第百十二話 引き離された二人
「これは、予想外だよ。まさか、人間の女と愛し合ってたなんてね。それも、聖印一族に」
緋零は、嬉しそうな笑みを浮かべながら、九十九に語りかける。
まるで、この時を待っていたかのように。
実は、緋零は、四天王の座を狙っていた。
だが、機会を得ることができなかった。なぜなら、六鏖、雷豪、雪代は、天鬼に忠実であり、唯一天鬼に逆らっている九十九は、天鬼が気に入っている。
四天王になるには、この四人のうち一人を陥れるしかなかった。
その機会を緋零は、ずっと待っていた。
そして、最近、様子がおかしかった九十九に目をつけたのだ。何か、隠していることがあると予想して。まさか、人間の、それも聖印一族の女性と愛し合っているとは、予想外の出来事であっただろう。
緋零は、この状況を喜んでいるのだ。
「緋零……てめぇ……」
九十九は、確信していた。
これも、緋零の仕業だと。緋零が、雪代を連れて、自分達を監視していたに違いない。
そう思うと、気付かなかった自分が腹立たしい。
九十九は、感情に任せて、氷の刃を一気に引き抜いた。
背中から血があふれ、激痛が、走るが、歯をくいしばって耐える。
血がまとわりついた氷の刃をこぶしで砕いた。
それでも、雪代は九十九と椿をにらんでいる。
愛していた男を聖印一族に奪われたことがよほど悔しかったのであろう。あれほど、誘惑したというのに、目もくれず、気付けば椿が九十九の心を奪っている。彼女にとっては屈辱でしかなかった。
「こんな女に惑わされるなんて、情けないったら、ありゃしないわね」
「……惑わしてんのはてめぇの方だろ?」
九十九の言葉を聞いた途端、雪代は、目を見開き、怒りに任せて氷の刃を九十九に向けて放つ。
しかし、椿が聖印能力・異能・紅を発動し、椿の花が、氷の刃を防ぎきった。
椿の花は凍り、砕け散ってしまった。
「椿……」
椿は、九十九の前に出て、紅椿を抜いた。
「何よ、私と戦おうってわけ?人間ごときが」
「九十九は、私が守る」
椿は、真剣な表情で雪代を見る。
その目は、にらんでいるわけではない。九十九を守ろうとする決意の表れであった。
だが、それすらも雪代にとっては、憎悪の対象でしかなかった。
「その目、気に入らないわ。殺してやる!」
雪代が氷の刃を、椿に向けて振るう。
椿は、雪代の攻撃を受け止め、はじき返す。
だが、雪代の体制を崩すことができず、雪代は、続けて突きを放つ。
椿は、攻撃を受け止めるが、徐々に追い込まれてしまう。眠り姫の園・紅を発動したくても、隙が生まれない。
これが、四天王の力なのかと思い知らされるほどに。
ついに、雪代が椿の体制を崩す。
雪代は、そのまま、椿の首に向けて突きを放った。
だが、その時だった。
九十九が、椿を後ろへと押しのけ、素手で氷の刃をつかんだ。
手からは血が流れた。
「九十九!」
「あなた、まだ、その女を守ろうとするわけ!?」
「あたりめぇだ。椿は殺させねぇ」
「……」
雪代は、黙ったままだったが、九十九から氷の刃を抜いて、後退した。
九十九を愛すれば、愛するほど、憎しみが増していく。
特に、二人を見ていると、憎悪を止められない。抑えきれないほどにだ。
「もう、いいわ。二人とも殺してあげる!」
雪代は、九十九をこの手で殺す決意をし、地面をける。
九十九も、地面をけり、雪代の元へ向かっていくが、妖刀・明枇を抜こうとはしなかった。
九尾の炎を使うつもりだ。自分を守るために、命を削る覚悟なのだろう。
そう予測した椿は、九十九を止めようと、追いかける。
しかし……。
「そこまでだ!」
「!」
聖印寮の隊士達が、一斉に椿の背後に現れる。
それも、十人ほどいるようだ。
彼らは、なんと、密偵隊だ。彼らの役目は、罪を犯した者をとらえたり、裁いたりする部隊である。
そんな彼らが、椿に、武器を向けている。まるで、椿を罪人として見ているかのように。
「な、何……?」
椿は、同様を隠せない。
なぜ、彼らがここにいるのか。なぜ、九十九と会っていた事に気付かれてしまったのか。
椿は、理解ができず、身動きができなかった。
