江戸とAIの不気味谷
エドタニマコト
第1話 強奪
リアルに作ろうとした人形を見て「気味が悪い」と思った事はないだろうか?
ロボット工学者が提唱した『不気味の谷』という現象がある。
非人間対象が、人間の形に近づくほど”好感”、”共感”を呼ぶが、ある時点で強い嫌悪感に変わる。
これをグラフで表した際の”谷”を『不気味の谷』と呼ぶ。
しばらくこの言葉は、CG業界でよく使われた。
技術の成長が過渡期にあったからである。
しかし、CG技術は特異点を迎えた。
今や『不気味の谷』はCGに使われる言葉ではなくなった。
今、それを使われる対象は『江戸のある区画』と『AI』である。
これは特異点<シンギュラリティ>を迎える前の物語。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
灯篭の煌々と光る炎の横を、2匹の黒蝶がハラハラと横切り小川を超えていく。蝶の羽には金色の模様が描かれ、夜景を怪しく彩っている。
その蝶が行く先からは下品な大声で盛り上がる、怪しげな男達が見える。6畳ほどの小さな小部屋で、彼らは踊るような動きで大判小判を放り投げる。
「すげぇー! 大判小判がざっくざく!」
「こんだけありゃあ、オレ達大金持ちだぜ!」
仮面をつけたハッピ(法被)姿。彼らはお祭りをしに来たわけではない。
宝物庫の侵入に成功した彼らは、目の前のお宝に狂喜乱舞しているのだ。ここから自分たちのアジトに戻る事がまた難しく、浮かれている場合ではないのは百も承知のはず。
だが、それでも厳重な警備を突破し、チーム一丸となって宝物庫に入れた事に感情が爆発していた。
とは言え、彼らもプロである。奉行所の連中が、およそ後どのぐらいでここに到着するかは心得ており、それまでに完遂しなければならない仕事量も考慮した上ではしゃいでいるのだ。数十秒間してからは、顔と声ははしゃいだままで体は仕事に戻っていた。自分の運べる量を考慮しつつ価値のあるものを袋に詰める。
「ちょっとぐらいもらっても、バレませんよ、この量は……ねぇ?」
仮面の男の一人がへりくだった調子になり、後方の男に目を向ける。話しかけられた男は、仮面を付けないまま、ひたすらに棚の中を開閉し、ひたすらに調べている。
細い目をした優男風だが、近づいてはいけない様な不気味さを同時に持っている。名を細三(ほそみつ)と言う。
「お前ら……、チョロまかす気か?」
ゆっくりと細三はそう言い、話しかけた仮面の男の方へ振り替える。その顔は笑顔なのだが恐怖を覚えるもので、どう見ても友好のそれではないのは明らかだ。
仮面の男達に緊張が走る。もし細三が機嫌を損ねてしまった場合「なーんちゃって」で済むだろうか。「そんな冗談で怒らないでくださいよ」と拗ねて見せるのも良いかもしれない。マジギレして怒り返そうものなら自分の命の保証は無い。
仮面の男達は体を固めたまま、凄まじいスピードで頭脳を”己の保身”の為に回転させた。
そんな空気感が細三に伝わったのか、細三はくすりと笑い、
「ちょっとだけ……だからな」
太陽の光が差したかの様に、表情が明るくなる仮面の男達。仮面をかぶっているのだから表情は誰にも見えない。だが、その弛緩してお互いを見合わせるその動きは、”喜び”のそれ以外では無かった。
細三はその喜びの動きを見もせずに、棚の中の捜索に戻る。細三は自分の部下には秘密にしている、この宝物庫に来た真の目的があった。例え、奉行所の連中が来る時間になっても、その目的を果たすまでは、ここに留まる覚悟。それほどの要件だ。
ふと、細三は目の前に黒い蝶が居ることに気付き、動きを止める。蝶がこちらを見ているような気がして、細三は小声で言った。
「お前、どこから来た。ここ地上100mの高さだぞ」
言ってから、細三は自分の言ったセリフが可笑しくなって頭を振った。
ここは庭付きの塔だ。自分の真後ろにも庭があり、草木が生え、小川が流れている。虫ぐらい居て当然だ。だか何か違和感が残る。こんな蝶、自然界にあったか?
金の模様があるが、こんな形の模様の蝶が居ただろうか? 細三は昆虫に詳しい訳ではないが、なんとなくこの蝶の見た目や動きが、自然界のそれとは違うと感じ、それが違和感となって現れたのだ。
蝶を模した機械かもしれない。そう頭によぎった瞬間、細三は蝶に腕を伸ばし握り潰した。軽く指の腹ですり潰すとゴリゴリした感触と電流が指を刺した。
「つッ」
指から血が出る。血の上の蝶の破れた腹からは、細かい配線や基盤が小さな煙を立てている。細三は直ぐに部屋の中を見回した。一匹だけじゃ無いかもしれない。
素早く部屋の隅々に目を通し、外に飛び出る。
江戸の街が眼前に広がる。
全ての建設物には屋根があり、他の都市である様なつるっぺたい立方体のビルはどこにも無い。
昔あった五重の塔がそのまま上と横に成長したような建造物が乱立している。建造物の屋根の上には大きな庭があり、その庭の中に小さな小屋がある。小屋の横には池があり、その池から流れた水は川となり、その川は屋根の淵で滝となる。
そんな異様な建造物が、この江戸での当たり前だった。
江戸に居る以上、人も建物も『粋』で『色気』がなければならない。『味気無い』事そのものが、この街では比喩ではなく”罪”なのだ。一度、”江戸”の中に入ったものは、人であれ、物であれ、建造物であれ、『日本的』である事が要求され、それに従わない者は罰せられる。
常に『景観隊』が見回っており、『日本的』では無いと判断された人や、物は、即刻、追放または破壊される。
この狂った法令は国際社会から非難を度々受けるが、幕府は一切意に介さないでいる。この無駄で排他的な法を忌み嫌う人間は大勢いる。だがその一方、この狂った色気を漂わせるこの江戸にひかれる魅せられる者たちは、国内外問わず後を絶たない。
「兄貴ぃ、どうしたんですかい?」
仮面の男の一人が、突然、宝物庫の外に飛び出した細三に心配そうな声をかける。
「何でもない」
蝶を追いかけてた。などと言おうものなら、末代までの笑い者である。
しばらく見渡したが同じ様な蝶は居なかった。見逃した可能性も無くはないが、細三は、こんな事に時間を取られている場合ではない。奉行所の連中が来たらまた面倒だ。細三は再び棚の前に戻り、捜索を始める。
6人の兄弟姉妹の名前を見つけるまでは帰れない!
細三は心の中で叫んだ。
江戸とAIの不気味谷 エドタニマコト @edotanimakoto
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