第十章(3)


 ふと俺が訊いた。


「長男、長女でも神隠しに遭うのか」


 一人っ子が神隠しに遭えば、跡継ぎがいなくなり、家がつぶれるが……と思っての質問だった。鬼婆はこんどは真っ直ぐ俺の目を見て、噛みしめるように答えた。


「うむ。以前は除外しておったが、田原村では先年のひどい飢饉の折に、一人っ子の家だけが免れるのは不公平だと不満が出た。それで密かに戸主だけの寄り合いが開かれたそうじゃ。飢えによる苛立ちもあって、村人同士が激昂し、刃傷沙汰になりかけたと聞く」


「それはそうであろう。親が年老いている場合は、跡目が途絶えてしまうゆえ、そう易々とは同意できまい。それで?」


「それで村長は、今後は長男、長女も選考から除外せぬことにする代わりに、まず自分の、よわいとおにもならぬ長男を手放す約束をして、その場を収めたのじゃ」


「ふうん」


「村長の家の次男はすでに前の年に神隠しに遭っていたゆえ、村長のこの決断には、誰も異を唱えられなかったそうじゃ」


 自分が生まれて来る前の田原村に、そのような壮絶な悲哀があったとは思いもよらず、俺は改めて衝撃を受けた。


「だが鬼婆、赤子と違って、それくらいの年齢にもなれば、さらわれる子には記憶と意思があろう。連れ去るときに暴れたり泣きわめいたりするのはどうにかしてでも抑えられようが、この島に連れてきた後にも恐怖心もあろうし、里心もあろう。いかがするのだ」


 鬼婆が今度は虚空を見つめながら答えた。


「もっともな質問じゃ。鬼の社会にはやがて慣れはする。だが、村や、親兄弟や、遊び仲間を恋しく思うて泣き暮らすことはある。これはどうにもできぬ。それでも、大人に近づき、自分が鬼に近づくと、皆、そうしたことを自分の中に封印するようじゃ。少なくとも仲間の前で口には出さなくなる」


 俺はさらに訊いた。


「さらわれた子本人は、この島に連れて来られてから、その口減らしのしくみを知らされるのか」


「少なくとも、わしらから進んで説明することはない。じゃが、たびたびこの島に他の子どもたちが連れて来られる中で、知らずとも良いことを知ってしまうことはあるようじゃの」


 鬼婆は、そこまで言うと言葉を切って自分の酒をすすった。それから、再び俺の盃を酒で満たしながら、声色を幾分明るくして続けた。


「じゃがな桃太郎、鬼ヶ島は魚介が豊富じゃ。神隠しに遭うて連れて来られた子も、この島では飢え死にせぬ。そして、神隠しに遭った村は、その子の謝礼で食いつなぐことができるのじゃ」


 なるほどと思った。


「それなら、もっと公然と取引をしてはいかぬのか」


 すると鬼婆は大仰に首を横に振った。


「だめじゃのう。人間は激しくわしら鬼を忌み嫌っておるゆえ、あくまで裏の関係でなくてはならぬ」


「ふうん」


 注いでもらった酒を見つめる俺に、鬼婆はさらに言い聞かせる。


「桃太郎、ぬしあ、この島で数日過ごしたゆえ、鬼の存在に慣れ過ぎておるのじゃ。普通の村人には鬼と共生する社会というは、刺激が強すぎよう」


 俺は顔を上げて鬼婆を見た。


「では、お前のいう通り、このあたりの村ではここ十数年間、飢饉がないゆえ、神隠しもないということか」


「口減らしが目的ではない特別な場合を除いては、その通りじゃ」


 そこまで言うと、鬼婆は、目の高さに掲げた自分の盃越しに、ピタリと俺を見すえて言いきった。


「桃太郎、ぬしが無事、村に帰っても、このことは他言無用じゃ。村人にとって、神隠しのことを口にしたり詮索したりするのは禁忌なのじゃ。いなくなった子は初めからいなかったものと考え、親であっても一切口にすることはならぬ掟なのじゃ」


 だが鬼婆は、掲げていた盃を手元に下ろし、そこにぼんやりと目を落として口をもごもごさせた。


「じゃが……」


「じゃが?」


 ややあって、鬼婆は思い切ったように顔を上げて口を開いた。


「不吉と断ぜられた赤子を捨てた家と、神隠しで子を失った家には、一つだけその証拠があるのじゃ。庭に一尺ほどの小さな地蔵を置き、毎月赤子を捨てた日、もしくは子が消えた日ごとに拝めば、祟りは起こらぬとされておる。桃太郎、ぬしの家の庭に小さな地蔵があったか」


 俺は驚いた。


「あッ、あった! おじいとおばあが時々拝んでいたのを覚えている」


 鬼婆は俺を見たまま小さく頷いた。


「ぬしの家からも、不吉の子ないし神隠しの子が出たということじゃ。それ以上はわしは言えぬ。生きて帰って、いつかぬしが家を継ぐ日が来れば、おじいとおばあに訊くがよい」


