第百三十八話 隣にいるのは

 綾姫と幸せなひと時を過ごした柚月は、鳳城家の離れへと戻ってきた。 

 綾姫は、起床時間が早い。共に離れで暮らした時よりも、早く起きているようだ。

 そのため、柚月は綾姫を気遣って戻ってきたのだ。

 本当は、できるだけ、長く側にいたかった。

 だが、綾姫を早く休ませてあげたい。別れを惜しみつつも、綾姫の元を離れた。もう一度、綾姫に会えると信じて。そのために、綾姫を守ることを誓って。

 離れでは、九十九が庭を眺めながら、柚月の帰りを待っていた。


「九十九……」


「よっ」


「ただいま」


 柚月が帰還したことに気付いた九十九がにっと笑って手を上げる。

 柚月も、微笑んで、九十九の元へと歩み寄った。

 九十九が背中を押してくれた事に感謝しつつ。


「で、どうだったんだ?」


「……綾姫は、やっぱり、恐れていたんだ。自分が死ぬんじゃないかって」


「そうか……」


 九十九も予想はしていたものの、綾姫が常に、死を恐れていたと思うと、もっと早く気付いてやれば良かったと後悔していた。

 だが、もし、気付いたとしても、自分では、どうすることもできなかったであろう。

 なぜなら、綾姫を支えられるのは、たった一人。他でもない柚月なのだから。


「で?俺が守るから大丈夫だって言ったのか?」


「からかうな」


 九十九にからかわれ、柚月は、視線をそらす。

 本人は、気付いてないようだが、照れた様子を九十九に見せていた。

 その様子を見ていたは、九十九は、あることに気付き、にやりと笑みを浮かべていた。


「はは~ん」


「な、なんだよ」


 九十九は、笑いながら、柚月に迫る。

 柚月は、それでも、視線をそらし、気付かれないようにしていた。綾姫と口づけを交わしたことを。

 だが、野生の勘が働いたからなのか、こんな時だけ、馬鹿な九十九は、察してしまったのだ。


「さては、お前……接吻したな」


「ば、馬鹿か!接吻とか言うな!」


 やっぱり、九十九は、馬鹿だった。さらりと接吻とか言ってしまうのだから。

 もう少し、言い方があったであろう。

 そう思うと、柚月は、慌てて声を上げてしまう。

 柚月の声が、離れに響き渡った。


「落着けって、朧がさっき寝たばっかりなんだぞ?」


「お前が変な事を言うからだ!」


 柚月が戻ってくる少し前に、朧は眠りについたばかりだ。

 起こさないように柚月をなだめるが、柚月は冷静さを取り戻す様子はない。

 それでも、九十九は、もう一度柚月に確かめた。


「で、したのか?接吻」


「……」


 柚月は、顔を真っ赤にし、目をそらして、黙り込む。

 彼の様子を見ていた九十九は、確信していた。二人の想いが通じ合ったのだと。やっとかと、思うほどに。

 柚月も綾姫も、頑固な性格だ。

 お互いの立場を気にして、言いたいことも言えず、伝えたい事も伝えられなかった。二人の様子を見ていた九十九は、じれったく感じていたのだ。自分のようになってほしくなかったから。

