第百四話 結ばれる二人

 椿は急ぐ。九十九の元へ、愛しい人の元へ。早く会いたい。早くこの気持ちを伝えたいと願いながら。

 椿は、いつもの湖にたどり着くのだが、九十九の姿は見当たらなかった。


「やっぱり、いないわよね……」


 やはり、あの喧嘩の次の日に姿を現すとは思えない。

 だが、それでも、椿は、戻ることはしなかった。

 九十九は、ここに来る。そんな気がする。

 だから、少しだけ待とうと心に決めていた。

 椿は、しゃがみ、湖を除くように眺めていた。


「ちゃんと伝えなきゃ……」


 湖は、鏡のように美しく椿を映す。

 椿は、湖に手を伸ばす。湖は、ひんやりと冷たく感じ、椿の手から零れ落ちていく。

 だが、その時だった。

 揺れる水面から椿ともう一人の影を映したのは。

 椿は、九十九かと思い、振り向いたが、その影の主は、九十九ではなかった。


「妖!」


 椿の背後にいたのは、妖だ。

 その妖は、土蜘蛛であった。それも、椿よりも何倍も大きい。ぎろりと光る眼に殺気を感じる。

 妖に背後をとられていたとは気付かなかった椿は、己の未熟さを知る。

 だが、自分を責めている場合ではない。

 この妖を倒さなければ。自分が死ぬことになる。

 椿は、腰に下げてる紅椿を手に取り、鞘から抜いて構えた。

 妖が、椿に向けて、襲い掛かったが、椿は冷静に相手を見切り、攻撃をはじく。

 相手がひるんだ隙を逃さず、椿は、突きを放つが、妖は意外に頑丈だ。

 傷をつけることができなかった。

 それでも、椿は、あきらめず眠り姫の園・紅を発動する。

 今度こそ、妖を斬ることができたかに見えたが、なんと妖は傷一つついていない。

 椿が思っている以上に、頑丈のようだ。


「こいつ、強い……」


 椿は舌を巻く。

 たった一人で、この妖を相手にするのは至難の業のようだだ。

 妖は、椿に向かって突進する。

 椿は、異能・紅を発動し、椿の花が妖の行く手を防いだ。 

 だが、妖は己の足を使って椿の花を切り裂く。

 椿の花も簡単に破れるほどではない。だが、今回の妖は分が悪すぎる。

 防御力もさることながら、攻撃力も椿より上のようだ。

 何度も足を振りおろしては、椿の花を切り裂いた。


――このままじゃ破られちゃう……。助けて……助けて……。


 このまま椿の花が、引き裂かれては、なすすべもない。

 椿が生き残る方法は万に一つもないのだ。

 椿は窮地に陥ろうとしている。恐怖で身が震え、体は硬直している。

 このままでは、殺されてしまう。

 だが、妖は、椿の花を斬り続け、とうとう椿の花は切り裂かれた。

 防御壁が破壊され、妖は椿に迫り、足を振り上げた。


「助けて!九十九!」


 椿は、助けを求めるように叫び、目をきつく閉じる。

 それでも、妖は容赦なく足を振り下ろす。

 だが、その時だった。


『ぐあああああっ!!』


「!」


 妖の絶叫が響き渡る。

 なんと、突然白銀の炎が妖を燃やし尽くしていた。


「白銀の炎?」


 椿は、目を見開く。

 あの白銀の炎が再び、現れ、妖を灰と化したからだ。

 二度も白銀の炎に助けられた椿は、あたりを見回す。

 誰が、放ったのか。聖印一族かもしれない。

 そう思っていた椿であったが、白銀の炎を放った主は意外な人物であった。


「ったく、面倒かけやがって」


「九十九……」


 九十九が木の影からひょっこり姿を現す。

 しかも、気まずそうに。

 彼の姿を目にした椿は、ようやく気付いた。白銀の炎を誰が放ったのか。


「九十九が、あの白銀の炎を?」


「おう。俺があの妖を燃やしてやった」


「じゃあ、あの時の炎も……」


 椿は思い返す。

 昨日の任務時、椿達に危機が迫ろうとしていたが、白銀の炎によって救われた。

 九十九が椿達を救ってくれたのではないかと考え、九十九に尋ねた。

 九十九は、再び気まずそうに、答えた。


「……俺だ。俺がやったんだ」


「助けてくれたのね、ありがとう」


「おう……」


 椿は九十九に笑みを見せる。

 九十九があっけにとられながらも、照れつつうなずいた。

 しかし……。


「くっ!」


「九十九、どうしたの!?」


 突然、九十九が苦悶の表情を浮かべる。

 椿は、慌てて九十九の元に駆け寄り、支えた。

 九十九は、肩で息をし、額に汗をかいている。

 とても、苦しそうだ。なぜ、九十九が突然苦しんだのか、椿にはわからなかった。

 九十九はどうにか息を整えた。


「何でもねぇ……」


「何でもないって顔してないわよ……まさか」


 ここで椿は気付いた。なぜ、九十九が苦しみ始めたのか。


「あの、白銀の炎を使ったから?」


「ち、違……」


「正直に話して!」


 否定しようとする九十九に対して、椿は声を荒げる。

 椿の目は、真剣なまなざしだ。ごまかすことすらできないほどの。

 九十九を心配しての事だった。


「ちっ。めんどくせぇ。わかったよ」


 九十九は観念したかのように、息を吐く。

 椿の前では嘘はつけないと思ったのであろう。


「……あの炎は九尾の炎だ」


「九尾の炎って妖狐が使う炎よね?」


「おう」


 九尾の炎については椿も知っている。灰になるまで燃やし尽くすと言われている炎であり、隊士達は妖狐達の炎には注意すべしと心得ていた。

