第十一章(4)


 俺は、気を失っているおじいとおばあのところへ立って行き、怪我もなく、息が落ち着いていることを確認して安堵した。俺は向こうの女房たちに乞うた。


「おうい、おばちゃんらあ、おじいとおばあを看てやってくれよう」


 よく見知っている村の女房たちであったが、おじいとおばあには近づいて来てくれなかった。途中に、ハヤトも含め三体の鬼が横たわっているだから、無理もないかと俺は思った。村人たちのところまで背負って運ぶことも考えたが、おじい、おばあ共に腰を抜かしていたし、老体に負担をかけて担がずとも、ほどなくして気がつくであろうと考え直し、そのままここに寝かせておくことにした。


 腹背ともに俺に斬られたアカギは、ハヤトの亡骸から二間と離れぬそばで、すでに虫の息となっていた。兄者の亡骸に戻り、両手を胸の上で組んでやって合掌した後、俺は座ったまま身体の向きを変えて、力なくアカギに問うた。


「アカギ、お前、わざと俺に斬られたな。あのとき、普通は矢を俺に射るだろう? 何ゆえ、自分の命を守ることより、俺の親の命を絶つことを優先した?」


 アカギは自嘲するように笑った。


「ふん、貴様の言う通り、俺にはもう帰るところがない。俺のことはどうでも良うなった。それより……」


「それより?」


 俺は促したが、アカギは息を整えてから答えるのに時間を要した。


「それより……親という存在が憎かったからよ」


「親? 俺の存在ではなくて、親の存在が、か」


 アカギが頷いた。


「貴様が親を大事に思うておるのが許せなんだ」


 俺はアカギの言うことがにわかに理解できなかった。アカギはまた息を整えて言った。


「貴様が矢で傷つけば、あるのは貴様の身体の痛みだけだろうが、貴様が大事に思うておる親を傷つければ、親の身体の痛みと貴様の心の痛み、両方とも痛かろう? それで親を狙うた」


 俺はアカギに反論した。


「いや、俺が傷ついたら、おじいとおばあの心も痛む。親とはそういうものだ」


 するとアカギは、俺がハッとするほど鋭い目を向けて俺を嘲った。


「ハッ! 分かったような口をきくな。そのような親ばかりではない」


 言われて俺は戸惑った。俺は思わずおじいとおばあの方を見やった。二人はまだ気を失ったままだった。猿ノ助の言葉が、俺の癇に障った記憶と共によみがえった。




 あのじじとばばは、あんたを本心から大事には思っておらんよ。当然よ、血がつながっとらんのだからな。




 俺は滑稽なくらい目まぐるしく目線を変えた。うろたえているのに気付かれたくなくて、俺はアカギに問いを重ねた。


「アカギ、最後の里帰りとは何のことだ」


 アカギはかすかに笑った。


「フッ。イットゥから聞いたのか」


「アカギ、お前たちは鬼ヶ島の悪鬼の里が、郷里であろう?」


 そのとき、アカギはバッと血を吐いた。俺は反射的に身体をのけぞらせた。アカギは仰向けに横たわっていたので、吐いた血が逆流し、そのまま激しくむせた。むせると体中の痛みが増す。アカギはしばらく目を閉じて眉をしかめていた。


 アカギの息がいよいよ乱れ始めた。この鬼も、最期のときが近づいている。だが俺にはまだ解しかねることがあって、続けてアカギへ問うた。


「先ほど、田原村を完全に破壊しに来たとお前は言うたが、それを里帰りと言うておるのか」


「き……貴様が知る必要は……ない」


 アカギはしばらく黙って荒く息をしていたが、やがて、わずかな呼吸の安定が戻ってきたときに低い声で言った。


「京へ上る前に復讐を遂げたかったが、貴様たちが勝ち、イットゥが負けた今は、もうそのようなこと、どうでもよくなったわい」


 そのとき、わあっと声がしたので、俺は顔を上げた。数人の村人が輪になって、向こうの丘を地蔵道沿いにとてもゆっくり下ってくるのが見えた。時折、輪がわあっと広がっては、また一定の大きさにまとまる。何回目かに輪が広がったとき、その真ん中にアオジがいるのが見えた。アオジは棍棒を杖替わりに、歯を食いしばって、よたよたと道を下りてきた。取り囲む村人がつぶてを投げつけるようで、アオジは投げてきた者に向けて吠えて威嚇した。だが、別の村人が棒でアオジを突いたのに怒り、杖にしていた棍棒を空振りした勢いで地面に倒れ、もう起き上がることができなくなった。アオジもまた致命傷を受けていた。


