第九十七話 目に焼き付いたのは寂しい顔

――妖狐、本当にいたのね……。


 妖狐は、この離れにいる可能性がある。そう、考えてたどり着いた椿であったが、本当に妖狐が隠れていたとはと驚いているようだ。

 椿は、宝刀を抜き構えた。


「は、早く、殺さないと……」


 自分が妖狐を仕留める。そう決意していたはずなのに、いざ、妖狐を目の前にすると、震えが止まらない。これほどの恐怖は初めてだ。

 妖狐は、倒れて、気を失っている。絶好の機会であるはずなのに、中々体が動かない。目覚めてしまう前に、殺さないといけない。そうでなければ、殺されてしまう。

 何度も言い聞かせるが、体は、動いてくれなかった。

 その時だ。


「!」


 突然、妖狐が目を開けた。

 椿は、怯え、後退してしまう。自分がこんなにも臆病だったとはと思い知らされるほどに。このままでは、殺されてしまう。恐怖が頭をよぎってしまう。

 椿は、恐怖のあまり、目を閉じてしまった。

 だが、妖狐は意外なことを言い始めた。


「か、母さん……?」


「え?」


 母さんと呼ばれ、椿は驚く。

 どうやら、妖狐の意識はもうろうとしているようだ。目の前にいるのは人間の椿ではなく、妖狐の母親だと錯覚してしまうほどに。

 椿を見た妖狐は、微笑む。まるで、安堵した様子だ。

 何かから解放されたような気持ちなのだろうか。


「そうか、俺はもう……一人じゃ……ねぇんだ……な……」


 そう言って、妖狐は、意識を手放す。

 殺すなら絶好の機会だ。

 だが、椿は、そうしなかった。できなかった。

 ただ、眠っている妖狐を呆然と見て、立ち尽くしてしまっていた。


「……」


 椿は、宝刀を鞘に納め、妖狐の頭に触れる。この時の椿は、恐怖に怯えているわけではない。恐怖はもう消え去っていたのだから。

 どれだけの人間を殺してきたのだろうか、妖狐は血を浴びている。それでも、椿は、怯えていない。ただ、妖狐を見つめているだけであった。

 しかし、椿は突然、離れへと入っていく。

 誰かを呼びに行くわけでもなく、妖狐を殺すわけでもなかった。

 椿は、箱を手に持って離れから出ると、妖狐の元へ駆け寄る。

 すると、椿は、箱から包帯を取り出して、妖狐の治療に取り掛かった。

 傷は、思ったよりも深いようだ。あちこちに切り傷ができている。

 早くしなければ、この妖狐に命の危機が迫っているかもしれない。

 そう思うと椿は居ても立っても居られない。そんな心情の中で治療をしていた。どうか、助かるようにと願って……。


「ん……」


 治療の途中で、九十九は、目を覚ます。


「ん?なんだこりゃ?包帯か?」


 九十九は、起き上がろうとすると自分の異変に気付く。

 なんと、妖狐の体に包帯が巻かれてあるのだ。しかも、痛みはすでに消えている。なぜ、包帯が巻かれてあるのか。ここに来たことまでは覚えている。それから、意識を失ったようだ。その間に何が起こったというのであろうか。それに、なぜ、自分は生きているのだろうか。ここの人間は、自分を殺そうと血眼になって探していたはずだ。それなのに、生きている。しかも、助けられている。

 誰が?どうして?何のために?

