第十章(2)
二
軍議ののち、出発までの半刻の間、全軍は最後の兵糧で食事を摂った。少量の酒と塩漬けの魚を兵たちで分け合った。その時、鬼婆は俺だけを別の部屋に招き入れたのだった。
「桃太郎、わしは残って城を守るゆえ、ぬしと会えるのはあるいはこれが最後かもしれぬ。ぬしがわれらと共に戦わずに村へ帰るなら言うまいと思うておったことじゃが、ぬしが自身の本質を受け入れたようじゃから、迷うたが、やはり真実を話しておこうと思う」
鬼婆は、からからに干上がった小魚を俺に勧め、かわらけの盃に
「桃太郎、ぬしと話した、赤子のご神託の件を覚えておるか」
「ああ。
「うむ。あの話にはからくりがある」
鬼婆は自分にも濁酒を注いでクイッとあおった。
「何らかの理由で望まれない子が出てくるのが、世の哀しいならいじゃ。その子たちが産まれてすぐか、幾日も経たぬうちに、氏神さまの名のもとに、村長が不吉の子と判ずるのじゃ」
「村長が? 氏神さまが、ではないのか」
「いや、村長が、だ」
俺は内心驚いた。氏神さまのような人智を超えた存在が下した宣託に従って赤子の取扱いを決めるのは自然だと思えたが、人間である村長が赤子の取扱いを決め、それを正当化するために、氏神さまのご神託を恣意的に決めるというのは、神様を利用して、人の人生をもてあそぶに等しい行為ではないのかといぶかしんだ。
が、ともかく今は鬼婆の話を聴こうと俺は思った。
「ふうむ。では、親の……赤子の親の意向はあるのか」
「ああ、ある」
鬼婆は濁り酒を手酌しながら言った。
「親の意向に関係なく、村長が村の秩序を守るために必要と判断して不吉であると判ずる場合もときにはあるが、多くは、親の意向を村長がひそかに汲んでやって託宣する。いずれにしても、村長が実際のところ、最後の判断をするのじゃが、村長が親の願いを聞き入れたということにはなっておらぬ。あくまで氏神さまのご神託であると村人は信じておる」
「ふうむ」
「桃太郎、昨日からの話で、もう分かったと思うが、村長の家は、村人と我ら鬼との間の調整役をしておるのだ。そして、そのことは村人には知らされておらぬ」
俺は言葉を失った。
気分の良い告白ではなかった。
俺はただ、唸って鬼婆をまっすぐ睨んでいた。そしてその視線のまま、酒を口に含んだ。
鬼婆は続けた。
「なにせ、村長の嫁は鬼だからの」
俺は思わず酒をブッと吐き出しそうになった。唾と一緒に慌てて酒を飲みこんだ。
「な、な、なんと申した」
ふふんと笑った鬼婆が今度は酒をクイとやった。
「鬼は皆、怖い形相の大男というわけではない。女の鬼は、見た目は普通の
俺は前のめりになって鬼婆に問うた。
「鬼婆、それは、今の村長の嫁御に限らず、村長の親の嫁御も、村長のせがれの嫁御も、村長の家に嫁ぐは代々、女の鬼じゃと言うておるのか」
鬼婆はしれっと答える。
「そうじゃ。代々、村長の家に嫁ぐ嫁は鬼じゃ。そして嫁は、せがれの意思ではなく、親の手引きで決まる。親のうち、母御は、昔村長の家に嫁いできた鬼であるゆえ、その手引きにより、女鬼の中から、器量よしで普段はツノが出ていない者が嫁に選ばれるのじゃ」
「手引きとは」
「わしら鬼側の推薦する嫁の候補を、吟味して決めるということじゃ」
「なんと……!」
俺はあまりのことにあらためて驚きを禁じ得なかった。
あんぐり開いた口のバツの悪さに、干物を一口噛みしびり、やっとのことで俺は訊く。
「む、村長は反対しないのか」
「桃太郎、鬼嫁は恐いぞ。男は鬼嫁には逆らえぬ」
「むう……なんともはや……」
「鬼嫁は、ツノ隠しをして村長のせがれに嫁入りする。婚礼の儀のさ中にまかり間違えてツノが生えたら大騒ぎじゃからの」
「では、村長以外の家にも、鬼が嫁入りすることがあるのか」
「いや、村長に嫁入りする女子だけが鬼で、一般の家にはわしらは関与せぬ。一般の家には一般の女子が嫁入りするであろう。ただ、村長の家への嫁御だけがツノ隠しをするのは不自然ゆえ、一般の嫁御もツノ隠しをつけるよう、偽装の風習として、代々、村々の長が意図的に広めたのじゃ」
「ふうむ」
鬼婆はぴたりと視線を俺の目に合わせて言った。
「そのようにして、村長の鬼嫁は実質的にぬしら人間社会に溶け込み、管理しておる。村長は人間側の代表、鬼嫁は鬼側よりの遣いとして、いわば共同統治をしておるのじゃ」
にわかには信じられぬ、いや、信じたくない、というのが俺の本音ではあった。
「何ゆえそのような統治をする必要があるのだ」
「そのような統治をすることが、鬼と人間、双方に利があるからじゃ」
