第四話 宝刀・銀月
巫女の装束に身を包んだ綾姫は、先ほどまで凛としていた表情から口をへの字に曲げてむっとした表情で柚月の顔を見上げるように覗き込む。今の綾姫は、姫君と言うよりも同年代の少女のようであった。
「柚月、姫と呼ばないでほしいと何度も言ってるじゃない」
「そうは言ってもな。姫と呼ばなければ俺が怒られてしまうからな」
「変なしきたりよね。同じ聖印一族なのに」
千城家は、皇族の血を引いていることで有名だ。聖印一族は千城家を皇族扱いしている。綾姫は姫と呼ばれることに違和感を持っていた。と言うよりも姫扱いされるのが嫌なのである。
柚月も何度も綾姫から指摘を受けているのであるが、綾と呼び捨てにすれば、月読が血相を変えて柚月を南堂に呼びつけ、叱りつける姿が目に浮かんだ。いや、それ以上の恐怖が待っているかもしれないと思うとやはり、呼び捨てには到底できなかった。
不機嫌そうな綾姫を柚月は困った表情で見ていたのだが、すぐさま遠くから、足音が聞こえてきた。
その足音は、近くまで迫ってくると、忍び装束を身にまとった少女が現れた。
「見つけましたよ!綾姫様!」
「夏乃!」
前も左右もきれいに切りそろえた栗色の髪に濃紺の瞳を持つ少女の名は
夏乃は慌てふためいたように綾姫の元へ駆け寄った。
「綾姫様、外は危険ですから屋敷にいるようにと、
「私は聖印隊士の一人よ。自分の身くらい自分で守れます!そうでなければ、聖印隊士は務まらないわ」
「ですが、妖は千城家の屋敷に入り込んだのです。もしかしたら狙われているのは綾姫様なのかもしれませんよ?」
「わかってるわ、夏乃。あなたも成徳も私を心配してくれてるって。けど、私は戦わなければならないと思うの。でも、これ以上千城家や万城家の者達が傷つくのは黙って見過ごせない。千城家の人間として、家族や仲間を守りたい」
綾姫の表情は真剣な面持ちだ。綾姫は、正義感が強い。千城家や自分に仕えている万城家の人間が妖に傷つけられたのは耐えがたい辛さだ。だからこそ、たとえ自分が狙われているとしても、立ち向かい、戦う覚悟はできているのだろう。それは柚月も夏乃も痛いほどにわかっている。だが、夏乃の言う通り、狙われている可能性がある以上、綾姫を危険な目には合わせられない。
柚月は綾姫をなだめるように肩に手を置いた。
「綾姫、気持ちは十分わかる。夏乃だって、本当は綾姫の気持ちを優先したいはずだ。だが、そうしないのは、綾姫に傷ついてほしくないからだ。わかるだろう?」
「そうです、柚月様のおっしゃる通りです。もし、綾姫様の身に何かったら私は……」
まるで兄が妹をなだめるように柚月は綾姫に諭す。側で聞いていた夏乃も何度もうなずき、心配そうに綾姫を見ていた。
彼らの様子を見た綾姫は、二人の気持ちを察したのだろう。降参したかのようにうつむき、口を開いた。
「わかったわ。この件が落ち着くまでは屋敷にいます。ごめんね、わがままを言ってしまって」
「いえ、私こそですぎた真似をいたしました。申し訳ありません、綾姫様」
夏乃は頭を下げたが、綾姫のためとは言え、反論してしまったことに夏乃は深く反省し、落ち込んでいるようだった。綾姫は慰めるように夏乃の肩に触れた。
「いいのよ、夏乃。あなたが私を大事にしてくれていることが分かったわ。ありがとう」
「あ、綾姫さまぁ~」
綾姫がお礼を言った途端、夏乃はぼろぼろと涙をこぼし始める。今の夏乃はもはや忍びらしからぬ一人の少女のようだ。これには柚月も綾姫もたまげた様子で目をぎょっとさせていた。
「ちょ、泣かなくてもいいじゃない!」
「で、ですが、綾姫様の気持ちが嬉しくて……」
「だからって……」