 九十九は、不思議でならなかった。


「ここは……」


 九十九はあたりを見回す。自分は、無意識のうちに、聖印京から脱出したのではないかと錯覚したのであろう。だが、見えるのは屋敷ばかり。九十九は、まだ聖印京にいると確信した。

 ふと見上げると女性の顔が目に入った。

 それも、目の前にいたのは、人間の女性・椿であった。


「気がついたみたいね」


「!」


 九十九は、起き上がって飛び起きる。まだ、治療中だというのにも関わらず。

 九十九は、椿を警戒しているようだ。

 それもそのはず、目の前に人間がいるのだから。人間と妖は常に殺すから殺されるかのどちらか側に立つ。

 だが、椿は、殺す気はないようだ。それでも、警戒心は解けない。自分を見て、殺そうとする人間はいないはず。そう思って生きてきたのだから。


「てめぇ、何しやがった!」


「それが、助けてもらった人に言う言葉かしら?」


「助けて……まさか、てめぇが俺を?」


 九十九は、巻かれてある包帯に触れる。

 この包帯は椿がしてくれたのだと改めて気付かされたのだ。そんなことあるはずないと、半信半疑のままで。

 だが、椿は自分を斬りかかろうとはしてこない。

 むしろ、穏やかな目でこちらを見てくる。

 今、何が起こっているのか、九十九には理解できない状況であった。


「なんでだよ」


「え?」


「なんで、俺を助けた」


 九十九は椿に問いかける。

 なぜ、人間が自分を助ける。なぜ、殺さない。

 そればかりの疑問が浮かぶ。それどころか、何か罠を仕掛けられたのではないか。まだ、他に人間がいるのではないかと疑うばかりだ。

 九十九は警戒心を解けないままであった。

 それでも椿は九十九の疑問に答えた。


「怪我していたからよ」


「俺は、妖だぞ?妖を助ける人間がどこにいる」


「ここにいるわ」


 椿は、指を自分に向けてさす。

 九十九は、きょとんとしてしまう。

 怪我をしていたから、妖を助けたなど聞いたことはないだろう。

 ますます意味が分からない。九十九には理解不能のようだ。


「普通は殺すだろ」


「放っておけなかったからよ」


「なんでだよ」


「それは……秘密」


 椿は、今度は人差し指を唇に当てる。

 助けた本当の理由は話す気はなさそうだ。


「俺を助けた事、後悔するぞ」


「……しないわ。それはない」


「なんで、言いきれるんだよ」


「それも、秘密」


 やはり、肝心なことは話そうとする気はない。

 やはり、罠ではないのか。九十九は椿を疑っていたが、それすらも消し去ってしまうようなことを椿は言い始めたのであった。


「誰か来たみたい」


「は?」


「ここから、逃げた方がいいって言ってるの。それとも、殺されたかったの?」


「馬鹿か!んなわけあるか!」


「ちょっと、声出さないでよ。気付かれるでしょ」


「あ……わりぃ……」


 椿に指摘されて、思わず謝罪してしまった九十九。

 椿は、誰かが来た事をわざわざ九十九に教えてくれたのだ。しかも、逃げた方がいいなどと言って。

 普通なら、自分を差し出して、殺させるなり、捕らえさせるはずだ。それなのに、椿は、自分を逃がそうとする。それも、誰にも気付かれないように。

 九十九はいつの間にか警戒心が解かれていることに気付き、頭を悩ませた。


「調子狂うな」


「何か言った?」


「なんでもねぇよ」


 九十九のぼやきが聞こえたようで椿は問いかけるが、九十九は、何でもないと言ってしまう。まるで人間同士のやり取りだ。

 やはり、調子が狂う。本当に自分達と敵対している人間かと思うほどに。


「けど、どうやって逃げればいいんだよ。逃げ道なんてあるのか?」


「あるわ。教えてあげる。ついて来なさい」


 椿は、立ち上がり、九十九を案内し始めた。

 本当に逃がしてくれるようだ。

 椿は、自分を殺す気はないし、罠にはめる気もないと、理解したが、どうにもこうにも納得がいかない。自分を助けたところで何の得にもならない。それどころか、損をするはめになるのではないだろうか。

 椿がいったい何を考えているのか九十九にはわからなかった。


「変な奴」


 九十九は、椿の後を追う。

 今なら、九十九も椿を殺して逃げることはできたはずだが、それはしなかった。今まで敵意はなくとも殺してきたはずなのに、それができない。したくないとでも思っているのだろうか。