「椿!」
九十九は、椿を助けようと、彼女の元へ向かう。
密偵隊も、九十九を殺そうとするかの如く、向かっていく。
しかし、そんな両者の間に、氷の壁が現れる。
なんと、雪代が氷の壁を出現させたのだ。九十九を邪魔するために。
「ちっ。防がれたか」
行く手を阻まれた密偵隊の隊士は、椿を取り囲んだ。
九十九は、雪代をにらむが、雪代は、冷酷な目で九十九を見ていた。
「あの女の元にはいかせないわよ」
「雪代!てめぇ!」
九十九は、雪代に向けて、襲い掛かる。
だが、雪代は、息を吹きかける。すると、二体の雪男が九十九の前に立ちはだかった。
「どけぇ!!」
九十九は、九尾の炎を発動しようとするが、雪男が背後から九十九をとらえる。
雪男は、九十九の体温を奪っていく。九十九は、急激な体温の減少により、動きが鈍くなってしまった。
その隙をついて、もう一人の雪男が九十九の鳩尾を殴りつけた。
「ぐっ!」
九十九は、意識を失い、ぐったりと倒れてしまった。
「九十九!」
「動くな!」
「っ!」
椿は、九十九の元へ行こうとするが、隊士達から武器を向けられる。
もはや、彼の元に行くことすら叶わなくなった。
「まさか、妖と密会していたとはな。これは、裏切り行為だ。鳳城椿、貴様をとらえる!重罪人としてな!」
「そ、そんな……」
椿は、愕然としてしまう。
先ほどまで幸せだったというのに、全てが一瞬にして破壊されたように思え、絶望した。
だが、なぜ、知られてしまったのか。椿は、その理由がわからない。
誰かが、見ていたというのだろうか。
椿は、あたりを見回す。
その瞬間、信じられない光景が目に浮かんだ。
彼女の目に映ったのは、一人の女性だ。
共に戦ってきた仲間であり、友である女性・三美だ。
彼女が自分と九十九とのやり取りを目撃し、密偵隊に告げたのだろうか。
「三美……あなたが……」
椿は、体を震わせる。
信じられずにいたからだ。
三美が、告げたなどと信じたくない。
彼女と目が合った三美は、椿の元へ歩み寄った。
「……ひどいわ、椿」
「三美?」
「信じてたのに……」
三美は、椿の頬を平手打ちする。
たたかれた頬に痛みを感じる。
椿は、赤くなった頬に手を当てて、三美を見ている。
三美は、そんな椿をにらんでいた。それも、涙を浮かべて……。
「私達を裏切ってたのね!」
椿は、衝撃を受けた。
三美を裏切ったわけではない。だが、自分の行為は、三美にとっては、裏切っているように感じたのであろう。
それもそのはず、敵対している妖と、それも、何人もの人間を殺してきた九十九と愛し合っていたなどと知れば、裏切られたと思われても仕方がない。
そのまま、立ち尽くしている椿に対して、隊士達が、迫ってきた。
「連れていけ」
「はっ!」
隊士達は、一斉に椿をとらえる。
だが、椿は、もがくように必死に抵抗した。
「待って!話を聞いて!」
「話は、聖印京に戻ってからだ!」
「嫌、放して!お願い!」
椿は、体をよじらせるが、隊士達は放すことはせず、椿を強引に連れていく。
三美も椿を軽蔑するかのように見ていた。
椿がとらえられたのを見ていた雪代は椿に背を向ける。雪男たちに九十九を抱えさせて。
「行くわよ、緋零」
「はーい」
雪代と緋零は、九十九を連れて、跳躍する。
一瞬で、その場から離れた。
椿は、後ろを振り向いたが、もう九十九の姿はどこにもなかった。
二人は、完全に引き離されてしまった。
「嫌、連れていかないで……九十九……!」
椿は、必死に懇願するが、誰も、椿の願いを聞き入れてはもらえず、そのまま聖印京へと戻されてしまった。
雪代と緋零は、靜美塔へと戻っていく。
天鬼の元へ行くために。
「いいの?九十九を殺さなくて」
緋零は、疑問に思っていたことがあった。
先ほどまで、殺そうとしていた九十九を殺さずに、雪男達に抱えさせ連れていこうとしている。なぜ、そうしたのか。気になっていたのだ。
だが、緋零は、本当は残念がっていたのだ。九十九が死ねば、自分が四天王になる可能性があったというのに。
だからこそ、雪代に尋ねたのであった。
