第百二話 話せば伝わる

 早朝、椿は目を覚まし、起き上がる。

 手で瞼に触れるが、晴れているように感じているようだ。

 意識がはっきりとしない中で、椿は、鏡を見た。


――目が赤くなってる。


 椿の眼は真っ赤になっている。

 昨夜、ずっと泣いていたから。涙が枯れるまで……。

 泣いた理由は椿も理解している。九十九と喧嘩したからだ。

 敵同士という言葉が椿の心を突き刺す。

 たったそれだけの言葉が、どうしても受け付けられない。


――こんなんじゃ、駄目なのに……。


 強くあらねばならない。そう心に決め、強くあろうとしていた椿にとっては、今の自分が情けなく思えてきた。



 身支度を整え、朝食を済ませた椿は、廊下を歩く。

 向かうのは、朧の部屋だ。

 毎朝、朧の様子を見に行くことを日課にしている。どんなに任務で忙しくてもだ。

 たとえ、昨日、椿にとって辛いことがあったとしても……。

 行かなければ、朧は寂しがるだろうし、何かあったのではないかと心配する。

 誰にも気付かれたくない。たとえ、それが、家族であってもだ。

 椿は、息を吐き、気持ちを入れ替えて、御簾を開けた。


「朧?」


「あ、姉さん。おはよう」


 布団にもぐっていた朧は、ゆっくりと起き上がる。

 顔色はいいようだ。

 朧の様子を見た椿は、安堵して、腰を下ろした。


「おはよう。調子はどう?」


「うん、大丈夫だよ」


「そう」


 大丈夫だと聞いて、椿はほっとしたいところなのだが、なぜか浮かない顔をしている。

 椿は、笑っているつもりなのだが、そうではないらしい。

 彼女の顔を見ていた朧は、心配そうに椿を見ていた。

 椿は、朧の様子に気付いたことで、今の自分の顔が朧の眼にどう映っているのを悟ってしまった。


「お、朧、どうしたの?」


「どうしたのって、姉さんこそ、どうしたの?大丈夫?」


「え?なんで?」

 

