全身血だらけの虎徹は、月読に抱きかかえられ、意識が朦朧とした状態で見ている。重症のようだ。

 勝吏も、このまま、戦いを続けていたら、死んでいたかもしれない。

 そう思うと、背筋に悪寒が走った。


「じゃあね、大将さん。また、殺しに来るよ」


 風塵と雷塵は、そう言い残して、跳躍して、立ち去っていく。

 なんとか、生き延びたが、良かったとは、言いきれない。

 なぜなら、彼らの周りは死体であふれかえっていたからであった。


 

 雨が止み、聖水の泉は、再び、あるべき場所へと戻ってきた。

 そして、その瞬間……。


「がはっ!」


 綾姫が血を吐いて、倒れてしまった。


「綾!」


 柚月は、急いで綾姫の元へ駆け付け、抱きかかえた。


「しっかりしろ!綾!」


 柚月は、綾姫に呼びかけるが、意識を失っている。

 何度呼びかけても、反応がなかった。

 二人の様子を夏乃が、見ていた。それも、苦しそうに。

 聖印京全体の時を止めていたのだ。

 体に負担がかかったのであろう。


「綾姫様……」


 夏乃は、がくりと膝が地に落ちる。

 淡雪をついて、それを支えにしているが、今にも意識を失いそうであった。


――私が、止めていれば……。ごめんなさい……柚月様……。


 夏乃は意識が遠のいていくのを感じた。

 もう、自分もかと……。

 夏乃は、命を捨てる覚悟で時を止めたのだ。

 それほど、体に負担がかかっていた。


――綾姫様……うれしかったです。あなたが私のことを友達と思っていてくれたことを……。本当に……ありがとう……。


 夏乃は、綾姫が友と呼んでくれたことに感謝しつつ、意識を失った。 


「夏乃!」


 柚月は、夏乃が倒れた事に気付いた。

 守れなかったのだ。綾姫も夏乃も……。

 柚月は、己の無力さを思い知らされた。


「あ……ああ……」


 柚月は、体の震えが止まらない。

 自分に対する怒りからなのか、それとも、悲しみからなのか。

 様々な感情が柚月の中で渦巻いていた。


「あああああああっ!」


 柚月は、泣き叫ぶように絶叫を上げた。

 こうして、赤い月の日は、最悪の形で幕を閉じた。

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