第三話 春の香りを纏う姫君

 月読から任務が言い渡された後、柚月は五人の部下たちと共に、千城家の敷地周辺の調査を始めることとなった。

 月読の話によるとこれまでに三回の目撃情報があり、千城門、千城家の屋敷、寺院の上空から現れたという。素早い妖のため姿を見せてもすぐに逃げられてしまい、妖の特徴はつかめていないらしい。

 また、警護隊からの情報は一切ない。彼ら曰く、一瞬の出来事だったため、見えなかったとのことらしいが、柚月は、単なる嫌がらせにしか思えなかった。

 柚月は千城門の前で部下たちが来るのを待っていた。


「情報が少なすぎる。たったこれだけで調査せよというのは無謀すぎる」


 柚月が手にしている報告書を覗き込むようにぼやいたのは、東雲譲鴛しののめじょうえん。第一部隊・第一班の一般隊士である。柚月とは同期であり、仲の良い間柄だ。隊長になったばかりの柚月を支えてきたのも彼である。


「にしても、なんでまた千城家付近にしか現れないんだろうな。しかも、聖印京の全体に結界が張られてるんだろ?そう簡単に入れるはずがない」


 聖印京の周りに結界が張られており、妖は聖印京に入るどころか近づくことすらできない。たとえ強力な妖気をまとった妖でも。それほど強力な結界が張られていながら、今回三回も都の侵入を許している。しかも、警護隊に傷を負わせているため、相当な妖気を持った妖と見て間違いないだろう。

 柚月達は慎重に調査をしなければならないと感じていた。


「この妖は千城家を狙っているとみて間違いないな」


 譲鴛の質問に柚月は冷静に答えた。彼の様子は隊長そのものだ。隊長になる前はどちらかと言うと、喜怒哀楽がはっきりしている性格だった。昔とは違うんだなと譲鴛は、うれしくもあり寂しくもあるという二つの感情が混ざり合っていた。

 近くにいるのに遠くに行ってしまったかのようにも思え、柚月は変わったんだと実感した。


「だろうな。でも、どうやって結界を破ったんだ?」


「そこが問題なんだ。しかも、都から逃げることに成功している。元から中にいたというわけではなさそうだ」


 ここで、柚月と譲鴛の会話は止まる。情報が少なすぎるため、これ以上の憶測は難しい。手掛かりを自分たちで探すしかないようだ。


「とりあえず、みんなと合流しよう。話はそれからだ」


「そうだな。で、隊長を務めて一月たったが、どうだ?慣れたか?」


 譲鴛が、尋ねると柚月は顔を曇らせる。まるで何か苦い思い出を思いだしてしまったかのように。彼の顔を見た譲鴛は、聞かなきゃよかったと後悔していたのであった。それと同時にやっぱり柚月は何も変わってないことを実感した。


「正直に言っていい?」


「お、おう……」


 柚月の声色が低いというよりも暗い。柚月の問いに対して嫌だと答えたかった譲鴛であったが、聞いてしまった以上うなずくしかなかった。


「正直、しんどい」


「や、やっぱり、そんなに大変なのか?」


「そりゃ大変だよ。俺が討伐隊の隊長になったら、警護隊の連中は嬉しそうに残念だったな警護隊に入れなくてとか、討伐隊の方がお似合いだとか言いやがるし。母上……じゃなかった。月読さまぁ?と最低二回は謁見しないといけないし。だから、隊長なんてやりたくなかったんだよ。自由がきかない」


 柚月はたまりにためていたうっぷんを吐きだし、ぶつぶつぶつぶつと愚痴をこぼし始めた。しかも彼の表情は先ほどとは打って変わってやさぐれている。そんな彼の様子を見た譲鴛は、相当苦労しているんだなと柚月の心情を初めて知ってしまったのであった。


「でも、警護隊にも入る気はなかったんだろ?内定してたのに断ったって言う噂が出回ってたけど?」


「ああ断った。そりゃそうだろ、警護隊なんか、俺が一番だとかのよくわからん争いが勃発しているところだぞ?俺があんな殺伐とした雰囲気の中でやっていけると思うか?」


「そりゃあ、無理だな。俺も入りたくないしな」


 自尊心の高い警護隊はどいつもこいつも自分が一番だと思い込んでいるらしく、仲は最悪と言っていいほど悪い。そのため、連携をとることはなく、個別行動が多い。それでも、妖を討伐できるほどであるからよほどの力量を持っているのであろう。

 柚月も警護隊に入れるくらいの実力は持っているため、警護隊の入隊が内定したのだが、柚月は警護隊には絶対に入りたくなかった。

 月読を何時間もかけて説得し、結果、討伐隊の隊長に就任するという方向で話をおさめたのであった。

 柚月の説得の様子を見た奉公人や女房達は、必死過ぎて逆にかわいそうになったと憐れんでいたという噂は、瞬く間に聖印京に広がってしまったのだが、柚月は知る由もない。当然、譲鴛の口からは到底言えるものではなかった。