「気が変わったわ。九十九は天鬼様の元へ連れて帰る。勝手に殺したら、私も殺されるからね」
「……確かにね」
憎悪を宿していた雪代は、冷静さを取り戻したようだ。
このまま感情に任せて九十九を殺してしまえば、天鬼は自分を殺すであろう。たとえ、どんな理由があっても。
それだけは、避けなければならない。逆らうわけにはいかないからだ。
彼女の答えを聞いた緋零は、納得したようだ。
だが、まだ、野望がついえたわけではない。
この事が天鬼に知れたら、天鬼は間違いなく、九十九を殺すであろう。
緋零は、天鬼に期待していたのであった。
雪代と緋零は、靜美塔へ戻り、六鏖へ報告。
九十九を牢屋へ閉じ込め、天鬼にも報告した。
彼の隣には、雷豪が立っていた。
「何?九十九が?」
「ええ。この目で、はっきり見たわ」
「僕もみましたよ」
「……」
天鬼は、雪代達をにらんでいる。
雪代達の事が信じられないようだ。
あの九十九が人間の女に、それも、聖印一族を愛するはずがない。
九十九を陥れるためではないかと疑っていた。
だが、六鏖が前に出てその疑惑を消したのであった。
「天鬼様、雪代達の言うことは間違いないでしょう」
「なぜ、そう言いきれる?」
「私も見たからです。九十九が、人間を殺し損ねたところを。あ奴は、人間を殺せなかったのです」
「……なるほどな」
六鏖までもが九十九の異変を目撃している。
しかも、人間を殺さなかったと言う。
前の九十九ならそんなことはあり得ない。
九十九は、今まで、人間や妖の命を奪うことをためらわなかったからだ。
それが、九十九なのだ。
だが、殺さなかったということは、その女に惑わされたのであろうと、天鬼は、納得したのであった。
「九十九は、どうしている?」
「牢屋に閉じ込めたわ」
「……殺していないだろうな」
「ええ」
雪代は、うなずく。
九十九を牢屋に閉じ込めた後、雪代は、自らの手で、九十九の刺し傷を治したのだ。
もちろん、自分が、九十九を殺そうとしたことを天鬼に知られないようにするためだ。
天鬼は、雷豪に視線を向けた。
「雷豪、九十九に罰を与えろ」
「ワカッタ……ウラギリモノ……ユルサナイ」
「殺すなよ?」
「ワカッテル」
雷豪は、唸り声を上げる。
憎悪を燃やしているようだ。
九十九が裏切ったことを許せないのであろう。怒りが抑えられないほどに。
天鬼に、命じられた雷豪は、牢屋へと向かっていった。
「天鬼様、九十九はどうなさるおつもりなのですか?」
「裏切り者には、罰を与える。それだけだ。なぜそんなことを聞く?」
「その……処刑とかは……」
六鏖が、恐る恐る処刑と言う言葉を口にする。九十九は、自分達を裏切った。その罪は、罰を与えると言うだけでは、足りないと感じたのであろう。
その瞬間、天鬼は、鞘から血霞を抜き、六鏖の首につきつけた。
「ひっ!」
六鏖は、恐怖で身が硬直し、悲鳴を上げてしまう。
その場にいた雪代も緋零も同様に恐怖に怯えていた。
天鬼は、形相の顔で六鏖をにらんでいた。
その目は、殺気に満ちていた。
「今日は私も機嫌が悪い。それ以上言うと、どうなるかわかっているだろうな?」
「も、申し訳ございません」
「ふん」
六鏖が、震えながら、謝罪すると天鬼は、血霞を鞘に納め、六鏖達に背を向けて歩き始めた。
天鬼の姿が見えなくなった後、六鏖達は、深い息を吐くが、体はまだ震えている。
塔の最上階に立った天鬼は、こぶしを握りしめる。それも、血が出るほどに……。
それほど、怒りを抑えきれなかったようだ。
――まさか、聖印一族の女に惑わされたとはな。だが、好都合だ。私が狙っていた人間のようだしな。
雪代の話からすると、椿こそが、自分が憑依しようとしていた人間であるようだ。
天気にとっては都合がいい。
――九十九にもあの女にも嫌と言うほど絶望を与えてやる!
天鬼は、狂気の笑みを浮かべている。
椿に憑依することで、九十九と椿を絶望の淵に落とそうと天鬼はたくらんでいた。
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