第十章(1)
一
「桃の兄貴、こういうことだ。俺は牛鬼が砦に向かって俺たちに襲い掛かってきたときにひらめいたのだ。こいつらの背に乗って、砦に忍び込もう。俺一人の方が身のこなしが良いし、目立たぬ。そしてイットゥの居場所を突き止めて兄貴に知らせようと。だが不覚にも捕まってしもうた。俺は助かるために止むを得ず嘘をついた。イットゥどのに寝返りたくて来たと」
滔々と言い訳を垂れ流す猿を犬吉が遮った。
「猿どん、あんたぁ、本物の卑怯者だな。心から軽蔑するよ」
「何言ってんだ、犬吉。俺は事実を話してるんだ」
サエの亡骸を二人の緑鬼が運んで行った。それを追うように、方相氏とハヤト、それに俺と犬吉、猿ノ助が浜辺の陣地に歩いていく。
目下の危機が過ぎ去って、ハヤトの容態も、何とか歩けるほどには痛みも落ち着いてきていた。
俺は景光を無事回収できたにもかかわらず、イライラを隠さなかった。
その不機嫌な顔をうかがい、自分に対してイライラしているのだと思う猿は、もう全身全霊をもって釈明に努めるのであった。
歩きながら犬がさらに糾弾する。
「おれぁ、村の娘キヨを知っておるが、桃どんがキヨを好いておるなどとイットゥに漏らしたのは、猿どん、あんただな」
キヨという名前が出たので、俺は猿ノ助をぎろりと睨んだ。
「と、と、とんでもねえ! 俺ァ知らねえ。俺ァ流れ者だ。キヨなる女子の存在すら知らなんだ。ましてや桃の兄貴が想いを寄せるなんざ……」
「ではなぜイットゥが知っていた」
俺が猿に訊くと、猿は俺に怯えながら答えた。
「へん、紅葉は人の心の中を覗くと言っていた。紅葉の仕業じゃないのか。俺ァ誓ってそんなこたぁ知らねえ」
――なるほど、紅葉の仕業か……。
「それはそうと、桃どん、間に合うのか」
「間に合わせねばならぬ!」
俺はむきになって犬吉に声を荒げた。
イライラのとばっちりを喰って犬吉は黙った。
俺は、幾度となく俺を助けてくれた犬吉に無礼な物言いをしたことを悔いた。そして、犬吉の方を向いて立ち止まった。
「犬吉どの。犬吉どのと雉右衛門どのの両人に、俺は助けてもろうた。この桃太郎、心より礼を言う。このとおりだ。ありがとう」
面と向かって礼を言われて犬吉は「なんの」と、はにかんだ。だがすぐに、自分に向けて頭を下げる俺に、心配そうに言った。
「桃どの、命の危機は過ぎ去ったのに、もうそのツノは引っ込まぬなあ……」
俺は心がチクと痛んだ。
「犬どの、信じてもらえぬかも知れぬが、ハヤトと闘うまでは、俺は本当に……」
再びおずおずと告白する俺を犬吉は制した。
そこへたまたま、雉右衛門が陣地から飛んできて、犬吉の横に舞い降りた。
「桃どんのツノのことは、これなる雉どんと話し合った。もちろん、最初は衝撃を受けたし、なんだかモヤモヤ悩んだ。だが、この島で鬼ばかりを見ておると、ツノがある方が自然にすら思えるから不思議じゃ」
話の脈絡を理解して、雉右衛門が後を継いだ。
「もう俺たちぁ、人間だ、鬼だってことにはこだわっておらぬ。そもそも、俺は雉で犬吉どのは犬だ。黍団子の絆によって、勇者桃太郎どのの家来として働く。それですっきりしたのだ」
犬吉が尻尾を立てて、片目で器用に俺に笑いかけた。
「俺たちァ、桃どんと共に闘えたことを嬉しく思っておるよ」
雉右衛門が頷いた。
「少なくとも、見張り以上の貢献はできた」
嬉しかった。
俺自身ですら受け入れるのが困難だった、ありのままの俺を受け入れてくれる仲間たち。
「かたじけない、犬吉どの、雉右衛門どの」
俺は自然と頭を下げた。
猿ノ助が釈明した。
「お、俺だって、せっかくかき集めた宝の玉を放り出してまで、桃の兄貴を助けたんだぜ」
「ケッ! 欲の塊め」
犬と雉が冷たい目を向けたが、その猿にも俺は頭を下げた。
「猿ノ助どの、ありがとう」
礼を言われて辛うじて面目を保った猿を横目に、犬吉が雉右衛門に訊いた。
「して、かごの首尾はいかに」
雉右衛門は跳び上がって叫んだ。
「おお、忘れておった! 桃どの、もう間もなくかごが完成するそうな」
俺は色めきたった。
「何、もうか。それは助かる」
浜辺の陣地では、ガムガラと猩々どもは味方の戦死者を回収し、他の者は残兵の襲来に備えて警備を務めていた。
