第九章(1)

   一


 しばらくの後、俺達は、浜を大きく回り込んで、方相氏率いる大手軍に無事合流した。雲量が多く、光は弱いが、ともかく山の向こうで朝日は昇ったようだ。砦を背にした悪鬼の軍勢と、それに対峙する味方の軍勢が、波打ち際に沿って幅広く入り乱れての白兵戦となっていた。味方の総勢は二百を超え、敵より数の上では優勢だったが、味方は苦戦していた。上陸最中に不意打ちを食らい、相当な混乱に陥ったこともあったが、頼みの緑鬼たちの動きが鈍いことが、より大きな要因だった。鬼ヶ城軍の主力は緑鬼の兵士たちであったが、彼らの戦意が高まらないのだ。それというのも、彼らがじかに剣を交える悪鬼軍の一部が元同郷の緑鬼たちで、同士討ちの罪悪感がなかなか拭いきれぬからだった。しかし不思議なことに、悪鬼側の緑鬼たちは戦意旺盛で、川を挟んだ隣り村の知己である、同じ緑鬼たちに、ためらうことなく切っ先を向けた。


「やあや、メザレよ、ぬしぁなぜ悪鬼の手下になっておるか。お方さまのご恩を忘れたか」


「やかましいやい。ミヨジ、お前こそ、憎き人間どもへの鬼族の七生の恨みを忘れおるか。虐げられるのはもう懲り懲りじゃ。俺ぁ都に上る。邪魔するならミヨジといえども斬る」


 嫌々剣を構えるこちらの緑鬼。それを本気で挑発するあちらの緑鬼。彼我の士気の差は歴然としていた。悪鬼軍の緑鬼は皆、何かに憑かれたように眼が血走っていたのだった。 


 それでも、そのような厭戦気分は緑鬼以外には広がらなかった。緑鬼ほどまでには深い精神性を持たぬ猩々、鬼熊、牛鬼、赤足どもは、牙を剥き、唸り声を上げて敵に向かって行ったし、味方側にしかいない天狗衆、夜叉衆、ガムガラ、それに郷里に何らのしがらみのない都人(みやこびと)の方相氏も、劣勢を挽回しようと必死に戦(いくさ)を戦っていた。


 対する悪鬼軍では、ひときわ身体の大きな悪鬼どもが二十頭ほど立ち回っていた。黒悪鬼どもである。奴らは、緑鬼族とは違い、生まれつき凶暴で命知らずだった。死を恐れぬ強者(つわもの)は大変な脅威であり、誰もが真っ向勝負をためらった。だから奴らは最初のうちは、戦場(いくさば)を水を得た魚のように縦横無尽に暴れ回った。


 だがその黒悪鬼たちの破竹の勢いにも、やがて陰りが見え始めた。


 ともかくも全軍が上陸し終えてからの鬼ヶ城軍は、軍議で俺が提案してあったように、班を組んで組織的に闘い始め、徐々にその効果が出始めたからだった。


 俺とハヤトは、それぞれ一頭ずつ黒悪鬼に目星をつけて闘いを挑んだ。だが深入りはせず、一撃に成功して相手に一定の損傷を与えたら、それ以後の攻撃は二陣、三陣に任せ、体力を温存したまま、次の相手へと向かっていくことにしていた。俺などは適宜、「雉!」と合図して雉右衛門に相手をつつかせたり、「犬!」と叫んで犬吉に噛みつかせたりして黒悪鬼をかく乱し、自分の体力消耗を最少に抑えつつ、つとめて効果的に相手に損傷を与えるようにした。


 俺たちの一撃の次には、二陣として夜叉衆、三陣として天狗衆、さらに鬼熊衆、牛鬼衆……と、黒悪鬼どもに致命傷を与え、倒しきるまで波状攻撃が用意されていた。体中を傷つけられ、苛立った黒悪鬼は、ついに目をやられ、足を返された上に毒を吐かれ、噛みつかれる運命だった。


 こうした鬼ヶ城軍の組織的な攻撃によって、最初は生き生きと立ち回っていた黒悪鬼たちが、時を追うにしたがって、ここで一頭、あそこで一頭と、順に力尽きて倒れていくのだった。


 敵側の緑鬼どもの対応は、主に方相氏と、先ほど合流してきたガムガラが務めた。敵の緑鬼たちは悪鬼にそそのかされているだけゆえ、極力殺害せず、負傷で戦闘不能にしていただきたいとハヤトから希望されていた。それで、力加減を心得た戦闘ができる者として、方相氏とガムガラによる対応に決めたわけだが、敵の緑鬼どもは、自分たちがとても敵う相手ではない方相氏とガムガラから逃げ、勝ち目のあるこちら側の緑鬼と闘うことを選ぼうとするので厄介だった。向こうから積極的に闘いを挑んでこないので、方相氏とガムガラは仕方なく、手近なところで起こっている、緑鬼対緑鬼の闘いに割って入った。


