第四十四話 増していく憎しみ

「九十九……」


 雪代は、一歩一歩九十九に近づく。

 その姿は不敵な笑みを浮かべた妖艶な美女だ。九十九を殺すつもりで来たのだろうか。

 九十九は、明枇に触れ、いつでも抜けるよう構えた。

 それでも、雪代は九十九に迫ってきた。


「九十九!」


 突然、雪代は、九十九に抱き付く。

 だが、九十九は動じない。驚くことも、斬ろうともしなかった。ただ、雪代に抱き付かれるがままとなった。

 雪代は、顔を九十九の胸に当てた。


「会いたかったわ。探してたのよ、ずっと。あの聖印京にいるんじゃないかって思ってたけど、結界が張ってあって入れないし。あなたと違ってね」


 雪代の表情は喜びに満ちている。

 九十九と再会していることを素直に喜んでいるようだ。

 だが、その顔は、狂気を秘めているようだった。


「……何しに来やがった」


「いやね、怖い顔。でも、そう言うところも好きよ」


 九十九に冷たくあしらわれても、雪代は平然としている。

 雪代の手が、九十九の顔に触れる。だが、九十九は抵抗することもなく雪代をにらみ続けた。


「連れ戻しに来たのよ」


「裏切り者の俺をか?」


「ええ。天鬼様や六鏖達は殺したがってるみたいだけど、あたしは違う」


 雪代の顔が九十九に迫る。美しく、色気を出して、誘うように……。

 だが、九十九は未だ動じることはない。ただ、雪代をにらみ続けるだけであった。


「あたしはあなたを愛してる。貴方を手に入れるためならなんだってするわ」

 

 雪代は、九十九を本当に愛していた。そのことにうそ偽りない。

 九十九に近づく妖は全て凍らせ、殺してきた。

 それほどまでに狂おしいほど九十九を愛しているのだ。

 だが、それは、狂気に近い愛情と言っていいだろう。


「心配しないで。あたしが頼めば、天鬼様だってあなたの事許してくれるわよ。ねぇ、戻りましょう?」


 天鬼は、雪代を気に入っている。妻になれと命じられてきた。

 雪代は妻になる気など一切ない。天鬼の命令をうまくかわしてきた。

 だが、九十九の為なら天鬼の感情までも利用しようというのだ。


「断る。戻る気はねぇ」


「そんなこと言わないで。都は窮屈でつまらなかったでしょう?昔は、多くの命を奪ってきたのに」


「……」


 雪代は九十九の過去を話をし始める。そのことが気に障ったのか、九十九はピクリと顔をひきつらせた。


「あの頃のあなたは本当素敵だったわ。狂気を帯びた目、返り血を浴びたその姿、人間や妖の命を奪っていくたびに見せる顔。思いだすだけでうっとりするわ。容赦なかったものね。命乞いをしても命を奪って。あと、そうね。愛する者の命まで奪って……」


