第九章(4)
四
ザクッ!
ありすぎるほど、手応えがあった。
全身全霊の力を込めて斬りつけたため、気の毒なほど身体が割れた。「無念……」と言葉を発する暇もなく、ハヤトと向き合っていた黒悪鬼は、血しぶきを上げてこときれた。
目を閉じたハヤトの顔に、返り血が勢いよく飛び散った。
「メルゲッ! たわけがッ、気を緩めおって」
イットゥが仲間の亡骸を罵倒した。
黒悪鬼がその場にどうっと崩れ落ちたとき、ハヤトは目を見開き、思わず立ち上がって、悶絶しつつある女子に呼びかけた。
「サエッ!」
俺はよろめくハヤトを横から支えた。
「チッ! 覚めおったか」
イットゥは舌打ちすると、骨の折れた女の腕から手を離し、あらためて女の首を抱えると、ふん、と力を入れた。キヨではなく、サエと告白した緑鬼の娘は、あっと言う間にがくりと首を折られてこと切れた。
「サエーッ!」
ハヤトの絶叫をよそに、イットゥはサエの遺体を乱暴に放り出すと、俺に向かって噛みつかんばかりに悪態ついた。
「貴様、よくも俺の目の前でメルゲを手討ちにしてくれたな。まっこと、どこまでも俺の企てを邪魔しおる
俺がイットゥに答えようとしたら、ハヤトが先に叫んだ。
「それは俺の台詞だ。イットゥ、うぬはどこまで卑劣なのか。よくも緑鬼族の娘を脅迫に使い、挙句簡単に殺したな。俺がうぬを必ず地獄に送ってやる」
イットゥが大声で叫んだ。
「皆の者、交渉は決裂した。鬼ヶ城軍を皆殺しにせよ」
しかし、敵味方にざわめきが起こった。
妹サエの死を遠くから見届けたサンジが、絶望してその場に座し、自らの腹を掻き切って果てたからだった。浜辺の戦場の、サンジの亡骸の周囲にいる緑鬼たちは、同族の娘がイットゥに殺されるのを目撃して大いに動揺し、イットゥの命に鬨の声を上げなかった。
その様子を見たイットゥは、歯噛みをして傍らの白拍子風の女に言った。
「紅葉、者どもが覚めおるのではないか」
紅葉と呼ばれた女は、キッとイットゥを見上げ、睨みつけた。
「わが術を見くびるなかれ!」
女はそう言うと突如、イットゥに負けぬほどの大声を張り上げたので、俺は驚いた。犬吉がびくりと身を固くしたほどだった。
「イットゥどの配下の勇猛なる
よく通る女声に、緑鬼を含む悪鬼軍の兵が物見台の女を見た。女に視線が集まった。女は大声を張り上げた。
「汝ら身を投げ打って敵を蹴散らせ! 南無不動尊の
物見台より
「かァーッ!」
女が前方の虚空に念珠を手にした右腕を突きだした。念珠玉は鈍く光りを発したように見えた。続いてイットゥが叫んだ。
「者ども、敵を、皆殺しにせい!」
「おう!」
あれほど動揺していたはずの悪鬼軍の緑鬼たちは再び一気に勢いづき、武器を天に突き上げ、鬨の声を上げて、眼前の相手に立ち向かっていった。女は再び念珠を手にブツブツと呪文を誦し始めた。
俺とハヤトは、その一部始終を見ていた。
「ハヤト、お前が言った通り、あの女、やはり妖術使いだな」
「うむ。緑鬼族も操られておるようだ」
再び活発になった自軍の兵の闘いぶりを見回して、イットゥは頷いた。そして女に、わざと俺達に聞こえる大きさの声で訊いた。
「その術、見事なり、
紅葉はこれも大き目の声で即座に答えた。
「もう二刻ほどで田原村に至ると、先刻、念が伝わってきておりました」
それを聞いて俺はひっくり返りそうになるほど驚愕した。
「な、何だと! アカギとアオジが俺の村に向かっているだとぉ?」
もちろんハヤトも驚いていた。
俺とハヤトの反応を楽しむかのように、イットゥは片頬を上げて俺達を見すえたまま、紅葉に大きな声で命じた。
「では紅葉、アカギとアオジに念を送れ。『桃太郎が行状の報いじゃ』と唱えながら、村人を順番に血祭りに上げよと」
「何をっ!」
思わず拳を強く握って激昂する俺に目を細めて、イットゥはさらに命じた。
「それに、キヨと申す娘がおるはずじゃ、キヨは、桃太郎が想いをかけておる女子ゆえ、ことさらに時間をかけて、なぶり殺せと伝えよ」
「承知いたしました」
紅葉は、呪文を一瞬やめてイットゥにそう答えると、くるりと身を翻して部屋の奥に向かって歩き出した。
「待て女ッ!」
そう叫んだ俺が、ハヤトから離れて砦の一階の扉へ駆けだそうとしたそのとき。
「おのれ、この妖術使いめ!」
ハヤトが力いっぱいに剣を投げた。
剣は勢いよく紅葉の背中めがけて飛んだが、その剣をイットゥが大薙刀でザッと払い落とした。剣は物見台の床にビーンと突き刺さって揺れた。
「馬鹿め、自ら武器を手放すとは」
剣を投げた勢いで再び膝を折れ、手を突いたハヤトの方をイットゥがあざ笑ったそのとき、イットゥの後ろで紅葉の叫び声が聞こえた。
「ギャアァァ!」
叫びながらこちらを振り返る紅葉。
見ると紅葉は白い首筋から真っ赤な血しぶきを上げていた。手で押さえても押さえても、隙間からどくどくと血があふれ出した。
「紅葉ッ! どうした」
紅葉の顔面はみるみる蒼白になり、徐々に白目を剥いて、ついにバタリと高床に倒れた。その勢いで、手にしていた念珠の紐がブツンと切れて、念珠の宝玉はバラケて床に飛び散った。
猿が叫んだ。
「キィーッ!」
紅葉が血を噴き出しながら自分の方に倒れて来たので、猿ノ助は驚いて叫びながら飛びのいたのだったが、その勢いでイットゥにぶつかった。
「どけッ!」
紅葉に駆け寄ろうとするイットゥが、邪魔な猿を腕を振って勢いよく払い飛ばした。猿ノ助は、イットゥの太い腕の直撃を受け、一間ほども吹き飛んだ。さらに、素早く起き上がろうとして踏ん張った足が、そこにたまたま転がってきていた念珠の球に取られ、猿ノ助はもんどり打って頭から床に落下した。
「ウキキィーッ!」
強烈な痛みに、さすがの猿も頭を抱えてその場にうずくまった。
「ふん、天罰じゃわい」
その哀れな猿の姿を見下ろしたのは、翼を畳んで物見台の欄干に降り立った雉右衛門だった。
「おおっ、雉右衛門どのの攻撃だったのか!」
ハヤトが投げた剣の後を矢のように飛んで、振り下ろされたイットゥの薙刀の後を縫い、紅葉の急所である首筋を、その嘴で撫でたのが雉右衛門だったと分かり、俺は思わず感嘆の声を発した。
雉右衛門は、倒れた紅葉のそばに駆け寄ったイットゥや、その傍らで頭を抱えている猿の反撃を避けるため、再び欄干の上に舞い上がり、イットゥの頭上で滞留して、俺に向かって、してやったりの顔を浮かべた。
「桃どの、黍団子の恩でござるよ」
「うむ、雉どの、あっぱれな勇者ぶりよ」
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