第百五話 別れの始まり

 九十九に想いを告げてから三か月が過ぎた。

 聖印京は相変わらずだ。妖との戦いは続いている。

 だが、それでも、椿の心情に変化が訪れていた。その理由は、九十九がいるからであろう。彼の存在が椿の生きる理由となっており、支えとなっている。

 そして、三美達と言う仲間の存在も椿の支えとなっているのである。同じ感情を共有し、戦っていると思うと怖がってなどいられない。

 戦いの最中でも椿は希望を見出したのかもしれない。

 そんなある日の事だ。

 椿は、休暇をもらい、牡丹のお店を訪れていた。


「はい。どうぞ」


「ありがとうございます」


 牡丹からお茶と和菓子を差し出され、椿はいただく。

 牡丹は、あるものを光に照らして眺めていた。

 それは、椿が九十九からもらった柘榴石だ。牡丹は、椿から柘榴石をもらったことを聞いており、どうしても鑑定したいと頼み、来てもらったのだ。

 おそらく、骨董品屋の店主の血が騒いだのだろう。

 柘榴石がどんなものなのか気になったようだ。


「どうでした?」


「うん、宝石や。山からとれたんやろうね。それにしても、綺麗な色やねぇ」


「あ、はい」


 柘榴石は光に照らされ輝いている。

 まるで、椿の花が咲き誇ったように。


「恋人からもらったんやろ?」


「そ、そうなんです」


 牡丹にはすでに恋人がいることを伝えている。もちろん、九十九が妖ということは伝えてはいない。

 それでも、牡丹は自分のことのように喜んでいた。

 紹介してとせがまれてはいるが、椿は、忙しい人だからと言って、やんわりと断ってはいた。

 その後、事情を察したのか、今は、紹介してとは言われていない。


「椿はんが赤い色好きってこと知ってたんか?」


「い、いえ。違うんです。たまたま、見つけたみたいで……」


「そうなん?」


「はい。でも、彼も赤色が好きだって言ってました」


「へぇ、同じ色が好きなんや。よかったねぇ」


「え、ええ」


 牡丹は嬉しそうに言うが、なぜか、椿は複雑のようだ。

 実は、それとなく、九十九になぜ、赤い色が好きなのか尋ねたことがあった。

 その理由は、椿にとってとても残念であった。

 なぜなら、九十九が赤い色が好きな理由は、血の色だからだ。血はいいぞ、などと語り始めた時は、椿は聞くんじゃなかったと後悔したのであった。

 それも、過去の話だと九十九は言うが……。

 ちなみに椿が赤い色が好きな理由は、椿の花と同じ色だからである。


「それは、椿はんにとって大事なもんやね」


「はい!」


 牡丹に柘榴石を返してもらった椿は、嬉しそうに笑みを見せていた。

 彼女の笑みを見た牡丹も嬉しそうであった。まるで、本当の親子のように……。



 しばらくして、椿は店を出た。

 牡丹は、椿を見せの外まで見送りに店を出た。


「では、また」


「うん。また、来てや」


「はい」


 椿は手を振りながら去っていく。

 とても幸せそうだった。


「ほんま、幸せになってよかったわ」


 椿が幸せになったと感じた牡丹は、心の底から喜んでいた。自分の娘が、過酷な戦いの中で幸せを見つけられたのだから。

 だが、牡丹は知る由もなかった。

 これが、最後の別れとなる事など……。


 

 椿は、聖印京へ到着し、鳳城家の屋敷へ戻ろうとしていた。

 その時、春の香りがふわりと舞ったのは。

 この香りを知っている椿は、誰が来たのかすぐにわかったのであった。


「椿様!」


「綾姫様!夏乃!」


 椿の元へ駆け寄ったのは千城家の姫君・綾姫と彼女を護衛する女忍びの夏乃であった。

 綾姫は、無邪気に走っている。夏乃は慌てて綾姫を追いかけている。その姿はとてもかわいらしい。椿にとって綾姫や夏乃は妹のような存在だった。そして、綾姫と夏乃にとっても椿は姉のような存在であり、憧れていた。


「こんにちは、椿様」


「こんにちは。久しぶりね。どこかに行くの?」


「はい。これから本堂へ行くんです」


「本堂?」


 椿は首をかしげる。

 なぜ、彼女達が本堂に呼ばれたのであろうかと。

 綾姫や夏乃は、まだ幼い。隊士としてということかもしれないが、それでも、まだ修行の身のはずだ。

 何か重要なことでもあるのだろうか。

 そう思っていた椿であったが、綾姫が答え始めた。


「うん。お母様が勝吏様にお話したいことがあるって。赤い月がどうとか……」


「赤い月……」


 五年に一度現れる赤い月。月が満ちかけているにもかかわらず、満月のように映し出され、赤い光を放つ。その光景はとても異様で不気味だ。なぜ、五年に一度なのか、なぜ、赤い月と化してしまうのかまだ、誰も知らない。