「どのような」
「不要と必要が
「というと?」
今度は鬼婆は、すぐには答えなかった。これ以上言うべきかどうかを迷っているようだった。手にした干し魚をしばし噛みしびった。
「桃太郎、ぬしあ神隠しを知っておるか」
「ああ。俺の村でもこれまで何度もあったと聞いている。それがどうした」
鬼婆は俺の目を見たまま、自分の盃を口に運んだ。
「あっ! さては、赤子と同様、神隠しもお前たちの仕業か」
鬼婆は俺から目を逸らして、視線を宙に泳がせた。
俺はどうにも不機嫌を隠しきれず、責めるような口調で鬼婆に問うた。
「なぜ、そのようなことをする」
鬼婆は今度は俺をまっすぐ見つめた。
「ぬしが生まれてから今までの十数年は、田原村にとっては、幸せな時期だったのじゃろう」
俺はさらに眉を上げた。
「何を言う。悪鬼どもがたびたび狼藉をはたらくではないか。弥五郎どんは悪鬼たちに殺された。何が幸せな時期だ」
鬼婆は俺を宥めるように言った。
「ぬしらの幸せを侵すものは、悪鬼だけではあるまい。例えば、ぬしが生まれる少し前には、このあたり一帯はひどい飢饉に見舞われた」
俺は腕組みをして、ぶすっとした顏で答えた。
「不作のことか、知っておる」
「いや、飢饉とは、ぬしの知っておる不作とは程度が違う。人間は、最初のうちは山菜や種モミを喰って命をつなぐ。しかし、二年、三年と飢饉が続くと、禁忌を犯して牛馬も喰う。ついには木の根や塗り壁の藁を喰って飢えをしのぐ。働けぬ爺婆は自ら山に消える。そして子を間引くのだ」
「そのようなひどい話があるものか」
「じゃから、ぬしぁ幸せな時を生きておると言うのじゃ。村の者は好んで明かしはせぬ。誰もが思い出したくない過去じゃ」
苦々しい顔でしのいではいたが、実は俺は相当な衝撃を受けていた。村に、村人にそのような、想像を絶する苦難があったとは……。俺はなんと世の中を知らず、おめでたく生きてきたのだ……。
鬼婆は続けた。
「飢饉は、何年先に起こるか予測がつかん。だから、子が生まれた時には良くとも、何年かのち、子がある程度育った時に飢饉が来て、間引かなくてはならぬこともある。いわゆる口減らしじゃ。神隠しは、そのような時に起きやすい」
鬼婆は一息おいた。俺にとって思いもよらぬ話をしているという自覚が鬼婆にあって、逐次、理解するための時間を俺に与えているのだろう。
だが俺は咳き込むように訊いた。
「では……では、一番貧しい子だくさんの家の子が神隠しに遭うのか」
「そこじゃよ、それがそうとも限らぬのじゃ」
鬼婆は酒をすすり、飲み込こんでから続けた。
「このあたりの村々では、飢饉の折は、家々で助け合わねばならぬという掟がある。だから不公平のないように村の子どもの総数を減らす」
「どういうことだ」
「大人並みの働き手に至らぬ村の子の名を全て挙げる。その中からどの子にするか、村長がくじで決める」
「何と、くじで決めるのか!」
知らなかった村の決まりごとに、俺はいちいち驚愕した。
「む、村人は皆、神隠しが故意に行われているのを知っておるのか」
「神隠しが必要に応じて為される人為的なものであることと、村長がくじで人選をすることは、各戸の
「では、消えた子を、お前たち鬼が引き受けておることも、戸主は知らされておるのか」
鬼婆は首を横に振った。
「いいや。それは赤子の件同様、村長以外は知らぬ。また、神隠しの詳細については一切、村長に聞いてはならぬ掟なのじゃ」
今度は俺が腕を組んで首を横に振った。
「わからぬ。口減らしということなら、神隠しなどせずとも、弱い者が自然に飢え死にするに任せばよいではないか」
鬼婆は、さもあらんと一度頷いた上で応えた。
「どのような形であれ、故意に殺すのは、祟りがあるということで禁じられておる。そして、飢え死にと神隠しの大きな違いは、それが結果として村の他の者を救うかどうかじゃ」
俺はいよいよ訳が分からなくなった。
「どういうことだ」
「赤子の時とは違い、子を引き受けるときは、わしら鬼側から村長に相当の謝礼を渡す。赤子と違って、もらい受けた子が育ち、我らの子孫を残すまでの年数が短くて済むからの。村長はその謝礼で米を調達して、神隠しの子の家に限らず、村の各戸に平等に配分する。そうして皆が命をつなぐのじゃ」
「ふうむ……」
俺はしばらくの間、黙りこくって鬼婆をじっと睨んだ。鬼婆は平然と酒をあおり、俺が腑に落ちるまで説明を控えた。
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