「燃やされたいのか?」


 九十九がいつになく怒りを込めた声で雪代を脅す。踏み込んでほしくない過去に雪代が踏み込んできたからであろう。

 だが、脅されても雪代は動揺することはない。むしろ、笑みを浮かべている。

 恐ろしいほど、美しく……。


「思いださせてあげてるだけ。昔のあなたを。ねぇ、あたしと一緒に……」


 雪代は、九十九に無理やり口づけしようとするが、ついに九十九は耐えきれなくなったようだ。

 九十九は明枇で雪代に斬りかかった。

 しかし、雪代は氷で防ぎ、後退する。

 九十九は容赦なく、突きを放つが、雪代が氷の盾を生み出し、攻撃を防ぐ。

 だが、九十九はその氷を妖気で強引に破壊する。

 危険を察知したのか、雪代は、さらに後退して迫りくる九十九に対して、氷の壁を生み出した。

 九十九は、攻撃をやめるが、彼の眼は殺気を帯びている。雪代を本気で殺すつもりのようだ。


「言ったはずだ。戻るつもりはねぇ」


「……都を追いだされても?」


「そうだ。俺は、朧を守ると誓った。それに、俺は天鬼を殺す。必ずな」


 九十九は、明枇を雪代に向ける。

 雪代は、氷の刃を生み出し、構えた。


「だが、その前にてめぇら四天王を殺す。まずは、お前からだ。雪代」


「……そう。残念ね。あなたに殺されてもいいとは思うけど、今はやめておくわ」


 雪代は、氷の刃と氷の壁を自ら砕く。

 そして、吹雪を九十九に向けて放った。

 吹雪が九十九を襲うように吹いている。九十九は手で吹雪を防ぐしかなかった。

 この吹雪は雪代が憎悪を宿した時に発動する。

 九十九に対して、憎しみが生まれた瞬間であった。


「次に会った時は敵同士よ。覚えておくことね」


 雪代は、形相の顔で九十九をにらだ。愛憎をその目に宿して……。


「上等だ」


 愛憎の目を宿して雪代を見た途端、九十九の表情は変わる。

 その表情は、不敵な笑みであった。まるで、いつか雪代を殺せることを楽しみにしているかのように……。

 そんな九十九を見ても、雪代は先ほどのようにうれしさを含んだような笑みを見せない。愛憎を宿したままだ。

 雪代は何も言わず、その場から去っていった。

 雪代が去ったことで吹雪もいつの間にか止んだ。


「逃げやがったか。だが、奴ら、俺を狙ってやがるみてぇだな……。なら、殺す必要があるな」


 九十九は、明枇を握り、震わせた。

 


 雪代は、ただ逃げた。ひたすら遠く、九十九が見えない場所まで。

 雪代は立ち止まり、振り返るが、九十九の姿は見えない。追ってきていないようだ。

 そのことがわかると安堵した様子で雪代は息を吐いた。


「残念だったね、雪代。失敗しちゃったみたいで」


 少年の声が聞こえる。

 雪代の目の前には、少年がたっていた。

 その少年の髪と目は、赤い。血のように……。

 ダボッとした装束に身を包んだ少年・緋零はとてもうれしそうだ。

 その笑みは嫌味を含んだようにも見えた。


「何を言っているの?緋零。あなたの作戦通り、こちら側に戻そうと誘ったふりをしただけよ?」


「よく言うよ。本気だったくせに」


 緋零は包み隠さず、雪代を指摘する。その表情は、見下したような顔つきに変化した。

 気に障ったのか、雪代は緋零をにらみ、吹雪を発動する。

 吹雪に覆われても、緋零は、動じることはなかった。それどころか、妖気を放ち、雪代を威嚇した。

 二人は一触即発の状態となった。


「やめないか。お前達」


 男の声が聞こえ、二人は一度静まる。だが、たがいに睨んだままだ。

 二人が静まったのを見ると男も姿を現した。

 彼の名は、六鏖。四天王を取りまとめる妖だ。

 彼の髪と目は、深緑であった。山よりも深く影を帯びたような……。

 服装は二人とは違って、きちっとした装束だ。天鬼の右腕ということを意識したのであろう。

 六鏖が現れてすぐ獣が現れた。

 雷を身にまとったような黄金の獣・雷豪は、二人を威嚇しているように唸っていた。

 彼を恐れてか、二人は、ため息をつき、目をそらした。


「とにかく、本気で連れ戻そうだなんて思わないでよね。僕が降格になるんだから」


「ふん」


「ツクモ……コロス……ゼッタイニ……」


「わかってるわよ」


 獣の妖・雷豪にまで言われた雪代は、機嫌が悪そうに反論する。

 九十九を連れ戻せなくて悔しかったのか、あるいは、自分の目的を見抜かれ、指摘されたことに腹がったのか。とにかく、雪代はふてくされたように目をそらした。

 六鏖は、ため息をついた。


「で、これでいいんだな?緋零」


「うん、そうだね。でも、こうもうまくいっちゃうとは思わなかったな」


「どういうことだ?」


 六鏖は緋零に尋ねる。


「そりゃあ、最初に九十九を攻撃して、九十九を狙ってることを悟らせれば、九十九は、人間共を巻き込ませないために、都を離れると思ったんだけどさ。何回かやればって思ってたんだよ。けど、一回で都を離れちゃうなんてね」


 緋零は、何度も九十九の命を狙うことで九十九を人間側から引き離そうとしたらしい。おそらく、そのためなら、柚月達も狙うつもりでいたのだろう。

 だが、九十九は、狙われたとわかった途端、すぐに人間側から離れた。

 それは、緋零にとっても計算外のようだ。

 と言っても、九十九が人間側から離れたことは素直に喜ばしいことだと思っていた。


「あの柚月という男が、そうさせたようにも思えるがな」


「そうだね。まぁ、彼のおかげで九十九を人間側から引き離せたね。雪代が戻ってくる機会も与えてくれたのに、それも自ら無駄にした」


「ふりだったけど」


 雪代は、ふてくされたように呟いた。


「これで、準備は整ったよ。あとは……」


「オボロ……リヨウスル……」


「そうそう。それだよ」


「だが、どうやってだ?利用すると言っても、私達は、聖印京には入れない」


 朧は常に柚月達と行動を共にしている。

 聖印京にいるときは一人の時もあるが、結界が張ってあり、妖が入ることは不可能だ。

 そのはずが、どうやって朧を利用するつもりなのか、六鏖には理解できなかった。


「入らなくったって、利用できるさ。まぁ、僕に任せてよ」


 緋零は無邪気な笑みを浮かべていた。

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