 わかっているのは、その日は、戦場になるということだ。

 妖達が凶暴化する。それも、結界を打ち破るほどだ。

 都は混乱と化し、血の海となり、全てが赤く染まる。まさに地獄絵図だ。

 その日は、最も被害が拡大する時でもある。

 千城家の姫君は、聖水の泉を通して、赤い月がいつ現れるのか予見することができる。綾姫の母親が勝吏に会いに行ったのは、そのことであろう。


「私達も来るようにと言われているんです。大事なお話があるとかで」


「そうなの……」


 回避する方法はたった一つ。千城家の姫君が聖水の泉と同化して、妖を一気に浄化するという方法だ。

 綾姫を連れてきたのも、それにかかわることと見て間違いなさそうだ。

 だが、幼い彼女達まで、この戦いに駆り出さなければならないと思うと椿が胸が痛んだ。


「じゃあね、椿様!」


「では」


「ええ、またね」


 彼女達は無邪気に手を振り、走りだす。 

 まだ、何も知らないのであろう。赤い月と言うのがどんなに恐ろしいものなのか。

 いや、知らない方がいい。彼女達にとって地獄を体験することになるのだから……。


「赤い月か……」


 綾姫達とのやり取りで椿は赤い月がもうすぐ出現することを予想していた。

 そう思うと、気がかりなことが一つだけある。

 それは、九十九の事であった。



 その日の夜、椿は、いつものように湖を訪れていた。

 だが、その足取りはいつもより、重い。

 赤い月の事を考えると、不安がよぎってしまうからだ。

 九十九が、先に到着していたようで椿を出迎えた。


「おう、来たか。待ってたぜ」


「うん……」


 椿は、うなずくが浮かない顔をしている。

 九十九は椿の様子に気付き、心配そうな顔で椿の顔を覗き込んだ。


「どうした?なんかあったのか?」


「ねぇ、九十九……」


「ん?」


「赤い月の日は、九十九は、どうするの?」


「どうって?」


「赤い月の日は、結界も無効になる。そうなると妖達は一斉に都を襲撃するわ。そうなったら、私達、戦わなきゃいけなくなるのかなって……」


 椿は、言いにくそうに話す。

 赤い月の日は、必ず妖が聖印京へ襲撃しに来る。天鬼も、四天王もだ。おそらく、九十九も、聖印京を襲撃することとなるのだろう。

 自分と九十九は戦分ければならないのかと思うと不安に駆られてしまう。それだけは、避けたかった。愛する九十九と殺し合いたくない。

 椿は、恐怖に押しつぶされそうであった。

 そんな椿に対して、九十九はそっと歩み寄る。まるで、恋人のように。

 だが、九十九は答えることなく、意外な行動に出た。


「いたっ!」


 なんと、九十九は椿の額に向かって中指ではじく。

 不意打ちをつかれた椿は、手で額を抑え、きょとんとした顔を見せた。

 ふと見上げると、九十九は、優しく椿の頭を撫でていた。


「馬鹿。んなことするわけねぇだろ?」


「でも、妖はみんな理性を失うって」


「だとしても、俺は俺だ。理性を失ったとしても、お前と戦うなんてことはしねぇよ」


 赤い月の日は、妖は理性を失ってしまう。それは、九十九もだ。もし、そうなったら、九十九は目の前にいるのが椿だと認識できなくなり、襲い掛かってくるのかもしれない。

 そう思うと椿は不安であったが、九十九は、椿と戦うつもりなどない。

 たとえ、理性を失ったとしても、椿を傷つけることは絶対にしない。そう心に誓っているのだから。


「でも……」


「俺は、信用できねぇか?」


「……ううん、できるわ。信じてる」


「なら、心配することねぇ。大丈夫だ」


「……ええ」


 九十九はそう言いきるが、椿はどこか不安げだ。

 信用していないわけではないが、やはり、不安に駆られていた。



 九十九は、湖から靜美山へと戻ってくる。

 だが、彼の前に、一人の妖が現れる。

 それは、六鏖であった。


「九十九」


「なんだ、六鏖か。なんだよ」


「どこへ行っていた?」


「別にどこだっていいだろ?」


 六鏖に問い詰められ、九十九は苛立ちを隠せない。

 人間と会っているなどと知られるわけにはいかなかったからだ。

 何より、自分がどこにいたなど聞かれることが気に入らない。

 今まで、九十九は、誰にも指図されることなく生きてきたのだから。


「話は、それだけか?俺は行くぞ」


「待て。天鬼様がお呼びだ。四天王は全員来るように言われている」


「ちっ」


 天鬼に呼ばれたと知り、九十九は舌打ちをし、しぶしぶ六鏖と共に、塔へと向かった。



 塔の最上階に到着した九十九と六鏖。

 そこには、天鬼、雪代、雷豪が二人を待っていた。


「天鬼様、九十九を連れてまいりました」


「ああ、九十九、こっちへ来い。話がある」


「何のだよ」


「……赤い月についてだ」

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