僕は、興味がある。

 私立笠田学園高等学校。全校生徒は約600人。この人数が少ないのかどうかは僕にはわからない。一応進学校として知られているが別に宿題が多いわけでもなく、むしろ少ない方だと僕は思っている。

 今年で創設20周年。出来て間もない学校だが、駅から近いことや割と自由な校風から相当人気のある高校だ。だから僕が受験した時も倍率は3倍を超えていた。学校側としてはありがたいことだろう。


 僕が住んでいる「ふうりん」からは徒歩20分弱で着く。わざわざ遠くから電車を使って通っている人たちからすれば楽なものだ。あの満員電車の中に詰め込まれる場面を想像するだけでゾッとする。人混みは基本的に苦手なのだ。

 「ふうりん」は住宅街の一角に建っている。玄関を出て前の道を東にずっとすすめば大通りに出るのであとはそこを右に折れてひたすらまっすぐだ。そして大きなスーパーのある交差点で大通りの反対側へ渡れば正面が我らが学校である。



「ようシノ、眠そうだな」

 靴箱で上履きへと履き替えていると後ろから爽やかな挨拶が飛んできた。渋谷岳だ。

「おはよう。今日は少し寝坊したんだ」

 朝食の時間には間に合ったから、家を出た時間はいつもと変わらないけれど。

「なんだ、夜更かしでもしてたのか?」

「いや、ただ単に起きる時間がいつもよりちょっと遅かっただけだ」

「そうか……あんまり無理すんなよ」

 さりげない気遣いに感謝。


 僕らの教室は南棟の一階にある。ちなみに北棟は特別教室などが多く入っている建物で、クラスの教室の多くは南棟に集中している。

 1-Dと書かれたプレートの前の引き戸を岳がガラガラと開けて教室へと入っていく。僕もそれに続いて入り、ドアを閉めようとしたら廊下をパタパタとかけてきた学生がそれを遮った。

「ストーーップ!!私も入れて!」

 そう言ったと思ったらもう僕の目の前に立ち右手をドアにかけていた。なんという速さ。

「おはよう、シノくん!」


 堀宮ほりみやゆい。明朗闊達、天真爛漫。そう言った言葉の具現化とも言える女子である。そんでもって非常に馴れ馴れしい。人懐っこいと言えば人聞きはいいが、僕にとっては彼女のパーソナルスペースが狭すぎるのが困りものである。

「どうしたのシノくん、今日あんまり元気ない?」

 ほら、こうやってすぐ顔を近づける。彼女のコレに慣れるのにはだいぶ時間がかかりそうだ。

「別に、ただ起きたのが少し遅かっただけだ。あとはいつも通りだよ」

 そう説明しても堀宮はふーんと言っただけでじっと目を見てくる。やっぱり苦手だ。でもまあ彼女から聞こえてくる音はただの好奇心の塊で、何も悪いことは考えていないっぽいから良しとしよう。

「まあいいや! 今日も1日頑張ろー!!」

 そう言って僕の背中を思い切り叩いて自分の席へと向かっていった。何気に痛いんですけれど。

 ちなみにこの間僕が榊さんと話していた時に、やたらうるさい奴がいると話したのはこの人だったようだ。岳と混同してしまっていたのかもしれない。僕は記憶力があまり良くないのだ、許してほしい。


「朝からお熱いようで」

 僕も自分の席に鞄を下ろすと前の席で岳がニヤニヤしていた。

「冗談じゃない、堀宮はちょっと疲れる」

 本音だ。彼女は元気すぎる。そしてその元気は周りを巻き込む。そう思っているのは僕だけかもしれないが。

「堀宮って中学の時からあんな感じなのか?」

 椅子に座りつつ岳に尋ねる。岳と堀宮は同じ中学の出身らしい。

「そうだなぁ……俺はあいつと一緒のクラスになったの二年の時だけだから詳しくはわからないけど、確かに第一印象はあんな感じだった気がする」

 なるほど、じゃああれはキャラ作りでもなんでもなくて天然であると。あまり静かではない一年になりそうだ。


 それはそうと、岳から聞こえてくる音が堀宮の話をしている間少し軽やかになった気がした。もしやこいつと思ったけどどうせ後々分かるだろう、今は放っておくことにしよう。


 その後もグダグダと岳と喋っていると、僕の隣の席の主がやってきた。彼女は非常に静かに、誰にも見つかりたくないとでもいった様子で腰掛けた。

 だから声をかけるのは可哀想かなとも思ったのだが、柄にもなくその言葉は僕の口から出てしまっていた。

「おはよう、一ノ瀬いちのせさん」

 その声にビクッと肩を震わせて恐る恐る顔だけをこちらに向ける彼女。それから数秒間口をパクパクさせていたが、蚊の泣くような細い声でおはようと返してくれた。

 急な挨拶に答えてくれたことに対する感謝と、挨拶を半ば強要してしまったことに対する謝罪を込めて少しだけ微笑みかけてみたのだが、長い前髪で顔を隠すようにして俯いてしまった。

 やはり慣れないことはするものではないな。


 一ノ瀬れん。僕はこの女子生徒に興味を覚えた。入学式の日に初めて彼女を見た時から「何か」を感じていた。

 僕が一ノ瀬から感じる「何か」の正体。それは「無音」だった。「無色」でもいい。とにかく彼女からは何も音を聞くことができないのだ。

 僕は人に音を感じることができる。そしてその音を色としてみることもできる。これはどうやら生まれつきらしく、小学生のときに遭った事故によって記憶喪失になっても失うことのなかったものだった。


 兎も角、普通ならば人から聞こえるはずの音が一ノ瀬からは聞こえないのだ。全くの静寂。そしてそれはとても美しくどこまでも澄み渡っていた。その透明度は到底測り切ることのできないものだ。

 その事実は僕をどうしようもなく感動させた。それと同時に一ノ瀬はとてつもなく大きな音楽を、色彩を持っていると直感した。


 僕は、一ノ瀬恋にとても興味がある。


 そしてこの彼女との出会いが、僕の人生を少しずつ変えていくことになるのだが、それはもう少し先のお話。

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しののめ日記帳 東城テルル @h4ruchito

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