 だが、二人はちゃんと想いを伝えられたのだろう。

 そう思うと、内心、うれしさがこみあげてくる。

 九十九は、心情を悟られないように、柚月に背を向けた。


「ま、そうなるだろうとは思ってたけどな。お前ら、わかりやすいから……」


「九十九」


 からかいすぎてしまったのか、柚月が静かに、九十九に呼びかける。それも、低い声で。

 怒らせてしまったかと、九十九は、反省し、恐る恐る振り向いた。


「あ、怒ったか?」


「……そうじゃない」


「じゃあ、なんだ?」


 怒っていないというなら、何なのだろうか。と、柚月の顔色をうかがう九十九。

 柚月は、いつになく真剣な様子だ。何か、決意したように。

 柚月は、意を決して、九十九に頼んだ。


「……明日、特訓につき合ってくれないか?あの力を使いこなせるようになりたい」


 柚月は、決していたのだ。綾姫を守るには、あの謎の力を使いこなせなければならない。あの力は、柚月にとって、いや、聖印一族にとって切り札となるだろう。

 だが、その力によって、守れるかどうかは、柚月次第なのだ。

 だからこそ、柚月は、力を使いこなせるように、特訓が必要だと考えたようだ。九十九となら、手ごたえがつかめると思っていた。


「お安い御用だぜ。俺に任せろよ」


 柚月に頼まれた事は、あまりない。九十九は、心の底から嬉しかった。柚月の役に立てるのだから。柚月が、進んで、自分を頼ってくれたのだから。

 自分は、柚月に救われた。柚月のおかげで、自分はここにいる。できることがあるなら、なんだってしたい。

 九十九は、そう思いにっと満面の笑みを柚月に見せた。


「……ありがとう」


 柚月も微笑んで、お礼を言う。

 そんな二人のやり取りを朧は、そっと布団から覗き込むように見ていた。

 それも、嬉しそうに。


――兄さんと九十九、仲がよさそうだなぁ。


 朧は、柚月と九十九が、五年ぶりに再会した時の事を思いだす。

 あの頃は、柚月は、九十九を受け入れることができず、姉を殺した妖狐だと憎んでいた。

 九十九も、柚月を挑発し、一触即発状態だった。

 だが、そんな二人が、今、人々を守るために、共に戦っている。まるで、相棒のようだ。


――本当、良かった。


 朧は、嬉しそうに満面の笑みを見せていた。

 そんな日々がいつまでも続くことを願いながら。



 次の日、柚月達は、任務をこなしながらも、赤い月の日に備えて、準備を進めていた。

 それは、譲鴛達も同じだ。彼らも、宿舎で、赤い月の日に備えて、着々と準備を進めていた。武器の手入れ、部下の体調管理、作戦会議など、やることは多い。

 討伐隊・第一部隊の隊長である譲鴛は、多忙だ。決意を固めているのであろう。今度こそ、部下を守ると。

 譲鴛は、自分だけが、生き残ってしまった事を悔やんでいた。

 そんな時であった。


「譲鴛」


「なんだ?」


 他の部隊の隊士に呼ばれた譲鴛は、振り返った。


「その、頼みたいことがあるんだ」


「ああ、いいけど」


 隊士は、申し訳なさそうな表情で譲鴛を見ている。頼みにくいことなのだろう。

 譲鴛は、そう悟りつつも、承諾した。

 隊士は、躊躇しつつも、譲鴛に一通の手紙を渡した。


「実は、柚月様に、これを渡してほしいんだ」


「……赤い月の日の配属先だな」


 それは、赤い月の日が出現した時の配属先だ。

 戦力が偏らないように月読が編成していた。

 その手紙は、すでに、他の隊士達にもわたっている。

 まだ、手元にないのは、柚月達、特殊部隊のみであった。


「月読様に渡すようにって頼まれたんだけど、ちょっと、忙しくてな」


 忙しいと言いつつも、行けない理由は、別にあるようだ。

 おそらく、九十九がいるからであろう。軍師の命令は、絶対だ。

 従わなければならないとわかっているが、心がそれを受け入れられない。

 当然であろう。妖狐である九十九を受け入れろと言う方がおかしいのだ。今まで、討伐しなければならない相手を仲間として認められるはずがなかった。

