第百三話 気付いた感情
三美と別れた椿は、少しスッキリとした気分になっていた。
三美に自分の心情を打ち明け、お互いの気持ちをわかり合えたからであろう。
三美との絆が強くなったように椿は感じた。
「三美とちゃんと話せてよかった。朧のおかげね。でも……」
これも朧のおかげだ。朧が真剣に向き合って椿に伝えてくれたからである。
だが、椿は、もう一つ問題を抱えていた。
それは、九十九の事だ。
九十九と言い争いとなってしまった。
椿にとっては一番難しい問題であろう。
「なんて言えばいいんだろう……ちゃんと話さなきゃ。でも……。敵同士……か……」
椿は、九十九の言葉を思いだす。
敵同士という言葉が椿の心を突き刺している。
なぜ、こんなにも胸が痛いのか椿には理解できない。
確かに、二人は敵同士なのだが、言葉を受け止められずにいた。
そんな時であった。
椿はある人物を目にする。
それは、なんと虎徹だ。
虎徹は、散歩でもするかのように空を見上げながら歩いている。
なんとも、虎徹らしいと椿は、苦笑した。
椿もかつて虎徹から指導を受けたことがある。彼女にとっても虎徹は師匠だ。昔から自由奔放であった彼は椿にとっては、うらやましい存在であった。自由気ままな修行は、苦ではなかった。屋敷で閉じこもっているよりも、修行をしていたほうがはるかに楽しかったのだ。彼のおかげで、椿は、一人の隊士として成長したのである。
そのため虎徹には頭が上がらない。むしろ、尊敬しているのであった。
椿は、虎徹の元へと駆け寄った。
「虎徹様?」
「おお、椿か。元気にしてたか?」
椿に声をかけられた虎徹は、手を上げて、挨拶をした。
椿も頭を下げて挨拶をする。
このやり取りは久しぶりだ。修行を思いだして、懐かしく感じた。
「はい。今日も柚月の修業を?」
「そうそう」
「その、柚月は……」
椿は、恐る恐る虎徹に尋ねる。
柚月のことが気がかりで仕方がなかったのだ。
柚月は、自分が成長していないと感じていた様子を何度も見たことがある。
椿は、そんなことはないと励ましているのだが、本人はよく落ち込んでいた。だから、聞きたかったのだ。虎徹から見て、柚月はどうなのかを。
「ん?だいぶ、成長してるぞ。まぁ、あの母ちゃんは厳しいからな」
「そうですか……」
やはり、柚月は成長しているようだ。
だが、月読はそれを認めないのだろう。月読が認めるのは、宝刀・銀月と聖印能力を発動できた時なのだから。
そう思うと、柚月の事が心配になる。
うれしいと思いたいのだが、喜んでいいのかと迷う椿に対して、虎徹が意外なことを言いだした。
「……柚月の修行、見てみるか?」
「え?」
「今、お前さん休んでるんだろ?柚月がどんな修行をしているか見たくないか?」
「で、ですが……お母様が……」
柚月の修業を見るのは月読が許すはずがない。
もし、自分が見に行ったら虎徹にまで迷惑をかけてしまうかもしれない。
椿は、そう思うと虎徹の誘いに乗っていいのか、椿は迷っていた。
「修行を見るのに許可はいらん。師匠は俺だしな」
「……はい」
月読の事は気にするなと言っているのであろう。
虎徹の優しさが心にしみる。
椿は、虎徹の言葉に甘えることにした。
椿は、宿舎の隣にある道場を訪れる。
そこで、柚月は、剣道の素振りをし始めていた。
柚月は、真剣なまなざしで素振りに励んでいる。あの気弱な柚月はどこにもいない。まるで別人のようだ。
修行を始めた当初は、戦いたくないと弱音を吐いていた柚月であったが、椿に励まされ、椿のような隊士になるために、今まで、修行に励んできたのであった。それも、辛抱強く。
――あの子、あんなに頑張ってるんだ……。
椿は、道場に来る途中で、修行の内容を虎徹に教えてもらっていた。柚月の修業は剣道の素振り千回、術の実践、宝刀を使っての実践、聖印能力の発動練習とどれも過酷である。
だが、柚月は、その厳しい修行をこなしてきたのであった。
それでも、月読には認められないため、柚月が落ち込むのは無理もない。
椿は、柚月がこんなにも頑張ってきたのだと思うと心の底から感動していた。
「あれだけ、厳しい修行でも、弱音を吐かずについてきてるんだよな。あいつ、あと何年かすれば、もっと強くなれるかもな」
虎徹の言葉を聞いて椿は静かにうなずいていた。
柚月は、もっと強くなれるであろう。そうなれば、いつの日か自分と一緒に討伐隊に入り、任務をする日が来る。
そうあってほしいと椿は、願っていた。
柚月が強くなることを期待して……。
素振りを千回こなした柚月は休憩に入る。
そこで初めて柚月は気付いたのだ。椿が、自分の修業を見ていたのだということに……。
「あ、姉上……」
柚月と目が合った椿は、微笑み、柚月の元へと歩み寄った。
「見てたわよ、修行。すごいじゃない!」
「うん、でも、銀月も聖印も発動できてないんだ……」
