第四十三話 向き合うことで
虎徹と話を終え、柚月は離れに帰宅した。
廊下を歩いていると、綾姫が柚月を出迎えてくれた。
今の柚月にとって綾姫の笑顔は、心を癒してくれる。
柚月の心の支えとなってくれていた。
「お帰りなさい。柚月」
「ただいま、綾姫。すまないな。母上に報告してもらって」
「いいのよ。事情を説明したらわかってくれたわ」
「そ、そうか……」
綾姫は一体どのように説明したのだろうと思うと、柚月は内容が気になってしまう。
だが、ただ報告しただけであろうと思いたい。思いたいのだが、ついつい気になってしまいそうだ。
なぜなら、綾姫は、より微笑んでいる。笑顔なのだが、どこか怖い。だが、聞けるわけもなく、その話題は、ここで終わらせることにした。
「……朧は?」
「眠ってるわ。疲れちゃったみたいね」
「そうか……」
朧が眠っているとは珍しいと柚月は思った。
心身ともに疲れているのだろう。朧の心の支えであった九十九はどこにもいない。
柚月はそう思うと心が痛んだ。
辛そうな柚月を見た綾姫もまた心が痛む。その心の傷を癒したい。綾姫は、意を決したように柚月に尋ねた。
「虎徹様と何を話したの?」
「……俺の方が落ち込んでいると言われたんだ」
「そう……」
「自分の気持ちに正直になれと言われた。どうしたらいいのかと考えていたんだが……」
答えを出すには虎徹の言う通り自分の気持ちに正直になるしかない。
わかってはいるが、心がついていかない。自分はどうしたいのか……。何が正しいのか、迷っていた。
「確かに、今のあなたは無理をしているように見えるわ。朧君よりも落ち込んでるように見えるし」
「……やはり、そうか」
「ええ」
綾姫は否定することはしなかった。
今の柚月の状況を正直に伝えることで、柚月に答えを出してほしかったからだ。
だが、今のままではまだ答えは出せないようだった。
「ねぇ、柚月、本当は九十九がいなくなって心に穴が開いたような気持ちになってるんじゃないかしら?」
「俺が?まさか……そんな……こと」
綾姫に指摘された柚月は戸惑うが、否定できなくなっていた。
確かに、柚月は一度そう思ったことはある。だが、それを受け入れてしまうことは、九十九を許しているような気持ちになる。
柚月は、九十九を許せるはずがないと、無理やり否定したのだ。
だが、否定できなくなった柚月は、言葉が出てこなくなった。
「柚月、自分の気持ちに正直になるってことは、自分の気持ちと向き合うことだと思うの。向き合ってみて、本当はどうしたいのか……」
「……後悔、している。九十九がいなくなった原因は俺にあるからな」
柚月は本当の気持ちを綾姫に伝えた。
綾姫は言葉にせず、静かにうなずく。柚月の心に寄り添うように……。
「連れ戻すべきなのかと考えたこともあった。だが、あの悪夢を見たらと思うと、連れ戻したら殺してしまう気がして……」
柚月は葛藤していた。
九十九を連れ戻したい気持ちと九十九を許せない気持ちがぶつかり合っていたのだ。
悪夢を断ち切りたくても断ち切れない。そうなれば、憎悪は募りいつしか九十九を殺してしまうかもしれない。そんな自分を恐れたのだろう。
揺れ動く想いの中で柚月は答えが見つからずさまよっていた。
「私たちがなぜ、受け入れたのかって聞いたことあったわよね……。私も最初は憎んだわ。だって、私だって椿様の事は大好きだったし、憧れたもの。同じ聖印一族として」
綾姫も自分の正直な気持ちを柚月に伝えた。
九十九への怒りを柚月に話したのは初めてだ。
憧れていた大事な人を殺されたと知れば、誰だって憎む。綾姫もそうであったように……。
「でも、九十九を見ていると私利私欲で椿様を殺したんじゃないって思うの。何か事情があると思うわ。だから、朧君の支えになったと思うの」
「……」
柚月は黙ってしまう。
柚月も気付いていたからだ。九十九が椿を殺したくて殺したんじゃない。何か事情があるからだと。
わかっていても、怒りを抑えることは柚月にはできなかった。
そのことに関して、柚月は後悔していた。なぜ、もっとわかろうとしなかったのかと……。
「あなたは、どう思う?柚月」
「……最初は、わからなかった。なぜ、姉上が殺されなければならなかったのか。九十九の事も信用できなかった。だが、朧を守りたいという想いだけは伝わってきた。態度は悪いし、言うことは全然聞かないがな」
