第二話 氷の女帝と相対する時

 柚月は鳳城家の敷地内から出る。

 彼の目の前には、六角形の形をした立派な屋敷とその屋敷の東西南北に設置された六角形の形をした屋敷がそびえたっていた。中心にそびえたつ屋敷は本堂、四棟の屋敷はそれぞれ北堂ほくどう南堂なんどう東堂とうどう西堂せいどうと呼ばれていた。それらは主に大将や武官が公務の場として使用されていた。

 月読がいる屋敷は南堂だ。柚月はその距離がとても長く感じた。


 柚月はため息をつき、歩き始めるが足取りが重い。隊長になる前は、仕事で月読に会う必要はなかったが、隊長となってからは月読から任務が言い渡され、任務を終えた後、月読に報告する決まりとなっている。

 それは当たり前のことであるが、柚月にとっては荷が重い決まりであった。


 柚月は、南堂に前に立ち止まる。本堂よりも低く面積は狭いが、柚月にとっては、巨大に見える。まるで立ちはだかる壁そのものだ。

 柚月は、再びため息をついたが、深呼吸をし、重い戸を開けた。


「失礼します」


 柚月は、一歩前に出て中に入るがすぐに立ち止まってしまった。その理由は、文台に置いた書類に目を通していた月読が柚月が入った途端、じろりとにらみつけるように見据えていたからであった。

 雪のように純白な髪色が腰あたりまで長く伸びている。瞳は朧と同じ紅の色。月読が着用している白藍の唐衣裳からぎぬもは清楚のように見える。月読のその姿は美しき貴族ではあるが、鋭い目が柚月をとらえているようにも思えた。

 部屋の中は、必要な道具しか置いておらず、豪華なものは一切置いていない。簡素ではあるが、月読の厳しさを描いているようであった。

 だが、それも柚月にとっては息がつまりそうになるほどの静寂さがあった。

 柚月は、月読が苦手だ。なぜなら、幼いころ厳しく育てられたからであった。

 聖印一族には本家と分家が存在する。柚月の家系は本家に当たる。鳳城の本家が、大将と当主を継ぐ決まりとなっているため、月読は柚月を厳しく育てた。

 反対に弟の朧と姉には目もくれず冷たく扱っていた。

 幼い柚月はそれが我慢ならず、月読が冷酷な鬼のように見えた。妖よりも恐ろしい鬼に……。

 それは家族だけでなく、部下にも冷たく厳しい態度を取っている。それゆえに、月読は「氷の女帝」と呼ばれるようになったが、本人は気にもしていなかった。それどころか勝手に呼んでいればいいと思っているようだ。

 柚月は、今ではこうして相対することができるほど成長したが、未だに苦手意識は潜在していた。


「伝えてある時刻よりニにぶ前に来たか。もう少し早く来れないのか?」


「間に合ったと思いますが?」


「余裕を持ってこれないのかと聞いている」


 月読の鋭い目つきが柚月を再びとらえる。月読の発言は正論であるがゆえに柚月は何も言い返すことができなかった。


「申し訳ございません。次は早く来るよう心がけますので」


「当たり前だ。早く座りなさい」


「……はい」


 このやり取りは毎回のように続いている。もちろん、柚月も早く来るよう心がけてはいるのだが、間に合ったと言われたことは一度もない。

 柚月はため息をつきたい気分であったが月読の前ではそれすらも許されなかったため、ぐっとこらえて静かに座った。


「報告書は呼んでいるな?」


「はい。確か、昨日の子の刻、千城家せんじょうけの敷地付近で妖が出現したとの報告でしたね」


「そうだ。警護隊が、発見したようだが、逃げられたらしい。その妖は俊敏な動きだったと報告書に記載されていた。そのせいで聖印隊士の2名がけがを負ったとのことだ」


「あの警護隊がですか?」


 柚月は、驚いたように目を見開く。

 警護隊は、優秀な隊士たちから選ばれる精鋭ぞろいの部隊だ。主な任務は屋敷の警護、武官の護衛と言った重要なものばかりだ。その彼らがけがを負わされたのであるならば、逃げた妖は手ごわい存在とみて間違いないだろう。


「お前たちには、千城家付近の調査を行ってもらいたい。よいな?」

 

「つまり、北聖地区ほくせいちくでの調査ということですか?南聖地区なんせいちくや聖印京の敷地外での調査はしないということですか?」


「そうだ。何か問題あるか?」


「逃げたというのであれば、南聖地区や聖印京の敷地外に潜んでいる可能性があります。そちらの方を調査すべきではないでしょうか?それに、北聖地区は警護隊が取りしきっています。我々討伐隊が赴くのはいかがなものかと」


 聖印京は大きく二つの敷地に分かれている。一つは柚月達聖印一族と聖印寮の隊士が暮らす北聖地区、もう一つは聖印一族以外の貴族や商人が暮らしている南聖地区だ。聖印京の敷地外では、庶民が暮らしていた。