 椿は、大丈夫だと答えず、思わず尋ねてしまった。

 はっと気づくが時すでに遅し。

 朧は、椿の問いに答えた。


「うん、なんか、元気なさそうだから……」


「……そんなことないわ。元気よ」


 椿は、否定して笑顔を見せる。

 今度こそ、笑えているはずだ。椿はそう、確信していた。

 それでも、朧は、心配そうな表情を見せていた。

 どうか、気付かれませんようにと椿は願うばかりであった。


「姉さん、何かあったんだよね?話してよ」


「だ、大丈夫よ。……急いでるから。じゃ、じゃあね……」


 もうこれ以上は、気付かれたくない。

 ここから、一歩でも逃げ出したいと思ってしまった椿は、逃げるように立ち上がろうとするが、突然、朧が椿の手をつかんだ。

 椿は、驚いた様子で朧に視線を向けた。


「朧?」


「ちゃんと話して、今すぐ」


 朧は、ぎゅっと椿の腕をつかみ、真剣なまなざしで、椿を見ている。

 病のため、あまり強く握られていないが、それでも朧が力いっぱいにつかんでいるのがわかる。

 本気のようだ。

 幼い身でありながらも、椿の事を考えているのであろう。

 椿は、朧に気付かれないように必死になっていた。


「あ、あのね……。お姉ちゃんは、大丈夫だからね……。だから……」


「姉さんはずるいよ」


「え?」


 逃げようとする椿に対して、朧はずるいと話す。

 椿の眼には、朧が本気で怒っているように映った。

 ぎゅっとつかまれている腕が痛く感じてくる。朧が力を込めているのがわかるほどに。


「逃げるのはずるい。何も言わないのはずるいよ」


「どうして、そう思うの?」


「だって、姉さんは何か、隠してる。僕にはわかるんだ」


「……」


 朧は気付いてたのだろう。椿が無理をしていたことに。

 椿はずっと気付かれないように、隠し続けてきたのであろうが、朧にはわかってしまったようだ。

 どうにかこうにか逃げようとしてきた椿であったが、逃げられないとわかり、黙ってしまった。何も言えなかったのだ。


「姉さん、気持ちはわかるけど、隠されるのはつらいんだ。僕は、頼りないんじゃないかって」


「そんな事ないわ。朧は……」


「だったら、頼ってよ。力になりたいんだ」


 朧は必死で訴える。

 それは、椿のためだ。

 命がけで戦い、自分達を支えてくれていた椿。

 何もできない朧にとってはうれしい反面つらかったのであろう。

 だから、せめて、椿の支えになれるようにと話を聞こうと、本音を聞こうと朧なりに考えたのであろう。


「朧には適わないわね……」


 朧も椿と同じで頑固なところがある。

 言いだしたら聞かないのだ。

 まっすぐで芯の強い子である。椿にも伝わるくらい。

 椿は、降参したかのように話し始めた。


「任務で、部下を怪我させちゃってね……。私のせいで……」


 椿は、先ほどとは違って、落ち込んだ様子をみせる。

 椿の話を聞いていた朧は、彼女を心配するように見つめた。


「その人、怒ってた?」


 朧の問いに椿は首を横に振って答えた。

 その表情は今はとても穏やかだ。三美の言葉を思いだしたのだろう。


「朧みたいに頼ってよって言ってたわ」


「じゃあ、頼っていいんじゃないかな」


「そうかな?」


「うん、話してみたら、何かわかるかもしれないよ?」


 朧は、椿に優しく語りかける。

 朧の優しさが、ひしひしと伝わってくる。とても、温かく居心地がいい。まるで、陽だまりのようだ。椿の傷ついた心を癒してくれるように。

 椿は、三美に話す決心がついたようで、静かにうなずいた。


「そうね……。そうしてみるわ。……ありがとう、朧」


「うん」


 朧は満面の笑みを浮かべる。

 その笑顔は、心を癒してくれる。

 椿は、朧に助けられたような気持ちになり、感謝していた。

 朧がいてくれてよかったと心の底から思うほどに。

 


 三美に話すことを決意した椿は、朧と別れ、宿舎へ。

 三美がいる部屋の前にたどり着いた椿は、息を吐く。

 話すのがとても怖い。話していいのだろうかと葛藤しかけてしまうが、朧の言葉を思いだした。

 決意を新たにした椿は、御簾を開けた。


「三美……」


「あ、椿……」


 椿が部屋に入ったのを見た三美は起き上がる。

 包帯は、巻かれてあるが、元気そうだ。回復してきたのだろう。

 そう思うと椿は、安堵した様子を見せた。


「怪我の方はどう?」


「もう、大丈夫よ。どこも痛くないわ」


「そう……」


 椿は、ぐっと自分の手を握りしめる。

 話すのが怖い。自分をさらけ出すのが怖い。だが、怖がっていては何もわからない。

 椿は、語り始めた。逃げずにただ真っ直ぐ三美の眼を見て。


「あのね、三美、聞いてくれる?」


「うん」


「……私ね。ずっと、怖かったの。戦うことが。死ぬのも嫌だったし、皆を失うのも、傷つくのも嫌だった。だから、怖かったの」


 椿は体を震わせる。

 本音をさらけ出すということはこれほど勇気がいることなのだと気付きながら。

 椿の話を聞いていた三美はうつむいていた。


「……やっぱりね。そうだと思ったわ」


 三美に気付かれていたようだ。こんな自分が情けなく感じる。

 弱さを隠してきたつもりだったのに気付かれていたとはと。こんな弱い隊長の部下になりたくないと思われても仕方がない。

 椿は、三美は軽蔑しているだろうと思い、半ばあきらめかけていた。

 しかし、三美から出た言葉は椿にとって意外であった。


「でも、私もそうよ」


「え?」


 椿は、驚き、目を見開く。

 三美は優しく微笑んでいた。


「私だって、椿が傷つくのも嫌。だって椿の事が大事だもの。志麻達の事も大事だし。生きていたいし……。そう思うと怖いわ。私達も怖い。だから、支えがないと駄目なのよ」


「……」


 三美も本音をさらけ出すかのように語りだす。

 椿は、三美も同じ想いをしているとは思わなかった。三美は冷静で、自分より強いと思っていたから。同じ想いで戦ってきたのだ気付かされた椿なのであった。


「でもね、私だけじゃないわ。志麻も五十鈴も遼も椎奈もきっと同じだと思うの。同じように恐怖と戦ってると思うの。それでも、妖と戦ってこれたのはどうしてだと思う?」


「それは……」


 三美の問いに椿はすぐには答えられなかった。

 三美は優しく、答え始めた。


「椿がいてくれたからよ。椿が、私達を支えてくれたからよ」


 三美の答えを聞いた椿は、涙をためていた。

 何とかして椿はこらえていた。


「椿、私は、椿の支えになりたい。椿が私を支えてくれるように……」


「三美……」


「椿、もう無理しなくていいのよ?私達がいるんだから」


「ありがとう……」


 とうとう椿は、こらえられず、涙を流し始めた。

 その涙は、とても暖かった。

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