はやる気持ちでたどり着いた俺の元に、早速カラス天狗の親分がやってきた。
「大将どの、雉右衛門どのから伝言を受けて急きょ編んだ
「かたじけない。そうさせてもらう」
「われらカラス天狗五羽で、大将どのの乗ったかごを運んでまずは海を越える。そこで同行する新たな五羽に交代して、田原村までさらに飛ぶ。なに、われらが全力で飛べば、疾風の如き速さゆえ、きっと間に合い申す」
「うん、ありがとう。頼りにしている」
俺は、頼んでおいたかごが思いのほか早くできあがるので、あるいは本当に間に合うかもしれぬ……と絶望の中からわずかな希望を見出して機嫌が直った。
「あ、参謀どの、折り入って頼みがござる」
俺は方相氏にきちんと向き直った。
方相氏も何事かと居ずまいを正して俺に言った。
「何でござるか。申されるがよい」
「あの砦には、悪鬼どもが鬼ヶ城から奪い取った食糧や暮らしの品とは別に、悪鬼どもが本土の村々で略奪してきた
方相氏はしばらく黙って、それから用心深く口を開いた。
「桃太郎、おぬしのことは信じるが、これなる犬と猿を信じよというか」
犬吉は血相を変えた。片目を大きく見開いて、方相氏に噛みつかんばかりに噛みついた。
「参謀どの! 犬の本分は忠義にござる。桃太郎どんの信頼を断じて裏切りはせぬ。犬道に、もとるゆえ」
それを聞いて猿ノ助が、血相を変えた、と思うが、もともと顔が赤いので、よく分からなかった。
「参謀どの! 猿の本分は忠義にござる。桃の兄貴の信頼を断じて裏切りはせぬ!」
方相氏が即座に切り返して猿ノ助を猜疑の目でまじまじと見た。
「おぬしは勝ち馬にしか乗らぬ男……と、雉右衛門がわたしに言うておったが……」
今度は、猿の血相が変わったのが方相氏にもよく分かった。そして方相氏の四つの目で見つめられた猿の目は微妙に泳いだ。
「な、何と! 雉めッ! 根も葉もないことを……」
雉右衛門は猿の不意の攻撃を避けるため、バサッと宙に飛び上がった。
「怖えーかッ! ああ、猿ノ助の性根、怖えー怖えー」
俺が方相氏に言った。
「これなる雉右衛門をこれより対岸の村へ遣わして、待ち受ける金太と銀次に、先にことの次第を告げさせるゆえ、不正はできぬ。参謀どの、信じてくれ」
方相氏は案外素直に頷いてくれた。
「む、よかろう。わたしは律令を執行する都の官吏である。そのわたしの責任において、桃太郎、おぬしの言葉を信じることにしよう。強奪されし品々はおぬしか家来たちの手によって、村々に返されよ」
「かたじけない。では、今宵、鬼ヶ城の先の岬で青い狼煙を上げさせてくれ。迎えの船が来るゆえ、その船に宝物を積み込んでくれ」
「しかと承った。おい、そこなる悪鬼軍の緑鬼どもよ、反逆の罪を減じてやるゆえ、砦の食糧と宝物をまずは鬼ヶ城へ運び戻せ」
俺は方相氏に頭を下げ、犬吉、猿ノ助、雉右衛門にそれぞれ頼んだぞと目を向け、それから、応急手当を受け、多少ましになったとはいえ、いまだ冷や汗を流しながら脇腹の痛みをこらえているハヤトに向き直った。
「ハヤト、見事な戦いぶりであった。普通なら助からん傷だが、この島にて安静にしておれば、ほどなく完治しようほどに、ユラと達者で暮らせ。世話になった」
今生の別れ際なのに、ハヤトは厳しい顔を崩さず、俺に言った。
「桃太郎、おぬし一人では二頭の悪鬼は……」
俺はふっと笑った。
「ああ、死ぬかもしれぬ。だが村を放ってはおけぬ。今朝、お前は言ったではないか。『お前はお前の役目を果たせ、俺は俺の役目を果たす』と。愛する者を守るのは俺の役目だ。村には愛すべき人々がいるのだ。ハヤト、お前はお前の愛する者を守れ。それがお前の役目だろう。死ぬなよ」
そのとき、カラス天狗の頭領が叫んだ。
「大将どの、でき申した。いざ、急がれよ」
カラス天狗たちが手分けしてぶら下げる、蔦で編んだかごに、俺と、途中まで同道する雉右衛門はすぐに乗り込み、アカギとアオジの後を追った。
本土へ向けて海を渡っていきながら、俺は出陣前に鬼婆が口にした話を思い出していた。
――にわかには、とても信じられぬが……。
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