「けど、よく説得できたな」


「俺もそう思う。母上は警護隊に入ってほしかったみたいだがな。鳳城家の名誉のためにはそのほうがいいかもしれない。でも、正直名誉なんかどうでもいい」


「まぁ、確かに名誉のためだけにあんなところに入って肩身の狭い思いはしたくないな」


「それもあるけど……」


「けど?」


 譲鴛は、顔を覗き込むようにして問いかけるが、次の瞬間、譲鴛は目を見開いた。柚月の顔がほんの一瞬だけ、憎悪に満ちていたからであった。


「妖を殺せるならどこでもいい。警護隊じゃあ、妖を殺す機会は少なくなるからな」


 柚月の眼は殺意を宿しているように見えた。

 柚月の姉が妖狐に殺されたことは譲鴛も知っている。そして、妖を激しく憎んでいることも……。五年前は柚月は何か思い詰めたような顔で、妖を戦っていたため、譲鴛は、彼を心配していた。

 そして、今も五年前と同じ顔をしていた。

 だが、遠くから足音が聞こえ、柚月達は前を見据える。足音の正体は柚月の四人の部下たちであった。

 

「お待たせいたしました!柚月様!」


 部下たちが、柚月と譲鴛の元へと集まる。柚月の顔も元に戻っていた。彼の顔を見た譲鴛は、安堵した。

 柚月は部下たちに、今回の件について説明し始めた。


「というわけだ。俺達がまずすべきことは情報収集だ。ここは二手に分かれよう。俺は、千城家で話を聞いてくる。春風はるかぜ真純ますみは俺について来い」


「はい!」


「はっ!」


 名を呼ばれた春風は嬉しそうにうなずき、対する真純は冷静にうなずいた。


「譲鴛、宗康むねやす綾女あやめは、妖の痕跡を調べてほしい。妖を特定することができるかもしれないからな」


「かしこまりました!」


「承知いたしました!」


 宗康と綾女は同時にうなずくと互いに、顔を見やり、火花を散らせた。二人は同期であり、喧嘩仲間だ。いつも仲良く喧嘩している。

 いつもなら、ほのぼのと見守るのだがそうもいかず、譲鴛は彼らを仕方なしになだめるのであった。


「じゃあ、行ってくる。頼むぜ、鳳城隊長」


 譲鴛は、名前ではなくあえて隊長と呼ぶ。呼ばれた本人は顔を引きつらせていた。


「お前が言うと嫌味に聞こえるぞ」


「気のせいだ。また後でな」


 譲鴛は、手を上げてひらひらとさせて、背中を向ける。宗康と綾女も柚月に頭を下げて、譲鴛を追うように歩き始めた。喧嘩をしながらではあるが……。この時、柚月は逃げられたと苦笑したのであった。

 もちろん、譲鴛の隊長呼びは嫌味だ。だが、嫉妬心からではなく、どちらかというとからかっているのだろう。

 本当は、「困った部下だ」と嫌味を返すつもりであったが逃げられたのでは何も言えない。

 致し方なしに、柚月は「いくぞ」と言って千城門を潜り抜けた。春風と真純も柚月を追うように千城門を潜り抜けた。


 

 柚月は千城家の敷地内に入り、千城門と千城家の屋敷の人間に話を聞くよう春風と真純に命じた後、寺院に向かった。千城家の奉公人や女房は柚月達を見るなり、挨拶をして頭を下げた。柚月も一人一人に頭を下げ、情報を聞きだした。柚月は冷静さを装ってはいるが、わずかな手掛かりでもいいとわらにもすがる思いだ。

 それでも、情報は何一つつかめなかった。

 

「やはり、妖については、誰も知らないか……。せめて、誰が狙われているかわかればいいのだが……」


 柚月達は、妖の特徴とその場にいたのは誰かを尋ねるようにしていた。

 妖の特徴がわからなかったとしても、狙われている人間がわかれば、護衛ができる。妖を討伐し易くなるだろうと踏んでいた。


「一度、集まって情報交換するべきだな」


 柚月達は、春風達の元へと向かおうとしていたが、柚月の後ろから風に乗って六種の薫物の一つ梅花の香りが運ばれてくる。

 梅花の香りは華やかで心地よく、心を落ち着かせてくれる。何もかも忘れられるくらいに……。

 柚月は、梅花の香りを嗜む人物を知っている。振り向けば、腰まで伸びている亜麻色の髪を桜色のひもで括り付けている空色の瞳の少女が柚月の目の前で大輪の花のような笑顔で見つめていた。


「やはり、ここにいたのね。柚月」


「綾姫」


 彼女の名は千城綾せんじょうあや。十六歳。聖印一族の一つ。千城家の姫君であった。

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