 譲鴛も、彼の気持ちは十分にわかっていた。

 そのため、譲鴛は、仕方ないと思いつつ手紙を受け取った。


「わかった。渡しておく」


「ありがとうな」


 隊士は、お礼を言いつつ去っていく。

 譲鴛は、手紙を見ながら、ため息をついていた。

 損な役回りだなと想いながら。



 任務を終えて帰ってきた柚月達。

 朧は、体を休め、景時は、天次の状態が万全であるかどうか確認したいと言って部屋に戻り、透馬は、何も言わず、部屋に閉じこもるように入った。

 柚月は、九十九に頼んで、特訓を受けていた。

 やはり、ある程度、あの謎の力を使いこなせているように見える。

 だが、柚月は、どこな納得がいかない様子であった。


「やっぱりか」


「やっぱりって?」


 九十九は、柚月に尋ねる。

 何に、納得していないのかわからなかったからだ。

 柚月は、自分の右手を見ながら、説明し始めた。


「うまく、制御ができないんだ。発動できるようにはなったけど、速すぎて自分が止まりたい位置に止まれない。少し、ずれるんだ」


「それを完璧にしたいってことか」


「ああ」


 あの謎の力は、自分の意思で発動できるようになったが、問題は、うまく使いこなせていなかったことだ。

 速すぎる速度になれていないのか、いつも、止まる位置がずれてしまう。

 つまり、完璧には使いこなせていないというわけだ。

 これを使いこなせなければ、聖印京も綾姫も守ることができないだろう。

 柚月は、焦燥に駆られていた。


「どうすればいいんだ……?」


「その力が何なのか、わかればうまくいくんじゃねぇの?」


「だと思うんだがな……」


――それなら、わかったことがあるぞ。


「わっ!」


 謎の力の正体がわからず、使いこなせないため、悩んでいた柚月であったが、突然、八雲が声をかける。

 柚月と九十九は、驚愕し、体がのけぞってしまった。


「お、親父、いきなり話しかけるなよ!びっくりするだろ!」


――そうか?息子のお前なら、冷静に対応すると思っていたんだがな。


――こいつら、やっぱり親子だな。


 八雲は、どこか意地が悪そうに話す。

 八雲の話し方を聞いていた柚月は、やはり、九十九と八雲は親子であることを改めて認識した。

 そういう意地が悪いところはそっくりだと。


「それで、八雲様、わかったこととは?」


――そうだ。説明しなければな。お前が持つあの力は……。


 八雲は、謎の力の事を詳しく説明する。

 その内容が、意外であったのか、柚月も、九十九も驚愕していた様子であった。



 八雲の話を聞いた柚月は、もう一度九十九と特訓を開始する。

 謎の力について、知ることができたからなのか。

 柚月は、前よりも使いこなせているようで、納得した様子を見せていた。


「本当だ。うまくいった」


「みてぇだな」


「ありがとうございます。八雲様」


――礼なぞ、いらん。


「ですが、助かりました」


「これで、綾姫を守れるな」


「ああ」


 柚月は、微笑んで、うなずく。

 その様子に九十九も、笑みを見せていた。

 本当に、仲がよさそうだ。

 彼らの様子を見ていた八雲もどこかうれしく感じていた。

 その時だった。


「柚月」


 誰かが、柚月に声をかける。

 柚月は、振り向くと、譲鴛が柚月の後ろに立っていた。

 それも、二人に対して、憎悪を抱いているような目で見ながら。


「譲鴛、どうしたんだ?」


「これ、渡してほしいって言われてな」


 譲鴛は、柚月に手紙を渡す。

 その手紙が何なのか、柚月はわかったようだ。


「赤い月の日の配属先だな」


「……」


 柚月が、尋ねるが、譲鴛は、黙ったままだ。

 それでも、柚月は、譲鴛から手紙を受け取った。


「ありがとう、譲鴛……」


 柚月が、お礼を言おうとするが、手紙が柚月の手にわたった瞬間、譲鴛は柚月に背を向けて、去ってしまう。