 だが、あの白銀の炎は聞いていたよりも美しく、恐ろしいほどに強いように思える。他の九尾の炎とは違うように思えたのだ。

 その理由を九十九は答えた。


「なんでか知らねぇけど、妖にだけ効くんだ」


「妖だけ?」


「おう。すぐに灰になっちまうほどの力はあるんだが……。あの炎を使うには代償が必要でな」


「その代償って?」


 椿は九十九に尋ねる。

 その代償とは何なのか……。九十九の苦悶の表情を思いだすと胸騒ぎがする。代償と言うからには、何かを犠牲にするものなのであろう。

 不安がよぎる椿。

 九十九は言いにくそうに重たい口を開けた。


「……俺の命だ」


「!」


 椿は驚愕する。

 九十九は自分の命を使って、あの白銀の炎を放ったのだ。

 それも、昨日、今日と二回も……。

 さらなる不安がよぎる椿。

 白銀の炎を使うということは、どうなるか目に見えていたからだ。


「じゃ、じゃあ、あの炎を使い続けたら九十九は……」


 死ぬ。

 その言葉が頭をよぎるが口には出せない。出したくないのだ。

 九十九が死ぬなんて想像もしたくない。やっと自分の気持ちに気付いたのに。

 心配そうに見つめる椿に対して、九十九は平然と答えた。


「そう簡単にくたばってたまるかよ。俺は妖だぞ?寿命なんてお前らの倍以上はある。少し使ったくらいで……」


「駄目よ!あの炎は使わないで!」


 平気だと言わんばかりの顔をして九十九は言うが、椿は使わないよう制止する。

 それも、声を荒げて。

 椿の言動に九十九は驚きを隠せなかった。


「はぁ?なんでだよ、俺の勝手だろ!」


「嫌よ!九十九が苦しむ姿なんて見たくない!」


 九十九も椿に向かって声を荒げるが、それでも、椿は引こうとしない。

 あたりは静まり返ってしまう。

 九十九は、ため息をついた。


「お前には関係ねぇ……」


「ある!」


「なんでだよ!」


「好きだからよ!」


「!」


 突然の告白に驚き、戸惑う九十九。

 まさか、人間の女性に、それも聖印一族に告白されるとは思ってもみなかったのであろう。

 椿は、自分の発した言葉に戸惑いながらも、ぎゅっと手を握りしめ、九十九を見つめた。

 自分の想いをちゃんと九十九に伝えようと決意して……。


「好きだから……使ってほしくない。九十九には、生きててほしいの……」


 椿の眼から涙がこぼれ落ちる。

 九十九を想っている証拠だ。

 椿の涙を目にした九十九は戸惑っていた。


「……本当、調子狂うぜ」


「な、何よ……」


 椿は言い返そうとするが、驚きのあまりに言えなくなってしまう。

 その理由は、九十九が椿の頬を振れ、口づけを交わしたからだ。

 誰もいない静かな場所で、それも幻想的な雰囲気に包まれて、二人は立ち止まったままであった。

 しかし……。


「な、何すんのよ!」


 我に返った椿は、九十九を勢いよく突き飛ばす。

 不意をつかれたように九十九は、よろめいたが、すぐに体制を整えた。

 それでも、九十九は、驚愕したままであった。


「なんでだよ!好きなんだろ!?」


「だからって、いきなり口づけする?普通!」


「知るか!俺は、妖だからいいんだよ!」


「意味が分かんないわよ!」


 言い合いになる二人。

 先ほどまで言い雰囲気だったはずだが、今ではすっかりと消えてしまっている。

 椿は、機嫌を損ねたように口を咎らせ、ぷいっと顔を横に向けた。

 完全に怒ってしまったようだ。

 困惑した九十九は頭をぽりぽりと掻いていた。


「……わかったよ。これやるから、機嫌直せ」

 

 九十九は懐からあるものを取り出し、椿の手に乗せる。

 椿が持っていたのは赤い宝石。椿のように赤い柘榴石であった。


「これ、どうしたの?」


「た、たまたま見つけただけだ。昨日の詫びだ……」


 九十九は、照れながらもそう説明する。

 九十九も気にしていたのだろう。自分の言葉が椿を傷つけたのだと。

 だから、柘榴石をとってきて、ここへと来たのだ。

 椿は、嬉しそうに柘榴石を手に持っていたが……。


「……足りないわね」


「はぁ?」


「これだけじゃ足りないわ」


 椿は意地悪そうに九十九に言う。

 これだけでは、椿は許そうとはしない。何せ、唇を奪われたのだから。

 想いが通じ合ったとは言え、突然奪われれば、許せるわけがないだろう。

 これには九十九もお手上げ状態のようだ。


「何やればいいんだよ。わけわかんねぇっての」


「……もう一度」


「へ?」


「もう一度、口づけして。それで、許してあげる」


 椿は唇を指さしていた。それも、期待しているかのように。

 椿の言動に九十九は振り回されているかのように感じ、あっけにとられていた。


「……本当、めんどくせぇ女。でも、悪くねぇ」


 九十九は、そう言いながらも椿と口づけを交わす。それは、一番美しく、幻想的であった。

 これで、本当に椿と心が通じ合ったように感じた。

 だが、この幸せはいつまでも続くことはなかった。

 椿は殺されてしまうのだから、九十九の手によって……。

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