第七話 君の小さな親友に
朧が倒れた次の日の朝、柚月はいつものように、朧の部屋を訪れた。
今朝、奉公人からそれとなく朧の様子を尋ねる。奉公人が言うには、あれから朧はぐっすり寝ていたようで熱も下がったらしい。
勝吏に聞くべきだろうかと迷ったが、勝吏はどこか抜けてる天然ではあるが、一応あれでも聖印寮を取りまとめる大将だ。そのため多忙であり、すでに、本堂に向かったようで昨日の様子を聞けずじまいだった。
どうか、朧の病がよくなっていますようにと願い、御簾を上げた。
「朧、どうだって、え!?」
朧の様子を見た柚月は思わず、大きな声を上げてしまう。
昨夜、熱があって倒れたと聞いていた朧が、何事もなかったように立っているからだ。しかも、朧の顔色はよくなっており、今まで以上に元気な姿を柚月に見せていたた。
「あ、兄さんおはよう」
朧はいつもの満面の笑みで柚月を迎える。いつもなら朧の笑顔に癒される柚月なのだが、今日の柚月の顔は仰天したままだった。
何も反応がない固まった柚月に朧はきょとんとした。
「に、兄さん?どうしたの?」
「朧……お前、体の方は?倒れたって聞いたんだが……」
柚月は恐る恐る朧に尋ねる。いくら熱が下がったとはいえ、そう簡単に立っていられるはずがない。ましてや朧の病は重い。なのに平然と立っている朧が不思議でたまらなかった。
「熱なら昨日下がったよ。それに病気も治ったし」
「そうかそうか、治ったのか。それはよかったって、はぁ!?」
柚月は、もう一度目を丸くして仰天する。たった今、朧は自分の病は治ったとさらりと重大発表をしたからだ。
にわかに信じられない話を聞いた柚月は朧を疑ってしまった。
「ほ、本当に?」
「うん!先生が、そう言ってたんだって!」
朧は嬉しそうに柚月に伝える。それを聞いた途端、柚月は朧の元へ駆け寄り、朧を抱きしめた。
「わ、兄さん!」
朧は驚きを隠せないでいるが、柚月の体が震えていることに気付いた。
柚月は、朧の病気は治らないのではないかと半ばあきらめていた。もしかしたら、最悪の場合もあるかもしれないと、不安に駆られた日々を送っていたのだ。
だが、もう、そんな心配もしなくていい。病は消え去り、元気な朧が今目の前にいる。
柚月はうれしくてうれしくてたまらなかった。
「兄さん、ありがとう」
柚月が、こんなにも喜んでくれるとは思いもしなかった。これほどまでに大事に思っていてくれたんだと。
朧もうれしくてうれしくてたまらなかった。
柚月の優しさに改めて感謝した。
しかし……。
「兄さん、ぐ、ぐるじい……」
「あっ!す、すまん!」
朧が、苦しそうにばんばんと柚月の腕をたたく。それに気付いた柚月はとっさに朧を離し、朧は解放された。
ぎゅうぎゅうに抱きしめられた朧はうれしさ反面苦しさ反面の状態であった。
あと少しで呼吸困難に陥っていただろう。
朧は柚月に離してと伝えるべきかどうか迷ったが、とうとう耐えられなくなってしまった。
思わず柚月はやってしまったというような罰の悪そうな顔をするが、朧は満面の笑みを柚月に向ける。柚月もお返しと言わんばかりに満面の笑みを朧に向けた。
だが、柚月はある一つの疑問が浮かぶ。
「先生がそう言ってた」ということは、病気が治ったことは医師から教えてもらったわけではなさそうだ。
「それで、朧。病が治ったというのは誰から聞いたんだ?」
「父さんが、教えてくれたんだ」
「そうなのか……って、なんで俺また知らないんだ?」
柚月はさらなる疑問が浮かび上がる。勝吏が知っているのであれば、自分に伝えるべきではないのかと。たとえ、公務で忙しいといってもそれくらいはして欲しかったと内心嘆く柚月であった。
