第六十四話 母親の本音

 牡丹は、矢代を自分の屋敷に招き入れた。

 矢代が店を訪れた理由は、材料が足りなかったからだという。真月制作の為に、多くの材料を使ったと矢代は話していた。

 実際、真月を完成には時間がかかった。二つの性能を掛け合わせるというのは、初めての試みだ。失敗を何度も繰り返したらしい。

 その失敗を積み重ねて、ようやく、最高傑作と言える真月が完成した。あの銀月を超える宝刀を。

 矢代は、多くの材料を牡丹から調達させてもらった。

 真月を完成させたことで、新しい可能性が広がったという。他の宝器でも二つの性能を掛け合わせれないか試してみたくなったらしい。

 矢代は、買い物を終えると牡丹から夕食を共にしないかと誘われた。矢代は断ったが、事件を解決してくれたお礼がしたいという。矢代は牡丹に甘えさせてもらうことにした。

 凛も加えて、三人で夕食を共にした。何気ない会話ではあったが、月読とのやり取りを忘れさせてくれるほど楽しい会話であった。ほんのひと時の安らぎであったと感じられるほどの……。

 夜になると凛が寝静まり、矢代と牡丹は二人で酒を酌み交わした。

 昨日、牡丹が、九十九と酒を酌み交わしたあの庭で……。


「ほんまに助かったわ。おおきに」


「あたしは何もしてないよ。あの子達を助けたのはうちの息子達さ」


「けど、矢代はんが、動いてくれんかったらと思うとなぁ」


「……そうかい」


「ほんま、おおきに」


「いいさ。親友が困ってるんだ。助けるのは当然だろう?」


 牡丹が酒をお猪口に注ぎ、矢代も牡丹のお猪口に酒をつぐ。

 彼女達は、二十年以上もの長い付き合いがある。矢代は、まだ鍛冶職人になりたての頃だ。なんと月読の紹介で牡丹の元を訪れたのがきっかけだ。

 月読は、道具を作るために、ここを訪れていたらしい。

 矢代も試作品の材料を探していた。月読に相談したところ、この骨董品屋を紹介され、訪れたという。牡丹が売っていた宝石に目をつけ、宝刀や宝器の材料として使ったようだ。その宝石は陰陽術の力を封じ込める素質があるらしい。そのおかげで、より強い宝刀や宝器を作れるようになったという。

 それ以来、二人は親友の間柄だ。今の月読は矢代が牡丹の元を訪れることをよしとはしていないが、矢代は、月読の意見を無視してよく店に来ていた。


「あの凛って子が、ここに来てからどれくらいになるんだい?」


「もう、一年たつよ。最初は心を閉ざしてたけど」


「仕方がないさ。あの子は両親を妖に殺されたんだからね。でも、あんたのおかげであの子は、立ち直れたんだろ?」


「だと思いたいんやけどね」


 一年前、凛が両親と共に観光でこの華押街を訪れた時のことだ。運悪く、妖が華押街を襲撃し、両親は凛をかばい、命を落としたという。

 凛は、後見人がおらず、孤児となってしまったのだ。

 凛の事を牡丹はどうしても放っておくことができず、引き取ることにした。

 かといって、心の傷を癒すことは時間がかかる。凛は牡丹と話すこともせず、牡丹が作った食事を口にすることもできず、弱りかけた。

 だが、牡丹が懸命に凛に伝えたのだ。凛が生きているのは、両親が守ってくれたからだ。凛に生きてほしいと。両親の想いを消してはならない。そのためには凛は生きなければならないと。

 牡丹の説得もあり、凛は涙ながらに食事を口にしたという。守ってくれた両親のためにも生きることを決意した瞬間だった。

 その後、凛は牡丹に住み込みで働かせてほしいと懇願したのであった。

 牡丹はそのつもりがなかったが、凛は決して意見を変えなかった。

 牡丹はとうとう観念し、凛に手伝ってもらうことにした。

 そして、今日まで二人で店を切り盛りしてきたのであった。


「そう言えば、あの髪飾りはあの子にあげたのかい?」


「渡せなかったからなぁ、椿に。どうしようか迷ったんやけど、凛なら大事にしてくれると思たんや」


「……」


 凛には大事な宝物があった。それは、牡丹からもらった髪飾りだ。

 その髪飾りは、本当は椿に上げるつもりだったのだが、椿は命を落としたため、あげることができなかったという。

 どうするか迷っていたのだが、凛にあげることにしたのだ。凛なら大事にしてくれると思って……。

 牡丹は矢代と何気ない会話をしていたのだが、ふと気になったことがあった。

 それは、月読の事だ。今回の件について、心配していた。

 もし、彼女に気付かれてしまったら、矢代や柚月達に迷惑をかけてしまったのではないかと……。


「けど、心配したんやで、もしかしたら、あの人に気付かれてしもうたんやないかって」


「ああ、気付かれたよ」


「ええ!?」


 牡丹は、驚愕する。

 まさか、月読に知られてしまったとは思いもよらなかったのであろう。やはり、柚月達を泊めたことがいけなかったのだろうか。

 だが、柚月達をあの戦いの螺旋に戻したくなかったのも事実だ。まだ、若い彼らが妖との戦いで傷ついてくのを牡丹はただ見ていることしかできない。

 ならば、せめて、つかの間の休息を与えたかった。

 そう思ったことが、いけなかったのかもしれないと後悔していたのだった。

 

