第四十一話 消えていく彼
柚月の突然の怒りに、朧達は驚愕した。
九十九も一瞬驚いたようだが、柚月の言葉を受け入れるかのように、下を向く。
沈黙が始まってしまった。
「ゆ、柚月、落ち着いて」
「そうだよ。兄さん、冷静になって」
その沈黙を破ったのは、朧と綾姫だ。朧と綾姫は慌てて柚月を落ち着かせようとする。
夏乃達は、何も言えなかった。
九十九も黙ったままだ。
柚月は、こぶしを握り、体を震わせた。
「……なぜだ」
「え?」
「なぜ、お前達は、そうやって受け入れられる!こいつは、姉上を殺したんだぞ!」
その怒りを今度は朧達にぶつけてしまった柚月。
柚月は、九十九を受け入れられる朧達に疑問を抱いていた。
彼らにとって椿は、大事な人だ。その椿を殺したのは他でもない目の前にいる九十九だ。なぜ、憎まずにいられるのか。なぜ、受け入れることができるのか。
柚月は、理解できずにいた。
「……確かに、そうかもしれない。でも、僕は九十九を信じたい」
「……」
朧は自分の気持ちを真っ直ぐに柚月にぶつけた。たとえどんな理由があったとしても、朧は九十九を信じたいと願っている。九十九の親友として。
だが、柚月は朧の言葉すら受け入れられない。何も言うことができなかった。
そんな彼の気持ちを察した綾姫は、そっと柚月の腕に触れた。
「柚月、一度、都に戻りましょう。少し、任務続きで疲れちゃったのよ。だから、休んだほうがいいわ。ね?」
「……ああ」
柚月は、歩き始めた。
綾姫達も歩き始める。
九十九は立ち尽くしたままであったが、朧が九十九の裾をつかんだ。
「九十九、帰ろう」
「……」
朧に促され、九十九も歩き始めた。
柚月達は、聖印京へ戻ることとなった。
だが、沈黙の中で柚月達は歩いていた。話せる状況ではない。状況を変えたくても変えられないでいた。
不穏な空気は聖印京に戻っても続いた。
月読に喧嘩のことを知られないようにするため、柚月は綾姫から治療を受ける。
柚月はそのまま一人南堂へと向かうが、九十九と一切目を合わせようとしなかった。
柚月は南堂で月読に報告するが、淡々とした様子だった。とても冷たい目をして……。月読は何かあったと察したが、柚月に尋ねなかった。尋ねられなかったのであろう。柚月は心を閉ざしているように思えたからだ。
報告を終えた柚月は、逃げるように南堂を後にした。
夕刻、食事時になっても、柚月と九十九はいつもの部屋に集まることはなかった。
あの騒がしかった食事はいつになく静かだ。任務のこともあってなのだろうが、何より二人がいないからであろう。二人がいないだけでこんなにも静かになるとは思いもよらなかった。
朧達は、静かに料理を口に運んだ。九十九の為に、料理を一品残しておいたが、九十九が取りに来ることはなかった。
「柚月様、来ませんでしたね」
「九十九もな」
「……」
二人がいないことを落ち込む朧。
複雑な心境だ。朧にとって二人はどちらも大切な存在。その二人のことを思うと何もできない自分を悔やんだ。
都に戻ってから柚月や九十九と顔を合わせていない。二人は部屋に閉じこもってしまったからだ。声をかけようにも一人にしてほしいと言われてしまい。朧は、ただ何もできずに落ち込んだ。
「落ち込んじゃ駄目よ、朧君。柚月も九十九も気持ちの整理がつかないだけなんだから」
「はい。ありがとうございます。綾姫様」
綾姫は朧を励ます。
綾姫達も朧と同じ気持ちだからだ。二人の心に寄り添うことができない。
ただただ時が流れ、今に至る。二人の気持ちの整理がつくまでは待つしかなかった。
だが、何もできないというのは心が痛んだ。切ないほどに……。
「ん~」
「どうされました?景時様」
「いやね、やっぱりまずかったかなって」
「何がですか?」
景時は、少し反省した様子で語りかける。
夏乃は、何があったのかわからない。
尋ねると、景時は罰が悪そうな顔をしてその理由を明かし始めた。
「僕ね、言っちゃったんだよ。柚月君に、九十九君を利用したらどうだって」
