第九十八話 忘れられない

 九十九は、靜美塔へと戻る。

 何も言わず、ただ静かに。

 そんな時であった。


「九十九!」


 突然、女性が右から九十九に抱き付く。

 その女性は、雪女の雪代だ。彼女は九十九を見るなりうれしそうな顔をしていた。

 反対に九十九は、雪代に抱き付かれても何の反応も示さない。

 冷たい目で、雪代を見下ろすようににらんでいた。


「なんだ、雪代かよ」


「何だってことはないでしょ?失礼ね」


 九十九の態度位に対して、不満げに話す雪代。

 雪代は、九十九が戻ってくるのを待っていたのだ。

 天鬼が九十九の事をとがめたのは知っている。もしかしたら、それが原因で戻ってこないかもしれない。あるいは、再び聖印京へ侵入し、人間に殺されたのかもしれないと不安に駆られていたのだ。

 最も、九十九が死ぬはずはないと、言い聞かせていたのだが。

 雪代は、妖艶なまなざしで九十九を見つめている。

 まるで、誘惑しているようだ。


「全然、帰ってきてくれないから心配したのよ?今までどこにいたのよ」


「関係ねぇだろ」


 雪代に対して、腕を振り払って、九十九は冷たく突き放す。

 雪代は、一歩下がり、九十九は歩き始めてしまった。

 何も言わず、ただ静かに。

 九十九が冷たいのは相変わらずの事だ。その冷たさは雪女よりも冷たい。だが、雪代は、そんな九十九を愛していた。狂おしいほどに。


「何よ。九十九ったら。ま、帰ってきてくれたからいいけど」


 九十九が戻ってきてくれたことがうれしかったのだろう。

 冷たく突き放されても雪代は上機嫌だった。

 九十九が人間と会って、助けられたなどとは知らないまま。



 九十九は、塔の屋根に腰を下ろして、顔を下に向ける。

 何かを考えるかのように。


「……」


 九十九が考えていたのは、椿の事だ。

 ずっと、気になっていたことがあった。

 それは、自分を助けてくれたことではない。別れ際の寂しそうな表情だ。

 なぜ、あんなに寂しそうだったのか。妖である自分と別れることが寂しかったのか。九十九は、思考を巡らせるが答えは出てこなかった。


――あいつの顔、忘れられねぇ。なんで、寂しそうな顔したんだよ。


 何度も忘れようとしてもよみがえってくる。忘れたくても忘れられない。


――ちきしょう……。なんで、頭から離れねぇんだよ。


 椿のあの表情は九十九の頭を悩ませる。

 なぜ、忘れられないのか、自分では理解できないほどに。


「……」


 九十九は顔を上げる。

 九十九の目に映ったのは、聖印京だ。遠く離れてはいるが、一点を見つめているように見える。

 まるで、聖印京にいる椿を探しているかのように。



 椿は、部下達と共に任務のため、森を訪れていた。

 全ての妖を討伐し終えた椿達。

 椿は、内心安堵しているが、その表情は見せない。不安視していたということを、悟られないように。

 いつものように、椿達は、宝刀や宝器を収めた。


「今日も、任務完了ね。けがはない?」


「ええ、皆無事よ。貴方のおかげでね」


「皆が、優秀だからよ。いつも助かってるわ」


 本当に、彼女達のおかげで無事に任務を終えることができる。椿は、心の底から彼女達に感謝していた。


「じゃあ、戻りましょうか」


 椿達は、聖印京へと戻ることとなった。



 聖印京に戻ると街は活気づいている。賑やかで明るく、親しみやすい。

 この光景は椿を安堵させる。ここは、平和だなと、ずっとそうあってほしいと願うほどに。


「なんだか、ここも元に戻ったって感じっすね」


「妖狐の事件の後は、皆警戒心を持ってたからね」


 九十九が聖印京へ侵入してから一瞬間、街の人々は警戒心を持つようになっていった。

 結界が張ってあるこの聖印京で妖が侵入し、殺人事件が起きたのだ。いつ、自分が殺されるかわからない。そう思うと恐怖で気が狂いそうになったこともあるだろう。

 日に日に被害者が増えていくたびに、警戒心が高まり、警護隊の数も多くなっていった。

 賑やかな街並みが消えてしまうのではないかと思うほどに。

 椿は、その光景を見るたびに、悲しみと怒りが混ざった感情で締め付けられそうになっていた。

 九十九に出会うまでは……。


「そう言えば、あの妖狐、ここに来なくなったぽいよね~」


「警護隊に、相当追い詰められたって言う噂らしいですからね。よっぽど堪えたのかもしれませんね」


「そ、そうね……」


 九十九を逃がしてからもう三日が立つ。

 これに懲りたのか、九十九は聖印京に侵入することはなくなった。

 だが、本当にそうとは思えない。別の理由がある気がする。自分と会ったことが原因なのだろうか。

 椿は、確信が持てず、複雑な心情であった。

 街は平和になったのに、寂しさだけが残ったような感覚に陥っていたようだ。

 戸惑いながらも答える椿の様子を三美は見抜いていた。


「椿、どうしたの?」


「何でもないわ。報告、行ってくるわね」


「え、ええ」


 九十九を助けて、逃がしたことを気付かれないようにするために。気付くことはないだろうとは、考えてはいたものの。どこで知られてしまうかわからない。不安に駆られた椿は、三美と別れてしまった。