 俺とハヤトは、形勢が逆転し始めて、背後の憂いが薄れたのを見計らって、改めて正面から、敵を蹴散らしつつ悪鬼の砦に進んで行った。夜叉や天狗など勢いついた味方の一部も俺たちに続いた。


 すると砦の中から数頭の新手の黒悪鬼と雑兵どもがわらわらと飛び出して来た。


「桃太郎、イットゥやアカギ、アオジとの決戦に備えて体力を残しておけよ」


「言われるまでもない。これまで同様、味方と共に組織的に闘おう」


 俺とハヤトは新手の敵に第一撃を与えるべく、剣を構えた。


 そのとき、聞き覚えのある野太い大声がいかずちのごとく辺りに響いた。


「皆の者!」


 敵も味方も一様に砦を仰ぎ見た。


 俺たちが斜面に身を潜めていた時に確認した通り、砦には二階があった。その二階には、屋内からこちら側へ、高床の物見台が張り出しており、欄干がしつらえてあって、正面の海が眺められるようになっていた。そしてその物見台に威風堂々と立っているのは、紫の悪鬼イットゥだった。兜はかぶっていなかったが、大薙刀をがっしと床に突き立て、仁王立ちで戦場を悠々、見下ろしていた。


「おいハヤト、イットゥから常に離れぬとお前が言っておった、アカギとアオジが見えぬが」


「うむ。代わりにあでやかなる女子おなごをはべらしおるな」


 ハヤトの言う通り、イットゥの隣りには、細身の女性にょしょうが並んで立っていた。このような場に似つかわしからぬ都風の雅な装束であった。


「白拍子かしらん。戦場いくさばに女子とは、イットゥの奴、俺たちを舐めておるのかな」


 ハヤトは返事をしなかった。


 白い小袖に赤地錦糸の重ねを纏った女子は、妖しい光を放つ宝玉を連ねた、長い念珠を二重ふたえに手に掛け、目を細めて、口をわずかに震わせるように動かしていた。


 その隣りでイットゥは地響きのような声を上げた。


「皆の者、敵の首級を上げよ。討ち取った者には、討ち取られた敵が所有する田畑をそのまま褒美に取らす。皆、奮って闘え!」


 悪鬼配下の黒悪鬼どもはもちろん、緑鬼たちのツノも一斉に屹立した。


「おおぅ!」


 されつつあった悪鬼軍の士気は断然上がった。黒悪鬼どもも再び暴れはじめたが、特に、イットゥに鼓舞された敵の緑鬼どもが眉を上げ、「うおーっ」と声を出して、眼前の相手――同じ緑鬼――に突きかかっていった。


 方相氏やガムガラが関与する闘い以外の場所では、悪鬼軍の緑鬼が、鬼ヶ城軍の緑鬼に襲い掛かった。


 ここでも。


「うぬッ、トウジン、本気で来るのか」


「行かいでか! タオギ、いざ覚悟ッ、シャッ!」


 向こうでも。


「うう、無念じゃ、まさかガロム、お前にやられる運命とは……」


「許せ、デンジ。嫁子も俺が手にかけてやるゆえ、共にあの世で達者に暮らせ」


 さらにあそこでも。


「ジョガ、うぬは悪鬼の手先になってしもうて、情けなや……」


「ふん、やらねばこっちが生きられぬのじゃ、恨むなら世を恨め!」


 そこここで同族同士の殺戮が繰り広げられ、朝もやの海辺にいくつもの血しぶきが飛び散った。


 イットゥはその様子を満足気に見届けると、身を翻して、女を伴い室内に消えて行った。


 それを合図に、砦から飛び出してきていた黒悪鬼どもは進撃を再開した。奴らは俺とハヤトを認め、剣を振りかざして一気に向かってきた。


 一方ハヤトは、後方で同族たちが繰り広げる阿鼻叫喚に愕然としていた。殺し、殺されている緑鬼の連中は両軍とも、かつては村祭りでわずかばかりの稔りを祝い合い、車座に酒を酌み交わして談笑した仲間たちなのだ。


