第百十一話 妖にも心がある

 椿も自身の出生について語りだす。

 それは意外な事実であった。


「血がつながってねぇって?」


「そのまんまの意味よ。鳳城月読は、私の本当のお母様じゃないの」


 椿は、寂しげな表情で語る。

 なんと、椿は、月読とは血がつながっていないことを知っていたようだ。柚月と朧とは異母兄弟だということも。

 誰も知らない自分の出世の秘密を椿は抱えていたことになる。 


「私は、聖印一族じゃない一般人の女性とと聖印一族の鳳城勝吏との間に生まれた子だったの」


「そうなのか?」


「うん、偶然、女房達が話してるの聞いちゃったのよね……。でも、信じられなくて、矢代様に聞いたら、そうだって……」


「……」


 椿曰く、夜、廊下を歩いていた時の事だ。

 部屋から女房達の話声が聞こえる。他愛のもない話でもしているのだろうと椿は、そのまま素通りつするつもりであった。

 しかし、聞こえてきた話は、椿にとってとても、衝撃的な言葉であった。

 女房達は、月読が椿を冷たくしていたところを目撃したという。いくら血がつながっていないからと言って、あのような態度は、ひどいのではないかと。

 椿もかわいそうだと女房達は、口々に話していたらしい。

 椿は、信じられずにいた。月読と血がつながっていないなどとは。

 事実を受け入れることすらできなかったのだ。

 だが、冷静に考えれば、心当たりがある。月読は、朧と椿に対して、冷たかったが、特に自分に対しては本当に冷たいように感じたのだ。

 重要なことなどは、何も教えてくれない。聞くのは、常に女房や奉公人、他の一族達からだ。

 柚月や朧のことについて反論すれば、お前には関係ないことだと。

 家族なのに、なぜ知らされなかったのか、なぜ関係ないと言われてしまうのか。答えは、一つだった。自分と月読の間に、血がつながっていないからだ。自分は、月読の本当の娘ではないからだ。

 ずっと、疑問に思っていた椿であったが、答えが出たように思えた。

 そして、真実を知るために、椿は、矢代に尋ねたらしい。

 最初は尋ねても矢代ははぐらかされてばかりであったが、椿も食い下がることはしなかったそうだ。

 自分の事だ。真実を知りたいと思うのは当然であろう。

 観念した矢代は、ついに椿に真実を話したそうだ。

 当初は、本当の母親の元で暮らしていた。椿が生まれたことは勝吏も知らなかったらしい。

 しかし、月読が偶然椿の体に刻まれた聖印を発見してしまったという。

 その結果、椿は鳳城家の娘として引き取られたと聞かされた。

 だが、椿にしてみれば、引き離されたも同然だ。

 真実を知った時は、泣いてばかりいたという。

 聖印さえなければと、月読を始めたとした聖印一族を恨んだこともあった。


「矢代様は、そんな私を気遣って、お母様に会わせてくれたの。始めて会った時は、泣きそうになったわ。優しくて、温かかった。その人が、本当のお母様なんだって気付いたから。本当は、あなたの娘だって言いたかったけど、怖くて、言えなかった……。言ったら、柚月も朧も会えなくなっちゃう……。それは、嫌だった……。案外、我がままだったのよ?私」


