第三十話 影は雪の中で眠りにつく

 夏乃が突然、現れ、密偵隊の人間は、戸惑いを隠せないようであった。


「あ、綾姫様の命だと!?」


「はい。その通りです。みなさん、今、綾姫様と柚月様が、成徳様を説得しに向かわれています。ですので、どうか朧様を解放してほしいのです」


「兄さん達が……?」


 朧は、驚愕する。

 まさか、自分を助ける為に柚月達が動いてくれているとは思ってもみなかったようだ。

 自分は、柚月達に迷惑をかけてしまった。助けられる資格などない。だから、甘んじて処刑を受け入れようと心のどこかであきらめてしまっていた。

 だが、柚月達は、自分を助けてくれようとしている。

 まだ、希望はあると朧は泣きそうになりながらも涙をこらえた。


「そ、それはできない。いくら綾姫様が説得した所で、成徳様が処刑を取りやめることなど……」


「わ、私たちの命がかかってるも同然だ!それを邪魔するというなら、容赦はしない!」


 密偵隊の人間は、武器をとり構える。

 やはり、説得に応じることはできなかったようだ。

 それほどまでに、成徳の影響力は絶大なのであろう。どちらかと言うと悪影響ではあるが……。


「……ならば、仕方がありませんね」


 夏乃は、短刀を持ち返て、構える。

 夏乃もまた覚悟を決めたようだ。彼らと戦ってでも朧を救うことを……。


「お覚悟を!」


 夏乃は、地面をけり、密偵隊の元へと向かう。

 密偵隊は、一斉に、夏乃に襲い掛かった。

 夏乃は、武器を短刀で受け流し、手刀や蹴りで、密偵隊を次々と気絶させる。

 背後から来ようが、両側から来ようが、夏乃は全て攻撃を受け流し、美しく舞う蝶のように密偵隊と戦闘を繰り広げた。


「夏乃様……」


 夏乃の華麗な攻撃に朧は目を奪われる。

 だが、朧の背後から、密偵隊が短刀を手にして、襲い掛かろうとしていた。

 しかし……。


「ぎゃっ!」


 男は、悲痛な叫び声を上げる。

 九十九が朧を助けようと、男の手を引っ掻いたからだ。

 九十九は、守るかのように、朧の前に出て男を威嚇した。


「つ、九十九!」


「こいつ!」


 男は、九十九を刺し殺そうと振り下ろすが、九十九はいとも簡単にそれを交わす。

 男はとらえようとするが、九十九は素早く動くため、とらえることができない。

 朧は、九十九を助ける為に、必死で縄を解こうとするが、縄は固く縛ってあり、解くことができなかった。

 九十九は挑発するかのように男の攻撃をかわすが、もう一人の男が九十九をとらえ、九十九はジタバタと暴れるが身動きが取れなくなってしまった。


「九十九!」


 朧の声が夏乃の耳に届き、夏乃は、九十九に危機が迫ったのを感じ取った。

 その瞬間、夏乃は、その場から姿を消し、一瞬にして九十九の前に現れた。


「!」


「いつの間に!」


 男たちも九十九も、何が起こったのかわからないようだ。

 驚き、固まっている男たちの隙を夏乃は逃さない。


「はあっ!」