 柚月は、北聖地区よりも南聖地区や聖印京の敷地外の方が、被害にあうと推測していた。

 それに加えて、警護隊の任務地は主に北聖地区となっている。そこへ討伐隊が赴けば警護隊の連中は面白くないだろうと柚月は不安視していた。

 だが、任務が与えられたのには理由があった。


「だが、その警護隊がけがを負っている。それに、その妖は何度も千城家の敷地付近で目撃されていたという情報も入ってきている。警護隊の武官はこれ以上、けが人を出したくないとのことだ。そのため、討伐隊でも優秀な第一部隊にこの任務を遂行させよとお達しが来たというわけだ」


「なるほど、警護隊はこの任務から手を引いたというわけですね。そして、討伐隊に押し付けたと」


「その通りだ。討伐隊なら何人けがを負ったとしても、代わりはいくらでもいると考えたのだろう。お前もわかってきたじゃないか」


 柚月が皮肉ると、月読も皮肉ってみせる。

 その理由は警護隊にある。警護隊は優秀な選りすぐりの部隊であるがゆえに、自尊心が高い。自分たちは誰よりも優秀だと。それゆえに、他の聖印隊士や一般隊士を軽蔑し、見下していた。

 柚月と月読も幾度となく軽蔑され、見下されてきたため、警護隊を嫌悪していた。

 だが、その警護隊ですら妖をとらえられず、けが人を出してしまったことは大変な痛手であり、信頼を落としてしまったことになる。これ以上の失敗は許されない。だからこそ、任務を討伐隊に押し付けたのであった。

 柚月と月読はそれに気付いていた。しかし、これは警護隊を見返す絶好の機会だ。討伐隊が妖を殺せば、警護隊よりも功績を残せるだろう。

 柚月の選択はただ一つであった。


「この任務、討伐隊が務めます」


「よかろう。任務を請け負った以上失敗は許されないぞ?」


「わかっています」


「では、任務を果たせ。以上だ」


「お、お待ちください、母上!お話があります!」


 話を終えると、月読はすぐさま立ち上がるが、柚月は慌てて立ち上がり、月読を制止した。


「なんだ?私は忙しいんだ。それに、ここでは母上と呼ぶなと何度も言っているだろう」


「今は、息子として話がしたいのです。どうか、お聞きください」


 月読の言いたいことはよくわかる。南堂で会うということは、親子としてではなく上司と部下としてということを。もちろん、息子として話すということであれば、この場で話すことではないことは柚月も百も承知だ。だが、月読は多忙であるため、話をするならこの時しかない。

 柚月は、決して眼をそらすことはしなかった。


「……少しだけだぞ」


 柚月の想いが通じたのか月読はため息をつきながら、座る。柚月もほっとした様子で再び座った。


「それで、話とは何だ?」


「……朧のことですが」


 朧の名を聞いて、月読はぴくりと動き、眉をひそめる。まるで蛇に睨まれた蛙のように柚月は硬直しかけたが、話を中断することはしたくなかった。

 月読は朧のことになると、機嫌が悪くなる。だが、朧だけではなく、姉の話に対してもだった。柚月はなぜなのかは未だにわかっていない。


「……朧が何だ?」


「お見舞いに来てほしいのです。朧も寂しがっております」


「また、その話か。忙しいといったはずだ。お前もそれはわかっているだろう」


「十分承知であります。ですが、少しだけでいいんです。朧の為に時間をつくってください」


 月読は柚月から目を背け、立ち上がろうとするが、柚月も立ち上がり、月読の前に出る。柚月は食い下がることはしなかった。それどころか、あえて命令形で月読に願い出る。「つくってほしい」だけでは、月読を動かすことは叶わない。怒られることも承知の上で柚月は、願い出ているのであった。


「そんなことに時間をつくっている暇などない。もう、話は済んだな」


 月読は、ため息をつき、柚月の前から去ろうとした。


「そんなことではありません!朧のお見舞いに行くということは大事なことです!」


 柚月は声を荒げるほど感情的になってしまった。だが、そんなことでという言葉で片づけてほしくなかった。月読は冷酷な母親ではあるが、それでも柚月にとっても朧にとっても、母親であることに変わりはない。

 決して弱音を吐かず、母に会いたいと言葉にしない朧であるが、どれほど母親を愛し、会いたいと願っているか、柚月はわかっていた。

 だからこそ、来てほしいと頼んだのであった。

 だが、その想いもむなしく、月読は無言で歩き始めた。


「母上!」


「時間だ。早く任務につきなさい」


 月読は、冷たく言い放ち南堂を後にした。

 これほど感情的になっても母には届かないということなのだろうか。南堂に一人取り残された柚月は、悔しさとやるせなさ、そして朧に対する申し訳ないという気持ちだけが残っていた。

 柚月は、外を見る。月読の姿はすでにない。柚月がいる南堂を振り返ることなく、歩いていったに違いない。自分の子供のことよりも大事なことがあるのだろうか。あったとしてもそれは何なのだろうか。

 柚月はため息をつき、静まり返った南堂を後にした。

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