 椿は三美達に背を向け、歩きだす。

 だが、この時、椿は、まだ気付いていなかった。椿の行動を三美が、わずかながらに不信がっていることに……。



 月読に報告を終えて、椿は鳳城家の屋敷へと戻った時、屋敷の戸から男性と少年が出てきた。

 その男性は、椿と目が合うと、微笑み、頭を下げる。

 椿も、頭を下げた。


「こんにちは、椿様」


「こんにちは、榎並えなみ様」


 その男性の名は、蓮城榎並れんじょうえなみ。蓮城家の当主であり、聖印能力においても、医者の技術においても優秀であることで有名だ。

 その面影は景時によく似ている。まさに生き写しと言えるであろう。

 最も、榎並の方は景時と同じ穏やかな雰囲気を纏ってはいるが、決して、のんびり屋ではない。


「椿様、朧様の容態は安定しておりましたよ」


「いつもありがとうございます」


 榎並は、朧の主治医だ。

 朧が病にかかったと知った月読は直接、榎並に頼んだと聞かされている。

 月読本人からではなく、奉公人に……。


「そうだ、知っていると思いますが、ご紹介いたしますね」


「え?あ、はい」


 椿は、一瞬戸惑うが、うなずく。

 蓮城家の事については正直何も知らされていない。知らされていないなどと言えるはずもなかった。

 榎並は、隣にいた少年を前に出させた。


「この子が、蓮城景時です。私の息子なんですが、朧様の主治医になりまして」


「え、ええ、お、お聞きしております」


 その少年こそが、のちの特殊部隊の一員となる景時だ。

 まだ、この頃は幼い少年のようだ。椿の前でのほほんと微笑んでいる。その様子は今と全く変わらなず、のんびり屋のようだ。

 椿は、動揺しているのだが、悟られないようにうなずく。

 なぜなら、朧の主治医が変わることは聞かされていない。

 月読は自分には何も報告しなかったのだ。怒りが、こみ上げてきそうになるが、悟られないように作り笑顔でごまかした。


「私から景時をご紹介したんですよ。この子なら、朧様を救ってやれると思いましてね。お恥ずかしい話ですが、この子は、私より優秀なんですよ……」


「そんなことありません。榎並様も景時様も、立派なお医者様ですよ」


「ありがとうございます。そういっていただけてうれしゅうございます」


「……」


 椿にそう言われた榎並はとてもうれしそうだ。心から嬉しく思っているのだろう。

 だが、椿は、本心を隠したままであった。とても複雑な感情を抱いたまま……。



 榎並達と別れた椿は、ため息をつきながらも屋敷に入った。

 いつものごとく、奉公人や女房が、椿を出迎える。

 今の椿にとって、それすらも、嫌気がさしそうになった。


「お帰りなさいませ、椿様」


「た、ただいま」


 椿は、感情を押し殺して、挨拶をしながら歩き始める。

 だが、先ほどの事が気になったのか、ふと立ち止まり、振り返った。


「……ねぇ」


「なんでしょうか?」


 椿に声をかけられた女房は、問いかける。

 椿は、まさか朧の主治医について彼女は聞いているのだろうかと、疑問に思いながら問いかけた。


「朧の主治医が榎並様の息子様に変わるってことは知ってた?」


「え、ええ。月読様からお聞きしましたから」


「いつ?」


「先週ぐらいです」


「……そう」


 なんと、女房まで知っていた。

 そのことに椿は愕然としていた。

 なぜ、自分だけには知らせてくれないのか。それほどまでに、自分は嫌われているのかと。

 ここにいるだけで、泣きそうになる。

 椿は、こらえながらも、微笑んだ。


「ありがとう、それじゃ」


「あ、はい。あ!椿様」


「何?」


 椿は、早くこの場から立ち去りたかったが、女房に声をかけられ振り返る。 

 それも苛立って……。


「あの……申し上げにくいのですが、柚月様と朧様の部屋には決して入らないようにお願いします。その……月読様から命じられておりますので……」


「……わかってるわ。話は、それだけ?」


「あ、はい」


「もう、行くから」


 椿は、苛立ちを隠せず、女房に八つ当たりして去ってしまった。



 椿は、自分の部屋に閉じこもる。

 膝を抱え、顔をうずめた。

 自分の言動に後悔しながら……。


「こんなの、八つ当たりだわ。最低……」


 椿は、衝撃を受け、落ち込んでいたのだ。何も聞かされていないことに。

 まるで、自分は蚊帳の外だ。取り残された気持ちになってしまう。

 こんな時は、柚月や朧の元に行きたいが、それすらもさせてもらえない。入ろうとすれば、奉公人や女房に引き留められてしまう。

 精神的に追い詰められそうになりながらも耐えてきた椿にとっては限界が迫っているのだろう。


「九十九……来ないかしら……」


 そんな状況の中でふと思い浮かんだのは九十九の事だ。

 あれから、九十九は聖印京に来ていない。来るはずないとわかってはいたものの、どうしても、気になって仕方がない。

 会いたい……一人になりたくない……誰でもいいから側にいて欲しい……。そう思ったからかもしれない。だから、九十九の事が浮かんだのかもしれない。

 椿は、居てもたってもいられず、立ち上がり、部屋を出た。

 椿が目指したのは、あの離れ。九十九と始めてあった場所であった。


 

 椿は、あの離れにたどり着く。

 しかし、九十九の姿はない。予想通りと言ったところなのだが、それでも、探さずにはいられない。

 くまなく探した椿は、今度は裏門へ向かった。

 だが、その裏門にも九十九の姿はなかった。 


「……いるわけ、ないか。当然よね」


 椿は、落ち込んだ様子で戻ろうとする。

 九十九がここに来るはずない。そうあきらめかけていたその時だった。


「椿?」


「え?」


 名を呼ばれた椿は驚く。

 その声は、聞いたことのある声、懐かしい気持ちになる声だった。その声を主を知っている。

 まさかとは思いつつ、椿は振り返った。

 椿の眼の前に九十九が立っていた。


「九十九……」

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