 俺は、さらに多くの村人たちが、各々、鎌や包丁など、武器になりそうなものを携えて、ここ、俺の実家の前にも、おっかなびっくり近づいて来ているのに気がついた。もう息のないハヤトと、俺とアカギを、村人たちは遠巻きに見守っていた。ひそひそと囁き合う声が聞こえていた。


村長むらおさ、どうするよう」


「待て、緑鬼はもう死んでおる。赤も深手だ。しばらく様子をみる」


 その声を聞いてアカギが独り言を言った。


「村長……」


 苦しげにはあ、はあ、と呼吸をするだけのアカギだったが、やがて顔を横に向け、村長に呼びかけた。


「おっ父ゥ」


 恐る恐る様子をうかがっていた村人たちが、ぎょっとしてアカギと村長を交互に見た。


 しばらくの間、アカギと村長の目が合っていた。しかし、やがて村長は黙って脇を向いた。それを見てアカギは顔を戻し、天に向けてフッと笑った。


 やがて天を仰いだままアカギが口を開いた。


「おっ父ゥ、桃太郎はおおかた、おっ父ゥが策を弄して鬼ヶ島に遣わしたのであろう? 俺たちの悪行に業を煮やして……」


 離れたところに立ったまま、村長は苦い顔をしてうつむいた。そうだとも違うとも言わなかった。


 そのとき、村長のことではないどよめきが起こって、人の輪が口を広げた。その人垣の間から、アオジがヨロヨロと這い出て来た。アオジは一度ギロリと俺に目を向けたが、それっきり、俺はそこにいないかのように、アカギだけに注意を向けて這い寄っていった。


「兄者」


 アオジは、目の先に横たわるアカギの胸が、まだ薄く上下しているのを認めると、アカギに声をかけた。さらに一間ほどアカギに近づいたところでついにアオジも力尽き、もはや這って進むことも適わず、アカギのそばに身を横たえた。村人たちは、飛び掛かられぬ程度に距離を保ったまま、俺とアカギとアオジを遠巻きに取り囲んだ。


「兄者、これまでか」


 仰向けに横たわるアカギが、アオジの方にわずかに顔を向けて答えた。


「ああ、終わりだ」


「兄者、つまらぬ一生だったな」


「ああ」


 アオジが、村長の傍らに立つ女房に、やっとのことで顔を向けて言った。


「お……おっ母ァ」


 途端に村長の女房の顔色が変わった。


「な、なんじゃ、鬼に母呼ばわりされるいわれはないぞえ」


 アオジがもう一度、震えながら首を起こし、全霊をもって女房に呼びかけた。


「おッ……おっ母ァ!」


 女房は色をなしてアオジを叱りつけた。


「ええい、知らぬと言うに!」


 アオジはついに頭を支える力を失い、アカギの横で、その横顔を地面につけた。もう、言葉を吐く気力も出ないようだった。ただ、目だけを女房にじっと向けていた。その目はもう猛ってはおらず、涼やかですらあった。だが、視線を向けられた村長の女房はアオジに目を合わせ得ず、顔を真っ赤にして、ぷいと横を向いていた。


 アカギもまた、最期を迎えようとしていた。仰向けになって目を閉じたたまま、息絶え絶えになりながら、アカギは一人、穏やかに笑っていた。


「復讐も、虚しゅう、なったわ……。アオジよ、兄弟、そろって、産まれた土地に、還って、死ねるとは、御の字よ。なあ……」


 アオジはもう、返事をしなかった。アオジのみずみずしく涼しい目は、じっと村長の女房の方を向いていたが、本当はもう、何も見えていないのだろう。


 逆にアカギは、もう顔を倒して女房を見る力もなく、目を閉じたまま、つぶやくように言った。


「おっ母ァよ……最後の日、俺に、小指くらいの、あんころ餅、ひとつ、喰わせてくれたの、あれ、旨かったなあ……」


 村長の女房は、小走りに向こうへ行ってしまった。


「旨すぎて……泣いたなあ」


 それがアカギの最後の言葉だった。もうくことのない赤鬼の目尻に、小さく涙がぽっちり浮いていた。


 赤、青、緑の三頭の鬼の亡骸を前に、俺だけが放心したように胡坐をかいて生きていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る