「え?」
朧は驚いた。
まさか、景時からそんな言葉が出てくるとは思いもよらなかったからだ。景時が、九十九を利用しているようなそぶりを感じたことはない。
状況を掴めない朧に景時は優しく語り始めた。
「僕も昔はそうだったんだよ。天次君の事受け入れられなくて、最初は利用してたんだ。けど、今は、情が湧いちゃってね。柚月君もいつかはそうなるかなって……」
「ま、俺も、腹くくれとか言っちゃったからな。あいつにはそうさせるしかないと思ったんだよ」
透馬も申し訳なさそうな顔をする。
あの時、彼らは柚月に覚悟を決めるように促した。そうすることでしか、朧を守れないと思ったし、妖を討伐できないと思ったからだ。
今ここで九十九を手放すことになったら、敵になってしまったら、確実に聖印京は滅んでしまうだろう。
そのことを懸念し、心を鬼にして柚月を説得した。
だが、今となっては間違いだったのではないかと後悔の念に駆られていた。
あれほどまでに、柚月が憎悪に耐えていたとは気付かなかったからだ。
「でも、そうするしかないと思うわ。私もそうだったから」
「綾姫様もですか?」
「ええ」
夏乃も驚いたように尋ねる。
綾姫は、苦笑してうなずいた。
「月読様から文をいただいたときに知ったの。最初は、受け入れられなかったわ。椿様を殺した妖狐の手を借りるなんて。でも、彼を利用するしかないと思ったの。お母様を救うにはね」
綾姫は思いだす。
琴姫を助けてほしいという依頼の返事を月読から文で受け取った時のことを。
その文には、九十九の事が記載されていた。椿を殺した妖であること。だが、彼を利用し、天鬼を討つこと。柚月を強引に受け入れさせたことを。
文を呼んだ時、綾姫は怒りに震えた。憧れていた椿を九十九が殺したと思うと、怒りを抑えきれなかった。
だが、琴姫を救うには九十九を利用するしか手はない。綾姫は心を鬼にして、怒りを無理やり抑え込んで、九十九を受け入れることを選んだ。
「なのに今は、みんなと同じように受け入れられてる。彼って人間味あふれてるから。憎めないのよ。誰よりも義理堅くて、情に厚いから。でも、柚月は肉親を、大好きだったお姉様を殺されたんだもの。受け入れられないのは当然なのかもしれないわね」
綾姫は、柚月の事を思うと心が痛む。
姉を殺した妖狐と共に戦わなければならない。仇を討ちたくても討てない。
しかも、九十九は朧の親友と言える存在。九十九を殺した時、朧の心が壊れてしまう恐れもあっただろう。
そう思うと柚月の心情は複雑だったに違いない。
だからこそ、柚月は怒りに耐えられず、九十九に都から出ていけと言ってしまったのであろう。
「でも、朧は受け入れてるんだよな?」
「うん。一緒に過ごしてきたって言うのもある。呪いを命がけで消してくれたって言うのもある。それに、九十九は優しいから。不器用だけど、本当に優しいから。姉さんを殺したことも何か理由があるんじゃないかって思えて……」
朧にとって九十九は命の恩人だ。
だが、それだけではない。この五年間、朧は寂しかったのだ。柚月や勝吏がお見舞いに来てくれるが、月読は一度も来たことがない。そのことで怒る柚月に、朧は寂しくないと言い張ったが、正直、寂しさが心を埋め尽くしたように思えた。
だが、そんな時に側にいてくれたのは九十九だ。九十九は誰もいない時を見計らって、朧を励ました。不器用な優しさで。九十九がいなかったら、朧は一人寂しく涙を毎日のように流していただろう。そう思うと耐えられるはずがなかった。九十九の存在は朧を支え続けてきたのであった。
確かに、椿を殺したことは信じられずにいた。何かの間違いであってほしいと。だが、殺したことを認めた九十九に対して、なぜと疑問をぶつけられずにはいられないほど、衝撃を受けた。
それでも、彼を受け入れられたのは、優しくて不器用な九十九の事を知っているからだ。
椿を殺したことも、何か理由があるのではないかと信じて……。