 椿は、笑顔で語るが、辛かったであろうと思うと九十九は言葉が出てこない。

 当時、矢代は、椿に本当の母親に相談相手になってもらったらと紹介されたそうだ。

 母親と再会した椿は、涙が出るほどうれしかったらしい。母親は椿に優しく接してくれたから。本当は、自分が娘だと名乗りたかった。

 だが、柚月や朧と離れたくない。二人は自分を慕ってくれるから。

 そう思うと椿は名乗れなかった。それでも、母親に会いたいと願い、休暇の日は母親の元を尋ねたそうだ。

 母親とつかの間のひと時を過ごせて、幸せに感じた椿であったが、それでも、寂しさはぬぐえなかったようだった。


「それ以来、孤独に感じてた。本当の私を知ったら、皆離れていくんじゃないかって、怖かった。だから、無理してた」


「そうか……」


 自分を慕ってくれているのは、自分が聖印一族だからだ。

 だが、もし、違うと知られたら、軽蔑され、離れていってしまうだろう。三美達も、柚月も朧も……。

 椿は、そんな不安と戦いながら、過ごしてきた。


「けど、私も九十九に会って、思ったのよ。もう、一人じゃないって」


 椿は、穏やかな表情で語りだす。

 九十九と出会えたことを感謝しているかのようだ。


「……最初に会った時の事、覚えてるって聞いたでしょ?」


「お、おう……」


「忘れられないよ。忘れるはずがない」


「椿?」


 椿は、目を閉じる。

 九十九と会った時の事を思いだすかのように。

 彼女の様子をうかがっていた九十九は思わず尋ねた。

 どうしたのだろうと思ったのだろう。

 椿は、目を開けて、九十九を見つめた。


「あの時、九十九、私を見て、母さんって言ってたのよ?そうか、俺はもう一人じゃねぇんだなって」


「……覚えてねぇよ。俺、そんなこと言ったのか?」


「そうだと思ったわ。本当に言ってたのよ?私は、それ聞いて、思ったの。妖も、心を持ってるんだって。私と同じように、貴方も孤独を抱えて生きてきたんだって」


 九十九も一人だった。両親を失い、孤独に感じていた。

 椿も一人だった。真実を知り、孤独に感じていた。

 同じ想いを共有したから、二人は、惹かれた。

 聖印一族と妖、種族は違えど、わかり合うことができた。

 想いが通じ合ったのだ。


「だから、貴方を助けたの。最初は、殺そうとしたけど、殺せなかった。放っておけなくて……」


「……そうだったのか。ありがとうな、椿」


 始めたあった時の椿の想いを知った九十九は穏やかな表情になる。

 なぜ、あの時、椿は自分を助けてくれたのか。殺すことだってできたはずなのに。

 ずっと、九十九は疑問に思っていたのだが、椿が答えを出してくれた。

 九十九は、改めて椿に会えてよかったと感じていた。

 そうでなければ、九十九は生涯孤独の身であっただろう。

 椿に感謝した九十九であったが、九十九の微笑みを見た瞬間、何かを思いだしたかのように椿は、ふとどこか浮かない表情を浮かべている。

 何か、不安に思っていることがあるようだ。


「どうした?椿」


「……ねぇ、九十九。やっぱり、私、怖いわ。もし、赤い月の日が来たら……あなたは……」


「大丈夫だ。俺なら絶対……。赤い月の日が来たとしても……」


 椿を守る。そう答えようとしていた九十九であったが、あることを思いだす。

 それは、天鬼が、赤い月の日について語ったことだ。

 あの日、天鬼は、信じられないようなことを九十九達に告げた。

 ある聖印一族に憑依すると。

 思いだした九十九は、目を見開いた。信じられないと言わんばかりの表情で。


「待て、椿……。お前、さっき、聖印一族と一般人の間に生まれたって言ってたな?」


「え、ええ。そうだけど……」


 真剣な表情で九十九は椿に尋ねる。

 椿は、戸惑いながらも、答えた。


「じゃあ、天鬼が狙ってるのは……」


 椿だ。

 椿が、聖印一族と一般人の間に生まれた人間だとどこで知ったのかはわからないが、その人間が椿だと天鬼は、知っているはずだ。

 そう思うと九十九は、不安に駆られる。このままでは、椿の身が危ないと。椿は天鬼に体を乗っ取られてしまうと。

 九十九の様子を見ていた椿は、心配そうな表情になった。


「九十九?」


 椿は、九十九に声をかけるが、九十九はいきなり、椿の肩をがっしりとつかんだ。

 つかまれた肩に痛みが走る。九十九の突然の行動に椿は、驚愕し、ただただ、硬直していた。


「わっ!な、何!?」


「椿、逃げろ!今すぐに!」


「何、どうしたの?ちょっと、落ち着いて」


 焦燥にかられた九十九は、椿に逃げるよう必死に伝える。

 何も知らない椿は、九十九に落ち着くよう、なだめるが、九十九は落ち着けるはずがない。なぜなら、椿の身に危険が迫っているのだから。


「赤い月の日に、天鬼はお前に憑依しようとしてるんだ!」


「え?」


「妖は、聖印一族に憑依しても、聖印能力を発動されたら死ぬ。けど、聖印一族と一般人の間に生まれた人間なら、死ぬことはないだろうって言ってたんだ!」


「そ、そんな……」


 椿は愕然とする。

 まさか、自分が天鬼に狙われているとは思ってもみなかったであろう。

 ここで椿はようやく自分の身に危険が迫っている事を知ったが、すぐには事実を受け入れられない。自分が、聖印一族と一般人の間に生まれたとはいえ、聖印を持っている身だ。

 天鬼がそう簡単に自分を狙ってくるとは思いたくない。

 だが、九十九は、焦燥にかられた様子だ。

 この時、椿は事実として受け入れるほかなかった。


「……今すぐ逃げるぞ。ここから」


「ま、待って、九十九……きゅ、急に言われても……」


 椿は戸惑ってしまう。

 逃げると言っても、どこへ逃げればいいのか。しかも、逃げたとしても、逃げ切れる保証はどこにもない。

 突然の事で、椿は混乱していた。


「迷ってる時間はねぇ!俺はお前を……」


 失いたくない!

 そう、伝えたかった九十九であったが、言葉が出てこなかった。

 なぜなら、突然、背中に激しい痛みを感じたからだ。

 それも、何かに刺されたような痛みを。


「っ!」


 激痛に耐えられなくなった九十九は、苦悶の表情を浮かべ、そのまま前に倒れ込む。

 椿は、目を見開いて驚愕し、九十九を支えた。


「つ、九十九!?どうしたの!?」


 椿は、九十九の背中に手を回すが、あることに気付く。

 手に、ぬるっとした生暖かい感触が伝わったからだ。

 その感触の正体に気付いた椿は、恐る恐る自分の手を見る。

 自分の手は、真っ赤に染まっていた。


「これは……血?」


 九十九は、息が絶え絶えになる。

 何が起こっているのか、理解できない。

 ゆっくりと後ろを振り向いた九十九。

 九十九の背中に氷の刃が突き刺さっていた。


「こ、これは……」


 ここで、九十九は気付いた。

 どうして、自分が刺されたのか。誰が、自分を刺したのか。

 その直後だった。

 二人の足音が聞こえ、足音が大きくなるたびに、妖気を感じたのは。

 その妖気は殺気を帯びているようだった。

 誰かが近づいてくる。だが、いったい誰なのか。正体を知らない椿の目に映ったのは、女性と少年だった。


「まさか、私達を裏切っていたなんてね。しかも、聖印一族の女を愛していたなんて」


「……て、てめぇら」


 九十九と椿の眼の前に現れたのは、雪代と緋零であった。

 九十九を愛していた雪代は、形相の顔で九十九をにらんでいた。

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