第七章(1)

   一


 ユラと一日半を過ごした部屋の寝台に俺が寝転がっていると、突然ユラが入ってきた。白い小袖を端正に着こなしていた。


「ユラ!」


 俺は寝台の上で上体を起こした。ユラは、口元に微笑みをたたえて、涼しげな表情で俺をちらりと見ると、


「桃太郎さまのお着替えをここに置きまする。こちらをお召しになってご出立しゅったつなさいませ」


 柔らかな声でそう言いながら、糊がかけられ、きちんとたたまれた鎧直垂よろいひたたれ一式を脇にそっと置いた。


「そして、お方さまより言伝ことづてです。犬どの、猿どの、雉どのには、今、ご出立前の腹ごしらえをしていただいております。ご出立のご準備が整いましたら、わたくしがこちらのお部屋にご案内いたしますゆえ、どうぞご一緒にお発ち下さいませ」


「腹ごしらえとな、城は食糧が不足していると聞いたが……」


 ユラは微笑みを崩さず答えた。


「ええ。お供の皆さまにお出ししていますのが、ほぼ最後の食べ物にございます」


 ユラはいったん下がると、今度は握り飯を二つ、盆に載せてやってきた。


「そして、これが最後の米でございます」

ユラは寝台の傍らに盆を置くと、水を張った椀を俺の前に差し出した。


「お指をおすすぎなさいませ」


 言われるままに指を洗いながら、俺はユラに言った。


「ユラ、俺は村へ帰ることにした」


 ユラは椀を両手で支えながら、俺の指を見て、「はい」と答えた。


 ユラは手ぬぐいを俺に手渡し、俺は手を拭いた。


「皆はどうしている。戦の準備を進めているのか」


 ユラは俺と目を合わせず、手ぬぐいを受け取りながら、「はい」と答えた。


「皆、怒っておるか」


「今は女子おなごが広間をうろうろ出歩くときではござりませぬゆえ、存じませぬ」


「ユラ、お前はどうじゃ。怒っておるか」


「おにぎりを、お上がりなさいませ」


「答えよ」


「わたくしがあなたさまのご決心について、云々うんぬん言える立場ではござりませぬ」


「怒っておるな」


「いいえ」


「いいや、怒っておる」


 ユラは動きをやめ、俺の前にきちんと立って、俺をまっすぐ見て、それからニコリとした。


「桃太郎さま、ユラは、怒ってはおりませぬ」


 俺の胸のつかえがスーッと下りていった。


「ユラ、分かってくれるのか、俺の苦悩を」


 ユラは唇を震わせながら微笑み、答えた。


「何かはよく分かりませぬが、きっとお苦しみなのでございましょう」


 そう言うとユラは、乾いた竹の皮を俺に出してみせた。


「ご出立の時が近づいてまいりました。今お召し上がりにならぬのでしたら、これにお包みいたしますゆえ、道々お召し上がりに――あっ!」


 俺はユラの手首を手繰り、その勢いで重心を崩して倒れ込むユラを腕に抱え込んだ。ユラは無言で俺の腕を振りほどこうとした。俺はそのユラの身体をぐっと引き寄せて、その耳元に口を寄せて言った。


「ユラ、俺と一緒に逃げよう。俺についてまいれ」


 俺の腕の中でユラの動きが一瞬止まった。元結もとゆいが乱れかかった髪のせいで、俺の角度からはユラの表情が見えなかった。そして、ユラは身体を固くして、小刻みに震えはじめた。


――無理もない。これまでさぞや怖かったのであろう。


「おもとだけを見捨てて立ち去るような薄情者と思ったか。俺がお許を守るゆえ、村へ帰って一緒に暮らそう」


俺は心からユラをいとおしく思い、何としてもユラを守ってやらねば……と思った。大丈夫だ、震える必要はないぞと、俺は黙ってユラを抱く手に力を込めた。


「離せ下郎」


――えっ?


「ユラ……お許、今、何と申した」


「その汚い手を離せと申したのだ」

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