第六章(3)

   三


 鬼婆は言った。


「ぬしが田原村ですくすくと育っている頃、ここでは鬼の部族が二つに割れたのじゃ。紫の肌をした、イットゥという鬼を、夕刻、ぬしは見たか」


 俺は思い出した。


「ああ、直接言葉を交わした。ハヤトが、めっぽう強い奴だと話していた」


「うむ。そのイットゥが、あるときこの島にひとりやってきた。奴いわく、備前のみならず、他の国にも鬼の棲む島があるらしい。そこで火の山の噴火があって奴以外は全滅したらしい。イットゥは放浪の末、ここにたどりついたということじゃった」


「それで?」


「われらの若い鬼どもが、イットゥを追い出そうとした。われらの社会も、そう簡単に素性の知れぬ者を受け入れはせぬゆえ」


「うむ。それで?」


「イットゥひとりの圧勝であった。あ奴に並ぶ強さの者は、この島にはおらなんだ」


「奴を迎え入れざるを得なかったのか」


「いや、力だけでは村を従えて暮らしてはゆけぬ。われらは奴を、われらの村から追い出した。しかしイットゥは、この島の反対側に棲みついてしもうた」


「ふん、それで」


「以降、狼藉のし放題じゃ。恐ろしいことに、イットゥには慈悲の心がみじんもない。手下の悪鬼どもにさえ心を許しておらぬそうじゃ。ゆえに、敵にはもちろん、味方にすら残酷極まりない所業を為すという。部下を恐怖で支配しておるそうじゃ」


 俺は、舳先に立つイットゥの筋骨隆々たる肉体と、不敵な面構えを思い出していた。鬼婆はさらに続けた。


「後日、京の都から方相氏どのがやってきた。さっきもここにおられた、あの四つ目のお方じゃ。方相氏どのは、帝より追捕使ついぶしとしての命を受け、イットゥを追ってきたのじゃ。方相氏どののお話で、イットゥの正体が分かった。あ奴の話は全くのでたらめじゃった。イットゥは、実は都に棲む鬼の棟梁で、都で徒党を組んで、殺す、盗む、犯すの狼藉し放題じゃったので、ついに検非違使けびいしと激しく戦ったそうじゃ。奴の手下が皆ひっ捕らえられる中で、イットゥ一人が逃げた。逃避行の道々、鬼ヶ島の噂を聞いて、ここへたどり着いたのであろうということじゃった」


「ふうん。しかし、いかに目が四つあって、イットゥを見つけたからといって、あのお方お一人じゃあ、何もできまいに」


「桃太郎、あのお方はお強いぞ。しかしな、先日、この島でイットゥと直接剣を交えたのち、言っておられた。あ奴は都で闘ったときより格段に強くなっておると。おそらく、この島の不思議な力が、鬼である、奴にも作用しておるものとわしは察する」


 鬼婆はさらに言った。


「方相氏どのは、もし帝の御威光にイットゥが畏れ入って、自らの行状を悔いておとなしく捕まるならば、罪を減じていただくために、都にて口利きをして進ぜるおつもりじゃ」


 俺はあざけった。


「はッ、そのようなこと、あり得ぬわ」


 鬼婆も同意した。


「そうじゃな。だから方相氏どのは、都から援軍を呼び寄せようと考えられた。しかしの、イットゥの方も、敵の援軍の到着をおとなしく待つほど阿呆ではないわな」


 俺は頷いた。


「実は桃太郎、言い忘れておったが、見かけだけではなく、性分についても、わしら鬼もいろいろなのじゃ。この島の西に棲む鬼族のひとつに、悪鬼族という者たちがいる。悪鬼族はもともと、その名とはうらはらに、スサノヲの系譜につながるという由緒ある鬼一族だったのだが、掟により、部族内での婚姻を繰り返してきた。その結果、最近になって、まことに凶暴な性質を持つ若鬼たちの集団が台頭してきて、部族の実権を握るに至っておる。ぬしが昼に闘った黒鬼どもや、田原村などを狼藉する赤鬼、青鬼どもも、この悪鬼の若鬼どもじゃ」