「そうね。きっと、理由があると思うわ。柚月も気付いているのかもしれない。彼の話を聞いてみないとわからないけど」
朧達はうなずく。
少しだけでもいい、柚月の話が聞きたいと。柚月がどう思っているのか知りたいと彼らは願っていた。
だが、彼は知る由もなかった。耳がいい九十九は、朧達の会話を聞いていることなど……。
夕空から夜空に変わった頃、柚月は、庭に出て、物思いにふけっていた。
この離れに戻ってから誰とも顔を合わせていない。朧にも綾姫にもだ。
ずっと、部屋に閉じこもり、考え事をしていたからだ。料理を口にする気にもなれず、ただ、さまようかのように考え事をしていた。
夜空は満天の星が瞬いている。夜空を見上げた柚月は思いだした。椿と朧と三人で星を見た時のことを……。懐かしくて暖かい思い出を……。
あの頃が懐かしいとそう思えば思うほど、九十九に対する憎しみが募るばかりだ。このままではいけないとわかっていても、あの悪夢が柚月の心を絞めつける。何度も何度も……。
もう柚月にはどうしたらいいのかなど答えは見つからなかった。
「柚月」
そんな柚月に優しい声で呼ぶものがいた。しかも、梅花の香りを漂わせて。
梅花の香りのおかげなのか、優しい声が聞こえたからなのか、少し心が落ち着いたように思えた柚月は振り向く。
やはり、後ろにいたのは綾姫だった。
「綾姫……」
柚月は、笑って呼びかけるが、笑顔とは到底言えない。作り笑顔だとわかるほどに……。
やはり、隠し事をしていると確信した綾姫は、柚月の隣に寄り添った。
「心配したわ。部屋に来なかったから」
「少し、気分が悪くてな。すまない」
綾姫の予想通りだ。気分が悪いとうそをついてごまかそうとする。
だが、このままでは、柚月が苦しむばかりだ。きっと、人の心に土足で踏み込むほどでなければ、柚月は自分の心情を打ち明けないだろう。
綾姫は意を決した。
「何かあったの?」
「え?」
「あなた、最近、様子がおかしかったから。何か隠してることは知ってたわ。でも、聞きだそうとするとすぐいなくなっちゃうし」
「……」
綾姫は柚月に尋ねる。
だが、柚月は黙ったままだ。何も語ろうとはしない。
柚月の顔はとても辛そうだ。見るに耐えないくらいに……。
それでも、綾姫は聞きだすことをやめなかった。
「九十九と……椿様の事?」
「……夢を見るんだ」
ようやく、観念したのか、柚月は、重い口を開けた。
「夢?」
「ああ、姉上が九十九に殺される夢だ。最初は、たまにしか見なかった。だが、最近になって、よく見るんだ。毎晩のように……」
「……」
綾姫は何も言えなかった。
まさか、柚月がそんな悪夢を見ているとは知りもしなかったからだ。
柚月は悪夢のことについては誰にも話したことはない。朧にも綾姫にも……。
今まで一人で耐えてきたのかと思うと綾姫は心が苦しかった。そして、気付かなかった自分を責めた。
「利用しようって思い込ませた。そうやって、受け入れるしかないって。だが、もう限界だったんだ……。あの夢を見るたびに俺は、九十九を憎んでしまう。抑えきれない……」
柚月は声を震わせて、想いを吐きだした。
もう、限界だったのだろう。柚月の眼から涙がこぼれ始めた。
「俺は……いつか、あいつを殺してしまう。朧の親友を。だから、追いだすしかなかったんだ……」
柚月は最初は、九十九を殺すつもりでいた。目的を達したら用済みだと考えて。
だが、彼らと過ごしていくうちに、九十九を殺してはいけないように思えたのだろう。
それでも、悪夢が柚月を苦しめる。九十九を憎めと言うかのように……。
綾姫は、優しく柚月を抱きしめ、涙を流した。
苦しんでいる柚月を見るのは耐えられなかった。
そんな二人の様子を九十九は見ていた。
無表情のままで……。
彼らに背を向けた九十九はそのまま闇の中へと入り込んだ。
その後、九十九は柚月達の目の前から姿を消した。
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