涙が止まらない夏乃を見た綾姫は慌てている。柚月は、こんなことを言ったら二人に怒られるであろうが正直ほほえましいと思い、笑みをこらえていた。二人が平穏な世で生きられたらいいのにと願うのであった。
だが、その願いもむなしく、一瞬にして異様な気配があたりに立ち込める。
柚月達は、気配を察し、鋭い表情へと変えた。
「これは、妖気か?」
「そのようですね。綾姫様、お下がりください」
「ええ……」
柚月は刀に手を添えいつでも抜けるように構える。夏乃も背負っている薙刀をつかみ、構えた。
綾姫は、夏乃の言う通り、下がってはいるが、懐から札を取り出せるように構えている。万が一に備えての行動だ。
その場にいた奉公人や女房達も柚月達の様子を見て、妖がいることを察し、おびえたように屋敷の中へと駆けだそうとしていた。
だが、あたりを見回そうとした瞬間、柚月達の目の前に真っ黒な獣の姿をした妖が、上空から飛び降りたかのように現れた。
「!」
柚月達は信じられないと言わんばかりの顔をして、目を見開く。それもそのはず、妖は一瞬にして上空から現れ、柚月達の目の前にいる。いつ?どうやって?と言う疑問が頭の中で駆け巡った柚月であったが、その余裕もなく、妖はすぐさま攻撃に転じ、右手を振り上げ柚月を切り裂こうとするかの如く柚月に襲い掛かった。
だが、柚月は、妖気を察して刀を抜いたため、妖の攻撃を防ぐことに成功した。
「せいっ!」
柚月が攻撃を防いだ瞬間、夏乃は忍びの修業で鍛えられた素早さを生かして、妖の左の脇腹に向かって踏み込みを入れ突きを放つが、あざ笑うかのように妖は、かわした。柚月が続いて跳躍し構え、刀を振りおろす。流れるような柚月の太刀捌きを妖は余裕と言わんばかりに左へかわした。だが、柚月はあきらめず構えるが、妖は、跳躍して屋根へと飛び移ってしまった。
柚月達は、かろうじて妖を目で追うことができたが、妖はすでに、屋根に飛び移り、北の方角へと逃げた。
「早い!」
「あれでは逃げてしまうわ!」
「逃がすか!」
柚月は、妖を逃がすまいと追うように駆けだす。
「柚月!」
妖の素早さを認識した綾姫と夏乃は、柚月でさえも妖に追いつくことはできないと目に見えてわかっていたが、柚月を心配し、後を追った。
しかし、柚月を追って右へ曲がったが、柚月と妖の姿はなく、二人を見失ってしまった。
「あ、あれ?柚月は?」
「見当たりません、どこに向かわれたのでしょう……」
綾姫と夏乃は、あたりを見回したが、柚月の姿はどこにもなかった。
妖は屋根から屋根へと飛び移り、逃げ切るように空高く跳躍するが、柚月は、妖よりも高く跳躍し、目の前に現れた。これには妖も驚いたらしく、柚月が自分の目の前に現れた途端硬直した。
柚月は、刀の切っ先を下に向け、構えた。
「散れ!」
柚月は、重力に身を任せてそのまま下降する。刀は妖を貫き、さらに地面へと突き刺さる。妖はぎょろり目を向き、狂ったように叫ぶ。痛みから逃れようともがくが柚月が刀を抜くことはない。
柚月の眼が、怒りに燃えた。
「誰が貴様を逃がすか」
いつになく低い声で、妖に向けて言い放つと、刀がまばゆい光を放つ。その瞬間、妖の動きが止まった。その光は妖に有効のようだ。動きを止めた妖に対して、柚月は、容赦がない様子で刀を握りしめ、振り上げる。光は刃となって妖の顔を真っ二つに切り裂いた。妖はぴくりと動かなくなり、ぐったりと横たえた。
柚月は顔に飛び散った妖の血を手で拭い、妖から刀を抜き、血を振り払って鞘におさめた。
「柚月!」
綾姫と夏乃は柚月を見失っていたが、柚月が持っていた刀から発せられた光を頼りに、柚月がいる場所を特定することができた。