「本当よね」
綾姫は苦笑する。
いつも柚月と九十九は衝突していた。九十九は、誰に対しても態度は悪い。指示しても九十九は単独行動ばかりだ。連携をいつも乱されてしまう。
その結果、良かったこともある。
今思えば、懐かしく感じてしまうほどに……。
「でも、九十九の身を案じての事だったんでしょう?」
「……結果は、そうなってしまったな。いや、自分でも気付かないうちに身を案じていたのかもしれない」
「案じていたわ。きっとね」
柚月は、思い返した。
九十九に指示をしたのは、九十九が怪我しないようにだと。いつの間にか、九十九を守ろうとしていたのだ。
柚月はどこかで九十九を仲間として受け入れていたのであろう。
そして、柚月は、ふとあの悪夢を思いだした。
いつも見るあの悪夢を。逃げたくても逃げられない。消したくても消せない。あの悪夢を見るたびに、柚月がもがき苦しんだ。
それは、向き合おうとしなかったからかもしれない。悪夢から逃れようと、悪夢を消そうとするばかりだったから。
苦しくても立ち向かわなければならない悪夢を今、柚月は向き合い立ち向かった。
五年前、あの弱くて幼かった自分が見てしまった光景を思いだすことで向き合おうとした。
「今にして思えば、あの悪夢は、俺の心の弱さが見せていたのかもしれないな」
この五年間、椿を守れなかった自分を責めた。
朧は必ず守ると誓って強くなった。弱かった自分を断ち切ろうとして。
だが、逆にそれが、悪夢となって柚月に見せていたのかもしれない。受け入れようとしなかった過去を……。
「弱かった俺を責め続けたから。姉上を守れなかった自分を……」
「あなたは、弱くない。だって、私を守ってくれたじゃない。成徳から」
綾姫は知っている。影付きに捕らえられてしまった自分を柚月は身を挺して守ってくれた。
どんなに傷ついても、成徳に立ち向かい綾姫と琴姫を救ってくれた。それは、彼の心が強いからだ。
彼はもう弱い人間ではない。
「もう、責めなくていいのよ」
綾姫は、優しく微笑む。
柚月は自然と涙をこぼしていた。
彼はようやく、悪夢と自分の過去と向き合えたのだろう。
「……自分の気持ちと向き合えたような気がする。ありがとう、綾姫」
柚月も微笑み返し、あることを決意した。
自分がしなければいけないことをするために……。
九十九は、靜美山付近で、聖印京を眺めていた。
五年間、暮らしていた聖印京が遠くに感じる。
聖印京から離れて一週間しかたっていないが、遠い思い出のようだ。
――みんな、どうしてるんだろうな。朧、落ち込んでねぇといいんだが……。
九十九が案ずるのはいつも朧の事だ。
自分がいなくなった後、朧はどうしているのだろうかと考えてしまう。
自ら聖印京を出たが、それでも、朧の身を案じていた。心が強いとはいえ、心配だ。
だが、九十九は聖印京に戻るわけにはいかなかった。
――柚月がいるから心配ねぇと思いたいんだけどな。
朧には柚月がいる。彼なら朧を安心して任せられるであろう。
そう、心に言い聞かせた九十九であったが、背後から異様な気配を感じる。
妖気だ。それも、強く濃い。
妖気に気付いた九十九であったが、氷の刃が九十九に襲い掛かってきた。
「おらぁっ!」
九十九はとっさに明枇を抜き、薙ぎ払う。氷の刃は、一瞬にして砕け散った。
「こそこそと隠れやがって、いい加減出て来いよ」
「ふふ、やっぱり、こんなんじゃ殺せないわよね。でも、それでいいわ」
妖艶な声が聞こえたかと思うと、突然九十九の目の前に、美女が現れる。水色の長い髪、瞳も髪と同じ水色。その色はまるで冷たい氷のようだ。
純白の装束を身にまとってはいるが、豊満な胸が装束からはみ出ている。彼女の美しさも相まって、妖艶さが漂う。
九十九を殺すつもりでいるはずの彼女は九十九に会えてうれしそうであった。
「久しぶりね、九十九。五年ぶりかしら」
「やっぱり、てめぇらの仕業か。雪代」
九十九の眼の前にいる彼女こそが、雪代。雪女族の中でも最強と言われている雪女であり、四天王の紅一点であった。
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