椿に褒められたが、柚月は落ち込んでいた。
銀月も聖印も発動できないことが悔しいのであろう。
それでも、椿は、うれしいのだ。
柚月がこんなにも強くなっていると修行を見て分かったのだから。
「それでもすごいと思うわ。だって、銀月も聖印も発動できたらもっと強くなれるってことでしょ?」
「そう?」
「うん。楽しみだわ。柚月がもっと強くなる日が」
「ありがとう、姉上!」
柚月は、満面の笑みを浮かべる。その笑みは朧と同じで、椿にとって心が癒される。とても穏やかな気持ちになり、椿も微笑んだ。
だが、一瞬だけ浮かない顔をしてしまう。
柚月は、そのわずかな表情を見逃さなかった。
「どうしたの?姉上、何かあった?」
「うん、ちょっと色々あってね……」
なぜか、椿は九十九の事を思いだしてしまう。
どうしても、あの言葉が忘れられなかったのだ。
椿は、言葉を濁そうかと考えたが、朧の言葉を思いだす。
柚月に話したら何かわかるかもしれない。もしかしたら、このもやもやがスッキリするかもしれない。そう思うと椿は、重たい口を開けた。
「……柚月になら、話してもいいかな」
「え?」
「実はね、喧嘩しちゃったの」
「母上と?」
「う、ううん、男の人」
「じゃあ、討伐隊の人?」
「違うんだけどね……。その、ここの人じゃないの。でも、よく会うようになったの」
「そうなんだ。知らなかった」
椿は、少しだけ言葉を濁す。
さすがに、妖狐の九十九と喧嘩したなどとは言えない。
柚月に嘘をついているのは心苦しいが、それだけは気付かれるわけにはいかなかった。
柚月も、椿が、男の人と会っているのは意外のようだ。どこであったのだろうと問いかけたかったのだが、任務の時ではないかと思い、これ以上は尋ねなかった。
「ちょっと、八つ当たりしちゃったのもあってね……。ひどいことも言っちゃったし……」
「その人は、どんな人なの?」
「どんなって……」
柚月に尋ねられて椿はどう答えたらいいかとためらってしまうが、正直に答えることにした。もちろん、九十九が妖狐であることは伏せて。
「不器用で、言葉遣いが悪くて……でも、優しい。一緒にいると楽しいのよね……」
椿は、九十九の話をすると次第に表情が明るくなる。
毎晩のようにあの湖へ行き、九十九と会話した日々を思いだしていた。
辛い日々もあったが、九十九といると何もかも忘れる。椿にとって九十九は心の支えとなっていた。だから、九十九といると楽しかったのだろう。
楽しそうに話す椿を見て、柚月も楽しそうだ。
こんなに、楽しげに話す椿を見るのは初めてかもしれないと思うほどに。
椿の話を聞いた柚月は、あることに気付き始めた。
「姉上にとってその人は大事な人なんだね」
「そうね……。大事な人なのかもね……」
「そうだよ!大事な人なんだよ!姉上はきっとその人の事が好きなんだよ」
「ええ!?」
椿は、驚き、動揺していた。
矢代にも同様の事を言われたことはあるが、違うと否定したにも関わらず、まさか、柚月にまで言われてしまうとは思ってもみなかったであろう。
しかも、年下の男の子に。
「な、なんでそんなこと言うの、柚月!ち、違うと思うけど……」
「違うの?なんだか、そんな感じがしたけど。姉上、その人のこと話してた時、楽しそうだった」
「私が?」
「うん!今までで一番楽しそうだったよ!」
何とも、楽しそうに話す柚月。
その様子は、無邪気に話す少年そのものだ。「好き」という言葉を柚月はどうとらえているのか、椿にはわからない。
だが、椿が考えている「好き」は、確実に九十九を異性として「好き」ととらえている。
否定したくなる椿であったが、改めて様々なことを思いだす。楽しかった日々も、「敵同士」と言われたことも。なぜ、楽しかったのか、居心地が良かったのか。なぜ、敵同士と言われて、心が傷ついたのか。椿には理解できない感情であったが、今、やっとわかったような気がした。
「そっか、私……」
椿は胸に手を当てて、下を向いた。
――九十九の事が……。
椿は、気付いた。自分が、九十九の事をどう思っていたのかを……。
「姉上?どうしたの?」
「……何でもないわ。ありがとう、柚月」
「え?僕、何かした?」
「……ええ」
椿は、微笑んでうなずいた。
柚月のおかげで、九十九に対する気持ちがわかったのだから。
「おーい、柚月、修行始めるぞー」
「あ、はい!じゃあね、姉上!」
虎徹に呼ばれ、柚月は走りだす。
椿は、柚月を見守るように微笑んでいた。
彼に感謝しながら、スッキリとした表情で。
そして、その日の夜。
椿は、裏門を潜り抜け、駆けだした。
――早く会いに行こう。会って、伝えなきゃ……私は九十九の事が……好きなんだって!
椿は、まっすぐ湖へ向かった。
九十九に自分の気持ちを伝えるために……。
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