 夏乃は、見事な回し蹴りを披露し、二人の男たちを吹き飛ばす。

 地面に打ち付けられた男たちは目を回し、気絶したようだった。

 男から解放された九十九は地面に着地し、体を震わせ、朧の元へ駆け寄った。

 全ての密偵隊の人間を気絶させた夏乃も朧の元へ駆け寄った。


「朧様、ご無事ですか?」


「は、はい!ありがとうございます!」


「いえ、朧様、失礼します」


 夏乃は、短刀で朧の両腕を縛っている縄を斬り、地面に落とす。

 縄から解放された朧は痛む腕を手で抑えるように握り、安堵した様子を見せていた。


「た、助かった……」


「本当、よかったな」


「うん、ありがとう!」


 朧は、満面の笑みを浮かべる。

 彼の笑顔を見て、九十九も夏乃も、安堵した様であった。

 だが、九十九はある疑問が思い浮かぶ。

 それは、夏乃のことだ。自分がとらえられている間に、どうやって移動したのか、九十九でさえ、思いつかないようであった。


「けど、お前、いつの間に移動したんだ?忍術ってやつか?」


「いいえ、あれは聖印能力です」


「聖印能力?」


「はい」


 夏乃は、服を引っ張り、右鎖骨に刻まれている聖印を見せる。

 蝶と雪が描かれた紋、万城家の聖印であった。


「我が一家・万城家の能力は時限じげん。時を操る能力です。体に負担がかかるため、範囲は限られていますが……」


「なるほどな。さっきのは、時を止めてたってわけか」


「はい」


 万城家は、時を操る能力を神から授けられている。

 先ほど、彼女が発動したのは、時限じげん時留めときとめ

 その名の通り、時を止める能力だ。だが、時を止めることは体に負担がかかるため、なるべく最小限の範囲でしか発動しないようにしている。

 九十九は納得したのだが、夏乃の薙刀を見て、次なる疑問が浮かび上がった。


「にしても、なんで薙刀は使わねぇんだよ。そっちの方が得意なんだろ?」


「これは、対妖用の宝器です。人に対して使用するものではありません」


 宝器とは、宝刀と同じ、妖ように作られた武器である。刀以外の武器の総称だ。

 それゆえに、様々な宝器を一族は手にしている。

 夏乃の薙刀や札、弓などが一般的だが、中には扇や笛など変わった宝器も存在している。

 夏乃は、妖以外にはこの薙刀を使用しないように心掛けていた。


「九十九、例の妖はどこへ行ったかわかりますか?」


「さっきの騒ぎで逃げやがった。おそらく、誰かの影に隠れてるんだろ」


「気をつけた方がいいですね」


 九十九達は、周辺を警戒する。

 どこかに影付きがいるはずだ。もしかしたら、自分たちの影に潜んでいるかもしれない。

 自分の影を確認するが、異変は確認されない。

 だが、ほっとしたのもつかの間だった。


「!」


 夏乃の体に異変が生じる。夏乃は気付いたが、時すでに遅し。

 夏乃の眼は虚ろになり、朧の首に手をかけた。


「わあっ!」


「朧!」


 朧の叫び声がして、九十九は、振り向く!