「では、俺の敵は悪鬼どもということじゃな」


 鬼婆は手で俺を制した。


「この話にはまだ続きがある。方相氏どのがこちらに来ておると分かったときから、、イットゥは悪鬼たちを調略し始めた。まず奴はこ奴らに闘いを挑み、見事に全員を叩きのめして、悪鬼の頂点に立った。そして、われらが放った内偵の者の報告によると、イットゥはこう言ったらしい。『人間どもは、お前たちの先祖を忌み嫌い、憎み、このような辺鄙で貧しい場所へ追いやった。そして、奴らは大いに栄え、お前たちは先祖代々、いまだこのような小島でくすぶっておる。お前たち、悔しくないのか。よいか、まもなくこの島に、京の都より征討軍がやってくるであろう。無論、憎き人間どもの兵だ。われら鬼を征討に来るのだ。このまま何もせずにおれば、お前たちはすべてひっ捕らわれて、都まで引き回され、六条の河原でさらし首にされるであろう。お前たちはどこまで人間どもの好きなようにさせるのか。そこまでされてもお前たちは構わぬのか。俺は京の都の豊かさをこの目で見ておる。憎き人間どもが、俺やお前たちを踏みつけた上で築き上げたものを奪い取るぞ。それは昔、先祖が人間どもから迫害されなければ、われら鬼が築き上げておったはずのものだからだ』報告によると、このとき、悪鬼どもは一斉に鬨の声を上げたそうじゃ。士気は高い。その上でイットゥは、このように言うたと聞く。『まずはこの島の勢力を統一する。鬼ヶ城を落城させ、宝物ほうもつをわれらが手中とする。これは上洛にあたっての軍資金とする。次に鬼ヶ城の鬼婆と方相氏をひっ捕らえて人質とする。こやつらは征討軍との交渉に使える。次に、見せしめのため、われらと志をひとつにせぬ鬼どもは皆殺しとする。奴らは鬼ゆえに、人質としての価値はない。生かしておいては貴重な食糧を消費する上、反抗するとやっかいゆえ、われらの方針に同意する者だけを生かす』と」


 俺は鬼婆に問うた。


「それならなぜ奴らは一気に攻めて来ぬ? 今日のように幾度も小競り合いを続けても、奴らにとってはあまり意味がなかろう?」


 鬼婆の目線は一瞬目まぐるしく揺れ動いた。


「お、おそらく奴らは慎重なのじゃ。少しずつ小手調べをしながら偵察をしておるのじゃろう。奴らは峻嶮な山あいにあるこの城の地の利や備えをすべて知っておるわけではない。それに、城の外に、われらの同胞の民の集落がいくつもある。挟み撃ちを恐れておろう。また今日は、ぬしのような強い相手も新たに見つけた」


 俺は続けて問うた。


「この城の地の利と言ったな。しからば訊きたい。先ほどハヤトも方相氏も、明朝総攻撃を仕掛けようと言っておったな。なぜ急いで城を出て、敵地でそのような危険を冒そうとする? 奴らが総攻撃してこないのなら、何とか寄せ手をあしらいながら、城に籠って、京からの征討軍の到着を待てばよかろう?」


 鬼婆は、うーんと唸って、それから絞り出すような声で言った。


「桃太郎、こうなれば恥を忍んで洗いざらい告白する。城内の宝物と食糧のほとんどを、敵に盗み出された」


「ええッ?」


「敵の別働部隊がおったようだ。城の倉庫に地下から穴を掘って侵入され、部屋の見張り番が気付かぬうちに、大半の宝物と食糧を持っていかれた。先日、次に武器庫が狙われる段になってようやくそれに気付いたのだ。幸いにも武器は無事であったが、もうこの城には籠城できるほど食糧がない」