「あれ?兄さんにも伝えてくるぞって言ってたんだけど、聞いてないの?」
「……全く」
柚月は、今まで生きた人生の中で一番落胆した。こんな大事なことを勝吏はすっからかんに忘れて本堂に行ってしまったらしい。ここまで来ると天然を通り越して間の抜けた馬鹿親父ではないかと、心の中で暴言を吐いてしまう柚月なのであった。
さらに腹立たしいのは、何も知らされておらず、本当に蚊帳の外に放り出された柚月を九十九がにやりと見ているような表情を見せた。
まるで、見下されたようで柚月は腹立たしい感情が沸き上がる。
いつものごとく、九十九と火花を散らしていると、柚月と九十九の対立に気付かない朧は、楽しそうに尋ねた。
「で、兄さん、今日は任務?僕、兄さんの任務一度見てみたかったんだ!あ、でも、そしたら、母さんに許可をもらったほうがいいよね?母さん、許してくれるかな?」
朧は今まで以上にはしゃいだ様子で柚月に尋ねる。昨日までははしゃぐなと注意をしなければならなかったが、その必要もない。むしろ、これから元気な姿の朧が見れると思うと柚月は心が癒されていた。
朧の癒しのおかげで怒りもどこかへ素っ飛んだ柚月だったが、我に返り、申し訳なさそうに返事をした。
「すまないな。今日は非番なんだ。だが、母上に朧の病気が治ったこと、報告しに行こう。驚くかもしれないぞ」
あの勝吏のことだから月読にも言っていない可能性があると判断した柚月は朧を誘ったが、朧は暗い表情を見せる。
「どうした?」
「父さんが、母さんに言ってくれたみたいなんだ。でも、お仕事に行っちゃったみたいなんだ。……仕方がないよね、母さん。忙しいんだから」
朧は悲しげな表情を柚月に見せる。朧だって、ずっと月読に来てほしかっただろう。だからこそ、病が治った時ぐらい来てくれるのではないかと期待したのだ。
だが、結果は朧の部屋には来ず、仕事場へ行ってしまった。
朧は、仕方がないと受け入れようとしても、受け入れずにいた。
朧の様子を見た柚月は怒りに震えた。そして、そこまで冷酷だったのかと同時に落ち込んだ。
月読は自分たちのことをなんだと思っているのだろうという心の迷いが柚月の中に生まれていた。
だが、そんな二人を励ましたのは、意外にも九十九であった。
「コンッ!」
「へ?」
今まで聞いたことない声が部屋に響き渡ったため、柚月は何とも間抜けな声を出してしまった。
その声の主は九十九だ。二人は九十九を見下ろすと九十九は堂々とした様子で二人を見上げた。
「コンッ!コンッ!」
再び、九十九は鳴く。鳴くというより、叱咤しているように思えた。落ち込むなと伝えたいのだろう。
九十九の気持ちに気付いた朧はしゃがみ、九十九を抱きかかえて、立ち上がった。
「うん、そうだね。落ち込んでなんかいられないよね!」
朧は再び笑顔を見せる。柚月も優しくうなずき、九十九の頭を撫でた。
だが、九十九は嫌がる様子もなくじっとしている。
九十九の様子に柚月と朧は驚いた。だが、柚月は、九十九にも微笑みかけ、朧にあることを伝えた。
「朧、今度は朧が母上に会いに行けばいい」
「僕が?」
「そうだ。仕事で忙しいって言うんなら、帰ってきたときに会いに行けばいい。病が治ったんだ。夜遅くまで起きてられる。母上に怒られるのが怖いなら俺も一緒についていくぞ。もちろん……九十九もな」
少し照れたように柚月は伝える。九十九も照れたような表情を見せる。
なんだか妙な気持ちにはなったが、それも九十九も同じなのだろう。柚月は感謝してるのだ。朧の小さな親友に……。