 やはり、椿といると調子が狂う。

 このもやもやした気持ちが理解できず、九十九は、椿と共に離れを出た。



 離れから、少し離れた裏門へとたどり着いた九十九。

 裏門には誰もいない。誰かが待ち構えていたというわけではなさそうだ。

 椿は、裏門の戸を開けた。


「ここから、外に出れる。逃げられるわよ」


「いいのかよ、俺を逃がして」


「ええ、どうにでもなるわ」


 椿の答えに九十九はきょとんとしてしまう。自分を逃がして、どうにでもなるわけがない。知られれば、可能性だってある。処刑か追放と言った重罪に当たるかもしれない。

 それなのに、椿は、言いきってみせる。

 本当にわけがわからなかった。


「本当、変な奴だな。礼なんて言わねぇぞ」


「結構よ。ほら、行きなさいよ」


「わかってるっての!」


 九十九はそう言い捨てて、逃げようとする。

 だが、裏門を出た九十九は急に立ち止まった。

 どうしたのか、椿にも分らない。

 すると、九十九は背を向けて椿に告げた。


「九十九……」


「え?」


「俺の名前だ。お前は?」


 九十九は振り返る。

 今度は椿がきょとんとしていた。

 九十九が自分の名を名乗り、名前を聞かれるとは思ってもみなかったのだろう。もう、会うこともないかとも知れないというのに。

 最初は、驚いていた椿であったが、すぐに穏やかな顔を見せた。


「椿よ。鳳城椿」


「覚えておく。だが、次会った時は敵同士だからな」


「ええ、覚えておくわ」


「……」 


 敵同士だと言っても、警戒しない椿。

 それどころか、一瞬だけ、寂しい顔を九十九に見せた。

 その寂しい顔は、九十九の目に焼き付いた。なぜ、寂しい顔を見せたのかと。

 九十九は、疑問が生まれるばかりであったが、そうも言っていられない。

 他の隊士達に気付かれる前に、逃げなければならない。

 九十九は、何も言わず、椿に背を向けて、跳躍した。

 九十九が無事に逃げた事を確認した椿は、裏門を閉めて離れへと戻っていく。自分も、九十九を逃がしたことを悟られないようにするために。



 あたかも探しているかのようにあたりを見回す椿。

 そこへ、先ほどの討伐隊の隊士が、椿の元へ駆け寄った。


「椿!」


「皆!」


「大丈夫か!?」


「え、ええ。でも……」


 椿は、上を見上げる。隊士達を椿と同様に上を見上げる。

 すると、九十九が逃げていく姿が、目に映った。

 九十九が自力でここから脱出したように見せかけるように。


「逃げられたみたいだな」


「ええ、もう少し早く来ていれば……」


 もちろん、これも嘘だ。

 今の今まで椿は九十九を手当てし、逃がしていたのだから。

 隊士達は悔しそうな表情を椿に見せた。

 

「……とりあえず、勝吏様に報告しよう」


「そうね……」


 椿は、悟られないようにうなずいた。

 彼らに嘘をついてしまったが、不思議と後悔はしていない。

 人間を殺してきた九十九に対して、敵意も抱いていなかった。

 


 しばらくして、九十九は靜美山に逃げ込んだ。 

 振り返るが、誰も追ってきてはいない。

 逃げ切れたと感じた九十九は安堵した。


「何とか逃げられたな……」


 逃げる途中、何度も振り返ったが、誰も追ってこなかった。

 椿は、本当に、自分を逃がしてくれた。


「何だったんだ、あの女は……」


 どう考えても、理解できない。

 なぜ、自分は助けられたのか。なぜ、あんな寂しそうな顔をするのか。

 答えは出ないままであった。


「椿か……」


 九十九は椿のことが忘れられなかった。去る時どこか寂しそうであったからだ。

 椿のあの顔が、自分の目に焼き付いて離れられなかった。

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