 悪鬼どもは、その同郷の緑鬼どもをけしかけて、挙句殺し合いをさせている。それもこれも、イットゥがこの島に渡って来たことが始まりなのだ。


「うぬうッ、貴様ら!」


 ようやく前方の敵に向き直ったハヤトは、激怒していた。俺が横から見ていてもその怒りがありありと感じられた。


「こ奴らを蹴散らして、大将イットゥを、俺がこの手で討つ!」


「うむ。助太刀いたす。最後はハヤト、お前がイットゥを仕留めよ」


「うおおおおッ」


 雄叫びをあげるハヤト。俺たちは並んで、やってくる黒悪鬼に真っ向から挑んで行った。たちまち雑兵どもの道が開いて、黒悪鬼どもと俺たちの直接の乱戦になった。


 俺は冷静だった。


 やはり組織的で効率的な攻撃を心がけていた。それは犬も雉も同じだ。もう何度目にもなる攻撃の要領を得た雉右衛門が、黒悪鬼の目を突き、犬吉が足首に噛みつく。しかし、共に闘っている俺の目から見れば、彼らはよく闘ってはいるが、いくぶん元気がないようにも思えた。


――猿ノ助の行方を気にかけておるのかな?


 複数の黒悪鬼どもに向けて景光を自在に振り回しながら、俺は失踪して以来見当たらない猿を思った。だがやはり俺は、それ以上猿ノ助を心配することはなかった。


――猿に限って、よもややられてはおるまい。どこかに隠れているか、あるいは頭を使ってうまく戦っておるに相違ない。


 冷静な俺とは対照的に、ハヤトは、俺と数間離れたところで黒悪鬼どもと闘いながら、泣いていた。すばらしい動きで黒悪鬼どもを翻弄してはいたが、組織的攻撃をそつなくこなしていた先ほどとはうって変わって、ハヤト一人で一頭の悪鬼に必要以上に攻撃を加えるようになっていた。


「おのれェ……」


 ハヤトは悪鬼に致命傷を与えるまで執拗に攻撃した。自制心の喪失は、もちろん緑鬼同士の殺戮合戦が後ろで繰り広げられていることへの憤りに起因していた。怨恨――言葉にできぬほど深いこの戦の後遺症が、この先何世代にもわたって緑鬼族を引き裂き続けるだろう、そのことへの憤りであった。


 ハヤトは、たちまちのうちに三頭の黒悪鬼を倒した。しかし、同士討ちした緑鬼たちの死屍が累々と積み重なる光景が、同時にハヤトの網膜に焼き付けられていった。


「くそう……」


 そうして、ハヤトは体力を消耗していった。


 どれほどの時が経っただろうか、砦の前で俺たちは、ほとんどの新手の黒悪鬼を倒した。


 そのとき。


「うッ!」


 ハヤトが低く呻いた。一瞬の油断だった。ハヤトが、今倒したばかりの黒悪鬼から目をそらし、身体を砦に向けたその瞬間、いまわの際の黒悪鬼が最後の力を振り絞って、その剣をハヤトの脇腹に突き立てたのだった。


「ハヤトッ!」


 俺はその状況を認めると、自分の目の前の牛鬼に一閃食らわせておいて、ハヤトに声をかけた。


「大丈夫か」


 ハヤトは自分を刺した黒悪鬼が足元で完全にこと切れたのを見届け、俺の方を向いてわずかに笑った。


「不覚であったが、大事ない」


 そのとき、犬吉が叫んだ。


「桃どん、物見台を!」


 ハッとして俺は物見台に目を移した。例の白拍子風の女が物見台に再び現れていた。女は先ほどよりも近くまで攻めてきているハヤトと俺を認め、俺の目を射るように見据えて、宝玉を縫うた念珠を爪繰りつつ、何やらもごもごと口ごもった。


(そなたの、愛するものの名は、何と申す)


――えっ。今、何と申した?


 心の声で直接女と問答を交わした気がした俺は、なぜか女から目を逸らすことができなくなった。俺は景光をだらりと下げ、その場に凍りついたかのように立ち呆けて女を見上げ、その目をじっと見つめた。


「何だぁ? 桃どん、どうした」


 犬吉がいぶかしんで傍らから俺を覗き込む。


 すると、その俺に後方から襲い掛かろうとする残余の黒悪鬼。


「桃太郎、危ないッ!」


 動かぬ俺と、襲い掛かる黒悪鬼との間に、間一髪、ハヤトが割って入った。脇腹の痛みをこらえつつ黒悪鬼を撃退しようとするハヤトが、一瞬俺を振り返って叱った。


「何をぼけっとつっ立っておる桃太郎! 斬ってくれと言うておるも同然だった。しっかりせぬかッ!」


「あ……ああ」


 犬吉の声もハヤトの叱咤も聞こえてはいたが、俺は変わらず女を見上げていた。するとその女の傍らに、スッとイットゥが現れた。イットゥは別の女の手を引いていた。俺は手を引かれた女を見て驚愕した。


「キ、キ……キヨッ! キヨではないか! なぜキヨがここにおるのだ!」

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