二人は慌てた様子で柚月の元へ駆け寄るが、真っ二つに切り裂かれ、消滅しかけている妖の顔を見て、二人は立ち止まってしまう。
二人は、柚月が妖を憎んでいることもその理由も当然知ってはいる。あの穏やかな物腰の青年が、これほどまでに、妖に対して容赦がなく斬るということはそれほど憎いのだろうと二人は察したが、同時に柚月の心が壊れてしまわないかと不安がよぎった。
妖が、完全に消滅したのを柚月達は見届けた。
「綾姫、夏乃、妖は殺した。これで、ここは安全だろう。心配ないぞ」
「え、ええ、ありがとう、柚月」
綾姫と夏乃に気付いた柚月は、再び穏やかな顔で二人を迎える。
綾姫は不安を悟られないように笑みを作ることで精一杯だった。
「でも、すごいわね。あんなに速い妖に追いついてしまうんだもの」
「ええ、お見事です、柚月様。しかし、どうやって追いつけたのですか?」
「行動を読んだだけだ。妖は来た道を戻るだろうと」
「なるほど、さすがです」
柚月の説明に二人は納得する。柚月は、妖の素早さには勝てないと気付いていながらも、妖の行動を推測し、先回りすることで妖に追いついたのだ。
「それで、どうやって来た道を知ったのですか?」
「妖気は、南側から発していた。となると、妖は南側の上空から侵入したことになる。だから、俺は先回りして妖を討ったんだ。」
「なるほどね。でも、あの時、妖は北の方角へ逃げたわ。あなたも追っていったわよね?」
「ああ、誘導したからな」
「誘導?」
どういうことかと言わんばかりに、綾姫は尋ねる。
夏乃も同じように思ったらしく、首を傾げていた。
「あの時、俺は刀を振りおろした妖の右肩に向けてな。そうすると、東側を向いていた妖は左によけるしかない。よけたところを前に出て構えれば……」
「妖は南の方角へは逃げられない。大回りして逃げるしかないということですね」
「そうだ。だが、俺が南の方角へ行けば、妖も俺が先回りすることに気付くかもしれない。だから、追いかけるふりをして、先回りすることで、妖は、俺が見失ったと悟るように仕向けたんだ」
「そういうことだったのね。さすが柚月ね」
柚月の行動に納得した二人は改めて柚月に感心した。
柚月は、洞察力が高く、妖の特徴をすぐに察知することができる。さらには、判断力にたけているため、このように妖を誘導し、追い込んで討伐することは過去にもよくあった。
「だが、宝刀で突き刺しても、暴れていた。しぶとい奴だった。
柚月は宝刀・銀月に触れた。
柚月が持っている宝刀は、対妖用に作られた武器であり、特殊な効果を発動することで妖を討伐することができる。ゆえに、この武器がなければ、妖を倒すことは不可能だ。
銀月は、月の光の刃を生み出すことで妖を倒す。その技の名は、
「でも、結果、柚月のおかげで妖におびえる日々はなくなったわ。本当にありがとう」
「ああ、怪我がなくて本当によかった」
柚月と綾姫は、お互い安堵したかのように笑みを見せる。そんな二人のやり取りを見て、夏乃は、ほほえましいと感じていた。
「柚月様!」
春風の声がして、柚月は振り向くと情報収集をしていた春風と真純が柚月の元へ駆け付ける。柚月は二人のもとへ走っていくのであった。
彼らの様子を見ていた夏乃は、綾姫のそばに寄り添うように立っていた。
「……妖が侵入してきたということは結界に綻びが生じているということよね?」
「はい、私もそう思います」
「やはり、お母様の身に何かが……」
綾姫は、暗い表情を浮かべてうつむいてしまう。
柚月は、綾姫と夏乃の様子を知る由もなく、春風達と楽しそうにやり取りをしていたのであった。
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