 俺はふうんと唸った。


「なるほど、幾日かにわたる城門での小競り合いでこちらの注意を引きつける間に、裏でせっせと搬出しておったのか」


「まことに情けなく、恥ずかしい手落ちじゃった。こちらがそれに気付いた以上、奴らはもうかく乱の必要がなくなった。近く総力を挙げて城に攻め込んで来るであろう。こちらに、籠城できるだけの物資がないことから、われらとしては、もう……」


「城を出て攻めるしか手がない……か」


「幸い、明日の分までは兵糧があるゆえ、今日の時点ではわが軍勢は飢えてはおらぬ。これまでの作戦が成功しておるゆえ、相手は楽勝と油断しているやもしれぬ。その隙をついて明朝奇襲をかければ、いくばくかの勝算はあると思う。軍参謀の方相氏どのも、ハヤトも同じ意見じゃ。ただひとつ条件はあるが」


「条件?」


「われらの軍は連日の防戦による負傷で戦いに倦んでおる。つまり、士気が上がっておらぬ。一方、昨日の到着以来、ぬしのことは皆の噂になっておる。特に今日の闘いでハヤトと共に、黒アッキをやっつけたことで、桃太郎は救世主ではないのかと、皆が期待をしておるのだ。ゆえにな、もしわが軍勢が、救世主を戴けば、皆の士気は必ず上がる。そうすればこれは充分にわれらに勝ち目のある闘いになろう」


 鬼婆はそこでいったん話をとめて俺の士気を値踏みするかのように、俺の目を覗き込んだ。俺は目を逸らした。事態の全容がはっきりしてくるにつれて、俺は底なし沼に足を踏み入れたような焦燥感にさいなまれていた。


――知るのではなかった。いや、来るのではなかった……。


 俺は鬼婆を見る代わりに瓜に手を伸ばし、無造作に頬張った。なるほど、たしかに認めたくなかったが、どうも俺は人間ではないらしい。そして俺は、イットゥの方針に同意できるわけはない。となると、もし俺がそうっと、目立たぬようにしておっても、俺に人質の価値はなく、皆殺しにされる部類に入りそうだ。


――なるほど俺は今、貴重な食料を消費しておるわい。


 俺は途中まで喰いかけの瓜をどうするか迷った。


「桃太郎……」


 説得が足りぬと見て、鬼婆は話を再開した。もう鬼婆の言いたいことはよく分かっていた。


「わしは今、なぜあのとき亀の甲羅が十文字に割れたか、その意味がようやく分かったのじゃ。桃太郎、ここへ帰ってきたぬしの存在は、今は敵味方に割れた、あちらの鬼たちから見れば禍いをもたらすもの、そしてこちらから見れば、鬼の救世主であったのじゃ」


「鬼婆、済まぬが俺は……救世主などではない」


「認めたくない気持ちは分かるが、あらゆる事実が、そうであると物語っておる」


 俺はまたうつむいた。


 鬼婆の言っていることは事実だったし、救世主かどうかはともかく、俺が何らかの使命を帯びて、今ここに来ていることは、誰よりも俺自身が強く感じていた。


 俺は多少の力持ちではあったかもしれぬが、鬼に対しては相当な臆病者だったはずだ。それなのに、この島に来て、ハヤトに殴られてよりこの方、俺は、格段に勇気にあふれ、力がみなぎっている自分を痛いほど感じていた。


「ぬしが『行く!』と言えば、全軍の指揮権を預ける。われら部族全員の命も預ける」


 そう言うと、鬼婆は胡坐のまま両手を突いて、瓜のかごから後方にずり下がった。上体を前方に傾け、姿勢を低くして、すがりつくような上目で俺を見た。


「このままでは勝てぬ戦じゃ。桃太郎、頼む。われら一族を滅亡からどうか救ってくれ、この通りじゃ」


 次の瞬間、あの鬼婆が、俺に向かってひれ伏していた。俺は驚きで大きく目を見開いた。


「お、鬼婆……」


 俺は即座に、はっきりとした口調で鬼婆に答えた。


「嫌だ。お断り申す」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る