ほんのちょっぴり心が温かくなるような気持ちになったが、柚月は九十九から手を離した。
「じゃあ、ちょっと出かけてくる」
「え?どこに?」
「千城家の屋敷だ。妖の調査をしようと思ってな」
「でも、今日は非番なんじゃ……」
「そうだ。だが、どうしても気になってな」
「じゃあ、僕も一緒に……」
「駄目だ。朧は部屋にいなさい」
朧も柚月についていこうとしたが、柚月はそれを制止する。
いくら朧の病が治ったからと言って、真相がわかっていない以上、共に行かせるわけにはいかなかった。
もちろん、柚月も朧と共にいたかったが、穏やかな日々を過ごすためには致し方ないと心を鬼にした。
朧は、柚月の気持ちに気付いたのか、寂しそうな顔を柚月に見せる。
柚月は、心が痛んだが、これでいいと自分に言い聞かせ、穏やかな表情を見せた。
「だが、今日のは任務ではない。そんな遅くまでやらないさ。帰ってきたら朧のやりたいことを一緒にやろう。それまでに、何がやりたいか考えるんだぞ」
「……もう決まってる」
「え?」
「……修行したいんだ。強くなりたいんだ兄さんのように」
朧は真っ直ぐな目で柚月を見つめる。本来なら兄として反対するべきなのだろう。だが、朧の真っ直ぐで強い気持ちが伝わってきたため、柚月は大きくうなずいた。
「わかった。けど、兄ちゃんの修行は厳しいからな。覚悟しておくんだぞ!」
「うん、それまでに九十九と鍛えておくよ!」
朧は抱えていた九十九を上にあげる。九十九も、いつものように小生意気ににやりと笑っていたが、柚月はなぜか怒りがこみあげてこなかった。
挑発されているとわかってはいたが、それと同時に頼もしさが伝わってきたからであった。
「楽しみにしてるぞ」
そういって、柚月は部屋を後にした。御簾が下げられ、柚月の姿は見えなくなったが、朧は部屋を出る直前の柚月の後姿は心強く見え、印象に残った。
「兄さん、行っちゃったね」
朧はそう呟くが、その声は寂しさを物語っているのではない。今から兄と共に生きていけるのがうれしかったのだ。
だが、朧にはある疑問が浮かんでいた。
柚月に頭を撫でられた時、九十九は嫌がらなかった。
いつもなら嫌がって、頭を動かすのになぜ今日はしなかったのだろう。
朧は九十九に問いかけた。
「ねぇ、今日は兄さんに頭撫でてもらってたね。どうしたの?」
朧は疑問を投げかけるが、九十九は反応しない。照れくさいのか、答えるつもりはなさそうだ。
それでも、朧は九十九の頭を優しくなでた。
「まぁ、いっか。僕は兄さんと九十九が仲良くなってくれるならそれでいいし」
朧は嬉しそうに話しかけるが、九十九はやっぱり反応しない。
なぜ、九十九は嫌がらなかったのかは答えはわからなかったが、朧は嬉しそうだった。
「よし、兄さんが帰ってくるまでに鍛えよう!行くよ、九十九!」
これまで以上に朧の元気な誘いに九十九はうなずいた。
聖印京とは遠く離れた場所にある塔の屋根から一人の男が聖印京を見下ろすように見ていた。
男の頭から生えている長細い鋭利な角は妖の中でも最強と言われている鬼の一族の証だ。
その男は黄金の短い髪を風になびかせ、瞼を閉じた。
その顔は狂気じみているように思える。手を前に出し、わずかな妖気が男の手をかすめる。その妖気を男はぐっと握りつぶすかのようにつかんだ。
男は瞼をゆっくりと開けた。瞼から見える黄金の瞳は何かをとらえた様子であった。
「やっと見つけたぞ」
男はそう呟き、再び狂気じみた顔で聖印京を見下ろしていた。
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