 やはり、未だに、許してもらえそうにない。仕方のないことだ。今は、まだ、時間がかかるのだろう。

 そう思いつつも、やはり、どこか寂しさを感じる。

 あの頃みたいに、戻ることはできないのかと思うと。

 柚月の心情を察した九十九は、申し訳なさそうに、柚月の元へと歩み寄った。


「柚月……」


「謝るなよ。お前が悪いんじゃないんだ」


「……」


 柚月に謝罪しようとした九十九であったが、柚月は、それを制止する。

 柚月は、知っているからだ。九十九は何も悪くないと。

 それでも、九十九は、申し訳なく感じていた。

 二人がこうなってしまったのは、自分の責任だと感じているから。



 譲鴛は、屋敷を後にする。

 その表情は、どこか悲しそうであった。


――少し前まで、お前の隣は、俺だったんだけどな。


 譲鴛は、思い返していた。柚月と共に任務を遂行していた時の事を。

 あの時、柚月の隣にいたのは、九十九ではなく、譲鴛だった。

 だが、今は違う。隣にいるのは自分ではなく、九十九であった。

 あの頃が、遠い昔のように思える。悲しいほどに。


――もう、俺は、柚月の相棒じゃないんだな。


 もう、柚月の相棒は自分ではない。

 九十九だ。

 そう思うと譲鴛は、九十九に対して憎悪を抱いていた。


――あいつさえ、いなければ……。


 譲鴛は、怒りを露わにし、こぶしを握りしめる。

 とうとう、譲鴛は決意を固めてしまった。

 九十九をこの手で殺すことを。



 景時は、自分の部屋で、天次の状態を見ていた。

 赤い月の日は、景時も天次と共に出撃する。

 そのために、天次の状態を見ていたのであった。

 問題は、なさそうだ。

 彼の様子を見ていた景時は、安堵していた。

 

「……天次君、もうそろそろ、だね」


 景時は、天次に話しかける。

 だが、天次は、何も反応しない。

 虚ろな目で、景時を見ていた。


「ごめんね、いつも。でも、大丈夫。……この戦いが終わったら、君を解放してあげるから」


 景時は、決意していた。赤い月の日が、終わったら、必ず、天次を解放しようと。

 奪った意思を返して、外へ逃がしてあげようとしていたのだ。

 捕らえられた妖は、蓮城家にとって、道具に過ぎない。

 だが、景時は、情が湧いていた。天次を家族のように思っていたのだ。

 そのため、意思と自由を奪ってしまった天次に対して、申し訳なく思っていた。

 だからこそ、天次を自由にしてあげたかった。

 たとえ、自分の戦力が落ちてしまったとしても、構わないと思うほどに。

 景時は、天次の頭を撫でた。天次は、何も反応せず、ただ、景時を見ていた。



 透馬は、自分の部屋に閉じこもり、あるものを作っていた。


「よし!できた!」


 完成したようで透馬は、嬉しそうに手を取る。

 それは、短刀のようだ。

 それも、刀身が、赤く炎のように光っていた。

 透馬が、初めて作った宝刀だ。それも、矢代に内緒で。

 透馬は、うれしかったのだろう。

 短刀を、太陽の光に照らして眺めていた。

 光に照らされた短刀は、炎のように揺らめいていた。


「これなら、皆を助けられる。けど……」


 短刀が完成したというのに、透馬は、どこか複雑な表情を見せる。

 まるで、何か覚悟を決めたように。


「腹、くくっといたほうがいいよな」


 透馬は、深呼吸を繰り返していた。

 まるで、死を覚悟しているかのようであった。


 

 時間が立ち、夜になる。

 天鬼は、洞窟の中を歩いていた。外へ向かって。

 外に近づくにつれて、異様な景色が天鬼の瞳に映る。

 外は、まるで、血に染まったような、炎に包まれたように赤かった。


「ついに来たぞ」


 外に出た天鬼は、立ち止まり、空を見上げた。


「赤い月だ!」


 天鬼は、狂気の笑みを浮かべる。

 血のように赤い月の光が、天鬼を覆い尽くしていた。

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