 夏乃が朧の首をつかみ、絞殺そうとしていた。


「しまった!」


 九十九は気付いた。

 影付きは、夏乃の影に潜んでいたことを。あれだけ動いていた夏乃に憑りつくことなどできるはずないと思っていたのだろう。

 影付きは、戦いが終わるのを静かに待ち、夏乃を操り始めたのだ。

 九十九は、自分の考えが浅はかだったことを悔い、朧を助けようとして駆け寄る。

 しかし……。


『動くな。動けば、こいつを殺す』


「うっ!ぐっ!」


 影付きは、夏乃を使って朧の首をさらに圧迫する。

 朧は呼吸ができなくなり、額から汗が滴り落ちる。

 九十九はそれ以上動くことができなくなってしまった。


「待ちやがれ!てめぇの目的は俺だろ!?朧を放せ!」


『いいや、お前ではない。私は、人間と結託した。それゆえに、我が目的は、その者と同じ、こいつを殺すことだ』


「くっ!」


 目的は九十九ではない。朧を殺すことだ。

 自分がおとりになって朧を救おうとした九十九であったが、それすらも無意味であると知り、九十九は何もできない自分を悔やんだ。

 だが、朧が苦痛の顔を浮かべて九十九に視線を送り、九十九はその視線に気付いた。


「つく……も……僕に……」


 朧が何を言いたいのか、九十九は理解する。

 朧は、自分の体に入るよう伝えたのだ。

 九十九は、ためらいそうになるが、そんな時間がないことも知っている。

 ついに意を決し、うなずいた。


『死ね!』


「させるかよ!」


 影付きは、さらに朧の首を圧迫しようとするが、それを食い止めるかのように九十九は叫び、体が光り始める。

 光は、一瞬で朧の体に入った。


「おらぁっ!」


『!』


 朧の体に入り、入れ替わった九十九は、力任せに夏乃の腕をつかむ。

 影付きは、危険を察知し、朧の体から逃げるように後退した。

 急に口から空気が入り始め、思わず咳き込んでしまった朧であったが、息を整え、構えた。

 その姿は、やはり九十九そのものであった。


――わりぃな。遅くなったぜ、朧。


――いいよ、ありがとう。九十九。


 九十九は、朧に謝罪するように呟く。

 だが、朧はそんなことは全く気にしていない。九十九ならこの状況を打破してくれると確信していたからだ。

 影付きは、歯を食いしばらせ、怒りに任せて背負っている薙刀をつかんだ。


『ならば、これで!』


 影付きは、薙刀を引き抜き、構える。

 だが、その瞬間、夏乃の手が震え始めた。

 まるで、抵抗するかのように……。


『!』


「夏乃?」


 影付きに操られた夏乃が必死に抵抗するかのように体を震わせていることに気付いた朧と九十九。

 夏乃は、刃を影に向ける。

 影付きを刺そうとしているようだ。

 身の危険を感じた影付きは、夏乃を操ろうとするが、夏乃は抵抗し続けた。


「私の体から……離れなさい!」


 夏乃は、影付きが逃げる前に、自分の影に薙刀を刺す。

 影付きを逃がすまいと、薙刀を離さなかった。


「っ……」


 解放された夏乃だが、めまいがし、体がふらつく。

 朧と九十九は、夏乃の元へ駆け寄った。


「夏乃!」


「無事です。それより、この妖……」


「おう」


 九十九は朧の体を借りて、影付きを踏みつけた。


『ひっ!』


「答えろ。誰がお前とつるんでんだ?」


『こ、答えるつもりはない。それに、私を殺したところで本体に還るだけだ」


「本体?」


『そうだ。私は影付き。影付きは、体を分散させることができる。本体は、結託した人間と行動を共にしているはずだ』


 影付きは、追い詰められているはずであるが、まるで勝ち誇ったように九十九達に告げる。

 それを聞いた九十九達は、悔しそうな顔を影付きに向けて浮かべたのであった。


『残念だったな。私を殺したところで何の意味もないというわけだ』


「てめぇ……」


「ならば、貴方を閉じ込めるだけですよ」


 夏乃が笑みを浮かべて告げると、突然、薙刀から雪が出現する。

 出現するや否や、影付きの体が氷に覆われ始めた。


「なっ!」


「私の宝器・淡雪あわゆきは、斬った者を雪で覆い、最後には凍らせる技です。この技は、雪化粧ゆきげしょうと呼ばれています。逃れる術はありませんよ」


 夏乃が説明し終えると影付きは完全に氷に閉じ込められた。

 影付きが閉じ込められたのを確認すると、夏乃は影付きから薙刀を素早く抜いた。

 九十九は、朧から出て、狐に変化した。


「容赦ねぇな」


「戦いに情けはいりますか?」


 夏乃の無慈悲な問いに、九十九は、首を横に振る。

 九十九もまた同じ考えのようだ。


「いいや、いらねぇな。けど、誰が手引きしたかわからなかったな」


「そうですね」


「……ねぇ、この妖は、僕を殺そうとしてたんだよね?その人に命じられて」


「ああ、そうだったな」


「てことは、その人は、僕を殺そうとした人だよね?」


 朧が何かに気付いたように語りかけ、九十九はうなずく。

 確かに、影付きは、結託した人間と同じ目的だと告げた。その目的は朧を殺すことだった。

 そのことに気付いた瞬間、九十九も夏乃も、何かに気付いたような顔に変わり、目を見開いた。


「ちょっと待て。……ってことは、手引きをしたのは」


「まさか!」



「やっと、見つけたわね」


「ああ」


 柚月と綾姫は、成徳を見つける。

 成徳がいた場所は、なんと自分の屋敷であった。

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