「あてが、休んでほしいと願ったばかりに……」


「違うよ。そうじゃなくても、あの石頭は気付いてたさ。あんたが気にすることじゃないよ。それに、あの子達は、穏やかに過ごせたと思う。あんたのおかげでね」


「それで……あの人は……」


「不問とするとさ。ま、あの石頭の弱点は知ってるからね」


 月読は、意志を変えることは絶対にしない。だが、弱点をつけば、状況を有利にできることは矢代は知っている。

 今回は、私情をはさんだことだ。上に立つ者が私情をはさんで判断することはしてはならない。

 だが、月読なら私情をはさんだであろう。矢代はそこを突いたため、月読は反論できず、不問としたのであった。


「さすが、姉さんやね、あの人の。ほんま、すまんかったなぁ」


「いや、いいんだよ。こっちこそ、妹の事で、すまないね」


「仕方あらへん。あの人の怒りに触れたんは確かや」


 牡丹は何か、あきらめたように呟く。

 遠い過去に、牡丹は月読を怒らせてしまった。だからこそ、牡丹は自分が依頼しても、月読は動くことはしないと予測していたため、矢代に相談したのだ。

 矢代もそれはわかっていた。だから、月読には告げずに柚月達に頼んだのであった。

 切なそうな表情を浮かべる牡丹を見ていた矢代は、彼女に優しく語りかけた。


「本当の事、言ってもいいんだよ」


「え?」


「本音くらい、言ってもいいんじゃないかい?凛も寝てるから、誰にも聞こえない」


 今は、凛も眠りについている。

 だから、本音を言っても、誰にも聞こえない。

 矢代の気づかいに牡丹は救われる。悲しい気持ちではあるが、心は穏やかのように思えた。


「本当は側にいてやりたかったんだろ?あの子の元に」


「……わかるんやね」


「あたしも、一応母親だからね。だから、余計に」


 矢代が、月読に紹介される前の事だ。

 実は、牡丹には恋人がいた。その恋人が勝吏だ。だが、勝吏は、月読との縁談を持ち掛けられ、牡丹と別れた。

 その時、牡丹のおなかの中には女の子がいた。勝吏の子供が……。

 月読もそれに気付いてしまったため、二人には深い溝ができた。

 だが、矢代が、同情したのは妹の月読ではなく牡丹だ。

 月読は牡丹にひどいことをした。牡丹の娘を奪い取ったのだ。自分の娘として育てるために。

 その子供が聖印を持っていたがゆえに。

 牡丹は、母親と名乗ることもできず、遠くから見守ることしかできなかった。


「……ほんまの事、言うで」


「覚悟してるよ」


「……ほんまは、あてが自分で育てたかった。できなくても、母親と名乗らせてほしかったわ」


「……本当にね。申し訳ない」


 矢代は頭を下げる。

 自分の子供を奪われ、母親と名乗れないのは苦痛であろう。妹が牡丹にしたことは非道だ。

 だからこそ、月読の事は、矢代も許せずにいた。

 謝っても謝りきれないほどに……。


「やけど……」


「ん?」


 矢代は顔を上げる。

 牡丹は、憎悪を燃やしておらず、穏やかな顔をしていた。


「あの屋敷にいてよかったんかもしれん。あの子、あの屋敷にいたから、九十九って言う妖狐に会えたんや。ここにいたら、会えんかった。あの子は……椿は、幸せになれたんや。九十九のおかげで」


「……」


「そのことだけは感謝してるんや」


「……そうだね。あの子は、幸せだったよ」


 矢代は、椿の事を思いだしていた。確かに彼女は幸せそうに見えた。あの過酷な戦いの中でも。それは、九十九と出会えたからであろう。

 それを知っているからこそ、牡丹は九十九を恨むことはしなかった。

 矢代と牡丹は、夜が明けるまで酒を飲み交わした。



 そのころ、柚月は、屋敷で真月を手にし、眺めていた。

 真月は、月の光に照らされ、輝いていた。


――この宝刀があれば、天鬼を倒せるかもしれない。そうすれば、この長き戦いも終わらせることができる。


 柚月は、真月を鞘に納め、夜空を眺めていた。


――大丈夫だよな。九十九もいてくれる。あいつとなら、きっと……。


 九十九と二人でなら、天鬼を倒せるだろうと柚月は確信していた。

 だが、柚月は、まだ知る由もなかった。

 この後、彼らの絆が壊れていくことを……。

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