 鬼婆が、声色を変えて言った。


「そこで先ほどの話に戻る。よいか桃太郎、人間側に不都合なことの始末を我らが引き受けるのじゃ。不吉の子しかり、神隠しに遭う子しかり。人間は、とある子は要らぬ。我らは、外の血が欲しい。不要と必要があい折り合う」


「ふうむ」


「赤子の話で言えば、時折り、不要と必要が相折り合う場合が発生する。すると、この赤子は不吉であると村長が託宣する。氏神さまのご神託があったと言うゆえ、誰も反対できぬ。新月の夜に我らが赤子をそっと連れ去る。村人が赤子とともに供える金品の一部は、村長の家に謝礼として支払われることになっておる。神隠しの謝礼しかりじゃ。村長は村を守る義務があるゆえ、これらの謝礼は、いつか村を救うのに役立つ。こうしてわしらとこの界隈の人間の村々とは、双方に利がある秩序を築き上げてきたのじゃ」


 俺はこの鬼婆の話を聞いて、なぜか不機嫌になった。要不要が釣り合った、よくできた仕組みかもしれぬが、村人の預かり知らぬところでそのからくりが動いていることや、どう言葉を飾っても、所詮、人が人の意思を無視して交易されているではないか、という抵抗があった。


――俺はいったい、人間の立場で腹を立てているのか、それとも鬼の立場に立っているのか……。


 得体の知れない嫌悪感を伴いつつ、俺は鬼婆を睨んだ。


「鬼婆、では訊くが、そのわれらの村をなぜ悪鬼どもが襲う。鬼にも人間にも利のある秩序をなぜ破壊するのだ」


 鬼婆はため息をついた。


「悪鬼の悪行は我らも迷惑じゃ」


 そうだ。迷惑であるがゆえに、間もなく出陣するのだ。はじめて聞かされた社会のからくりを素直に認めたくないばかりに、まあ馬鹿な質問をしたものだと俺は思った。


 鬼婆は言う。


「よいか、今申したように、われらは、決して表だってではないものの、近隣の村々、人間社会との共存体制を築き上げてきた。だが悪鬼どもは、別のやり方を選んだ。人間社会から力づくで略奪するやり方じゃ」


「うん」


「無論、悪鬼どものやり方と我らのやり方は共存できぬ。ここへ最初に来たときのぬしと同じように、人間社会より見れば、鬼も悪鬼も同じ鬼であり、忌むべき対象だからじゃ」


「うん」


「だがな、桃太郎。鬼は皆悪鬼と思うか? 赤子を見かけで判断して放棄する人間の方こそが悪鬼なのではないのか」


「う……」


 俺は答えに窮した。


 「鬼のような」とは、本当は一部の鬼にしか適用されず、あるいは一部の人間にもまた適用されうる、相対的な形容であると言うのか。


 言い終えて、なぜか鬼婆は視線を逸らした。空気を断ち切るように鬼婆は酒を空けると、膝を打って立ち上がった。


「桃太郎、別れの刻限じゃ」


   ***


「桃太郎どの、別れの刻限でござる」


 ハッと気がついて顔を上げると、かごのすぐそばに雉右衛門が接近して、俺に向かって叫んでいた。雉右衛門は別れの準備をすでに整え、このかごに並んで飛んでいた。


「ここは……?」


「本土上空でござる。俺はこれより、金太、銀次の待つ浜辺の村に向かい、ことの次第をお伝え申す。あと船頭にも船を出すよう申し伝えるゆえ、ご安心召され。桃どの、ご武運をお祈り申す。では、ごめん!」


「おお、雉右衛門どの、頼んだぞ」


 かごから見下ろすと、なるほど海を渡りきり、海岸線がすでに後ろになりかけていた。全力で海上をここまで飛んで疲れ切ったカラス天狗たちは、休むことなく上空で順に新手と交代して、かごを運び続けていてくれた。


――ありがたや。間に合うやも知れぬ。


 海辺の村に舞い降りていく雉右衛門の姿を目で追いながら俺は思った。


――金太……まだ幼なさが残るあ奴も、いずれ鬼嫁をめとるのか……。いや、それもこれも、今日、村が残っていればこそだが……。


 鬼ヶ島を飛び立って間もなく、疲労がどっと押し寄せて、俺は、雉から呼びかけられるまで、うつらうつら夢を見ていたのだった。


「痛てて……」


 気がつくと、身体中の擦り傷、切り傷が傷んだ。


 なるほど、島の不思議な力はもう、俺の生命力を高揚させ、疲れ知らずの元気を供給し、傷を癒してはくれないのだと悟った。


――もう、わずかな頼りは……。


 俺は額の鉢巻に手を触れた。

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